はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
[55]  [56]  [57]  [58]  [59]  [60]  [61]  [62]  [63

今、飛びたいんだ

晴れた朝、玄関で雨蛙に会った。雨蛙は飛んでいた。玄関のドアに向かって。
「どうして飛ぶの?」思わず聞いた。玄関のドアの先、上には何も、強いて言えば蜘蛛の巣くらいしか無いように見えたからだ。
「飛びたいから」雨蛙は答えた。「今、飛びたいんだ」
そして飛んだ。何度も飛んで、そして落ちる。コンクリートの地面と玄関のドアは、たぶん直角に近い。
(ムリだよ。たぶん何処にも届かない)わたしは思うが雨蛙は飛び続ける。
「どうして?」と聞くと「何が?」
雨蛙は上の空だ。飛ぶことに集中している。
「どうして飛ぶの?」「だから、飛びたいんだって」
――衝動。わたしの中の衝動は、いつ何処に行ったんだろう。
わたしは、雨蛙が飛び続けるのをずっと見ていた。
空が曇ってきて雨が降り出すまで。

雨蛙と会ってから毎日雨が降っている
稲刈りができず田んぼを持っている家は困っているようだ
もちろん彼に悪気はないだろう  今日もどこかで、たぶん飛んでいる


拍手

誰かのためならできること

「小ぶりですが」近所の子が栗を持ってきた。
栗の季節到来だ。何と言っても人気は栗ご飯。
皮をむくのは手間だし手は痛くなるが、娘の「美味しい!」の一言が聞きたいがために頑張る。自分だけのためだったらまず栗はむかない。そう思うと、家族がいるからわたしも炊き立ての栗ご飯を食べられるということになる。
自分のためにはできないけど、誰かのためだったらできることって結構あるんだよなぁ。
びっきーの散歩だってそうだ。自分のためにウォーキングなど絶対にしないタイプのわたしが朝夕、びっきーと共に歩いている。
図書館の展示ボランティアも図書館を訪れる人のためだが、自分では読むことも調べることもしなかったであろうグリムについて、ほんの少しだが知識を深めることができた。
持ちつ持たれつ? give and take? 情けは人のためならず?
どれも、当たらずとも遠からずかな。
 
そうだ。来月は娘の18歳の誕生日だ。彼女のために、この町唯一のケーキ屋『ドゥ・ミール』にモンブランを食べに行こう。
『ドゥ・ミール』のパティシエはモンブランだけは持ち帰らせてくれない。マロンクリームの台になる部分がカリッとしたメレンゲでできていて、すぐに食べないとカリッと感が無くなってしまうというこだわりだ。甘いものが苦手なわたしは、もちろんひとりでモンブランを食べに行くことはない。しかし娘の誕生日なのだからしょうがない。彼女のために一緒にモンブランを食べに行こう。甘いものは苦手でも『ドゥ・ミール』の看板でもあるモンブランなら話は別だ。小さくて甘さもしっかり抑えていてとにかく美味しい。
自分のためにはできないけど、娘のためならモンブランだって食べられる。
ふふふ。楽しみだ。

ほっこり美味しい栗ご飯が炊けました

拍手

Look at the bright side.

友人とランチをした。彼女は先月までロスに住んでいて、昨夏1週間のステイをさせてもらって以来なので1年ぶりだ。ゆっくりと食事をしながらしゃべり、お腹がいっぱいになるとぶらぶらお店を冷やかしながらまたしゃべり、エスカレーター横のソファに座ってまたしゃべり、紅茶を飲んでまたしゃべった。4時間半たっぷりしゃべって1年の時を埋めていくのは、とてもとても楽しかった。
昨夏は上の娘との二人旅でロスの空気を満喫させてもらった。その娘がオーストラリアで楽しくやっているらしいことをわたしがしゃべり、5年ぶりに日本に帰ってきて中学に行きカルチャーショックを受けているお嬢さんのことやビートルズのコピーバンドを組んでいる楽しいご主人のことなどを彼女がしゃべり、骨折した際左手がいかに働いていたかを再確認したことなどをまたわたしがしゃべり、出会ったころのことや共通の友人のこと、出会う前のことやロスでのこと、最近考えていることや、さらに家族の話などを、もうとりとめもなくふたりでしゃべった。
そして彼女から素敵な言葉をもらった。
Look at the bright side. 直訳すると「明るい方を見なさい」かな。
「いろいろなことがあるけど、ハッピーとは思えない出来事にもいい面は必ずあるし、明るい側面を見て生きていきたいなってロスで学んだよ」
彼女は洋ナシの香りの紅茶を飲みながら、穏やかに言った。
「この言葉をもらった一瞬に、栞を挟んでおきたいな」
わたしも穏やかな気持ちになり、考えた。
「できればこの甘い紅茶の香りと一緒に」

Afternoonteaの季節の紅茶は「ラ・フランスダージリン」


拍手

真っ青なポロを見かけて思うこと

真っ青なポロを見かけた。
「あ、小鳥ちゃん」わたしのバイブルを思い浮かべる。
江國香織の小説『ぼくの小鳥ちゃん』(あかね書房)だ。
主人公ぼくのガールフレンドの愛車が真っ青なポロ。初めて小鳥ちゃんを読んだ時には知らなかったが、今はポロがフォルクスワーゲンのスマートな車だと知っている。できれば車を買い替える際ポロに乗りたかったが、やっぱ燃費だよねと、フィットハイブリッドを買った。それでもポロを見かけるたびに「あ、小鳥ちゃん」と思ってしまう。
 
ぼくによれば―ポロに乗るタイピストのガールフレンドは、タイピングの腕が一流なだけでなく、料理も整理整頓もほころびを縫うのもとても上手で、能力を問われるおよそありとあらゆることに、その才能を発揮する。
そんなぼくの部屋に、冬の朝小鳥ちゃんはやって来た。ぼくが窓際でミルクコーヒーを飲んでいる時に(決してカフェオレではなく)不時着。そんな感じで。プライドが高く口が悪く、それでも甘え上手な―たぶん白い文鳥の、小鳥ちゃん。
ぼくによれば―小鳥ちゃんはしりとりが好きだ。退屈するとすぐにしりとりをしたがる。小鳥ちゃんのしりとりはおわらない。「ん」がついてもいいルールなのだ。海、と小鳥ちゃん。三日月、とぼく。きんかん、と小鳥ちゃん。カンボジア、とぼく。あるいはいきなり、ごはん、と小鳥ちゃん。ハンカチ、とぼく。ず-っと続くのが好きなのと小鳥ちゃんは言う。「それに、言っちゃいけない言葉があったりしたら、気になってどきどきしちゃうでしょう?」「それがおもしろいんじゃないか」と言うぼくに小鳥ちゃんは言い放つ。「悪趣味」
ぼくと小鳥ちゃん。そしてガールフレンド。三角関係ともいえない三つの点。世界は冬で部屋の中は温かい。ぼくの部屋にはガールフレンドとの写真が置いてあって、彼女がやってくるたびに小鳥ちゃんは写真立てをぱたんと倒す。それがいつも通りの風景で微笑ましくもある。
ある時はスケートをしたがり、ある時は病気だと言い張って薬(ラム酒をかけたアイスクリーム)をねだり、そしていつでも洗濯機がぐるぐる回るのを眺めるのが好きな小鳥ちゃん。それをひとつひとつ大切に受け入れていくぼく。
一緒に暮らすふたりの距離として、ぼくと小鳥ちゃんの関係がわたしは好きだ。気遣いながらもわがままを言い、悪態をついたかと思えば思いやる。車も運転できず何の取り柄もない不器用なぼくだが、小鳥ちゃんが彼をルームメイトに選んだのがよくわかる。
 
この間、オーストラリアの娘と久しぶりにスカイプでしゃべった。ハウスメイトとも仲良く楽しくやっているようだった。彼女は人との距離の取り方が上手くシェアハウスで暮らすのには向いているようだ。それでも日々穏やかにとはいかないだろう。
真っ青なポロを見かけて、ぱたんと音を立てて写真立てを倒す小鳥ちゃんを思い、娘を思った。

娘からのバースディプレゼントの写真立てはレトロなタイプライター形
今のところぱたんと倒す小鳥ちゃんは現れない

拍手

Wi-Fi初体験

Wi-Fi初体験をした。
久々に東京本社に出社し、銀行を回り社用の買い物をし、その後30件ほどの振り込みをするためコーヒーショップでパソコンを開いた。
「Wi-Fiってどこでも勝手に繋がるんじゃないんだね」
夫に言うと、当然との返事。契約がいるのだ。月380円の契約をし振り込みをぶじ終えた。
小ぶりのパソコンを買ったので、最近は何処に行くにも持ち歩く。
急な仕事にも対応できるし、メールチェックも、行く先の検索も、ブログの更新だってできる。古風なマイケータイにできないことがちゃかちゃかできちゃうのだ。しかし、できると思うと外に出た時にも仕事は追ってきて、いつでも経理ソフトを開けるし、振り込みだってできるよねということになる。便利なのがいいのか悪いのか。だが、わたしの性格からすると重たくとも大きな安心を持ち歩いている気持ちの方が強い。フレックスなスタイルで働いているだけに、常に対応できる状態に保てるのはうれしいことだ。
 
そのむかし、入浴中に恋人から電話が鳴らないかといつも心配していた。しかし今ではケータイも水に強くなり一緒にお風呂も可能になった。
あの感覚は無くなるのだろうか。入浴中に恋人からの電話が鳴るかもしれないと思うと、聞こえるのだ。ベルの音が。風呂の戸を開けると大抵、電話は沈黙していた。ファンタジックでリアルでちょっと悲しい感覚。聞こえるような気がするから聞こえたような気になるってだけなんだけど。
今や何処にいたって、誰とでも繋がっていられるし、一千万円の振り込みだってできる。
Wi-Fiねぇ。と考えつつケータイを見ると夫からの不在着信があった。待ち合わせをしてるというのにケータイは電車に乗ったままマナーモードになっている。本当のところ電話の音を聞こうとしていないのはわたしの方なのだろうか。いや。たぶんこれは安心感が生んだ隙なのだと思い直す。どれだけ便利になったってそれを使うのは人間なんだから。
顔を上げると目の前に夫が立っていた。
「電話、百回は鳴らしたんだけど?」「ごめん」
百回コールしてくる夫がいる。安心感がつけ入る隙はこの辺りにあるのかも。

夫が連れて行ってくれたイタリアンバール
コンクリート打ちっ放しの壁にシンプルな装飾が素敵

拍手

涙の効用

娘が高校から「カウンセラー便り」なるものをもらってきた。
「笑いの効用」とある。笑うことがリラックスや、やる気に繋がると、笑いをオススメしていた。娘と笑った。オススメの通りというわけではない。
「なにこれ、ありえなーい」「笑える」と笑ったのである。
笑いについて笑ったせいか、ふたりとも壊れたように大笑いした。
「なんかすっきりした」「くやしいけどすっきりした」とまた笑った。
笑いに効用があるとは、よく聞く話で否定もしない。わたし達が笑った分だけ「カウンセラー便り」も成功を収めたとも言えるかも。
しかし一時期わたしは涙の効用の方に助けられた。
子どもが小さい頃、子育てのストレスもあり、よく泣いた。子どもが眠ってからアイロンをかけつつレンタルした映画を観ては泣いていた。ラブコメが多かったかな。そして本を読みまた泣いた。泣いて泣いてすっきりした。
 
山本文緒の短編にはたっぷり泣かされた。『絶対泣かない』(角川文庫)は絶対泣ける、涙の効用体験をしたい人にはオススメの小説だ。
テーマとして職業を置き、フラワーデザイナー、体育教師、漫画家など、女性が働く中で様々な思いを抱え何かにぶつかり何かに出会い進んでいく。そんな姿を独特の視点で描いている。
デパート店員の『今年はじめての半袖』がわたしは大好きで何度も読み返した。失恋し会社を追われた主人公は自殺しようと考える。両親が死んだら死のう。でもそれまでは働き生きていくしかない。考え込まぬよう働いて働いて、働いた。その先にあったものとは……。
何も考えたくない時にからだを動かす。それは正解かもしれない。笑ったり泣いたり、からだを動かしたり、そうやって進んでいくしかないのだ。

「上を向いて歩こう」と秋空を眺めてみる

拍手

人生については誰もがアマチュアなんだよ

「『ラッシュライフ』(新潮社文庫)って伊坂2冊目の本なんだね」
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に言うと、
「そうだよ。サブタイがまた、かっこいいんだ」と文庫を開いた。
サブタイトルを並べた目次はなく、エッシャーのだまし絵をめくると、
『最高時速240キロの場所から物語が始まる』とある。
「気づかなかった。確かに、かっこいい」とわたし。
「でしょ。ラッシュの意味が4つ、リーダーズ英和辞典からちゃんと転記してあるのも好きだな」と彼女。
「気づかなかった。意味がかいてあるのは覚えてたけど」
簡単にかきだすと「むち打つこと」「豊富な」「無分別な」「殺到する」
それぞれスペルが違う。名詞では「飲んだくれ」なんて意味もある。
そんなラッシュのいくつかの意味を、いくつかの人生に重ね、物語に織り込んだのが『ラッシュライフ』だ。
 
侵入した家に親切にも取った金の額や場所を手紙を残す泥棒、黒澤。
「基本とウォーミングアップはどんな仕事にも必要だ」
神を解体しないかと持ちかけられる絵が得意な青年、河原崎。
「ああいう大きな、人間の人生なんかとてもじゃないけど敵わないものに、会いたい気分なんですよ」
浮気相手の妻を殺そうと拳銃を購入するカウンセラー、京子。
「計画なんて大まかでいいのよ。細かいと逆に行動を縛っちゃうの」
家族と職を失い野良犬を拾う四十男、豊田。
「怖れるな。そして、俺から離れるな」
金と権力とですべてを手に入れ生きてきた画商、戸田。
「今、この瞬間に生きている誰よりもわたしは豊かに生きている」
 
「ラストが秀逸だよね。イッツオールライトがいい!」
「時間差がキーなんだよ」と彼女。「精密に作られてるね」とわたし。
「緻密」「偶然性の妙」「洗練と原石の隙間をかいくぐる文章」
「そして、黒澤! 黒澤! ああ黒澤!」
彼女は『ラッシュライフ』の話をしていると時々こうなる。
「伊坂がさ、あ、間違えた。黒澤がさ」とわたし。
「ぜんぜん違うよ! 黒澤は伊坂よりかっこいい!」
彼女はそう主張した後、思い出したように言った。
「『ラッシュライフ』映画になってるらしいね」
「うそ、気づかなかった」
「評判が悪い」苦虫を噛み潰したような表情の彼女は、
「大学の映画研究会とかが撮影したらしいよ」と続けた。
「伊坂、映画好きだもんね。そういう場に作品提供しそう」
「キャストは結構有名所。黒澤を堺雅人がやってる」
「あー、それ面白そうだけど」そこでふたりうなだれる。「不評」
「観るか」「観るしかないね」
だが、そのまま映画は観ていない。

人生については誰もがアマチュアなんだよ
誰だって初参加なんだ 全員がアマチュアで新人だ
初めて試合に出た新人が失敗して落ち込むなよ by黒澤


拍手

パーンという音が空に響くたび

銃を持った男を見た。伊坂幸太郎の小説ではない。嘘偽りのない日常。いつも娘を送り迎えする道でのことだ。
猟銃かと思ったが全体に黒く太い。マシンガン? まさか。車の窓を開け聞いてみた。「熊ですか?」「いや。猿だ」
ホッとした。猿ならあれは空気銃だろう。脅しに使うだけかもしれない。
 
ゴーヤを切りに行った農家さんで猿の被害の深刻さを聞いていたので、空気銃も致し方ないのかなと思う。農家さんも必死なのだ。南瓜どころかゴーヤまで採っていくと言う。
「あんな苦げえもん、生で食うんズラ?」とあきれていた。
しかしおそらく猿も必死なのだ。町内だけ見ても、山の開拓が進み森は拓かれ、農地や宅地が広がっている。山に暮らしていた猿が下りてこなくてはならない状況を作っているのは人間だ。
「ゴーヤは苦いよ」という子猿に母さん猿が言っているかもしれない。
「好き嫌いしないで食べないと、食べるものないわよ」
「やだよやだよ。お腹減ったよ」「わがまま言わないの」
子猿も母さん猿も切ないだろうになぁ。
しかし、そういう我が家も赤松の林を切り、家を建てた。残った隣の林には、今も何かしら動物の気配を感じる。この夏にはキジがヒナを育てていたようだ。誰かを追い出して、わたし達だってここに住んでいるのかもしれない。
 
パーンという音が空に響くたびに、あれは空気銃だろうか、それとも畑に設置された空砲だろうかと考える。考えることくらいしか、まずわたしにはできないから考えるだけ考えてみる。子猿を抱く母さん猿の姿を思いつつ。作物を取られた農家さんの憤りにうなずきつつ。豊かな町にしようと森を開拓する町の未来に不安を抱きつつ。赤松の林を吹き抜ける風を心地よく肌に感じ、ここに住まわせてもらっていることの幸せをかみしめつつ。

4・5年前まで猟銃を持つ人々が家の前をうろついていた
この辺りも家が増えハンターもさらに山奥へと移動して行ったようだ

拍手

駄洒落と小6女子の凍った視線

『AERA』に勝った!『AERA』とは朝日新聞出版の雑誌だ。昨日の新聞広告に載っていた『AERA』の一行コピーと言われる駄洒落ニュースに「絶滅、カワウソ~。」とあったのだ。
ニホンカワウソの絶滅が確認されたのはもう半月も前で、わたしも8月30日のブログ読書徒然に「カワウソだね?」というタイトルでかいている。
『AERA』は読んだことはないが、この駄洒落ニュースには注目していただけにうれしい。
「見て見て!『AERA』に勝った!」夫に見せるが相手にされない。
娘に言うと冷めた目で見られた。「何その無駄な優越感」
 
なので、ひとり淋しく『AERA』の一行コピーをネットで検索した。
「ポッポと辞めました。」鳩山首相8ヶ月で辞任。「イトカワいし、はやぶさかな。」小惑星探査機はやぶさ、小惑星イトカワの埃を持ち帰る。「強くなったワケは、なんでしこ?」サッカー女子なでしこジャパン、急成長などなど、話題のニュースをきちんと(?)駄洒落にしている。ちなみに動物ネタは久々かな。「あちこち出没には、クマった。」以来?
娘が気分転換に2階から降りてきて、何してるのーと言うので、駄洒落ニュース検索と返すとふたたび「うわっ、何その無駄な検索」と言われた。
が、ふたりで見て笑ったりあきれたり、しゃべったりする。
「クマったは、先生が言って、小6女子に冷めた目で見られるレベル」と娘。
「小6女子ってのがリアル。中学生には大人に対するあきらめがあるよね」
「まあね。奴も人間だからな、しょうがないなって」「でも小6女子は恐い」
「凍った視線が突き刺さって致命傷を負いかねないね」などとしゃべった。
 
ところで、駄洒落好きさんにオススメの絵本がある。『だじゃれすいぞくかん』『だじゃれどうぶつえん』『だじゃれしょくぶつえん』(絵本館)などのシリーズだ。文は中川ひろたか、絵は高畑純。これがおもしろい!
マグロが暗い顔して「おさき マっグロ」と言ったり、寝起きのひつじがベッドで時計を見ながら「わっ ひつじ!」と言ったり、公園のベンチにゆったりもたれかかりネクタイをしめたサボテンが「しごと サボっテン」と言っていたりする。絵とのコンビネーションも絶妙。できれば親しい誰かと一緒に笑ったり、くだらなーいなどと言ったりしながらページをめくりたい絵本だ。子ども向けというより大人に受けるかも。
小6女子だっていずれ大人になり駄洒落を言うようになるかもしれないのだ。

「きのう きょう アシカ」「かラーイオン」「きゅうり とまれない」

拍手

好奇心もほどほどに

「好奇心は猫をも殺すって言うじゃない」娘が言った。
受験生の彼女は秋を迎え、今ここで新しいゲームに好奇心など持たないよう、学校でのおしゃべりひとつにも注意を怠っていないのだという話をしていた。
だがわたしの頭には、話の内容は入ってこなかった。初めて聞く言葉にクエスチョンマークが飛び交っていたからだ。
「猫? なんで猫? なんで猫が死ぬの?」
「好奇心」の方はそっちのけで「猫」にばかり興味がいく。
イギリスの諺Curiosity killed the catだそうだ。イギリスでは猫には9つの命があると言われていて、好奇心ばかり持ってあちこちに首を突っ込んでいると命がいくつあっても足りない。好奇心もほどほどに、という意味らしい。
 
新しい言葉を会得するといつもそうだが、使いたくなった。が、すぐに思いもよらず思わぬ相手に使うことになった。
朝、びっきーの散歩中のことだ。傾斜の上に立った形で森を見下ろす場所がある。そこで草木をざわざわと分け大きなものが進んでいくような音がして、一瞬立ち止まった。びっきーも立ち止まった。
「熊だろうか」びっきーと顔を見合わせる。
防災無線の情報からして、もうこの辺りで見かけてもおかしくない。目を凝らして森を見た。黒い姿は見えない。恐い。でも見たい。いや。わたしは考え直しびっきーに言った。
「好奇心は猫をも殺すって言うよね、犬くん」
そして鈴を大きく鳴らし歩き始めた。
 
わたしは、夫と珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属のご近所さんにも言いたい。
「好奇心は猫をも殺すんだよ! 9つも命がある猫をも!」
軒下のキイロスズメバチの巣を取り返しがつかないほどに巨大化させてしまって、いったいどうするつもりなのだと。

「大きくなりましたねぇ」と目を細めるご近所さん
「もうちょっと綺麗な丸に作って欲しいですね」と美学も語る

拍手

小説「カフェ・ド・C」 14. 狼少年

カフェ・ド・Cで初めて結婚式をすることになった。結婚式と言っても15人ほどのこじんまりとしたもので簡単なお祝いパーティだ。主役はムッシュとマダム。母は彼と共に暮らすことを決めた。
「ケータリングで美味しいパーティ料理を配達してくれるところがあるんだ」
ムッシュは以前イベント関係の仕事をしていたらしく、料理の手配をした。
「シエナのレイさんが、腕によりをかけてウエディングケーキを作ってくれるのよ」マダムもうれしそうだ。
招待客は二人の友人達が五、六人ずつ。季節もいいし晴れたら窓を開け放ち気持ちのいい風を入れよう。母の幸せそうな顔に僕もついウキウキしてしまう。
 
そんなとき、再婚し山梨の田舎に移り住んだ父が、新米を送ってきた。
「初めて田植えをし、収穫した米です。届いたらその日のうちに食べてみてください」メモ用紙に丁寧な字でかいてある。
「父も幸せに暮らしてるみたいだ」
炊き立ての甘い新米を口に運び妻に言うと、彼女は不思議なものを見たような顔をした。それで僕は「幸せ」と口にすることを恐いと思わなくなっている自分に気づいた。
「そろそろ封印を解いてもいいかな」
カフェ・ド・Cの本当の名の由来をお祝いの言葉にしようと、僕は決めた。

 
式当日は秋晴れだった。マダムは白いタイトなワンピースに友人達がプレゼントしてくれたというベールのついた髪飾りをつけている。ウクレレを弾く人あり、短歌を詠む人あり、手品を披露する人あり、歌声や笑い声が絶えず明るくにぎやかなお祝いの会になった。
ケーキカットの後、僕は心をこめて珈琲を淹れ、ムッシュとマダムの席にいちばんに運んだ。
「母さん、おめでとう。初めて言うけど、カフェ・ド・CのCはフランス語でコントン。幸せって意味なんだ。ここで出会ったお二人の幸せを祈ってます」
マダムはきょとんとした顔をしたかと思ったら、突然笑い出した。
「ありがとう。でもそんな取ってつけたような嘘までつかなくても、わたし達は充分幸せよ」
ムッシュもマダムの隣でうなずいた。
「苗字、茅野さんのCだって聞いてたけど、まあ、その気持ちがうれしいよ」
 僕は返す言葉もなく、カウンターに戻り珈琲を淹れる作業に没頭した。集を抱いた妻が耳元でささやいた。
「狼少年になった気分はどう?」

秋の空にはコスモスがよく似合う ムッシュ&マダム、おめでとう!

拍手

蛙と夕立

ウッドデッキで洗濯物を取り込んでいたら、蛙に会った。冠をかぶった王様を連想させるような風格のある容姿に魅きつけられ、わたしは話しかけてみた。
「悩みがあるんだ。右に行こうか左に行こうか悩んでる」
蛙は、首を傾げ考えるようにしてから答えた。
「まずは、きみが持つ悪意が、問題だ」
「わたしが持つ悪意?」
わたしは、心の引き出しを開け自分の中の悪意を探してみる。
「右か左かは、後で考えればいい」
蛙は小さな子どもに言うようにゆっくりと言った。
「恨みも、理不尽な思いも、すべてを自分の中の悪意と共に、捨てるんだよ」
そして目を閉じ、そっと開いた。
「紙に書いて、燃やすといい」
アドバイスに慣れているようだった。
「悪意も弱さも誰もが持っている。目や耳を持っているのと同じでね」
蛙はちょっと笑ったような表情を見せた。
「道はどこかで繋がっているよ。右に行っても左に行っても、先に行った友人達といずれ出会えるだろう。まずは余計な荷物を降ろすことだ」
そう言ってウッドデッキの下を覗き、話しすぎたかなという顔をした。
「ありがとう。水が欲しい?」
「いや。もうすぐ雨が降るよ。けっこうザーッと」
1時間後、蛙の言う通り雨が降った。夕立がザーッと降って去って行った。

蛙はウッドデッキの隙間に静かに消えた
今朝は富士山に初冠雪 冠を頭にのせた蛙を思う

拍手

「まったくきみ達ときたら」

夫の口癖のひとつに「まったくきみ達ときたら」というのがある。それはだいたい「よくそんなくだらないことをべらべらとしゃべり続けられるね」と続く。遠まわしにうるさいと言っている訳だ。
反抗期の子どもに対し、大切にしてきた母の心得が2つある。
美味しい料理を作ることと、共にくだらないおしゃべりをして笑うこと。だいだいこの2つができていれば、反抗期も難なくやり過ごせる。
学校のことなど話さなくていい。テレビや本、ダイエットにお菓子作り、腹の探り合いなどなくただ楽しくしゃべって笑う。そうして毎日しゃべっていれば、いざ何か心配事があったときにも話しやすくなるというものだ。
心得を大切にし、わたしはもう反抗期も過ぎた娘達ともよくしゃべる。あきれるほどくだらないおしゃべりで盛り上がる。で、夫の口癖の出番となるのだ。
 
その口癖がこのあいだ、娘の口をついて出たという。いきさつはというと。
「恩田陸って女だったの?」と新聞を読む夫。
「知らなかったの?」とわたし。居間での会話だ。
「ずっと男だと思ってた」と新聞の写真を見ながら夫。
それを2階の部屋で娘は聞いていたそうだ。居間の吹き抜けのちょうど上が彼女の部屋になっていて会話は常に筒抜けだ。
「生まれた時から女ですよ、恩田さんは」
作家恩田陸ファンの彼女の本棚には約20冊もの恩田文庫が並んでいる。
「何冊か読んだよね?」とわたし。「何読んだか忘れたな」と夫。
「水路がある町の橋の上で男が死んでるって話読んでたじゃん」
「ああ、あれね。タイトル忘れたけど読んだな。」
「それは『きのうの世界』(講談社文庫)だっつーの」
2階でイライラしながらも聞いている娘。
「それからほら『上と下』」「あ『上と下』ね。うん、読んだ読んだ」
「だからそれは『上と外』(幻冬舎文庫)だよ! 下じゃない、下じゃあ! まったくきみ達ときたら!」
とっさに夫の口癖が出てしまったのだと、2日ののち娘は語った。

アジアン雑貨屋で見つけたお気に入りの猫のブックエンド『上と下』

拍手

乾いた心に

毎朝ゴーヤ茶を飲んでいる。ほうじ茶や緑茶などと半々にブレンドすれば苦みも余りなく2回目に入れた時など返って甘みがでるくらいだ。独特の香りはもう、ゴーヤのものというよりはゴーヤ茶のものになっている。
9月に入りこの辺りでは「寒いね」「冷えるよね」と娘と朝の挨拶を交わすほど空気が冷たく気持ちのいい朝を迎えられる。熱いゴーヤ茶は、そんな朝にぴったりのアイテム。ゆっくりと濃く出して置いておけば昼用に氷を入れてアイスゴーヤティーとしても楽しめる。
 
この夏は、夫の友人に中国で買ってきてもらったジャスミンティーに朝の時間を楽しませてもらった。ジャスミンティーは白粉花の種くらいの大きさに可愛らしく丸まっていた。その丸く乾燥していた葉がお湯を注ぐことで少しずつ開いていく様に心がしんとした。香りも味も持っている栄養も何もかもをゆっくりと開放していく様子に、共に開放されていくような気持ちになった。
ゴーヤもゆっくりと開いていく。ゆっくりとゆっくりと。
からからに乾いた心にも、お湯を注いだら開いていくだろうか。穏やかな世界へと気持ちも解き放てるだろうか。乾いたゴーヤに問いつつ、今朝も急須にお湯を注いだ。

飲みすぎた翌朝の胃にもここちよく沁みます


拍手

天国は近くない

稲刈りの季節が来た。早いところは町内でもきのう稲を刈っていた。もうすぐ新米が来る。新米で思い出す小説は、瀬尾まいこの『天国はまだ遠く』(新潮社)だ。
 
主人公の千鶴は人間関係に疲れて会社を辞め、死のうと日本海を北へ向かう。辿り着いた田舎町。男がひとりで農業のかたわら経営するさびれた民宿で、予定通り睡眠薬を大量に飲んだ。しかし32時間の眠りから目覚めると気分は爽快だった。
千鶴は「民宿たむら」で何もせずのんびりと過ごす。食事は美味しく、田舎の風景は美しく、散歩して食べて夜はよく眠った。
ある日のこと。酢の物と味噌汁とご飯だけの質素な夕食を出し、男が言った。
「どうしてやと思う?」「給料日前ですか?」と天然の千鶴。
「俺が給料制に見える? まあええわ。とにかく食ったらわかるで」
取れたての新米だったのだ。
「お米、甘いですね。すごい味が濃い」
千鶴はその夜、ご飯を山盛り4膳もおかわりした。
「水がええし気候もさっぱりしとるで、丹後米って味が濃厚なんやで。この辺の人らは新米おかずにして、古い米食うぐらいや」
わたしは、読みながらうんうんとうなずいた。
もちろんこの辺は丹後米ではないが、とれたての新米をその日に食べるとまったく味が違う。美味しいなんてもんじゃない。新米を味わうその時が田舎に来て本当によかったと思う瞬間だと言ってもいいくらいだ。
 
誰だって死にたくなることの1回や2回や30回くらいはあるだろう。でも今年も新米を食べるまではとか、寒ブリで日本酒を飲むまではとか、ふきのとうの天麩羅を味わうまではとか、ふきのとうの後はタラの芽だよなとか、そこまできたら真夏のビアガーデンで生ビールを飲むまではなんて感じで生きているんじゃないかな。
21日間の滞在の後、千鶴はもう少し留まりたい気持ちを振り切り「民宿たむら」をあとにした。天国は近くない。

稲刈りは来週かな 再来週かな 
毎年1年分のお米を買わせてもらっている田んぼ

拍手

小さな小さじくんの大きな冒険

小さじくんが行方不明だ。あちこち探したが見つからない。物を無くすのは得意だが悲しい。小さじくんがいないと、どうにもうまくいかない。小さじくんとは5ccの計量スプーンのことだ。
わたしはいまだに料理の味つけを目分量ではできない。味つけは大さじ母さんと小さじくん頼みだ。高校生の頃、土井勝の料理本に出会い自分で作り始め、ああ親子丼って、そして鶏の照り焼きも家で作れるんだと感動した。母は余り料理が得意ではなかった。それ以来我が家の日本料理のほとんどが土井勝の味つけなのだ。
冷蔵庫には、大根の煮物、醤油大さじいくつ、砂糖大さじいくつなど、ワードで打ってプリントした簡単レシピ表が貼ってある。その通りに味つけすることで我が家の味になる。目分量や味見で作るその家の味もあると思うが、我が家の味は大さじ小さじにかかっている。ちなみに珈琲豆はスケールでグラムを計るしパスタも同じくだ。だいたいこんなもんという感覚が不安で、それは自分を信用していない証拠でもある。でもこんな数字本位の我が家の味だってあってもいいんじゃないかなって思う。これはデジタル化ではないよな、アナログの範疇だよなって。
すき焼きなどの味つけは夫の出番となり、豪快に醤油を回しいれる姿に惚れ惚れしたりする。その夫もわたしの料理に文句はないようだ。
「小さじくんがいないんだよ」
水菜と鶏肉の煮びたしを作りつつ、うなだれるわたし。
「あ、このあいだケーキ焼くときに使った!」と娘。
「小さじくんは何処!」ふたりで探し回るが見つからない。
「顔に塩を付けた、りりしい姿が脳裏をよぎるよ」
「小さじくんはソルト担当だったもんね」
小さじくーん、カンバッーク!

小さじくんの帰りを待つ大さじ母さん達

拍手

ワインをくるくる回すのって

「ワインをくるくる回して飲むのって、なんかかっこつけっぽくない?」と思ったことはないだろうか。わたしはある。ああいう所作にはどうにも馴染めないと思っていた。ところが一冊の本を読み「ワインをくるくる回すのって、なんて素敵なんだろう」と真逆の感覚を持つようになった。
『センセイの鞄』川上弘美(平凡社)何度も読み返した大好きな小説だ。
37歳のOLツキコと70歳くらいだろうか高校の国語教師だったセンセイ。ふたりは駅前の一杯飲み屋で再会し、そこがおたがい馴染みの店だったこともあり、会えば酒を酌み交わすようになる。
「恋人に弁当をつくってあげたり部屋まで行ってこまめに料理を作ったりするのは趣味にあわなかった。そういうことをするとぬきさしならぬようになってしまうのではないかと恐れた。ぬきさしならぬようになってもかまわないようなものだったが、かまわないとかんたんに思うことができなかった」
そんな不器用なツキコはセンセイとの時間に馴染んでいく。センセイはいつもひょうひょうとしている。ふたりに絡むだけ絡んで眠ってしまった若者のピアスをすったこともある。
「ワタクシは相手をこらしめるためにこういうことをしたのではありません。ただ、いまいましく思っている自分を満足させるためにすったのです。そこのところを勘違いなさらぬよう」愉快だ。
しかしツキコは高校時代の友人小島くんとも再会することになった。
「こうやってさ、くるくるまわしをしてる奴が世の中にはよくいてさ、見るたびに気恥ずかしいって俺も思うんだけど」と小島くんは、こじんまりしたバーのカウンターでツキコに言うのだ。
 
今では赤ワインが空気を含むことによって味をまろやかにし、それはくるくるによる変化であることも知っている。家で夫と晩酌する時でさえくるくるやる。もうちっとも素敵でもなんでもなくわたしの中にさらりと馴染んだ感覚だ。それに比べるとまだまだ修行中だが、一杯飲み屋でひとりゆったりとツキコのように酒が飲めるようになりたい。そういう女性にわたしはなりたい。

びっきーの散歩コースにあるワイン用の葡萄畑 もうすぐ収穫かな

拍手

夢、三選

夏の疲れかこのごろよく夢を見る。夢の中で妊娠したり、死因を調べたり、くまのぬいぐるみがナイフを持っていたりする。数年前にもこんなことが続いたので日記を読み返してみた。
「アルゼンチン人の夢を見て寝覚めが悪い朝。夫がマラドーナが太った訳を話していたせいだろうか。マラドーナそっくりの体型の人々がスポーツをしている(人間業とは思えないほどうまい)夢だった。わたしはマラドーナを小型版にした赤ん坊をだっこしていて、その子の白いベレー帽を探していた」
「誰かに追われている夢を見た。地下鉄の乗務員に逃げ道を教えてもらい、上下が狭い箱のようなコケの生えた階段を上って着いた場所は、小学生くらいの子ども達が監禁されている部屋だった。そこでピカソを崇める集団が特別な能力を持つ人材を集めていると聞かされた。ラスト本物のピカソがでてきて叫んでいた。『俺はそんなことはしたくない!』なぜかそこは豊科のインターを下りた辺りの風景だった」
「実在しない友人の実家に遊びに行った夢を見た。その家は古く土間で馬小屋のようだった。まんなかに古いソファがあって部屋中にたくさんの物がごちゃごちゃと置いてあった。お父さんは笑顔で幸せだと言った。『毎日の小さなことに幸せを感じられる。だから幸せです』と。でも友人はそこにいなかった。死んだのだと何故かわかってしまう。誰もそのことには触れようとはしない。家族も物もごちゃごちゃとたくさんいた。たくさんあった」
夢っていったい何なんだろうな。疲れた。
夫はマドラーをマラドーナと呼ぶ

拍手

イチイの木の実

今年の春植えたイチイの木に、赤い実が生っているのを見つけた。とてもかわいい。真っ赤ではなく透き通ったようなピンクにも近い色で清楚な感じがする。イチイの木も着飾ってうれしそうだ。わたしもうれしくなった。
 
ピンクと言えば、最近気になることがある。
シンプル好きで少年性を持つみずがめ座のわたしは、以前だったら白や黒や水色なんかを好んで身に着けていた。ところが最近ピンクの小物が身の回りに急増した。ケータイもお財布も名刺入れもハンカチもポーチも、いつの間にかピンクになっていたのだ。意識して買い揃えているわけでもないのに、心魅かれるものが自然とピンクになっていた。
「もしかして、癒しとか求めちゃってる? いやまさか。偶然だ。ピンクに癒しを求めるなんて、クールであるはずのみずがめ座らしからぬ行い……」
落ち着かない気持ちで自分に問い自分で否定し、ふたたびイチイの木を眺めた。ふわりと気持ちが和らいでいく。人って変わっていくんだよなぁと木の実を見つめ考えた。
実は食用にできるけど種には毒があるらしい
ここにだけクリスマスがやって来たようだ

拍手

小説「カフェ・ド・C」 13. 触れ合う肌で

北海道の義弟からじゃがいもと南瓜が届いた。
「今日はカレーと南瓜のサラダにするね」
妻は娘を抱いて「いってらっしゃい」と言った。土曜。彼女は休日で、久しぶりに娘とゆっくり過ごせるとうれしそうだった。娘の集も二か月になり親ばかだろうとは思うが日に日にかわいくなっていく。
仕事を終えて自宅のマンションに向かう道もつい早足になった。
「ただいま」
今夜のお姫様は大きな泣き声でお出迎えだ。しかし妻を見て驚いた。集と一緒に彼女も泣いているのだ。
「どうしたの?」
めったに泣き顔など見せない妻がしゃくりあげながら、答える。
「集が、泣き止まなくて。おむつも変えたし、ミルクもあげたし、ゲップもさせたし、熱もないし、ずっと抱っこしてるのに、ぜんぜん泣き止まなくて」
そして、大粒の涙をこぼし、言葉を続ける。
「こんなに小さいうちから保育園に入れて、ママのこと怒ってるのかな。母乳だってまだ出るのにミルクに変えちゃって、嫌だよって言ってるのかな」
「ミサト」僕は妻の名をゆっくりと呼び、集を抱っこする彼女を後ろからそっと抱きしめた。「だいじょうぶだよ」
妻がこんな風に考えていることなど気づきもしなかった。おおらかな彼女のことだから何も心配いらないと思い込んでいたのだ。僕は妻を抱きしめる手に力を入れた。
「君の気持ちは、ちゃんと集に伝わってる」
妻はさらに泣き続けた。涙があふれて止まらないようだった。僕は妻の肩を抱いたままソファへと移動し、娘を抱く妻を膝にのせて抱っこするようにし、頬にキスした。
どれだけそうしていただろう。さっきまで泣いていた集が泣き止んでいる。妻と目を合わせると彼女はばつが悪そうに言った。
「ごめん」
「びっくりしたよ。君がこんなに泣き虫だったなんて、新しい発見だ」
「へーちゃんのいじわる」
ようやく妻が笑い、僕も笑った。するともうひとりの笑い声が混じった。集の笑い声だった。
(集はママが不安なのがわかったんだな。僕よりよっぽどわかってる。触れ合う肌で敏感に気持ちを感じているんだ)
「泣いたら、お腹すいちゃった。へーちゃん、カレー温めて」
新米ママは、すっきりした顔で甘えるように言った。


拍手

ラッキーオータム

秋だ。今年も秋がやって来た。ここ何年かわたしは秋と相性が悪い。突然車のボンネットに大きな木の枝が一度に3本も降ってきたりするといった、アンラッキーオータムが定着しつつある。
先週、秋の訪れとともにケータイが壊れた。液晶表示がぷつりと消えたのだ。
しかし今年はすでに冬、骨折手術入院している。それも誕生日に手術という神様のプレゼント。部分麻酔だったので「今日誕生日ですき焼きのはずだったんですよー」と、手術台でお医者様に言って笑われた。
なので、今年こそはアンラッキーオータムはやって来ないと信じたい。
 
幸いケータイは、データも無事で保険で無料修理が完了し帰ってきた。
「元気になってよかった」とわたし。
「ありがと。元気になったお祝いに出かけよう」とケータイくん。
連れ立ってアジアン雑貨の店『チャイハネ』に行った。ケータイには、以前からストラップがシンプルすぎると思っていたのでローズクォーツのパワーストーンを一粒買ってあげた。
そしてわたしは5ミリのターコイズが一粒ついた5百円の指輪を買った。ターコイズには「邪悪なものや迫りくる危険を退け幸運をもたらす」パワーがあるそうだ。誕生石であるアメジストにしようかとも思ったが、アンラッキーオータムを回避するにはターコイズが有効と思えた。ちなみにアメジストは「人生の悪酔いを避ける」石だそうだ。こっちにもちょっと魅かれたんだけど。
「ラッキーオータムにするぞ!」
決意を固め左手の中指に指輪をはめた。

『チャイハネ』にいるだけでもう幸せ

拍手

サイドミラーの中の風景

所用があり甲府までひとりドライブした。道もすいていて天気も良く、山側の道を選んだので気持ちのいいドライブになった。
時折のぞくサイドミラーの中の風景が好きだ。通り過ぎた道の逆視点から見る風景。反対側に続く道、違う形の雲達、見たことのある風景でも一瞬一瞬に変化がある。
夕暮れ時には、前方にはない茜色の空がサイドミラーに広がっていたりもする。坂道を登れば、水を張った田んぼに映る山が視覚に飛び込んできて驚かされたりもする。
 
サンドラ・ブロック主演の映画『微笑みをもう一度』で、夫と別れ実家に向かう主人公はゆっくりアクセルを踏む。振り返らずに行こうと思った彼女だったがサイドミラーに映った夫の姿を見てしまい涙するというシーンがあった。
 
サイドミラーの中には小さな驚きやドラマが隠されている。見逃さないようにしたいものだ。とはいえサイドミラーばっかり見てて事故ったりしないようにしなくちゃね。

最近お気に入りのジョージ・ハリスンのアルバム『Let it roll』を聴きながら走る農道には、ただ秋の空が広がっていた

拍手

八百万の神が宿る電子機器くん達

「イヤホンくん! イヤホンくん!」
娘が洗面所で必死に説得している。歯磨きしている最中にイヤホンが落ちてきそうになったのだ。彼女が大好きな電子機器達は、水が苦手だ。だったら外して磨けばいいのにと思うが、もう片時も離れられない仲なのだ。
「イヤホンくんは説得に応じたようだね」とわたし。
「わたしのイヤホンくんですから」と娘。
わたし達親子はなぜか様々な物を擬人化し、さん付けくん付けで呼ぶ。
彼女は最近、新しいウォークマンくんを手に入れ浮き浮きしている。購入に当たりこんな会話が繰り広げられた。
「最近ウォークマンくんの調子が悪いんだ。もう買い換え時期かな」
「あ、そんなことをウォークマンくんの前で言っちゃあ、すねて余計に調子悪くなるよ」
「だいじょうぶ。わたしの電子機器くん達は主人の性格わかってるからね。そんなことしたらすぐに見捨てられるって」
「かもね。それにお父さんの車は、修理に出そうかなって言った途端に調子よくなるし」「修理嫌なのかな?」「病院行きたくないみたいな感じかな?」
車はすぐに買い替えられないが、小さな電子機器達は修理に出すのと変わらない値段で買えることも多い。日々性能もよくなり値段も安くなっている。
「アマゾンさんで安いの見つけて、お年玉の残りで買うかなー」
娘は考えつつ言った。アマゾンさん……。わたしは深く湿った密林を思い浮かべた。もうアマゾンを密林と呼ぶのは古いのだろうか。
「一つ一つの物にも神が宿るという八百万(やおよろず)の神の国ならではの発想かな?」
娘は擬人化の理由をそう分析するが、なんか違う気がする。

(注)わたし達はパソコンに名前はつけません。

玄関の見張り役シーサーくん達
日々崩壊していくわたし達の会話に聞き耳を立てているよう

拍手

ゴーヤを数える

きのうと今日で150本ものゴーヤを刻んだ。
ゴーヤ茶を作るためだ。いつも野菜をいただく農家さんに「ゴーヤが取れすぎて困っている」とHelpの電話をもらって刻みに出かけた。
ひんやりとした瑞々しいゴーヤを刻むのは嫌いじゃない。刻むと緑が鮮やかになり綺麗だし、苦みを含んだ匂いをほんのり漂わせるのも好ましい。まあちょっと数が多すぎるってとこに問題はあるんだけどね。
(人差し指に豆ができました)
12~3本ずつ刻んだゴーヤを乾燥機の箱に分けて入れるので数えながら刻んだ。普通に数えていてはおもしろくないので、心の中でイタリア語で数えた。
「ウーノ(1)ドゥーエ(2)トレ(3)」
ん? トレって言えばトレビの泉ってトレビアーンな感じのネーミングだけど、三叉路にある泉って意味なんだよな。後ろを向いて投げたコインが泉に見事入ればふたたびローマを訪れることができるって言い伝えがあって、コイン投げたなぁ。でも清掃中で水が抜かれてたんだけど、ふたたびローマを訪れることはできるんだろーか?
「あれ? 今何本目だっけ?」
すでに3本目でわからなくなるという失態。それでも懲りずにイタリア語で数え続けた。
「クワットロ(4)チンクエ(5)セーイ(6)」
ん? セーイと言えば、ヴェネツィアの空港でセットメニューのファーストフードを注文した時、すべてナンバーで注文できるようになってたから「シックス」って言ったら通じなくて「セーイ」って言いなおしたら「オー、ナンバーシックス!」と返ってきたっけ。おいおいナンバーがつかないとわかんないのかいって笑ったなぁ。
「あれ? 今何本目だっけ?」

今年のゴーヤ茶は、イタリア―ンな味がするかもしれない。楽しみだ。
ゴーヤの種には老化や動脈硬化を予防する抗酸化作用があるそうな

拍手

メルヒェン再考

グリムにはまったく詳しくないが、図書館で展示のお手伝いをした。詳しくないので切ったり貼ったり並べたりした。
「シンデレラ」が灰かぶり(薪を燃やした後の灰だらけの娘)って意味だってことくらいは知ってたけど、これも、ああこれも、グリムだったんだと知らないことばかりでたくさん勉強したような気分になった。メルヒェンと呼ばれるも、ちっともメルヘンチックではないグリムが集めた物語達。大人もけっこう楽しめるものも多い。
 
このあいだ娘と『ホテルカクタス』(ビリケン出版)の話になった。江國香織の小説だ。
「なんか昔話でソーセージとねずみと焚き木かなんかの話があったの思い起こさせるよね」とわたし。「えーまったく知らない」と娘。
「三人で仲よく暮らしてて、トラブルが起こる話」
「ねずみとソーセージはありえないでしょ」
「何だったっけなーあれ」「ねずみがいたらもう最強だからムリ」
で、それがグリムの二つの話を混ぜこぜにした記憶だったと、展示のお手伝いでわかった。
「空豆とわらと炭の話」と「ねずみと小鳥とソーセージの話」がごっちゃになっていたのだ。空豆とわらと炭が意気投合し、旅に出ようと川を渡る。わらが橋になり炭が渡っているうちにわらが焼けて炭は川に落ち、空豆は大笑いして腹が破け黒い糸で縫ってもらったという話。それと仲よく暮らしていたねずみと小鳥とソーセージだが、ねずみが水汲み小鳥が薪拾いソーセージが料理をしてうまくいってたのに、役割りを変えようとした途端うまくいかず破綻したという話。どちらもグリムの物語だった。
 
『ホテルカクタス』はきゅうりと数字の2と帽子が「ホテルカクタス」という古いアパートで暮らし親しくなるという話だ。
「きゅうりは故郷の家族を大切に思ってるいつも筋トレしてる奴だったよね」
「で、数字の2はグレープフルーツを切らさない。どんな季節でも売ってる安定した物を求めてるんだよ」
「帽子はギャンブル好きだっけ?」
「そうそう。競馬でお金すっちゃって、数字の2に帽子としてかぶってもらってバス乗ったよね」
「あれ笑えた。帽子はハードボイルドにこだわってるのにかっこ悪くてさ」
「あの本はいったい何なんだ?」「何が言いたいんだろうね」「言いたいことなんて無くてもいいんだけどさ」「たくさんあるような気もする」そう言いながらふたりとも『ホテルカクタス』が好きなのだ。郷愁っていうのかな。なつかしさを感じさせる不思議な雰囲気に魅かれるのかもしれない。

手作り感いっぱいのグリムの展示は甲斐市竜王図書館で9月末まで

拍手

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
Template by repe