はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
牡蠣との再会
勇気を出して、解禁にした。牡蠣である。
何年か前に牡蠣に中り、消化器系はビクともしなかったが、身体じゅうにジンマシンが出て1週間痒い思いをし、2カ月以上痕が残り、温泉に行くのもはばかられる状態が続いた。それから恐くなり、ずっと食べていなかったのだが、牡蠣は大好きだ。美味しそうに食べる家族を横目に我慢するのも、そろそろ嫌毛がさしてきた。ジンマシンが出たら出たで、その時はその時だ。まあ、こういうのをまさに「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」と言うのだが。
先週上京した際、風邪をひいたと自覚したその昼食、熱い蕎麦でも食べようと蕎麦屋の暖簾をくぐった。メニューを見ると『牡蠣の卵とじ蕎麦』の項目が、光り輝いている。これはもう、牡蠣を食べて栄養を取り、身体を温めて風邪を治すべし、とのお告げだと思われた。
一口食べて「美味しい!」と人目もはばからずつぶやいてしまうほど、何年かぶりの牡蠣との再会は感動ものだった。潮の匂いがして、目の前に日本海の荒波が押し寄せて来た。喉元過ぎても、もうその美味しさは忘れられるものではない。幸い、何事も起こらず風邪も治った。
さて。毎日零下、木枯らし吹く明野で温かく過ごすには、鍋に限る。夫が東京から帰る日には、鍋にした。生食用の牡蠣を買い、生で食べ、また鍋に入れて食べた。ふたりで動けなくなるほど食べに食べ「食べ過ぎた」「動けない」と、炬燵で寝転び、日本酒を呑んだ。
牡蠣が食べられる。それだけのことだが、「今年は牡蠣を、思う存分食べるぞー!」と、夕陽に向かって叫びたくなるほど嬉しい。わたしにとっては、小さな幸せと呼ぶには、あまりある喜びだ。
もしかすると、ビールも何年か絶ち、再び飲むときにはこの美味しさを味わえるのかも。まあ、ビールを絶つことはありえないけれど。
解禁のきっかけとなった『牡蠣の卵とじ蕎麦』太めの麺でこしがありました。
カウンター席が素敵な、お蕎麦屋さんでした。
食べ始めたら、写真を撮るのを忘れてしまいました(笑)
「娘、帰ってくるのかな?」「さあ?」と言いつつ、ふたりでほぼ完食。
何年か前に牡蠣に中り、消化器系はビクともしなかったが、身体じゅうにジンマシンが出て1週間痒い思いをし、2カ月以上痕が残り、温泉に行くのもはばかられる状態が続いた。それから恐くなり、ずっと食べていなかったのだが、牡蠣は大好きだ。美味しそうに食べる家族を横目に我慢するのも、そろそろ嫌毛がさしてきた。ジンマシンが出たら出たで、その時はその時だ。まあ、こういうのをまさに「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」と言うのだが。
先週上京した際、風邪をひいたと自覚したその昼食、熱い蕎麦でも食べようと蕎麦屋の暖簾をくぐった。メニューを見ると『牡蠣の卵とじ蕎麦』の項目が、光り輝いている。これはもう、牡蠣を食べて栄養を取り、身体を温めて風邪を治すべし、とのお告げだと思われた。
一口食べて「美味しい!」と人目もはばからずつぶやいてしまうほど、何年かぶりの牡蠣との再会は感動ものだった。潮の匂いがして、目の前に日本海の荒波が押し寄せて来た。喉元過ぎても、もうその美味しさは忘れられるものではない。幸い、何事も起こらず風邪も治った。
さて。毎日零下、木枯らし吹く明野で温かく過ごすには、鍋に限る。夫が東京から帰る日には、鍋にした。生食用の牡蠣を買い、生で食べ、また鍋に入れて食べた。ふたりで動けなくなるほど食べに食べ「食べ過ぎた」「動けない」と、炬燵で寝転び、日本酒を呑んだ。
牡蠣が食べられる。それだけのことだが、「今年は牡蠣を、思う存分食べるぞー!」と、夕陽に向かって叫びたくなるほど嬉しい。わたしにとっては、小さな幸せと呼ぶには、あまりある喜びだ。
もしかすると、ビールも何年か絶ち、再び飲むときにはこの美味しさを味わえるのかも。まあ、ビールを絶つことはありえないけれど。
解禁のきっかけとなった『牡蠣の卵とじ蕎麦』太めの麺でこしがありました。
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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
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