はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
焼きが回った?
「焼きが回ったな」と、実感した。
スーパーのポイントを、懸命に貯めている。250ポイントでポイント券が1枚発行され、3枚で千円分の買い物ができるのだ。そのために、いつも郵送されてきたポイント5倍券を切り取って財布に入れている。ところが一昨日は、その手順をひとつサボり、切り取った5倍券をポケットに入れ買い物した。
「今日はポイント5倍だから、いっぱい買い物しようっと」
ビールやらストック用の調味料なども、いつもの買い物に加えカゴに入れた。
「ポイント5倍 ♪ ポイント5倍 ♪」
ルンルン気分で、食材が山と積まれた買い物かごをカートで押しつつレジに並ぶ。レジも空いていてラッキーだよなぁと、嬉しくなる。
そして、買い物が終わり、気づいた。
「あーっ! ポイント5倍券、出すの忘れたぁ」後の祭りである。
そしてまた、昨日も実感した。
「ラーメンでも食べに行くか?」と、夫「いいねぇ」と、わたし。
「あ、でも3時までに帰らなくっちゃ、テレビでヴァンフォーレのアウェイ試合観るから。あーっ! 何言ってんだよ、ラーメン食べちゃダメじゃん」
「ほんとだ!」
ふたりしてすっかり忘れていたことに、もう爆笑するしかない。
先週、わたし達がラーメンを食べてから試合を観に行ったばかりに、ヴァンフォーレは開幕戦に完敗。週末はラーメンを断ち、新しいジンクスで応援するぞと、ふたり誓い合ったばかりだったのに。
そしてまた、その1時間後。
「昼ご飯、出来たよ」夫を呼ぶと、彼は遠慮がちに言った。
「あのさ、チャーハンじゃなかったの?」
「あっ! ごめん」と、そこでわたしは、ようやく気づいた。
さっきのラーメンの話の後に、彼が「じゃあ、家でチャーハンにしようか」と言ったことに。味噌汁も大根の煮物もあるし、目刺しもあるから焼こうっとと、すっかり忘れてテーブルに並べた目刺し定食に目を落とす。
「ほんと、ごめん」と、しおれるわたしを、彼は責めなかった。
だが「美味しいね」と、顔をひきつらせ口にした言葉の裏にある「チャーハンが食べたかったのに」という思いは、はっきりと伝わってくるのだった。
『焼きが回る』とは、刃物を作る際に使われていた言葉だそうだ。切れ味のいい刃物を作るには、焼き過ぎないのがポイントだとか。焼き過ぎて『焼きが回る』と、刃はぼろぼろ。切れ味も何もあったものではない。
『焼きが回った』包丁は、砥いでも切れるようにはならない訳だが「切れない包丁で、手を切った方が痛い」と、料理好きな父が昔、砥石で包丁を研いでいたのを思い出した。
切れ味鈍くなった自分を静かに受け入れて、誰であろうと、切れない包丁で傷つけることのないように、生きていきたいものだよなぁ。
今日は、チャーハン作ろ。よく『焼きが回った』胡麻油が香ばしい美味しいやつ。今日は今日とて、ふたたびみたび、忘れちゃいそうだけど。
一番切れる包丁で、スパッと。切れ味いいと、気持ちいいなぁ。
おやつには、夫、ご所望のキウイを食べました。
ヴァンフォーレは、FC東京と、1-1で引き分けました。
ラーメン食べに行かなくて、よかった! のかな?
夕食の出汁巻き卵も、同じ包丁で切りました。
ささくれ立っているのは、熱々の上に、帆立の缶詰入りだからです。
スーパーのポイントを、懸命に貯めている。250ポイントでポイント券が1枚発行され、3枚で千円分の買い物ができるのだ。そのために、いつも郵送されてきたポイント5倍券を切り取って財布に入れている。ところが一昨日は、その手順をひとつサボり、切り取った5倍券をポケットに入れ買い物した。
「今日はポイント5倍だから、いっぱい買い物しようっと」
ビールやらストック用の調味料なども、いつもの買い物に加えカゴに入れた。
「ポイント5倍 ♪ ポイント5倍 ♪」
ルンルン気分で、食材が山と積まれた買い物かごをカートで押しつつレジに並ぶ。レジも空いていてラッキーだよなぁと、嬉しくなる。
そして、買い物が終わり、気づいた。
「あーっ! ポイント5倍券、出すの忘れたぁ」後の祭りである。
そしてまた、昨日も実感した。
「ラーメンでも食べに行くか?」と、夫「いいねぇ」と、わたし。
「あ、でも3時までに帰らなくっちゃ、テレビでヴァンフォーレのアウェイ試合観るから。あーっ! 何言ってんだよ、ラーメン食べちゃダメじゃん」
「ほんとだ!」
ふたりしてすっかり忘れていたことに、もう爆笑するしかない。
先週、わたし達がラーメンを食べてから試合を観に行ったばかりに、ヴァンフォーレは開幕戦に完敗。週末はラーメンを断ち、新しいジンクスで応援するぞと、ふたり誓い合ったばかりだったのに。
そしてまた、その1時間後。
「昼ご飯、出来たよ」夫を呼ぶと、彼は遠慮がちに言った。
「あのさ、チャーハンじゃなかったの?」
「あっ! ごめん」と、そこでわたしは、ようやく気づいた。
さっきのラーメンの話の後に、彼が「じゃあ、家でチャーハンにしようか」と言ったことに。味噌汁も大根の煮物もあるし、目刺しもあるから焼こうっとと、すっかり忘れてテーブルに並べた目刺し定食に目を落とす。
「ほんと、ごめん」と、しおれるわたしを、彼は責めなかった。
だが「美味しいね」と、顔をひきつらせ口にした言葉の裏にある「チャーハンが食べたかったのに」という思いは、はっきりと伝わってくるのだった。
『焼きが回る』とは、刃物を作る際に使われていた言葉だそうだ。切れ味のいい刃物を作るには、焼き過ぎないのがポイントだとか。焼き過ぎて『焼きが回る』と、刃はぼろぼろ。切れ味も何もあったものではない。
『焼きが回った』包丁は、砥いでも切れるようにはならない訳だが「切れない包丁で、手を切った方が痛い」と、料理好きな父が昔、砥石で包丁を研いでいたのを思い出した。
切れ味鈍くなった自分を静かに受け入れて、誰であろうと、切れない包丁で傷つけることのないように、生きていきたいものだよなぁ。
今日は、チャーハン作ろ。よく『焼きが回った』胡麻油が香ばしい美味しいやつ。今日は今日とて、ふたたびみたび、忘れちゃいそうだけど。
一番切れる包丁で、スパッと。切れ味いいと、気持ちいいなぁ。
おやつには、夫、ご所望のキウイを食べました。
ヴァンフォーレは、FC東京と、1-1で引き分けました。
ラーメン食べに行かなくて、よかった! のかな?
夕食の出汁巻き卵も、同じ包丁で切りました。
ささくれ立っているのは、熱々の上に、帆立の缶詰入りだからです。
日々美味しく食べられることに感謝して
仲間内でシェフと呼ばれる彼は、大人数で我が家にやって来るとき、必ず包丁を握りキッチンに立ってくれた。
白菜鍋は、その彼、夫の友人に教わった。正しくは『韓国風白菜鍋』である。
もう10年以上前になるだろうか。それ以来、我が家の冬に食卓には、何度も登場することになった。干し椎茸の出汁と鶏がらスープ、豚ばら肉に鶏もも肉、白菜に胡麻油。その匂いで、子ども達にも「あ、今夜は白菜鍋だ」と判るほど馴染みとなったメニューだ。肉汁の沁みた白菜たっぷり、身体の芯から温まる冬白菜の鍋を、昨夜は堪能した。
大雪で流通が滞り、スーパーで普段買っているものが買えない状態を目の当たりにし、毎食、思うようになった。口にもする。
「毎日、野菜が食べられるのって、幸せだよねぇ」と、わたし。
「全く。実感するよね」と、夫。
野菜中心の我が家の食卓。今更ながら、たくさんの人に支えられているのだと、毎食、思わずにはいられない。日々美味しく食べられることの感謝を、大雪に教えられ「ありがたいことだよなぁ」小さくつぶやく機会が増えた。
シェフは今、仕事で地球の真裏、暑いブラジルにいる。白菜鍋はしばらく食べていないかもしれないが、ブラジル料理の腕をあげていることだろう。
白菜をたっぷり入れて、最後に胡麻油を回しかけます。
かき混ぜると、胡麻油と豚ばら肉鶏もも肉の脂が、白菜に沁みていきます。
まず器に塩と七味を入れ、そこによそって食べるのが正式な食べ方だとか。
白菜鍋は、その彼、夫の友人に教わった。正しくは『韓国風白菜鍋』である。
もう10年以上前になるだろうか。それ以来、我が家の冬に食卓には、何度も登場することになった。干し椎茸の出汁と鶏がらスープ、豚ばら肉に鶏もも肉、白菜に胡麻油。その匂いで、子ども達にも「あ、今夜は白菜鍋だ」と判るほど馴染みとなったメニューだ。肉汁の沁みた白菜たっぷり、身体の芯から温まる冬白菜の鍋を、昨夜は堪能した。
大雪で流通が滞り、スーパーで普段買っているものが買えない状態を目の当たりにし、毎食、思うようになった。口にもする。
「毎日、野菜が食べられるのって、幸せだよねぇ」と、わたし。
「全く。実感するよね」と、夫。
野菜中心の我が家の食卓。今更ながら、たくさんの人に支えられているのだと、毎食、思わずにはいられない。日々美味しく食べられることの感謝を、大雪に教えられ「ありがたいことだよなぁ」小さくつぶやく機会が増えた。
シェフは今、仕事で地球の真裏、暑いブラジルにいる。白菜鍋はしばらく食べていないかもしれないが、ブラジル料理の腕をあげていることだろう。
白菜をたっぷり入れて、最後に胡麻油を回しかけます。
かき混ぜると、胡麻油と豚ばら肉鶏もも肉の脂が、白菜に沁みていきます。
まず器に塩と七味を入れ、そこによそって食べるのが正式な食べ方だとか。
「美味い」って言っちゃダメ?
「美味い!」と、夫。「うん、美味いね!」と、わたし。
得意げな顔をする、上の娘。お好み焼きである。『焼く人』は、上の娘に任せ、ビールやワインを飲みつつ、わたし達は『食べる人』に徹した。
不満げな顔をしたのは、帰省中の末娘。別に、お好み焼きを『焼く人』になりたい訳でもなく、美味しくないという訳でもない。
「全く、いつから我が家では『美味い』って言い方が、許されるようになったの?」と、末娘。
どうやらわたしは、彼女が幼い頃、躾の一環として言い聞かせていたらしい。
「美味い、じゃなくて、美味しい、って言おうね」
末娘は、いまだにその言いつけを守っているのだ。ここまで来ると、守るというより違和感から「美味い」と言えなくなってしまったという感じだ。それに対する恨み言でなのある。そう言い聞かせた母が、目の前で「美味い!」と言っているのだから、文句の一つも言いたくなるだろう。彼女の気持ちは、判る。判るが、今頃言われても、わたしとて、どうすることも出来ない。
たぶん、息子にも上の娘にも同じように言ったに違いない。ただ息子は男の子であるから、言葉使いについて、わたしもあまり頓着しなかったのかもしれない。男女で差をつけて育てた覚えはないが、自然とそうなってしまうことだってある。そして上の娘は、馬の耳に念仏的な部分があり、それをこちらも承知していて、これまたあまり頓着しなかったのだろう。
素直に受け取った末娘だけが『美味い』という言葉を使えない状況に、陥ってしまった。申し訳ないような気持になる。
それでも「美味しい」と言う彼女は自然だし、綺麗な言葉が好きで、選んで使っているように感じる。ではそれは、わたしの功績か? 否。
彼女が小学校卒業時に選んだ好きな四字熟語は『花鳥風月』自然の美しい景色などを表現する美しい言葉だった。彼女自身が、もともと持ち合わせていた日本語の美しさを好む感覚や、強いこだわりから、じつは、知らず知らず言葉を選んでいるだけなんじゃないかなと、母はにらんでいる。
豚ばら肉を、びっしり並べて。上手くひっくり返せるかな?
ちょっとズレたのは、ご愛嬌。カリカリに焼けました。
鰹節が、ゆらゆら揺れるのを見るのが好きです。食欲そそられます。
得意げな顔をする、上の娘。お好み焼きである。『焼く人』は、上の娘に任せ、ビールやワインを飲みつつ、わたし達は『食べる人』に徹した。
不満げな顔をしたのは、帰省中の末娘。別に、お好み焼きを『焼く人』になりたい訳でもなく、美味しくないという訳でもない。
「全く、いつから我が家では『美味い』って言い方が、許されるようになったの?」と、末娘。
どうやらわたしは、彼女が幼い頃、躾の一環として言い聞かせていたらしい。
「美味い、じゃなくて、美味しい、って言おうね」
末娘は、いまだにその言いつけを守っているのだ。ここまで来ると、守るというより違和感から「美味い」と言えなくなってしまったという感じだ。それに対する恨み言でなのある。そう言い聞かせた母が、目の前で「美味い!」と言っているのだから、文句の一つも言いたくなるだろう。彼女の気持ちは、判る。判るが、今頃言われても、わたしとて、どうすることも出来ない。
たぶん、息子にも上の娘にも同じように言ったに違いない。ただ息子は男の子であるから、言葉使いについて、わたしもあまり頓着しなかったのかもしれない。男女で差をつけて育てた覚えはないが、自然とそうなってしまうことだってある。そして上の娘は、馬の耳に念仏的な部分があり、それをこちらも承知していて、これまたあまり頓着しなかったのだろう。
素直に受け取った末娘だけが『美味い』という言葉を使えない状況に、陥ってしまった。申し訳ないような気持になる。
それでも「美味しい」と言う彼女は自然だし、綺麗な言葉が好きで、選んで使っているように感じる。ではそれは、わたしの功績か? 否。
彼女が小学校卒業時に選んだ好きな四字熟語は『花鳥風月』自然の美しい景色などを表現する美しい言葉だった。彼女自身が、もともと持ち合わせていた日本語の美しさを好む感覚や、強いこだわりから、じつは、知らず知らず言葉を選んでいるだけなんじゃないかなと、母はにらんでいる。
豚ばら肉を、びっしり並べて。上手くひっくり返せるかな?
ちょっとズレたのは、ご愛嬌。カリカリに焼けました。
鰹節が、ゆらゆら揺れるのを見るのが好きです。食欲そそられます。
カレー、バッティングの謎
何故に、重なってしまうのだろう。カレーである。
昨日、雪に閉じ込められてから、ようやく脱出した。隣は韮崎市のスーパーまで、夫と近所の中学生男子と買い物に行った。
空になったスーパーの棚から、あるものをカゴに入れる。夕飯のカレーの食材はもともと揃っていたので、サラダ用の野菜(何故かサニーレタスとトマトはたくさんあった)やこれからに備えてパスタなどを買った。
帰りにパン屋が開いていたので寄ると、当然の如くサンドイッチなどの調理パンは売り切れ。食パンも、バゲットもない。カレーパンだけが「揚げたてですよ」とでもつぶやくように、20個以上並べられていた。
「わたし、カレーパンにする」「あ、俺も」
他にも、トマト&クリームチーズパンや、バジルソースウインナパンなどを買い、車に戻った。戻った途端に、気づいた。
「あっ、今夜カレーなのに、なんでふたりともカレーパン買ってんの?」
わたしの言葉に、夫は一瞬ハッとしたようだったが、すぐにすまして言った。
「カレーパンと、カレーは違うんだよ」「そ、それはそうだけど」
最近では、カレーは食卓にはあまり登場しなくなった。それでも、こんなバッティングはよくあることである。不思議だ。何故に、カレーばかりが、バッティングしてしまうのか。誰かに解明してほしいものだ。まあ、解明されたところで、喜ぶのは、わたしくらいのものかも知れないが。
子どもの頃、給食でカレーを食べた日に、台所の窓からカレーの匂いが漂ってきたのを懐かしく思い出す。また母親になってからも、給食のメニューを確認せずにカレーを作り「給食も、カレーだったよ」と、子ども達に、何故か嬉しそうに言われたっけ。更に、仕事を終え帰宅た夫に「昼に、カレー食った」と言われることも、1度や2度じゃなかった。
今回の場合、ふたりの潜在意識に起因するものがあったのだとも考えられる。
「夕飯は、カレーだ。久しぶりだな。楽しみ」の「夕飯は」の部分が、カレーパンを見た途端、すっかり削除され「カレーだ、久しぶりだな。美味しそう」に、なってしまったのだと。
夫と娘と3人で200m雪をかきました。かく、というより上げる作業です。
雪かきしていて、ようやく、ご近所さん達とも会えました。
前日の状態が、これ。苦労の後が見て取れると思います。腰痛い・・・。
カレーパンは、かりっと揚がっていて美味しかったです。
「辛くしてねー」と、娘。いつものルーに、チリペッパーをプラスしました。
昨日、雪に閉じ込められてから、ようやく脱出した。隣は韮崎市のスーパーまで、夫と近所の中学生男子と買い物に行った。
空になったスーパーの棚から、あるものをカゴに入れる。夕飯のカレーの食材はもともと揃っていたので、サラダ用の野菜(何故かサニーレタスとトマトはたくさんあった)やこれからに備えてパスタなどを買った。
帰りにパン屋が開いていたので寄ると、当然の如くサンドイッチなどの調理パンは売り切れ。食パンも、バゲットもない。カレーパンだけが「揚げたてですよ」とでもつぶやくように、20個以上並べられていた。
「わたし、カレーパンにする」「あ、俺も」
他にも、トマト&クリームチーズパンや、バジルソースウインナパンなどを買い、車に戻った。戻った途端に、気づいた。
「あっ、今夜カレーなのに、なんでふたりともカレーパン買ってんの?」
わたしの言葉に、夫は一瞬ハッとしたようだったが、すぐにすまして言った。
「カレーパンと、カレーは違うんだよ」「そ、それはそうだけど」
最近では、カレーは食卓にはあまり登場しなくなった。それでも、こんなバッティングはよくあることである。不思議だ。何故に、カレーばかりが、バッティングしてしまうのか。誰かに解明してほしいものだ。まあ、解明されたところで、喜ぶのは、わたしくらいのものかも知れないが。
子どもの頃、給食でカレーを食べた日に、台所の窓からカレーの匂いが漂ってきたのを懐かしく思い出す。また母親になってからも、給食のメニューを確認せずにカレーを作り「給食も、カレーだったよ」と、子ども達に、何故か嬉しそうに言われたっけ。更に、仕事を終え帰宅た夫に「昼に、カレー食った」と言われることも、1度や2度じゃなかった。
今回の場合、ふたりの潜在意識に起因するものがあったのだとも考えられる。
「夕飯は、カレーだ。久しぶりだな。楽しみ」の「夕飯は」の部分が、カレーパンを見た途端、すっかり削除され「カレーだ、久しぶりだな。美味しそう」に、なってしまったのだと。
夫と娘と3人で200m雪をかきました。かく、というより上げる作業です。
雪かきしていて、ようやく、ご近所さん達とも会えました。
前日の状態が、これ。苦労の後が見て取れると思います。腰痛い・・・。
カレーパンは、かりっと揚がっていて美味しかったです。
「辛くしてねー」と、娘。いつものルーに、チリペッパーをプラスしました。
比率の落とし穴
夫が所望したのは、おでんだった。バレンタインの夕食メニューである。
大雪の予報に「買い物は多めに」との指示と共にのリクエスト。好判断かもと、おでんを鍋いっぱいに煮た。
夕方、駅まで夫を迎えに行き、雪道をふらふらになって帰ってくると、煮ておいたおでんのいい匂い。薪もパチパチと燃えていて、お風呂も炊けている。
「完璧だぜ!」と、心のなかでガッツポーズを決め、夫が風呂に入っている間に、バレンタインの『生チョコ』を作り始めた。
毎年作っているのだが、今年はいつも使っているレシピ本を、ひとり暮らしを始めた末娘が持っていってしまったため、ネットで検索。
「生クリーム100ccと、チョコ200gかぁ。 シンプルレシピが一番美味しかったりするんだよな」
湯煎でブラックチョコを溶かし、生クリームを計る。
「1対2だったよね。生クリーム100ccと、チョコ2枚」
ここで何かが可笑しいと気づかないのが、おっちょこちょいと言われる所以である。生クリームとチョコを混ぜてから気づく。板チョコは1枚55gだった。チョコを足そうにも娘が先に全部使ってしまっていて足すチョコはない。
「わーん、これじゃ1対1じゃん!」上の娘に泣きつくも、
「いいんじゃない、固まれば。柔らかくても」と、彼女らしい大雑把な返答。
「比率の落とし穴に、落ちた。完璧に、失敗したぜ」顔で笑って心で泣いて、ビールを空けて熱燗をつけ、家族3人熱々おでんの食卓を囲んだ。
夜も更けて、スコッチウイスキーをロックで、いただく。酒の肴にと、柔らかすぎて上手く形が作れず、不格好に崩れたチョコを出した。
「愛のチョコレート、失敗しました」と、うなだれるわたし。
「美味しいよ」と、夫。「うん、じゅうぶん美味しい」と、娘。
娘はパクパクと、5つのうち2つを、口に入れた。夫はまだ、半分をゆっくり味わっている。
「えっ? もう2つ食べちゃったの? これ、俺のなんだからね」と、夫。
「うん。美味しいね。よかったじゃん」と、娘。
夫のワインセラーから出したイタリア産の『ロッソ・ディ・モンタルチーノ』を、くるくる回しつつ、すましている。
比率2対3。と、今度は正確に推し量る。力関係は、逆かな、とも。
おでんは、とても美味しく煮えました。豪華!
大根がいちばん好き。次はじゃが芋。3位、生姜味の魚河岸揚げ。
卵の茹で方は、いまだに『伊東家の食卓』で覚えた方法。
沸騰したお湯に冷蔵庫から出したての卵を、割れないようそっと沈めて、
弱火にして茹でます。つるんと、むけますよ。
餅か、団子かという、この風貌。悲しい。
夜は、ふたりでウイスキーを。と言いたいところですが、娘と3人で(笑)
「たまに溶け残ってるのがあって、それがまた美味しい」と、ふたり。
全然、フォローになってないんですけど。
大雪の予報に「買い物は多めに」との指示と共にのリクエスト。好判断かもと、おでんを鍋いっぱいに煮た。
夕方、駅まで夫を迎えに行き、雪道をふらふらになって帰ってくると、煮ておいたおでんのいい匂い。薪もパチパチと燃えていて、お風呂も炊けている。
「完璧だぜ!」と、心のなかでガッツポーズを決め、夫が風呂に入っている間に、バレンタインの『生チョコ』を作り始めた。
毎年作っているのだが、今年はいつも使っているレシピ本を、ひとり暮らしを始めた末娘が持っていってしまったため、ネットで検索。
「生クリーム100ccと、チョコ200gかぁ。 シンプルレシピが一番美味しかったりするんだよな」
湯煎でブラックチョコを溶かし、生クリームを計る。
「1対2だったよね。生クリーム100ccと、チョコ2枚」
ここで何かが可笑しいと気づかないのが、おっちょこちょいと言われる所以である。生クリームとチョコを混ぜてから気づく。板チョコは1枚55gだった。チョコを足そうにも娘が先に全部使ってしまっていて足すチョコはない。
「わーん、これじゃ1対1じゃん!」上の娘に泣きつくも、
「いいんじゃない、固まれば。柔らかくても」と、彼女らしい大雑把な返答。
「比率の落とし穴に、落ちた。完璧に、失敗したぜ」顔で笑って心で泣いて、ビールを空けて熱燗をつけ、家族3人熱々おでんの食卓を囲んだ。
夜も更けて、スコッチウイスキーをロックで、いただく。酒の肴にと、柔らかすぎて上手く形が作れず、不格好に崩れたチョコを出した。
「愛のチョコレート、失敗しました」と、うなだれるわたし。
「美味しいよ」と、夫。「うん、じゅうぶん美味しい」と、娘。
娘はパクパクと、5つのうち2つを、口に入れた。夫はまだ、半分をゆっくり味わっている。
「えっ? もう2つ食べちゃったの? これ、俺のなんだからね」と、夫。
「うん。美味しいね。よかったじゃん」と、娘。
夫のワインセラーから出したイタリア産の『ロッソ・ディ・モンタルチーノ』を、くるくる回しつつ、すましている。
比率2対3。と、今度は正確に推し量る。力関係は、逆かな、とも。
おでんは、とても美味しく煮えました。豪華!
大根がいちばん好き。次はじゃが芋。3位、生姜味の魚河岸揚げ。
卵の茹で方は、いまだに『伊東家の食卓』で覚えた方法。
沸騰したお湯に冷蔵庫から出したての卵を、割れないようそっと沈めて、
弱火にして茹でます。つるんと、むけますよ。
餅か、団子かという、この風貌。悲しい。
夜は、ふたりでウイスキーを。と言いたいところですが、娘と3人で(笑)
「たまに溶け残ってるのがあって、それがまた美味しい」と、ふたり。
全然、フォローになってないんですけど。
解明されたスペイン風オムレツの謎
結婚当初からの、我が家のメニューの一つに『スペイン風オムレツ』がある。
わたしとしては「これって、ほんとにスペイン風なの?」と、微かな疑問を胸の片隅に抱えつつも、夫が迷うことなくそう呼ぶので、それに倣って来た。困った時には『スペイン風オムレツ』と頼りにしてきたメニューでもある。
卵、玉葱、じゃが芋、ウインナ、あればニンニクと、買い物に行かずとも作れる食材で成り立っているからだ。大雪だったこともあり、この機会に冷蔵庫の整理も兼ねて、買い物を控えていた。
それでまあ『スペイン風オムレツ』の出番と相成った訳だ。
その夕食の席で、夫が何気なく言った。
「うちの『スペイン風オムレツ』って、ほんと、美味いねぇ」
「うん、美味しいよねぇ。スペインで食べたトルティージャ(じゃが芋入りオムレツ)とは、全く違うけどね」
「確かに、別の料理だね」「焼き立て食べる習慣、ないみたいだったし」
「ところで、これ、何処で覚えたの?」と、夫。
「えーっ? きみに教わったんじゃん」と、驚きつつ、わたし。
「うそぉ! 俺? 作ったことないよ」
「口頭で、これとこれとこれが入ったオムレツ作って、って、多分言われた」
「じゃあ何? うちの『スペイン風オムレツ』は、俺のレシピってこと?」
「そうだよ。もちろん、わたし風に、アレンジはしたけどね」
「それは、びっくりだ」「なにそれー、今頃?」
ふたり、ひとしきり笑い、フライパンごと食卓に置いた大きなオムレツを、何度も皿に取り、豪快にケチャップをかけ、ワインを飲みつつ頬張る。
何処の家庭でもそうだと思うが『我が家の料理』のなかには、不思議とドラマが生まれていく。こんな小さなドラマとも言えないドラマが、雪のなか灯りがともる食卓ごとにあるかと思うと、温かい気持ちになる。いや。そうじゃない家族も、子ども達も、世界中にはたくさんいるんだろう。幸せなんだと、実感する。贅沢などしなくとも、こういう小さな時間が、幸せの素なのだと。
娘がサークルのイベントで、帰らない夜。これからは、ふたりの食卓になっていくのかなと、少しばかりしんみりしつつ、赤ワインをくるくる回した。
写真撮るの忘れてて、半分食べてから、パチリ(笑)
やっぱり焼き立てが、美味しいですよね。
ピクルスが、いろいろあると食卓も楽しくなります。
保存食なので、こういう時のために、集めておくのもいいかも。
何故か、バレンタインコーナーに置いてあった、ピクルス達。
茗荷のピクルスには、ほんのりとローズマリーが効いていました。
グラナダのバル『レオン』では、トルティージャとハモン・セラーノを、
飲み物を注文すると付いてくる、タパスとして出してくれました。
焼いたものを、店のカウンターにガラスの器に入れて置いておき、
出す時に、切るというスタイルがほとんどでした。
わたしとしては「これって、ほんとにスペイン風なの?」と、微かな疑問を胸の片隅に抱えつつも、夫が迷うことなくそう呼ぶので、それに倣って来た。困った時には『スペイン風オムレツ』と頼りにしてきたメニューでもある。
卵、玉葱、じゃが芋、ウインナ、あればニンニクと、買い物に行かずとも作れる食材で成り立っているからだ。大雪だったこともあり、この機会に冷蔵庫の整理も兼ねて、買い物を控えていた。
それでまあ『スペイン風オムレツ』の出番と相成った訳だ。
その夕食の席で、夫が何気なく言った。
「うちの『スペイン風オムレツ』って、ほんと、美味いねぇ」
「うん、美味しいよねぇ。スペインで食べたトルティージャ(じゃが芋入りオムレツ)とは、全く違うけどね」
「確かに、別の料理だね」「焼き立て食べる習慣、ないみたいだったし」
「ところで、これ、何処で覚えたの?」と、夫。
「えーっ? きみに教わったんじゃん」と、驚きつつ、わたし。
「うそぉ! 俺? 作ったことないよ」
「口頭で、これとこれとこれが入ったオムレツ作って、って、多分言われた」
「じゃあ何? うちの『スペイン風オムレツ』は、俺のレシピってこと?」
「そうだよ。もちろん、わたし風に、アレンジはしたけどね」
「それは、びっくりだ」「なにそれー、今頃?」
ふたり、ひとしきり笑い、フライパンごと食卓に置いた大きなオムレツを、何度も皿に取り、豪快にケチャップをかけ、ワインを飲みつつ頬張る。
何処の家庭でもそうだと思うが『我が家の料理』のなかには、不思議とドラマが生まれていく。こんな小さなドラマとも言えないドラマが、雪のなか灯りがともる食卓ごとにあるかと思うと、温かい気持ちになる。いや。そうじゃない家族も、子ども達も、世界中にはたくさんいるんだろう。幸せなんだと、実感する。贅沢などしなくとも、こういう小さな時間が、幸せの素なのだと。
娘がサークルのイベントで、帰らない夜。これからは、ふたりの食卓になっていくのかなと、少しばかりしんみりしつつ、赤ワインをくるくる回した。
写真撮るの忘れてて、半分食べてから、パチリ(笑)
やっぱり焼き立てが、美味しいですよね。
ピクルスが、いろいろあると食卓も楽しくなります。
保存食なので、こういう時のために、集めておくのもいいかも。
何故か、バレンタインコーナーに置いてあった、ピクルス達。
茗荷のピクルスには、ほんのりとローズマリーが効いていました。
グラナダのバル『レオン』では、トルティージャとハモン・セラーノを、
飲み物を注文すると付いてくる、タパスとして出してくれました。
焼いたものを、店のカウンターにガラスの器に入れて置いておき、
出す時に、切るというスタイルがほとんどでした。
幸福をもたらすラスク
「ちょっと早いけど、お誕生日に」
友人から、プレゼントを貰った。
「最近、ご主人とワインを飲むことが、多いみたいだから」
見ると『ワインに合うラスク』とある。嬉しく頂いた。
デザインが洒落ているのもさることながら、箱にある『幸福のマリアージュ』という言葉に、目を魅かれた。『マリアージュ』は、フランス語で『結婚』を意味する言葉だが、相性のいい二人という意味が転じて、ワイン用語では、互いに香りや味を高め合う最高の組み合わせを『素晴らしいマリアージュ』と呼ぶようになったのだとか。
ワインと組み合わせて、親しい人との幸せなひとときを作り出せるようにと、『幸福なマリアージュ』の片方を届けたいと、作られたラスクだそうだ。
『結婚』という言葉は、重く大きい。それをワインと料理の組み合わせに、すり替える面白さ。そんなものを感じつつ、ラスクを味わい、玉葱やトリュフなど、様々なものが混じり合うラスクの味わいに、『結婚』どころか『人生』を感じ、ワインを楽しんだ。
「コングラチュレーション!」
今宵、結ばれる人々と、我が家のワインな夕餉を、パリポリと祝いつつ。
ワイングラスの形に切り抜いた箱のデザインが素敵です。
このままでも美味しいけど、チーズをのせてもいいな。
クリスマスに、娘がプレゼントしてくれたワインと。
生協で注文した芽キャベツが届き、春を感じるスープに。
まるまる芽キャベツ、玉葱、じゃが芋、黒胡椒とセロリ。
柔らかく煮て温かく、娘と夫との楽しい食卓になりました。
友人から、プレゼントを貰った。
「最近、ご主人とワインを飲むことが、多いみたいだから」
見ると『ワインに合うラスク』とある。嬉しく頂いた。
デザインが洒落ているのもさることながら、箱にある『幸福のマリアージュ』という言葉に、目を魅かれた。『マリアージュ』は、フランス語で『結婚』を意味する言葉だが、相性のいい二人という意味が転じて、ワイン用語では、互いに香りや味を高め合う最高の組み合わせを『素晴らしいマリアージュ』と呼ぶようになったのだとか。
ワインと組み合わせて、親しい人との幸せなひとときを作り出せるようにと、『幸福なマリアージュ』の片方を届けたいと、作られたラスクだそうだ。
『結婚』という言葉は、重く大きい。それをワインと料理の組み合わせに、すり替える面白さ。そんなものを感じつつ、ラスクを味わい、玉葱やトリュフなど、様々なものが混じり合うラスクの味わいに、『結婚』どころか『人生』を感じ、ワインを楽しんだ。
「コングラチュレーション!」
今宵、結ばれる人々と、我が家のワインな夕餉を、パリポリと祝いつつ。
ワイングラスの形に切り抜いた箱のデザインが素敵です。
このままでも美味しいけど、チーズをのせてもいいな。
クリスマスに、娘がプレゼントしてくれたワインと。
生協で注文した芽キャベツが届き、春を感じるスープに。
まるまる芽キャベツ、玉葱、じゃが芋、黒胡椒とセロリ。
柔らかく煮て温かく、娘と夫との楽しい食卓になりました。
イタリアの魔法のランプ
神戸から東京に戻り、夕食は目黒にあるトラットリア『ランテルナ・マジカ』(イタリア語で、魔法のランプ)に、食事に行った。
トラットリアとは、リストランテほどかしこまらず、ピッツェリアほどラフではなく、イタリアでも、家族や友人と気軽に、しかしきちんとしたイタリア料理を楽しむことが出来る店を、大抵はそう呼ぶ。
末娘と夫と3人でイタリアを旅してから、もう3年半が経つ。あの頃は、イタリアに夢中で、イタリア料理も図書館で料理本を借りよく作っては食べたし、毎日『テレビでイタリア語』を観て、自己流だがイタリア語も勉強した。今や和製外国語となったイタリア風サンドイッチ『パニーニ』は、実は『パニーノ』の複数形であることも知っているし、『ビッラ(ビール)』は女性名詞だから、助詞であり数を表す『ウノ(1)』を『ウナ』に変換することも覚えている。ところがである。あれだけイタリアで使った「すいませーん。生ビールくださーい!」が、もうすでに思い出せなくなっていた。ショックだ。
そんな脳のなかに絡まったまま仕舞い込んだ思い出を夫と引っ張り出しつつ、懐かしくも気取らず素朴な、だがやたらと美味しいイタリアンを堪能した。
料理も美味しいが、何しろ雰囲気がいい。ふたりともにすっかりくつろいで、気持ちよく酔っぱらった。
「末娘にグラッパを勧められたよねぇ」と、酔って思い出話に浸る、わたし。
「そうそう。ヴェネツィアの川沿いの店ね」と、こちらも酔っぱらって、夫。
グラッパは、ワインの絞りかすの葡萄の皮で作った強い酒だ。
「まだ16歳だから、って断ったら」と、思い出し笑いで、わたし。
「16歳なら、全然オッケーだって、出してくれたよねぇ」と、夫。
娘はひと口舐めて顔をしかめ、グラスを置いていたっけ。
程よく酔いが回った頃、メインの魚料理がサーブされた。それを食べた夫が「あれ、何だっけ?」と、いきなり小声で歌いだした。
「♪ふふーんふ・・・2時間待ってたとぉ♪ ってやつ」
「♪わりと元気よく出て行ったよと♪ ってやつだよね」
「そうそう」「何で今、それ思い出したの?」「この魚のハーブが」
「ローズマリー?」「それそれ。 ♪マリーが来たなら伝えてよ♪」
「それ、マリーじゃない。男だった。でもジュリーじゃあないね」
「えーっ、じゃあ何だよ」「ジョニーだ!」「ジョニーは、アリスでしょ」
「アリスじゃなくてさ、あ! 『 ジョニーへの伝言』だ」
「おー、そうだ。アリスは『ジョニーの子守唄』だ!」
夫はそこでスマホを取り出し『 ジョニーへの伝言』はペトロ&カプリシャスが歌っていたと判明した。そしてまた『ジョニーの子守唄』の歌詞を検索し
「♪おー! ジョニー♪」と、懐かしさにくつくつ笑いつつ、小声で歌いだす。
忘れて困ることも多いけど、忘れるのもなかなかいいかもと、ほろほろ酔いつつ考える。そんなわたし達に、ランプの精から魔法の声がかかった。
「食後酒は、いかがですか? グラッパ、いいのが揃ってますよ」
ふたりさらにほろほろと酔い、くつくつ笑い、さらに様々忘れていく。楽しい食事に欠かせないのは、居心地のいい雰囲気だ。それが満ち満ちた店だった。
『モレッティ』は、久しぶり。ライトなイタリアビールです。
前菜は『鯖の酢漬け』と『チコリのアンチョビソース』をシェア。
夫は『ラビオリ』わたしは『牡蠣のリゾット』
白をグラスで飲んでから、赤ワインをボトルでオーダーして。
この辺りで、ふたりともすでに酔っぱらっていました。
ローズマリーが効いていた『むつの香草焼き』
えーっ! グラッパ、こんなに種類があるの?
『ブルネロ・ディ・モンタルチーノ』のグラッパにしました。
「ガッサータ」と、口をついて出た夫のにわかイタリア語も、
「ガス水を」と言い直す前に、判ってくれました。
イタリアの炭酸水、泡が固くて大好きです。
イタリア語、勉強し直そうかなぁ。
トラットリアとは、リストランテほどかしこまらず、ピッツェリアほどラフではなく、イタリアでも、家族や友人と気軽に、しかしきちんとしたイタリア料理を楽しむことが出来る店を、大抵はそう呼ぶ。
末娘と夫と3人でイタリアを旅してから、もう3年半が経つ。あの頃は、イタリアに夢中で、イタリア料理も図書館で料理本を借りよく作っては食べたし、毎日『テレビでイタリア語』を観て、自己流だがイタリア語も勉強した。今や和製外国語となったイタリア風サンドイッチ『パニーニ』は、実は『パニーノ』の複数形であることも知っているし、『ビッラ(ビール)』は女性名詞だから、助詞であり数を表す『ウノ(1)』を『ウナ』に変換することも覚えている。ところがである。あれだけイタリアで使った「すいませーん。生ビールくださーい!」が、もうすでに思い出せなくなっていた。ショックだ。
そんな脳のなかに絡まったまま仕舞い込んだ思い出を夫と引っ張り出しつつ、懐かしくも気取らず素朴な、だがやたらと美味しいイタリアンを堪能した。
料理も美味しいが、何しろ雰囲気がいい。ふたりともにすっかりくつろいで、気持ちよく酔っぱらった。
「末娘にグラッパを勧められたよねぇ」と、酔って思い出話に浸る、わたし。
「そうそう。ヴェネツィアの川沿いの店ね」と、こちらも酔っぱらって、夫。
グラッパは、ワインの絞りかすの葡萄の皮で作った強い酒だ。
「まだ16歳だから、って断ったら」と、思い出し笑いで、わたし。
「16歳なら、全然オッケーだって、出してくれたよねぇ」と、夫。
娘はひと口舐めて顔をしかめ、グラスを置いていたっけ。
程よく酔いが回った頃、メインの魚料理がサーブされた。それを食べた夫が「あれ、何だっけ?」と、いきなり小声で歌いだした。
「♪ふふーんふ・・・2時間待ってたとぉ♪ ってやつ」
「♪わりと元気よく出て行ったよと♪ ってやつだよね」
「そうそう」「何で今、それ思い出したの?」「この魚のハーブが」
「ローズマリー?」「それそれ。 ♪マリーが来たなら伝えてよ♪」
「それ、マリーじゃない。男だった。でもジュリーじゃあないね」
「えーっ、じゃあ何だよ」「ジョニーだ!」「ジョニーは、アリスでしょ」
「アリスじゃなくてさ、あ! 『 ジョニーへの伝言』だ」
「おー、そうだ。アリスは『ジョニーの子守唄』だ!」
夫はそこでスマホを取り出し『 ジョニーへの伝言』はペトロ&カプリシャスが歌っていたと判明した。そしてまた『ジョニーの子守唄』の歌詞を検索し
「♪おー! ジョニー♪」と、懐かしさにくつくつ笑いつつ、小声で歌いだす。
忘れて困ることも多いけど、忘れるのもなかなかいいかもと、ほろほろ酔いつつ考える。そんなわたし達に、ランプの精から魔法の声がかかった。
「食後酒は、いかがですか? グラッパ、いいのが揃ってますよ」
ふたりさらにほろほろと酔い、くつくつ笑い、さらに様々忘れていく。楽しい食事に欠かせないのは、居心地のいい雰囲気だ。それが満ち満ちた店だった。
『モレッティ』は、久しぶり。ライトなイタリアビールです。
前菜は『鯖の酢漬け』と『チコリのアンチョビソース』をシェア。
夫は『ラビオリ』わたしは『牡蠣のリゾット』
白をグラスで飲んでから、赤ワインをボトルでオーダーして。
この辺りで、ふたりともすでに酔っぱらっていました。
ローズマリーが効いていた『むつの香草焼き』
えーっ! グラッパ、こんなに種類があるの?
『ブルネロ・ディ・モンタルチーノ』のグラッパにしました。
「ガッサータ」と、口をついて出た夫のにわかイタリア語も、
「ガス水を」と言い直す前に、判ってくれました。
イタリアの炭酸水、泡が固くて大好きです。
イタリア語、勉強し直そうかなぁ。
時計さえも一秒を丁寧に刻む場所で
神戸は夫の実家で、一日ゆっくり両親と過ごし、夜、彼の高校時代からの友人がやっている『IVY Bar』に飲みに行った。
カウンターに座り、夫はスコッチをロックで、わたしは生ビールをオーダーした。疲れもあり、注文したものを入れる様子を、ただじっと眺めた。
生ビールは入れる前に、サーバーの泡を他のグラスに2、3度注ぎ、ビールの感じを確かめてから冷えたグラスに注ぎ始める。注いでいったんいっぱいになったグラスに、再び泡の具合を見ながらまた2、3度小さく注ぐ。それで完成かをプロのこだわりで確認し、ようやく出来上がりだ。
スコッチのロックは、シンプルなロックグラスに大きな四角い氷を二つ入れ、しばらく置いておき、慎重に氷をかき混ぜてから、きっちり水を切り、スコッチボトルを一度逆さにして均一に調えてから、計って注ぐ。
カウンターの向こう側では、一つ一つのことが丁寧極まりなく、行われていた。しかしもちろん、ここではそれが当然なのである。時計さえも一秒一秒丁寧に、時を刻んでいく場所なのだ。
冷蔵庫から缶ビールを出し、シュパッと開けて缶から飲み、グラスを冷やすこともせず、ロックグラスに氷を入れ、ただウィスキーを注ぐのみの、今の生活。ああ、わたしいったい、何やってるんだろうと思わずにはいられなかった。もっと、もっと丁寧に暮らせるのに。
2杯目に頼んだマティーニも、然りである。自分で作ろうと買ったベルガモットはまだ冷蔵庫にあるが、潔くあきらめた。
「だいたいマティーニなんて、こうやって出してもらって飲むものなんだよ」
夫の、言う通りである。マティーニは、オリーブもしっかり食べ、最後の一滴まで美味しく飲んだ。そして時計は、何処でもない『IVY Bar』のペースで、丁寧に丁寧に、時を刻んでいった。
三ノ宮駅北側にある『IVY Bar』入口。
生ビールの泡が、きめ細やかでこんもり。嬉しい!
マティーニのオリーブには、神戸らしい風見鶏のピックが。
カウンターに座り、夫はスコッチをロックで、わたしは生ビールをオーダーした。疲れもあり、注文したものを入れる様子を、ただじっと眺めた。
生ビールは入れる前に、サーバーの泡を他のグラスに2、3度注ぎ、ビールの感じを確かめてから冷えたグラスに注ぎ始める。注いでいったんいっぱいになったグラスに、再び泡の具合を見ながらまた2、3度小さく注ぐ。それで完成かをプロのこだわりで確認し、ようやく出来上がりだ。
スコッチのロックは、シンプルなロックグラスに大きな四角い氷を二つ入れ、しばらく置いておき、慎重に氷をかき混ぜてから、きっちり水を切り、スコッチボトルを一度逆さにして均一に調えてから、計って注ぐ。
カウンターの向こう側では、一つ一つのことが丁寧極まりなく、行われていた。しかしもちろん、ここではそれが当然なのである。時計さえも一秒一秒丁寧に、時を刻んでいく場所なのだ。
冷蔵庫から缶ビールを出し、シュパッと開けて缶から飲み、グラスを冷やすこともせず、ロックグラスに氷を入れ、ただウィスキーを注ぐのみの、今の生活。ああ、わたしいったい、何やってるんだろうと思わずにはいられなかった。もっと、もっと丁寧に暮らせるのに。
2杯目に頼んだマティーニも、然りである。自分で作ろうと買ったベルガモットはまだ冷蔵庫にあるが、潔くあきらめた。
「だいたいマティーニなんて、こうやって出してもらって飲むものなんだよ」
夫の、言う通りである。マティーニは、オリーブもしっかり食べ、最後の一滴まで美味しく飲んだ。そして時計は、何処でもない『IVY Bar』のペースで、丁寧に丁寧に、時を刻んでいった。
三ノ宮駅北側にある『IVY Bar』入口。
生ビールの泡が、きめ細やかでこんもり。嬉しい!
マティーニのオリーブには、神戸らしい風見鶏のピックが。
和からし、本からし、洋がらし、木枯らし?
野菜をたくさん食べたくて、八宝菜を作った。
キャベツ、玉葱、人参、ピーマン、椎茸、豚肉、シーフードミックス。たくさん食べたいと作ったものだから、たくさん野菜を切りすぎた。
「あー、フライパンに入らない」
切っている途中で判りそうなものだが、判ったところで、たくさん食べたい気持ちの方が勝っていただろう。フライパンを二つ使い、たっぷり作り、たっぷり辛子をつけ、たっぷり食べた。
「辛子とって」と、夫に言われ、チューブの辛子を手渡す。彼も、わたしほどではないが、辛子たっぷり派だ。
途端に記憶は、10年ほど前に、さかのぼった。
食卓でのことである。何を食べていたかはもう、記憶の外だ。
「洋がらし、とって」と、向かい側に座る中学生の息子に、夫が言った。
息子は、何か戸惑いのような表情を見せたが、彼はもともとポーカーフェイスを信条にしている。返事もしなかった。
夫はテレビにでも気をとられて、気づかないと思ったのか、繰り返し言った。
「とってよ。そこにあるじゃん、洋がらし」
息子は、戸惑うばかりだ。夫は、そんな息子の様子にイライラし始めた。
「だから、それ、とってよ!」
息子は、ようやく辛子を手に取り、じっと父親の顔を見つめた。
「これ、『和からし』なんだけど」
彼は、あくまで真面目に戸惑い、考えていたのだ。食卓は、爆笑の渦に包まれ、夫はぶじ辛子を手に入れた。
そしてわたしは、辛子に『和』『洋』があることと、相手の言葉を柔軟に受け入れることの難しさは、人により大きく違うのだということを知った。
木枯らし(小がらし?)吹く東京で、彼もたまには野菜たっぷり八宝菜、食べているのだろうか。あの『洋がらし事件』を思い出したりするのだろうか。
これだけ入っていると、炒めものとは言えないかも。
ツーンとくるほど、つけるのが好きです。
表示を見ると『洋がらし』ではなく『本からし』と『和からし』
用途は、かいてある順番と数が微妙に違う不思議(笑)
S&Bのホームページを見ると、和より洋の方が柔らかい辛みで、
『和からし』は和からしのみを使い、辛みが強く、
『本からし』は和&洋がらしを合わせたマイルドな味だそうです。
キャベツ、玉葱、人参、ピーマン、椎茸、豚肉、シーフードミックス。たくさん食べたいと作ったものだから、たくさん野菜を切りすぎた。
「あー、フライパンに入らない」
切っている途中で判りそうなものだが、判ったところで、たくさん食べたい気持ちの方が勝っていただろう。フライパンを二つ使い、たっぷり作り、たっぷり辛子をつけ、たっぷり食べた。
「辛子とって」と、夫に言われ、チューブの辛子を手渡す。彼も、わたしほどではないが、辛子たっぷり派だ。
途端に記憶は、10年ほど前に、さかのぼった。
食卓でのことである。何を食べていたかはもう、記憶の外だ。
「洋がらし、とって」と、向かい側に座る中学生の息子に、夫が言った。
息子は、何か戸惑いのような表情を見せたが、彼はもともとポーカーフェイスを信条にしている。返事もしなかった。
夫はテレビにでも気をとられて、気づかないと思ったのか、繰り返し言った。
「とってよ。そこにあるじゃん、洋がらし」
息子は、戸惑うばかりだ。夫は、そんな息子の様子にイライラし始めた。
「だから、それ、とってよ!」
息子は、ようやく辛子を手に取り、じっと父親の顔を見つめた。
「これ、『和からし』なんだけど」
彼は、あくまで真面目に戸惑い、考えていたのだ。食卓は、爆笑の渦に包まれ、夫はぶじ辛子を手に入れた。
そしてわたしは、辛子に『和』『洋』があることと、相手の言葉を柔軟に受け入れることの難しさは、人により大きく違うのだということを知った。
木枯らし(小がらし?)吹く東京で、彼もたまには野菜たっぷり八宝菜、食べているのだろうか。あの『洋がらし事件』を思い出したりするのだろうか。
これだけ入っていると、炒めものとは言えないかも。
ツーンとくるほど、つけるのが好きです。
表示を見ると『洋がらし』ではなく『本からし』と『和からし』
用途は、かいてある順番と数が微妙に違う不思議(笑)
S&Bのホームページを見ると、和より洋の方が柔らかい辛みで、
『和からし』は和からしのみを使い、辛みが強く、
『本からし』は和&洋がらしを合わせたマイルドな味だそうです。
フォアグラって、何だっけ?
上の娘が、友人からフォアグラをもらって来た。
最近、国際交流のイベントなどで県内の国立大学に行くことが増えた彼女は、そこでも留学している外国人と出会い、親しくなることが多くなったそうだ。
「山梨じゅう、みんな友達って感じ」と、笑って言う。
都会に比べれば大学数も知れている。大学の枠にとらわれず、国籍を越えコミュニケーションをとる術を学んでいくのはいいことだと思う。
さて、フォアグラだ。その国立大学にフランスから留学中の友人からもらったのだと言う。ツナ缶くらいの大きさかと思えば、それが5、6倍はある。
「こんなに、大きいのもらったの? 高価なんじゃないの?」と、わたし。
「フランスの実家から、送って来たんだって」と、娘。
「フランスじゃ、米じゃなくて、フォアグラ送るんだぁ」と、わたし。
「そうかもね」と、夫。「フランスじゃ、毎日食べるってこと?」
などと話しつつ、缶を開ける。缶は両側が開くようになっていて、両方開けて、片方から押し出すのだそうだ。
「おー、出た出た」「この黄色いの油だね」「そりゃ、フォアグラだもん」
大騒ぎである。
「で、フォアグラって、何だっけ?」と、包丁でフォアグラを切り、わたし。
「ガチョウの肝臓、かな」と、じっと見つめながら、娘。
「キャビアが、チョウザメの卵だもんね」と、ワインを開けつつ、夫。
「美味しい!」「あんまりアクの強い味は、しないんだね」
「アン肝より、ぜんぜん生臭くない!」食べてはまた、大騒ぎである。
「やっぱ、高価なんじゃない? だって、ガチョウの卵ってすごく高いけど栄養あるって言うもんね」と、わたし。
「えっ? ガチョウって、どんな鳥だっけ?」と、夫。
「ほら、あの大きいやつでしょ。高速で走るって言う」と、わたし。
すると、娘が吹きだした。「それ、ダチョウじゃん! これはガ、チョウ!」
「えーっ! ダチョウじゃなかったの?」と、わたし。
「ガチョウって、どんな鳥だよ」と、笑いつつ、夫。
娘がケータイで調べると、白い鳥の写真が出て来た。
「それ、アヒルじゃん!」「まさに、アヒル」「これが、ガチョウなの!」
「で、ファオグラって、ダチョウの肝臓じゃないの?」と、しつこくわたし。
「ガ、チョウ!です」と、娘。
こうして、フォアグラの晩餐は愉快に過ぎていったのだ。いやぁ、ずっとフォアグラを、ダチョウの肝臓だと思い込んでいたわたしも、娘の国際交流のおかげで、またひとつ利口になったかな。ならないか。
大きな缶に、ぎっしり詰まっていました。缶の表示はフランス語。
缶の両側を開けて、スプーンで押し出しているところ。なかなか出ない。
癖が無くて、意外とさっぱりした味。フォアグラのパテですね。
でもカロリーは、ばっちり高そう。食べすぎ注意です。
最近、国際交流のイベントなどで県内の国立大学に行くことが増えた彼女は、そこでも留学している外国人と出会い、親しくなることが多くなったそうだ。
「山梨じゅう、みんな友達って感じ」と、笑って言う。
都会に比べれば大学数も知れている。大学の枠にとらわれず、国籍を越えコミュニケーションをとる術を学んでいくのはいいことだと思う。
さて、フォアグラだ。その国立大学にフランスから留学中の友人からもらったのだと言う。ツナ缶くらいの大きさかと思えば、それが5、6倍はある。
「こんなに、大きいのもらったの? 高価なんじゃないの?」と、わたし。
「フランスの実家から、送って来たんだって」と、娘。
「フランスじゃ、米じゃなくて、フォアグラ送るんだぁ」と、わたし。
「そうかもね」と、夫。「フランスじゃ、毎日食べるってこと?」
などと話しつつ、缶を開ける。缶は両側が開くようになっていて、両方開けて、片方から押し出すのだそうだ。
「おー、出た出た」「この黄色いの油だね」「そりゃ、フォアグラだもん」
大騒ぎである。
「で、フォアグラって、何だっけ?」と、包丁でフォアグラを切り、わたし。
「ガチョウの肝臓、かな」と、じっと見つめながら、娘。
「キャビアが、チョウザメの卵だもんね」と、ワインを開けつつ、夫。
「美味しい!」「あんまりアクの強い味は、しないんだね」
「アン肝より、ぜんぜん生臭くない!」食べてはまた、大騒ぎである。
「やっぱ、高価なんじゃない? だって、ガチョウの卵ってすごく高いけど栄養あるって言うもんね」と、わたし。
「えっ? ガチョウって、どんな鳥だっけ?」と、夫。
「ほら、あの大きいやつでしょ。高速で走るって言う」と、わたし。
すると、娘が吹きだした。「それ、ダチョウじゃん! これはガ、チョウ!」
「えーっ! ダチョウじゃなかったの?」と、わたし。
「ガチョウって、どんな鳥だよ」と、笑いつつ、夫。
娘がケータイで調べると、白い鳥の写真が出て来た。
「それ、アヒルじゃん!」「まさに、アヒル」「これが、ガチョウなの!」
「で、ファオグラって、ダチョウの肝臓じゃないの?」と、しつこくわたし。
「ガ、チョウ!です」と、娘。
こうして、フォアグラの晩餐は愉快に過ぎていったのだ。いやぁ、ずっとフォアグラを、ダチョウの肝臓だと思い込んでいたわたしも、娘の国際交流のおかげで、またひとつ利口になったかな。ならないか。
大きな缶に、ぎっしり詰まっていました。缶の表示はフランス語。
缶の両側を開けて、スプーンで押し出しているところ。なかなか出ない。
癖が無くて、意外とさっぱりした味。フォアグラのパテですね。
でもカロリーは、ばっちり高そう。食べすぎ注意です。
牡蠣との再会
勇気を出して、解禁にした。牡蠣である。
何年か前に牡蠣に中り、消化器系はビクともしなかったが、身体じゅうにジンマシンが出て1週間痒い思いをし、2カ月以上痕が残り、温泉に行くのもはばかられる状態が続いた。それから恐くなり、ずっと食べていなかったのだが、牡蠣は大好きだ。美味しそうに食べる家族を横目に我慢するのも、そろそろ嫌毛がさしてきた。ジンマシンが出たら出たで、その時はその時だ。まあ、こういうのをまさに「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」と言うのだが。
先週上京した際、風邪をひいたと自覚したその昼食、熱い蕎麦でも食べようと蕎麦屋の暖簾をくぐった。メニューを見ると『牡蠣の卵とじ蕎麦』の項目が、光り輝いている。これはもう、牡蠣を食べて栄養を取り、身体を温めて風邪を治すべし、とのお告げだと思われた。
一口食べて「美味しい!」と人目もはばからずつぶやいてしまうほど、何年かぶりの牡蠣との再会は感動ものだった。潮の匂いがして、目の前に日本海の荒波が押し寄せて来た。喉元過ぎても、もうその美味しさは忘れられるものではない。幸い、何事も起こらず風邪も治った。
さて。毎日零下、木枯らし吹く明野で温かく過ごすには、鍋に限る。夫が東京から帰る日には、鍋にした。生食用の牡蠣を買い、生で食べ、また鍋に入れて食べた。ふたりで動けなくなるほど食べに食べ「食べ過ぎた」「動けない」と、炬燵で寝転び、日本酒を呑んだ。
牡蠣が食べられる。それだけのことだが、「今年は牡蠣を、思う存分食べるぞー!」と、夕陽に向かって叫びたくなるほど嬉しい。わたしにとっては、小さな幸せと呼ぶには、あまりある喜びだ。
もしかすると、ビールも何年か絶ち、再び飲むときにはこの美味しさを味わえるのかも。まあ、ビールを絶つことはありえないけれど。
解禁のきっかけとなった『牡蠣の卵とじ蕎麦』太めの麺でこしがありました。
カウンター席が素敵な、お蕎麦屋さんでした。
食べ始めたら、写真を撮るのを忘れてしまいました(笑)
「娘、帰ってくるのかな?」「さあ?」と言いつつ、ふたりでほぼ完食。
何年か前に牡蠣に中り、消化器系はビクともしなかったが、身体じゅうにジンマシンが出て1週間痒い思いをし、2カ月以上痕が残り、温泉に行くのもはばかられる状態が続いた。それから恐くなり、ずっと食べていなかったのだが、牡蠣は大好きだ。美味しそうに食べる家族を横目に我慢するのも、そろそろ嫌毛がさしてきた。ジンマシンが出たら出たで、その時はその時だ。まあ、こういうのをまさに「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」と言うのだが。
先週上京した際、風邪をひいたと自覚したその昼食、熱い蕎麦でも食べようと蕎麦屋の暖簾をくぐった。メニューを見ると『牡蠣の卵とじ蕎麦』の項目が、光り輝いている。これはもう、牡蠣を食べて栄養を取り、身体を温めて風邪を治すべし、とのお告げだと思われた。
一口食べて「美味しい!」と人目もはばからずつぶやいてしまうほど、何年かぶりの牡蠣との再会は感動ものだった。潮の匂いがして、目の前に日本海の荒波が押し寄せて来た。喉元過ぎても、もうその美味しさは忘れられるものではない。幸い、何事も起こらず風邪も治った。
さて。毎日零下、木枯らし吹く明野で温かく過ごすには、鍋に限る。夫が東京から帰る日には、鍋にした。生食用の牡蠣を買い、生で食べ、また鍋に入れて食べた。ふたりで動けなくなるほど食べに食べ「食べ過ぎた」「動けない」と、炬燵で寝転び、日本酒を呑んだ。
牡蠣が食べられる。それだけのことだが、「今年は牡蠣を、思う存分食べるぞー!」と、夕陽に向かって叫びたくなるほど嬉しい。わたしにとっては、小さな幸せと呼ぶには、あまりある喜びだ。
もしかすると、ビールも何年か絶ち、再び飲むときにはこの美味しさを味わえるのかも。まあ、ビールを絶つことはありえないけれど。
解禁のきっかけとなった『牡蠣の卵とじ蕎麦』太めの麺でこしがありました。
カウンター席が素敵な、お蕎麦屋さんでした。
食べ始めたら、写真を撮るのを忘れてしまいました(笑)
「娘、帰ってくるのかな?」「さあ?」と言いつつ、ふたりでほぼ完食。
ラーメン屋の暖簾
ラーメン屋で、カウンターに座ると、面白い暖簾を掛けていた。
「笑顔、挑戦、喜、福、感謝、真心、幸、絆、愛、元気」などの文字が、赤地に白でかかれている。普段は、あらためて対峙することのない言葉ばかりだ。その文字達は、生き生きとして見えたが、少し眩しすぎるようにも感じた。
「笑う門には、福来たる」という言葉は好きだが「笑顔で」などとストレートに言葉にすることは、照れ臭くもあり、家族にだって最近では言わなくなった。それだけ、満ち足りた毎日を過ごしているということなのかもしれないが、ポジティブな言葉が持つそのパワーも、時にはマイナスに動くことがあると、知ってもいる。
びっきーが死に、ひと月経った。小さな喜びや、人の温かさや、ご飯を美味しく食べられる幸せを感じつつも、心の底から笑うことは難しかった。そんなわたしに「笑顔で」と声を掛ける人は、もちろんいなかった。
笑顔になれない人には「笑顔」という言葉は重い。不幸せだと感じている人には「幸」という文字は辛い。ひとりぼっちの人は「絆」と聞くだけで苦しい。
そんな時、いいなと思ったのは歌だ。愛や恋や笑顔や幸せや絆だって真心だって、オブラートに包んだかのように、眩し過ぎないよう柔らかく届けてくれる。運転中、ビートルズばかり聴いているわたしが、年末年始に一番よく聴いたのは、竹内まりやの『元気を出して』だった。
♪ 幸せになりたい気持ちがあるなら
明日を見つけることは とても簡単 ♪
面白い暖簾があるものですねぇ。ラーメン屋さんに似合ってます。
今年初めての辛味噌葱ラーメンは、大辛にしました。
これでもう、風邪も治るでしょう!
「笑顔、挑戦、喜、福、感謝、真心、幸、絆、愛、元気」などの文字が、赤地に白でかかれている。普段は、あらためて対峙することのない言葉ばかりだ。その文字達は、生き生きとして見えたが、少し眩しすぎるようにも感じた。
「笑う門には、福来たる」という言葉は好きだが「笑顔で」などとストレートに言葉にすることは、照れ臭くもあり、家族にだって最近では言わなくなった。それだけ、満ち足りた毎日を過ごしているということなのかもしれないが、ポジティブな言葉が持つそのパワーも、時にはマイナスに動くことがあると、知ってもいる。
びっきーが死に、ひと月経った。小さな喜びや、人の温かさや、ご飯を美味しく食べられる幸せを感じつつも、心の底から笑うことは難しかった。そんなわたしに「笑顔で」と声を掛ける人は、もちろんいなかった。
笑顔になれない人には「笑顔」という言葉は重い。不幸せだと感じている人には「幸」という文字は辛い。ひとりぼっちの人は「絆」と聞くだけで苦しい。
そんな時、いいなと思ったのは歌だ。愛や恋や笑顔や幸せや絆だって真心だって、オブラートに包んだかのように、眩し過ぎないよう柔らかく届けてくれる。運転中、ビートルズばかり聴いているわたしが、年末年始に一番よく聴いたのは、竹内まりやの『元気を出して』だった。
♪ 幸せになりたい気持ちがあるなら
明日を見つけることは とても簡単 ♪
面白い暖簾があるものですねぇ。ラーメン屋さんに似合ってます。
今年初めての辛味噌葱ラーメンは、大辛にしました。
これでもう、風邪も治るでしょう!
料理マンネリ化の原因
『スペインバルブック』なるものを、夫が買って来た。
「正月に、パラパラ見るのに、丁度いいかと思って」と、夫。
スペイン料理の写真が数えきれないほど載ったその本は、確かに丁度よく、ふたりめくっては、昨夏旅したスペインの話をしたりした。
すると、当然のようにスペイン料理が食べたくなり、先週、四谷のスペイン料理店『MAMAS&PAPAS』に、ふたり出掛け、生ビールと赤ワインで乾杯し、「美味しいねぇ」と、舌鼓を打った。
スペインはバルセロナから入り、グラナダ、コルドバ、マドリッドをのんびりペースで回った。グラナダでは、ビールをオーダーする度に、タパスという酒の肴が無料で出て来るのが楽しく、バルを梯子し夕食にした日もあった。生ハムのハモン・セラーノが有名ではあるが、シーフードや野菜のメニューも多く、日本人の舌に合っていることを実感した。
だが、美食の都と呼ばれるバスク地方に、行っていない。
「また、行きたいねぇ。スペイン」と、わたし。
「北に、行きたいよねぇ」と、夫。バスク地方はスペイン北部にある。
スペイン北部へ行く日を夢見て、とりあえずは『スペインバルブック』とスペイン料理店の味を参考に、スペイン料理の腕を磨くことにしようか。
初めの一歩は『MAMAS&PAPAS』の海老のアヒージョだ。忘れないうちに再現してみなくてはと、冷凍の海老を生協で注文した。その後、2歩3歩と続くかどうかは、霧のなかだが。
そう言えば、と頭の中に引っ掛かったものを引っ張り出した。友人に教わったパエリヤを作ったのは11月のことだったっけ。美味しく出来たことに気をよくし、我が家の定番にしよう! とまで思ったのに、それきり作っていない。我が家の料理マンネリ化の原因は、この忘れっぽさにあったのか。しんとした心持ちで推測する。初めの2歩目、すでに深い霧のなかかも。
中身は、写真もお洒落なのにカタカナで『スペインバルブック』
そのアンバランスさが、ちょっと笑えます。
写真のページは、バスク地方のスタンダードなタパス『ピンチョス』
雰囲気のある、四谷のスペイン料理屋さん。
生ハムとチーズのコロッケが、驚くほど美味しかった!
ガンバス・アル・アヒージョは、外せません。ガンバスとは芝海老。
でも、此処では車海老を使った、贅沢なオリーブオイル煮でした。
ニンニクの効いたオイルに、パンをつけて食べるのが粋なんです。
鱈とアサリの煮込み。スパイシーだけど優しい味で温まりました。
でも、何のスパイスか、さっぱり判りませんでした(笑)
「正月に、パラパラ見るのに、丁度いいかと思って」と、夫。
スペイン料理の写真が数えきれないほど載ったその本は、確かに丁度よく、ふたりめくっては、昨夏旅したスペインの話をしたりした。
すると、当然のようにスペイン料理が食べたくなり、先週、四谷のスペイン料理店『MAMAS&PAPAS』に、ふたり出掛け、生ビールと赤ワインで乾杯し、「美味しいねぇ」と、舌鼓を打った。
スペインはバルセロナから入り、グラナダ、コルドバ、マドリッドをのんびりペースで回った。グラナダでは、ビールをオーダーする度に、タパスという酒の肴が無料で出て来るのが楽しく、バルを梯子し夕食にした日もあった。生ハムのハモン・セラーノが有名ではあるが、シーフードや野菜のメニューも多く、日本人の舌に合っていることを実感した。
だが、美食の都と呼ばれるバスク地方に、行っていない。
「また、行きたいねぇ。スペイン」と、わたし。
「北に、行きたいよねぇ」と、夫。バスク地方はスペイン北部にある。
スペイン北部へ行く日を夢見て、とりあえずは『スペインバルブック』とスペイン料理店の味を参考に、スペイン料理の腕を磨くことにしようか。
初めの一歩は『MAMAS&PAPAS』の海老のアヒージョだ。忘れないうちに再現してみなくてはと、冷凍の海老を生協で注文した。その後、2歩3歩と続くかどうかは、霧のなかだが。
そう言えば、と頭の中に引っ掛かったものを引っ張り出した。友人に教わったパエリヤを作ったのは11月のことだったっけ。美味しく出来たことに気をよくし、我が家の定番にしよう! とまで思ったのに、それきり作っていない。我が家の料理マンネリ化の原因は、この忘れっぽさにあったのか。しんとした心持ちで推測する。初めの2歩目、すでに深い霧のなかかも。
中身は、写真もお洒落なのにカタカナで『スペインバルブック』
そのアンバランスさが、ちょっと笑えます。
写真のページは、バスク地方のスタンダードなタパス『ピンチョス』
雰囲気のある、四谷のスペイン料理屋さん。
生ハムとチーズのコロッケが、驚くほど美味しかった!
ガンバス・アル・アヒージョは、外せません。ガンバスとは芝海老。
でも、此処では車海老を使った、贅沢なオリーブオイル煮でした。
ニンニクの効いたオイルに、パンをつけて食べるのが粋なんです。
鱈とアサリの煮込み。スパイシーだけど優しい味で温まりました。
でも、何のスパイスか、さっぱり判りませんでした(笑)
十年ぶりの風邪
風邪を、ひいた。朝食後に飲んだ紅茶が喉に支え、その痛みで気づいた。
東京は板橋に住む両親の家に帰り、旧友などとも会う機会に恵まれ、楽しく2泊し、山梨に帰ろうという日の朝である。
「この痛みは、そう簡単には引いてくれそうにないな」
覚悟を決め、所用を済ませ早めに特急かいじに乗った。娘も出掛けていたので家は冷たくなっていた。薪ストーブを使う限り、予約暖房タイマーなどとは縁のない生活となる。ダウンを着たまま、ストーブの灰を掻き出し、火を入れた。部屋が温まるまで、2時間ほど。連日「今年一番の寒さ」とのニュースが流れている。陽が落ちる前に、さっさと帰って来て正解だった。
炬燵に入り、暖を取る。
頭の芯がしびれ、息が熱いのに熱はない。瞬きをする度に右目だけが痛く、胸には汗をかきつつも、腰の辺りはダウンを着ていても冷たいままだ。
考えてみれば、久しぶりである。
風邪をひきにくい体質で、2年前にインフルエンザにはかかったが、実際風邪らしい風邪をひいたのなんか、十年ぶりくらいだろうか。
急に気落ちして、だが気落ちしつつも何故かハイになり、風邪をひいたと聞いていた義母と友人に、メールした。
「風邪いかがですか? わたしも風邪みたい。おたがい大事にしましょうね」
気分はすっかり風邪ひきモードで、加速度を増し、どんどん落ち込んでいく。幸いふたりとも、風邪は回復に向かっているようだった。
夕食にちょっと遅い時間。
帰宅した夫も「調子、どう?」と、いつになく優しい。炬燵で熱いチゲ鍋を食べ、ビールも2缶にして(笑)風邪薬を飲み、早々に布団に入った。
翌朝も、薪運びを手伝おうとすると、夫にとめられた。
「ふふふ」と、ちょっとわくわくした気分になってくる。
天井から俯瞰する。風邪をひいたと落ち込む自分を、何処か楽しんでいるわたしが、見え隠れしていた。
チゲ鍋も風邪仕様で、葱をたっぷり目に入れました。
豆腐とニラを入れて、出来上がり!
風邪ひきのみなさん、どうぞお大事にしてください。
東京は板橋に住む両親の家に帰り、旧友などとも会う機会に恵まれ、楽しく2泊し、山梨に帰ろうという日の朝である。
「この痛みは、そう簡単には引いてくれそうにないな」
覚悟を決め、所用を済ませ早めに特急かいじに乗った。娘も出掛けていたので家は冷たくなっていた。薪ストーブを使う限り、予約暖房タイマーなどとは縁のない生活となる。ダウンを着たまま、ストーブの灰を掻き出し、火を入れた。部屋が温まるまで、2時間ほど。連日「今年一番の寒さ」とのニュースが流れている。陽が落ちる前に、さっさと帰って来て正解だった。
炬燵に入り、暖を取る。
頭の芯がしびれ、息が熱いのに熱はない。瞬きをする度に右目だけが痛く、胸には汗をかきつつも、腰の辺りはダウンを着ていても冷たいままだ。
考えてみれば、久しぶりである。
風邪をひきにくい体質で、2年前にインフルエンザにはかかったが、実際風邪らしい風邪をひいたのなんか、十年ぶりくらいだろうか。
急に気落ちして、だが気落ちしつつも何故かハイになり、風邪をひいたと聞いていた義母と友人に、メールした。
「風邪いかがですか? わたしも風邪みたい。おたがい大事にしましょうね」
気分はすっかり風邪ひきモードで、加速度を増し、どんどん落ち込んでいく。幸いふたりとも、風邪は回復に向かっているようだった。
夕食にちょっと遅い時間。
帰宅した夫も「調子、どう?」と、いつになく優しい。炬燵で熱いチゲ鍋を食べ、ビールも2缶にして(笑)風邪薬を飲み、早々に布団に入った。
翌朝も、薪運びを手伝おうとすると、夫にとめられた。
「ふふふ」と、ちょっとわくわくした気分になってくる。
天井から俯瞰する。風邪をひいたと落ち込む自分を、何処か楽しんでいるわたしが、見え隠れしていた。
チゲ鍋も風邪仕様で、葱をたっぷり目に入れました。
豆腐とニラを入れて、出来上がり!
風邪ひきのみなさん、どうぞお大事にしてください。
具だくさん『田舎汁』に、幸せ指数アップ
具だくさんの料理を、よそったり、取り分けたりが苦手である。
たとえば、我が家で『田舎汁』と呼ぶ味噌汁には、鶏肉と、野菜をたっぷり(大根、人参、玉葱、長葱、じゃが芋、きのこ類など。その他、冷蔵庫に在るもの)入れるのだが、どの具も平均して入るようによそいたい。それがなかなか上手くいかないのだ。
たとえば、入っているはずの肉が、誰かの器にだけ入っていないという事態を招いたり、じゃが芋が苦手な上の娘の椀に、ごろごろじゃが芋が入ってしまい、よそい直したり。我ながら、不器用だと実感する瞬間である。
それが、食卓のことであればまだいいが、大人数の飲み会などで、料理を取り分ける時には緊張する。気が利かないと思われようが、なるべく手を出さず、大人しくするようにしているが、座った場所によっては、そうもいかずお玉や取り分け用のスプーンフォークセットなどを握ることにもなる。
大したことでもないのに、失敗許されじと、お玉などを持つ手が震えてしまい、こぼしたり、落としたりの大惨事。自己嫌悪に陥り「生ビール、おかわり!」ということになってしまうのだ。(言い訳?)
それでも、野菜たっぷり具だくさんの汁ものは大好きだ。『田舎汁』には大根を1本の半分入れるし、鍋には白菜を1個使ってしまう。様々な野菜の旨味がいい出汁になり、特別工夫などせずとも美味しく煮上がってくれる。身体も温まり、幸せな気分になる。そして、自分のためによそう時には、大根たっぷり食べたいなとか、しめじいっぱい入れようっと、など、我がまま放題自由によそい、幸せ指数をさらにアップさせている。そういう時なら、お玉、上手く使えるんだけどなぁ。そうか。自分によそうように、みんなによそえばいいのかも。いや、それも何か違う気がする。
具だくさんと言うより、ごった煮? 味醂を少し入れるのが我が家風。
京七味は、山椒が効いていて美味しいんです。
「それにしても、かけ過ぎでしょう」とは、よく言われること。
これくらいの我がまま、許してください(笑)
たとえば、我が家で『田舎汁』と呼ぶ味噌汁には、鶏肉と、野菜をたっぷり(大根、人参、玉葱、長葱、じゃが芋、きのこ類など。その他、冷蔵庫に在るもの)入れるのだが、どの具も平均して入るようによそいたい。それがなかなか上手くいかないのだ。
たとえば、入っているはずの肉が、誰かの器にだけ入っていないという事態を招いたり、じゃが芋が苦手な上の娘の椀に、ごろごろじゃが芋が入ってしまい、よそい直したり。我ながら、不器用だと実感する瞬間である。
それが、食卓のことであればまだいいが、大人数の飲み会などで、料理を取り分ける時には緊張する。気が利かないと思われようが、なるべく手を出さず、大人しくするようにしているが、座った場所によっては、そうもいかずお玉や取り分け用のスプーンフォークセットなどを握ることにもなる。
大したことでもないのに、失敗許されじと、お玉などを持つ手が震えてしまい、こぼしたり、落としたりの大惨事。自己嫌悪に陥り「生ビール、おかわり!」ということになってしまうのだ。(言い訳?)
それでも、野菜たっぷり具だくさんの汁ものは大好きだ。『田舎汁』には大根を1本の半分入れるし、鍋には白菜を1個使ってしまう。様々な野菜の旨味がいい出汁になり、特別工夫などせずとも美味しく煮上がってくれる。身体も温まり、幸せな気分になる。そして、自分のためによそう時には、大根たっぷり食べたいなとか、しめじいっぱい入れようっと、など、我がまま放題自由によそい、幸せ指数をさらにアップさせている。そういう時なら、お玉、上手く使えるんだけどなぁ。そうか。自分によそうように、みんなによそえばいいのかも。いや、それも何か違う気がする。
具だくさんと言うより、ごった煮? 味醂を少し入れるのが我が家風。
京七味は、山椒が効いていて美味しいんです。
「それにしても、かけ過ぎでしょう」とは、よく言われること。
これくらいの我がまま、許してください(笑)
ぼんやり度、急上昇中
時間って、不思議だ。
ぼんやりしていても、集中して仕事をしていても、同じ1時間。
年末までの仕事を終えた昨日、ぼんやり度は急上昇の傾向にあり、定期的にハマるパソコンのカードゲーム『スパイダーソリティア』なんかをしつつ、facebookを眺め、朝から、だらだらしていた。
「あー、でも末娘の部屋、片づけなくっちゃ」
県外の大学に通うためにひとり暮らしを始めた娘が、冬休みで帰ってくる。薪ストーブの真上の一番温かい部屋を使わないのはもったいないと、こっそりベッドを借りて眠り、そのうちわたしの備品も増え、住み心地もよくなっていた。だが、彼女が帰る前に、撤収しなくては。
ブランチのうどんを茹でている6分間、奮起した。
ベッドカバーを替え、時計やら本やらハンドクリームやらを寝室に運んだ。やれやれとキッチンに戻るとタイマーが鳴り、うどんは茹で上がった。
茹で上がりを6分待つのは、長いと感じるが、娘の部屋を片付けるには、大急ぎ。短い時間だった。
時間の魔法に心を入れ替え、急上昇中のぼんやり度に歯止めをかけらればいいんだけれど、とまた、ぼんやりしている年末のわたしである。
エンジン、いつ、かかるのかな。
夕飯は、上の娘と3人で手巻き寿司。
奮発しました。末娘は「ウニがなければ手巻きじゃない」派です。
わたしも、ウニ大好き。もちろん、わさびたっぷりでね。
「明日の朝は、それぞれ残りで適当に」なんてしゃべっているうちに、
何故か、末娘の部屋を借りてたことが、バレてしまいました……。
ぼんやりしていても、集中して仕事をしていても、同じ1時間。
年末までの仕事を終えた昨日、ぼんやり度は急上昇の傾向にあり、定期的にハマるパソコンのカードゲーム『スパイダーソリティア』なんかをしつつ、facebookを眺め、朝から、だらだらしていた。
「あー、でも末娘の部屋、片づけなくっちゃ」
県外の大学に通うためにひとり暮らしを始めた娘が、冬休みで帰ってくる。薪ストーブの真上の一番温かい部屋を使わないのはもったいないと、こっそりベッドを借りて眠り、そのうちわたしの備品も増え、住み心地もよくなっていた。だが、彼女が帰る前に、撤収しなくては。
ブランチのうどんを茹でている6分間、奮起した。
ベッドカバーを替え、時計やら本やらハンドクリームやらを寝室に運んだ。やれやれとキッチンに戻るとタイマーが鳴り、うどんは茹で上がった。
茹で上がりを6分待つのは、長いと感じるが、娘の部屋を片付けるには、大急ぎ。短い時間だった。
時間の魔法に心を入れ替え、急上昇中のぼんやり度に歯止めをかけらればいいんだけれど、とまた、ぼんやりしている年末のわたしである。
エンジン、いつ、かかるのかな。
夕飯は、上の娘と3人で手巻き寿司。
奮発しました。末娘は「ウニがなければ手巻きじゃない」派です。
わたしも、ウニ大好き。もちろん、わさびたっぷりでね。
「明日の朝は、それぞれ残りで適当に」なんてしゃべっているうちに、
何故か、末娘の部屋を借りてたことが、バレてしまいました……。
もちもち銀杏
銀杏を(ぎんなん)を、いただいた。
自分で料理するのは初めて。外でも茶碗蒸しに入っているものか、焼き鳥屋の塩焼きくらいしか、食べたことはない。何にしようかなと、一通り考えた。
佐渡からひと月半遅れで新米が届き、ふたたび新米生活をしているというのもあり、友人のブログで美味しそうな銀杏ご飯を見たこともありで、なんとなく「銀杏ご飯にしよう!」と銀杏を割り始めた。
ところが、上手くいかない。
調べもせず、ラジオペンチで割ると、中身までぐしゃりと割れてしまった。
「銀杏(ぎんなん)と言えば、塩で煎るって相場は決まってるでしょう」
夫が、ネットで調べると、なんと「ひとつまみを、殻付きのまま紙袋に入れ、レンジで2分。パンパン破裂するのを聞きつつ、出来上がったら塩を振るだけ」との超簡単レシピが出て来た。その通りにやってみると、
「おーっ! 美味い」「もちもちして、銀杏じゃないみたい!」
酒が進むこと、この上ない肴が出来上がった。
「食べ過ぎると、よくないよ」夫が、釘を刺す。
わたしがアクの強いものが、大大大好きだと、彼はよく知っている。以前、ふきのとうの天麩羅を食べ過ぎて、瞼が腫れたこともある。そして、読むものもまた、アクが強い文章に魅かれる。
「いやいや、これは。止められない、止まらない」
翌日もキッチンにある銀杏のそばを通り過ぎる度「チンして!」と言われているようで後ろ髪引かれつつ、昨日食べすぎたことだし今夜だけはと我慢した。
灰汁(あく)って何だろう。止められなくなる薬の、入口かもしれない。
銀杏(いちょう)の種なんですよね。整った形ですね。
手加減したんだけどなぁ。真っ二つに。
紙袋から出すと、殻も半分くらいは割れていいました。
ホクホク感はありませんが、もっちもち! 熱々がおススメです。
自分で料理するのは初めて。外でも茶碗蒸しに入っているものか、焼き鳥屋の塩焼きくらいしか、食べたことはない。何にしようかなと、一通り考えた。
佐渡からひと月半遅れで新米が届き、ふたたび新米生活をしているというのもあり、友人のブログで美味しそうな銀杏ご飯を見たこともありで、なんとなく「銀杏ご飯にしよう!」と銀杏を割り始めた。
ところが、上手くいかない。
調べもせず、ラジオペンチで割ると、中身までぐしゃりと割れてしまった。
「銀杏(ぎんなん)と言えば、塩で煎るって相場は決まってるでしょう」
夫が、ネットで調べると、なんと「ひとつまみを、殻付きのまま紙袋に入れ、レンジで2分。パンパン破裂するのを聞きつつ、出来上がったら塩を振るだけ」との超簡単レシピが出て来た。その通りにやってみると、
「おーっ! 美味い」「もちもちして、銀杏じゃないみたい!」
酒が進むこと、この上ない肴が出来上がった。
「食べ過ぎると、よくないよ」夫が、釘を刺す。
わたしがアクの強いものが、大大大好きだと、彼はよく知っている。以前、ふきのとうの天麩羅を食べ過ぎて、瞼が腫れたこともある。そして、読むものもまた、アクが強い文章に魅かれる。
「いやいや、これは。止められない、止まらない」
翌日もキッチンにある銀杏のそばを通り過ぎる度「チンして!」と言われているようで後ろ髪引かれつつ、昨日食べすぎたことだし今夜だけはと我慢した。
灰汁(あく)って何だろう。止められなくなる薬の、入口かもしれない。
銀杏(いちょう)の種なんですよね。整った形ですね。
手加減したんだけどなぁ。真っ二つに。
紙袋から出すと、殻も半分くらいは割れていいました。
ホクホク感はありませんが、もっちもち! 熱々がおススメです。
熱燗が、美味しい季節
元来、酒飲みの夫婦である。外で飲まなければ、家で飲む。
ビールから始まり、肴が和食なら日本酒、洋食ならワイン。締めはウィスキーというのが、自然な流れだ。酒を呑まずに過ごす夜は、ほとんどない。
わたしだって、若い頃からずっと夜な夜な飲んでいた訳ではない。金もなく、趣向品である酒は、特別な時に飲むものだった。
しかし夫は、日々酒を楽しむ派だったので、もともとの能力が開花し、そろって毎晩酒を楽しむようになった。
以前は、美味しいワインは値が張り、たまにしか飲まなかった。今は千円ワインと雑誌で特集するほど、安く美味しいワインが出回っている。
なのでワインもいい。だが、熱燗が美味い季節になってきた。冷たい夜には、熱い日本酒で心根の芯から温まることだって必要になる。
お燗には温度によって粋(いき)な名前がついている。日向燗、人肌燗、ぬる燗、上燗、熱燗、とびきり燗。いちばん熱くても55℃まで。というのは山本文緒の短編集『ファースト・プライオリティー』(角川文庫)で読んだ。
日本語って素敵だと、思わずにはいられない。おまけで言えば、冷やは、涼(すず)冷え、花冷え、雪冷えと、言葉に酔いそうなほど美しい。
日向に、人肌。冬に恋しくなるものばかり。日向の方が温かそうなのに、人肌の方が温度は高い。33℃と37℃と、4℃差がある。人の体温というものは、普段感じているものよりも、実際には温かいものなのか。
能面がある日取れなくなってしまったまま表情を変えず、およそ血など通っているとも思えない居丈高な人だって、触れてみないとその温かさは、判らないものなのかもしれない。
東京は大田区、六畳一間のアパートで暮らしていた、新婚の頃。
「胃が疲れてるから、ビールは飲まない」と決意して帰ってきた夫に、
「お疲れさま。寒いねぇ、熱燗にする?」とわたし。
その不意打ちに、彼の休肝日計画は未遂に終わったと、のちのち聞いた。
美味い肴と美味い酒。それさえあれば、他に望むものはない?
何処かのCMではないが『そんな人生が、丁度いい』のかも。
鍋の湯に徳利を浸けてつける熱燗もよし。鈴の熱燗器でつけるのもよし。
黒織部のごっついぐい飲みもよし。薄い広口の盃(さかずき)もよし。
何年か前から、熱燗は甲斐男山の本醸造にしています。
叔父にいただいた茅ヶ崎の干物。塩気も薄く新鮮な肴(魚)でした。
行儀も何もなく、夫と娘と突つきつつ、飲みました。
肉豆腐には、山椒の水煮をたっぷりトッピングして。
ビールから始まり、肴が和食なら日本酒、洋食ならワイン。締めはウィスキーというのが、自然な流れだ。酒を呑まずに過ごす夜は、ほとんどない。
わたしだって、若い頃からずっと夜な夜な飲んでいた訳ではない。金もなく、趣向品である酒は、特別な時に飲むものだった。
しかし夫は、日々酒を楽しむ派だったので、もともとの能力が開花し、そろって毎晩酒を楽しむようになった。
以前は、美味しいワインは値が張り、たまにしか飲まなかった。今は千円ワインと雑誌で特集するほど、安く美味しいワインが出回っている。
なのでワインもいい。だが、熱燗が美味い季節になってきた。冷たい夜には、熱い日本酒で心根の芯から温まることだって必要になる。
お燗には温度によって粋(いき)な名前がついている。日向燗、人肌燗、ぬる燗、上燗、熱燗、とびきり燗。いちばん熱くても55℃まで。というのは山本文緒の短編集『ファースト・プライオリティー』(角川文庫)で読んだ。
日本語って素敵だと、思わずにはいられない。おまけで言えば、冷やは、涼(すず)冷え、花冷え、雪冷えと、言葉に酔いそうなほど美しい。
日向に、人肌。冬に恋しくなるものばかり。日向の方が温かそうなのに、人肌の方が温度は高い。33℃と37℃と、4℃差がある。人の体温というものは、普段感じているものよりも、実際には温かいものなのか。
能面がある日取れなくなってしまったまま表情を変えず、およそ血など通っているとも思えない居丈高な人だって、触れてみないとその温かさは、判らないものなのかもしれない。
東京は大田区、六畳一間のアパートで暮らしていた、新婚の頃。
「胃が疲れてるから、ビールは飲まない」と決意して帰ってきた夫に、
「お疲れさま。寒いねぇ、熱燗にする?」とわたし。
その不意打ちに、彼の休肝日計画は未遂に終わったと、のちのち聞いた。
美味い肴と美味い酒。それさえあれば、他に望むものはない?
何処かのCMではないが『そんな人生が、丁度いい』のかも。
鍋の湯に徳利を浸けてつける熱燗もよし。鈴の熱燗器でつけるのもよし。
黒織部のごっついぐい飲みもよし。薄い広口の盃(さかずき)もよし。
何年か前から、熱燗は甲斐男山の本醸造にしています。
叔父にいただいた茅ヶ崎の干物。塩気も薄く新鮮な肴(魚)でした。
行儀も何もなく、夫と娘と突つきつつ、飲みました。
肉豆腐には、山椒の水煮をたっぷりトッピングして。
単純作業の効用
セロリを、千切りにするのが好きだ。
時間を気にせず、のんびりとコトンコトンと、ただ包丁を動かす。
料理にはもちろん、クリエイティブな部分が大きいが、千切りは、単純作業でもある。その単純作業を、時間を好きなだけかけて、自分なりのクリエイティブを求めつつ、心を無にして、ただ包丁を動かす。
そんな単純作業には、大きな達成感は感じられないかも知れない。
だがじっくりと没頭し、千切りが出来上がると、気持ちがスッとする。不思議な感覚だ。何か効用があるに違いない。
そして出来上がったサラダを、豪快に食べる。セロリ一株、ひとりで食べちゃうかもという勢いで食べる。動物のようにむさぼり食い、さらにスッとする。
単純作業って、じつは生きていくのに欠かせない必要不可欠なモノなのかも。日々ご飯を食べる様に、在るか無しかに思える微かな達成感。無心で没頭する時間。それって、生きていく上でものすごく大切なモノなのかも知れない。セロリを刻み、セロリを食べ、何かすっきりとした気持ちで考えた。
無論、野菜をバリバリ食べることも生きていく上で必要不可欠なんだけど。
株ごと買うようになったのは、千切りサラダを作るようになってから。
白いまな板で、一番切れる包丁で、無心に千切りしました。
水にさらすと、パリッとし、くるんと丸まるのが可愛いんです。
茗荷も千切り。微かな色味が、食欲をそそる一品に。
鶏ささみをにんにく醤油で焼いて、わさびマヨネーズで和えます。
時間を気にせず、のんびりとコトンコトンと、ただ包丁を動かす。
料理にはもちろん、クリエイティブな部分が大きいが、千切りは、単純作業でもある。その単純作業を、時間を好きなだけかけて、自分なりのクリエイティブを求めつつ、心を無にして、ただ包丁を動かす。
そんな単純作業には、大きな達成感は感じられないかも知れない。
だがじっくりと没頭し、千切りが出来上がると、気持ちがスッとする。不思議な感覚だ。何か効用があるに違いない。
そして出来上がったサラダを、豪快に食べる。セロリ一株、ひとりで食べちゃうかもという勢いで食べる。動物のようにむさぼり食い、さらにスッとする。
単純作業って、じつは生きていくのに欠かせない必要不可欠なモノなのかも。日々ご飯を食べる様に、在るか無しかに思える微かな達成感。無心で没頭する時間。それって、生きていく上でものすごく大切なモノなのかも知れない。セロリを刻み、セロリを食べ、何かすっきりとした気持ちで考えた。
無論、野菜をバリバリ食べることも生きていく上で必要不可欠なんだけど。
株ごと買うようになったのは、千切りサラダを作るようになってから。
白いまな板で、一番切れる包丁で、無心に千切りしました。
水にさらすと、パリッとし、くるんと丸まるのが可愛いんです。
茗荷も千切り。微かな色味が、食欲をそそる一品に。
鶏ささみをにんにく醤油で焼いて、わさびマヨネーズで和えます。
ブルー・ソーラー・ウォーター
週末、林を挟んだお隣の家に、たまには飲もうよと招待していただいた。
「ポットラック・パーティーで」
夫がメールをもらったが、聞いたことのない言葉。調べてみると、一品ずつ持ち寄りで、との意味だった。語源は「ポット」のなかに何が入っているか「ラック(運)」を賭ける、お楽しみパーティだとか。
ワインとビール、鰯と茗荷の酢味噌和えを持って、出かけた。
お邪魔してみると、一品どころか懐石料理のように小鉢がたくさん並んでいて、思わず夫と歓声を上げた。ご主人お得意の蕎麦も打ってあると言う。
食にこだわっていることは知っていたが、どれも美味しくお酒も進み、楽しい時間を過ごした。
時間も随分と過ぎた頃、健康食思考の奥様が『ブルー・ソーラー・ウォーター』について話してくれた。
「ヒューレン博士が広めた『オ・ポノポノ』っていうのがあるんだけど」
「ハワイ語かな?」と、わたし。「人の関係を、整えるみたいな言葉ね」
ハワイの『オ・ポノポノ』を研究していた博士がある刑務所で「ありがとう」「ごめんなさい」を心から言うことを繰り返し薦めたことにより、その場所のぎすぎすしていた人間関係が改善され、人々に笑顔が戻ったと言う話だった。
「その言葉には、心を洗浄する効果があって、それと同じ効果を生むのが、青い入れ物に入れて太陽の光を浴びた水なんですって」
「不思議ですねぇ」「何故に、青なんだろう」「空と海も青だし、何かパワーがあっても可笑しくはない色だよね」
口々に言いつつ、ブルーのペットボトルに入った水を、ワインの合い間にいただいた。甘く柔らかい水だった。
さっそく『ブルー・ソーラー・ウォーター』やってみよう。
不可思議なことは、いくらでもあるものだ。
だが青い瓶の水よりも、わたしには「ありがとう」や「ごめんなさい」という口から出て消えていく言葉そのものに何らかの力が働くなんてことの方が不思議に思えた。調べると「愛しています」も、同じように効果があるらしい。
たくさん言わなくっちゃ。心から発する言葉じゃないと効果はないそうだが。
気づかいを見習うべき、盛り付け。綺麗!
優しい味の塩辛はご主人のお手製で、箸置きは沖縄のサンゴだそうです。
ガーリックトーストも、奥様が天然酵母から作ったパンで。
テーブルにもお庭のハーブがところどころに飾ってありました。
10歳のハナちゃんは、なかなかお顔を撮らせてくれませんでした。
青いペットボトルは、あまり売っていないことが判明。
青い瓶も、日本酒が入っているものがほとんどでした。
我が家にあったものを、並べてみました。
「ポットラック・パーティーで」
夫がメールをもらったが、聞いたことのない言葉。調べてみると、一品ずつ持ち寄りで、との意味だった。語源は「ポット」のなかに何が入っているか「ラック(運)」を賭ける、お楽しみパーティだとか。
ワインとビール、鰯と茗荷の酢味噌和えを持って、出かけた。
お邪魔してみると、一品どころか懐石料理のように小鉢がたくさん並んでいて、思わず夫と歓声を上げた。ご主人お得意の蕎麦も打ってあると言う。
食にこだわっていることは知っていたが、どれも美味しくお酒も進み、楽しい時間を過ごした。
時間も随分と過ぎた頃、健康食思考の奥様が『ブルー・ソーラー・ウォーター』について話してくれた。
「ヒューレン博士が広めた『オ・ポノポノ』っていうのがあるんだけど」
「ハワイ語かな?」と、わたし。「人の関係を、整えるみたいな言葉ね」
ハワイの『オ・ポノポノ』を研究していた博士がある刑務所で「ありがとう」「ごめんなさい」を心から言うことを繰り返し薦めたことにより、その場所のぎすぎすしていた人間関係が改善され、人々に笑顔が戻ったと言う話だった。
「その言葉には、心を洗浄する効果があって、それと同じ効果を生むのが、青い入れ物に入れて太陽の光を浴びた水なんですって」
「不思議ですねぇ」「何故に、青なんだろう」「空と海も青だし、何かパワーがあっても可笑しくはない色だよね」
口々に言いつつ、ブルーのペットボトルに入った水を、ワインの合い間にいただいた。甘く柔らかい水だった。
さっそく『ブルー・ソーラー・ウォーター』やってみよう。
不可思議なことは、いくらでもあるものだ。
だが青い瓶の水よりも、わたしには「ありがとう」や「ごめんなさい」という口から出て消えていく言葉そのものに何らかの力が働くなんてことの方が不思議に思えた。調べると「愛しています」も、同じように効果があるらしい。
たくさん言わなくっちゃ。心から発する言葉じゃないと効果はないそうだが。
気づかいを見習うべき、盛り付け。綺麗!
優しい味の塩辛はご主人のお手製で、箸置きは沖縄のサンゴだそうです。
ガーリックトーストも、奥様が天然酵母から作ったパンで。
テーブルにもお庭のハーブがところどころに飾ってありました。
10歳のハナちゃんは、なかなかお顔を撮らせてくれませんでした。
青いペットボトルは、あまり売っていないことが判明。
青い瓶も、日本酒が入っているものがほとんどでした。
我が家にあったものを、並べてみました。
休日ラーメンの魔力
ふたりで出かけると、何故かラーメンである。
昨日も、仕事部屋のホットカーペットカバーを新しく買おうと、ふたり甲府まで出かけたのだが、やはり昼食はラーメンだった。
「こんなところに、イタリアンがあるよ」「ケンタッキーにする?」
などと言いつつも、ふたり顔を見合わせる。
「ラーメンだな」「ラーメン、食べたいよねぇ」
先週も食べたような。先月も食べたような。昨年末にも食べたような。いつでも何処でも食べているような。それでもやはり、ラーメンなのである。
買い物帰り、国道20号沿い『東京豚骨ばんからラーメン』で、車を停めた。
「全く、ラーメン好きなふたりだな」と、夫。
「うん。わたしも今、考えてた。ふたりでこうしてラーメン食べるの、いったい何回目だろうかって」と、ラーメンをすすりつつわたし。
ふたり共に過ごして28年ほどになる。月一で食べたとしたら、330回。いや。月一じゃきかないだろう。500回は食べている。すごい回数だ。
夫は、山登りやサッカーが好きなアウトドア派。わたしは、読書や雑貨が好きなインドア派。買い物に行っても、彼はスポーツ用品売り場で立ち止まり、わたしは雑貨屋をうろうろするのが好きだ。彼は待つのは苦手で、わたしは待たせるのが苦手。だから別行動にしようと提案するのはわたしだが、彼は共に行動する方がいいらしい。よそがどうだか知らないが、ひどく共通点に欠ける夫婦だ。それでもふたりで、ラーメン500回食べちゃったか。
これはもう、休日ラーメンの魅力と言うより、魔力と言うほか考えられない。
「そのほぼ半分以上が、きみは辛葱ラーメンだ」と、夫。
「そしてきみは、味玉だ」「そうかな?」「そうだよ」と、わたし。
取り替えて食べた辛葱を、彼は「辛っ」と言い、ひと口食べて返して来た。休日ラーメンの魔力に屈し、千回を目指してスタートを切ったわたし達である。
辛葱とんこつは、辛さほどよく、細麺固め。
「東京と名がつくからには、海苔入れなきゃなんないのかな?」
「それで、海苔、入ってるのか」と、夫。
その海苔が、10枚くらいあってもいいかなってほど美味でした。
ニンニク搾り器が、各テーブルにあり、
ニンニクは、いくつでもトッピング自由でした。
夫は、味玉醤油とんこつ。麺は中太でした。
彼がニンニクを絞ると言うので、わたしも、負けずに搾りました。
昨日も、仕事部屋のホットカーペットカバーを新しく買おうと、ふたり甲府まで出かけたのだが、やはり昼食はラーメンだった。
「こんなところに、イタリアンがあるよ」「ケンタッキーにする?」
などと言いつつも、ふたり顔を見合わせる。
「ラーメンだな」「ラーメン、食べたいよねぇ」
先週も食べたような。先月も食べたような。昨年末にも食べたような。いつでも何処でも食べているような。それでもやはり、ラーメンなのである。
買い物帰り、国道20号沿い『東京豚骨ばんからラーメン』で、車を停めた。
「全く、ラーメン好きなふたりだな」と、夫。
「うん。わたしも今、考えてた。ふたりでこうしてラーメン食べるの、いったい何回目だろうかって」と、ラーメンをすすりつつわたし。
ふたり共に過ごして28年ほどになる。月一で食べたとしたら、330回。いや。月一じゃきかないだろう。500回は食べている。すごい回数だ。
夫は、山登りやサッカーが好きなアウトドア派。わたしは、読書や雑貨が好きなインドア派。買い物に行っても、彼はスポーツ用品売り場で立ち止まり、わたしは雑貨屋をうろうろするのが好きだ。彼は待つのは苦手で、わたしは待たせるのが苦手。だから別行動にしようと提案するのはわたしだが、彼は共に行動する方がいいらしい。よそがどうだか知らないが、ひどく共通点に欠ける夫婦だ。それでもふたりで、ラーメン500回食べちゃったか。
これはもう、休日ラーメンの魅力と言うより、魔力と言うほか考えられない。
「そのほぼ半分以上が、きみは辛葱ラーメンだ」と、夫。
「そしてきみは、味玉だ」「そうかな?」「そうだよ」と、わたし。
取り替えて食べた辛葱を、彼は「辛っ」と言い、ひと口食べて返して来た。休日ラーメンの魔力に屈し、千回を目指してスタートを切ったわたし達である。
辛葱とんこつは、辛さほどよく、細麺固め。
「東京と名がつくからには、海苔入れなきゃなんないのかな?」
「それで、海苔、入ってるのか」と、夫。
その海苔が、10枚くらいあってもいいかなってほど美味でした。
ニンニク搾り器が、各テーブルにあり、
ニンニクは、いくつでもトッピング自由でした。
夫は、味玉醤油とんこつ。麺は中太でした。
彼がニンニクを絞ると言うので、わたしも、負けずに搾りました。
万能なる大根を、見習って
いただいた大根を、次々と料理している。
我が家のレシピで『柚子大根』も漬けたし、facebookで教えていただいたレシピにも挑戦した。
『牛筋と大根の煮込み』は、肉の旨味たっぷりで薄味でこっくりと柔らかく、とろっととろける牛筋と一緒に大根をたくさん食べられた。
初めてルーなしで作った『大根とインゲンと大豆のココナッツミルクカレー』
初め足りないと思った何かも、スパイスを適当に足したら(笑)程よく辛くコクのある美味しいカレーに仕上がった。
大根三昧の日々である。
大根って、すごい。調理法も数えきれないくらいあるし、ペアを組んだ相手のいいところを吸収し、自分の旨味を存分に発揮する。
お腹にも優しく、食あたりしないところから『大根役者』(当たらない役者)という言葉が生まれたとの説もある。
その上、我が家の食農庫、玄関に置いておけば煮物用なら一月は保存できる。
そんな万能なる大根を食しつつ、大根を見習い、短い人生で出会うことが出来た人、ひとり一人の素敵なところを思い浮かべてみた。
真っ赤な大根を、いただきました。
赤いのは皮だけで、皮を入れても赤く染まることもありませんでした。
写真で見た感じより、脂っこくありません。
赤ワインにも、ぴったりの一品でした。
翌朝の方が、美味しくなっていました。
次の日のカレーの魔法は、ココナッツミルクカレーでも同じかな。
我が家のレシピで『柚子大根』も漬けたし、facebookで教えていただいたレシピにも挑戦した。
『牛筋と大根の煮込み』は、肉の旨味たっぷりで薄味でこっくりと柔らかく、とろっととろける牛筋と一緒に大根をたくさん食べられた。
初めてルーなしで作った『大根とインゲンと大豆のココナッツミルクカレー』
初め足りないと思った何かも、スパイスを適当に足したら(笑)程よく辛くコクのある美味しいカレーに仕上がった。
大根三昧の日々である。
大根って、すごい。調理法も数えきれないくらいあるし、ペアを組んだ相手のいいところを吸収し、自分の旨味を存分に発揮する。
お腹にも優しく、食あたりしないところから『大根役者』(当たらない役者)という言葉が生まれたとの説もある。
その上、我が家の食農庫、玄関に置いておけば煮物用なら一月は保存できる。
そんな万能なる大根を食しつつ、大根を見習い、短い人生で出会うことが出来た人、ひとり一人の素敵なところを思い浮かべてみた。
真っ赤な大根を、いただきました。
赤いのは皮だけで、皮を入れても赤く染まることもありませんでした。
写真で見た感じより、脂っこくありません。
赤ワインにも、ぴったりの一品でした。
翌朝の方が、美味しくなっていました。
次の日のカレーの魔法は、ココナッツミルクカレーでも同じかな。
葉っぱが美味しい季節
大根の季節。
「玄関に置いとくから」と、
びっきーとの散歩中、軽トラで通った農家さんから声をかけられる。
翌朝、玄関には大袋に入った葉つき大根がどっさり。傘地蔵を連想してしまうが、こちらはいただくばかりである。
土の付いた掘りたての大根。葉も新鮮だ。
せっせと炒め煮にして、朝食に楽しんでいる。刻んでサッと茹で、ちりめんなどと共に胡麻油で炒め、味醂と醤油を少し。薄味でも胡麻の風味が香ばしく、新鮮な葉ならではのシャキシャキ感が何とも言えず、ご飯が進む。
毎日のように食べていると、散歩中に見かける畑の大根の葉を見て、
「あ、美味しそう」と、つぶやいてしまったりする。つぶやいてしまい、考えたりする。こうして野菜が育つ様子を見て「美味しそう」だと思えるって、もしかしたら、とても幸せなことかもと。
わたしは、野菜は育てていないが、畑で育つ様子を日々見ることができる。
田んぼだって「ああ、水が入ったな」とか「緑が濃くなった」「稲が垂れてきた」などと稲刈りまでを自然と見て過ごしている。自然すぎて、感じること考えることを、忘れてしまっているのだ。
小春日和。まだ霜の降りない畑の大根の葉が、食卓の大根の葉が、小さな幸せ感じることを思い出させてくれた。
生き生きと太陽を浴びる、畑の大根達。
ざくっざっくっと切る感触が、また楽しいんです。
炒めると、緑が濃く鮮やかになります。
新米のもちもち感と、相性ぴったり!
大根の村、明野。漬物用の干し大根。初冬の風物詩です。
「玄関に置いとくから」と、
びっきーとの散歩中、軽トラで通った農家さんから声をかけられる。
翌朝、玄関には大袋に入った葉つき大根がどっさり。傘地蔵を連想してしまうが、こちらはいただくばかりである。
土の付いた掘りたての大根。葉も新鮮だ。
せっせと炒め煮にして、朝食に楽しんでいる。刻んでサッと茹で、ちりめんなどと共に胡麻油で炒め、味醂と醤油を少し。薄味でも胡麻の風味が香ばしく、新鮮な葉ならではのシャキシャキ感が何とも言えず、ご飯が進む。
毎日のように食べていると、散歩中に見かける畑の大根の葉を見て、
「あ、美味しそう」と、つぶやいてしまったりする。つぶやいてしまい、考えたりする。こうして野菜が育つ様子を見て「美味しそう」だと思えるって、もしかしたら、とても幸せなことかもと。
わたしは、野菜は育てていないが、畑で育つ様子を日々見ることができる。
田んぼだって「ああ、水が入ったな」とか「緑が濃くなった」「稲が垂れてきた」などと稲刈りまでを自然と見て過ごしている。自然すぎて、感じること考えることを、忘れてしまっているのだ。
小春日和。まだ霜の降りない畑の大根の葉が、食卓の大根の葉が、小さな幸せ感じることを思い出させてくれた。
生き生きと太陽を浴びる、畑の大根達。
ざくっざっくっと切る感触が、また楽しいんです。
炒めると、緑が濃く鮮やかになります。
新米のもちもち感と、相性ぴったり!
大根の村、明野。漬物用の干し大根。初冬の風物詩です。
すべてのチーズが切れている世の中に限りなく近づいている
「えっ? みんな切れてる。これもこれも、あれも」と、わたし。
「この一番でっかい奴しかないんだ。世の中便利になりすぎたかも」と、夫。
スーパーで、スモーク用に塊のチーズを探していたのだが、5種類ほどある長四角のプロセスチーズのほとんどが『切れてるチーズ』で『切れていないチーズ』は、1種類しかなかった。
『切れてるチーズ』が発売された時には、おー便利! と感心したが、切れていないものがあって初めてその便利さは感じるもので、今では『切れてる』ことの方が当たり前になってしまったのだなぁと淋しく感じた。『切れてないチーズ』には「お好みの大きさに切ってお召し上がりください」と、これもまた、わざわざかかれている。ここまでかくなら「またはそのままがぶりとかじってお召し上がりください」くらいまでは、かいて欲しいよなぁなどと、イチャモンに近い文句も言いたくなる。(それは、イチャモンです)
だが『スローフード』や『マクロビオティック』などという言葉に関心を持ちつつも、手に取るものが便利な方向に向いていくのもしょうがないと、自分自身を振り返っても判る。便利で美味しく食べられるんなら、チーズが切れてるくらいのことで、文句を言ってはいけないのだ。
夫が作るベーコンは、文句なく美味しい。それもそのはず。1週間手作りのタレ(ピックル液)に漬け込み、1日水にさらして塩抜きし、味を落ち着かせてから、半日がかりで温度管理をしながら、ウッドデッキでのスモーク。日曜の朝、わたしが起きる前から、スタートしていた。
美味しいものを食べたいから、手間をかける。当たり前のことだ。
だが今では、当たり前だった方程式が崩れ、すべてのチーズが切れている世の中に限りなく近づいることを感じる。夫のベーコンは、そんな時代に何かメッセージでも持っているかのように、深く深くスモークの匂いを漂わせていた。
スモークチップと、肉の匂いのコラボレーション。たまりません!
「出来たかなー?」「うーん。いい感じ」
スモーク臭さを飛ばすために、しばらく干すそうです。豚ばら肉と沢庵。
ウッドデッキのR2-D2も、一仕事終えて、ピポピポ言っています。
言う訳、ないか(笑) ところで、C-3POは、何処行った?
ベーコンの塩味と脂のみで、ジャーマンポテトを焼きました。
イタリアワイン、モンテプルチアーノ・ダブルッツォと一緒に。
「この一番でっかい奴しかないんだ。世の中便利になりすぎたかも」と、夫。
スーパーで、スモーク用に塊のチーズを探していたのだが、5種類ほどある長四角のプロセスチーズのほとんどが『切れてるチーズ』で『切れていないチーズ』は、1種類しかなかった。
『切れてるチーズ』が発売された時には、おー便利! と感心したが、切れていないものがあって初めてその便利さは感じるもので、今では『切れてる』ことの方が当たり前になってしまったのだなぁと淋しく感じた。『切れてないチーズ』には「お好みの大きさに切ってお召し上がりください」と、これもまた、わざわざかかれている。ここまでかくなら「またはそのままがぶりとかじってお召し上がりください」くらいまでは、かいて欲しいよなぁなどと、イチャモンに近い文句も言いたくなる。(それは、イチャモンです)
だが『スローフード』や『マクロビオティック』などという言葉に関心を持ちつつも、手に取るものが便利な方向に向いていくのもしょうがないと、自分自身を振り返っても判る。便利で美味しく食べられるんなら、チーズが切れてるくらいのことで、文句を言ってはいけないのだ。
夫が作るベーコンは、文句なく美味しい。それもそのはず。1週間手作りのタレ(ピックル液)に漬け込み、1日水にさらして塩抜きし、味を落ち着かせてから、半日がかりで温度管理をしながら、ウッドデッキでのスモーク。日曜の朝、わたしが起きる前から、スタートしていた。
美味しいものを食べたいから、手間をかける。当たり前のことだ。
だが今では、当たり前だった方程式が崩れ、すべてのチーズが切れている世の中に限りなく近づいることを感じる。夫のベーコンは、そんな時代に何かメッセージでも持っているかのように、深く深くスモークの匂いを漂わせていた。
スモークチップと、肉の匂いのコラボレーション。たまりません!
「出来たかなー?」「うーん。いい感じ」
スモーク臭さを飛ばすために、しばらく干すそうです。豚ばら肉と沢庵。
ウッドデッキのR2-D2も、一仕事終えて、ピポピポ言っています。
言う訳、ないか(笑) ところで、C-3POは、何処行った?
ベーコンの塩味と脂のみで、ジャーマンポテトを焼きました。
イタリアワイン、モンテプルチアーノ・ダブルッツォと一緒に。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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