はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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未来と意志

WILLという英語は、未来を表すが、意思という意味も持つ。
『WILL』本多孝好(集英社文庫)を読んだ。『MOMENT』の続編、連作短編集だ。
『MOMENT』は、病院でバイトする大学生神田が死に際に立つ人々の願いを叶えていくと言う話だったが、『WILL』は神田の幼馴染みで葬儀屋を切り盛りする29歳の女性、森野の話だ。
リビングウィルとは遺言書のことであるが、直訳すると「生前の意思」ということになるらしい。未来と意思。それを森野に問いかけるように、葬儀屋を訪れる人々を綴る連作は流れるように進んでいく。
「未来ってのはいつだって、意思と一緒にあるってことだな」
18歳で亡くした父の言葉を、森野は心に留めていた。心に留めながら、そこに留まらず日々を暮らしていた。
『MOMENT』で悩み苦しみ考えていた神田が、森野を受け止める大きな存在となっているのも印象的だが、森野の考え方や葬儀屋に訪れた人々への接し方など、小さな驚きがそこここに秘められている物語だ。亡くなった父から送られてきたメッセージの意味を探す娘、自分が喪主になり葬儀のやり直しをしたいという愛人、亡くなった夫の生まれ変わりだという中学生と思い出話をする老女。森野の日々は平穏ではない。
「連作短編集だけど、最後まで読まないとだめ」
娘に言われて読み終えた。読み終えてよかったと思った。
連作短編集は、最後まで読むべきと再確認した。

わたしには、今しか見えていないのかもしれないな。
未来って、意志で変わっていくものなのか。薪を入れれば火は燃える。入れなければ消える。本を閉じ、わたしはストーブに薪を入れた。

薪を見てこれは桜、これは梅と少しは分かるようになりました
身近にある松はヤニで煙突が詰まるので燃やせません 残念!

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冷蔵庫のブラックホール

頭が痛い。頭痛ではない。悩み事を抱えている訳でもない。単に頭が痛いのだ。酔ってぶつけたらしいが、記憶は定かではない。
夫の発言を拾い集めると、玄関に出る引き戸にぶつけたらしいが何故こんな所に頭を? と首を傾げてしまうような場所だ。おまけに引き戸は壊れたらしいから、酷くぶつけたに違いない。まあ、いい。酒で無くした記憶なら掃いて捨てるほどある。そのうちの一つとしてしまっておこう。
何処に? 冷蔵庫のブラックホールに。
冷蔵庫には何でも飲み込んでしまうブラックホールがあるのだ。

「探し物は冷蔵庫から」というのが主婦の鉄則。たとえそれが、テレビのリモコンだとしても。または、テレビ本体だとしても。
わたしは夜な夜な無くしたものを探して、冷蔵庫を開ける。そこにはいつも冷えたビールが並んでいる。何を探していたのかなど一瞬で忘れビールを手に取る。「乾杯」と打つとパソコンは「完敗」と変換した。
今夜も酒に負け、何かを無くしていく。無くした方がちょうどいいくらいの荷物を抱えて、人は酒に呑まれていくのだ。
かっこよく一般論を語るなって?
はい。呑みすぎました。すみません。もうしません。たぶん。
ぐい飲みコレクション 手前のカラフルなのはイタリアで買ったグラッパ用
かた口の紅葉は 八ヶ岳棒道ウォーク20kmに参加した夫のお土産です

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蜂の巣を守らんとする夫と注射を痛くないと言う娘

軒下のキイロスズメバチの巣を、ヒヨドリがつつきに来た。
蜂の元気もなくなり、数も減った。天敵だという大スズメバチも見なくなった。夫は攻撃を仕掛けてくるものもいないのであれば軒下から降ろし保存しようと考えていたようだが、敵は思わぬところにいた。
憤慨する夫に「鳥は飛べるからねぇ」とわたし。
「地べたをはやくは走れないけどねぇ」と娘はクールに、金子みすずの『わたしと小鳥とすずと』を引用し「自然の摂理だよ」と言った。
「俺も自然の摂理のうちだ! あいつら、追っ払ってやる」
「そ、それは」「違うでしょう」
わたし達は顔を見合わせた。
そしてヒヨドリを追い払う夫を残し、ふたりでインフルエンザの予防接種に行った。道々、雪化粧した富士山がとても綺麗だったので、娘に言った。
「富士山、綺麗だねぇ」
すると娘は、一瞬躊躇して言った。
「いつも綺麗だと思えるお母さんがすごい」
考えてみれば、娘は5歳からこの町に住み、富士山と南アルプスと八ヶ岳を一望にできる小学校で6年間過ごしたのだ。山はただ山であって最初からそこにあるものなのだろう。
ここで共に12年暮らしてきたが、感じ方は違うんだなと考えさせられた。
注射を終え、帰ってくると夫が「痛かった?」と聞くので、
「痛かった!」とわたしが答えると同時に「ぜんぜん」と娘が答えた。
同じ注射を打っても、感じ方もリアクションも違うのだ。
蜂の巣を守らんとする夫と、注射を痛くないと言う娘。
「みんな違ってみんないいのかな」
娘にならい、金子みすずを引用しつつ考えるのだった。
富士山をケータイで撮るのはむずかしい!

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小説「カフェ・ド・C」 19. ふくらむ、ふくらむ

珈琲屋をやっていて何が楽しいのかと聞かれれば、一番に思い浮かぶのは、ふくらんでいく珈琲だ。挽いた豆をドリッパーにセットし、沸かした湯を注ぐ。最初に注いだ分は、珈琲全体に広がっていく。しばしの間、それを待つ。豆が新鮮であればあるほど、珈琲は水分を吸収しながらふくらんでいく。そのふくらんでいく珈琲を見るのが、好きなのだ。
「なんて言うか、わくわくするんだよね」
出会った頃に妻に話すと、不思議そうな顔をされた。
「うーん。なんて言うか、マスターって変わってるね」
変わっていようが何だろうが、わくわくするのは、今も変わらない。珈琲豆がふくらむ。だから毎日が楽しい。
蕾がふくらむ。風船がふくらむ。夢がふくらむ。ふくらむものを見て、わくわくするのは、ちっとも変ったことじゃないと僕は思うのだが。
 
閉店間際、洋菓子シエナのシエナがドアを開けた。マドレーヌを仕入れている洋菓子屋のレイさんは、娘と店と両方にイタリアの美しい街の名前をつけた。
「ふくらまなかったよー」
袋から出したシフォンケーキは、確かにつぶれたように見える。
「どれどれ」僕は一口ちぎって口に入れた。アールグレイの香りが広がる。失敗作とは言え美味い。
「美味いよ」「わかってるよ。ふくらまないのが問題なんだよ」
シエナは口を尖らせた。サッカーばかりしているシエナにも、最近ボーイフレンドができ、自分で焼いたケーキをプレゼントしようなどいう乙女心が芽生えたようだ。一つ年下の写真部の少年は、ボールを蹴るシエナを撮らせてほしいと言ってきたという。その失敗作と愚痴は、僕が引き受けているという訳だ。
「で、パティシエ・レイは、何て?」
「力任せに混ぜすぎだって。お菓子作りには力もいるけど、繊細さがポイントだってさ。あー、どうせガサツだよー」
「なるほど。きびしい先生だな」
くるくる変わるシエナの表情に、被写体としてもガールフレンドとしても魅力的なんだろうなと思う。
「そうだ、シエナ。珈琲淹れるの見てみない?」「どうしたの? 突然」
「いいから見てみなって。ケーキがふくらむおまじないだよ」
僕は、一番新しい豆を挽き、ドリーッパーにセットした。沸かした湯を注ぐ。注いで待つ。
「わっ、ふくらんだ!」シエナが声を上げた。
「なんかわくわくするね、へーちゃん」
「わくわくするよね?」僕もうれしくなる。
「うん。シフォンケーキもふくらむような気がしてきた」
ふくらむ、ふくらむ。しぼんでいたシエナの気持ちがふくらんでいくのを感じながら、僕はふくらんだ珈琲に丁寧に湯を注いでいった。

シエナはグァテマラの中煎りをブラックで美味しそうに飲んだ
17歳 いつの間にブラックの美味しさを知ったのだろう

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明るく暖かい庭で

「灰が溜まりました」
電話をすると、すぐに軽トラが玄関の前に停まった。庭いじりが大好きで家庭菜園も本格的な近所のご夫婦に、毎年灰を分けている。うちのストーブの灰を撒くその庭は、この辺りでも綺麗だと評判だ。ガーデニングというのとは違い、花も野菜も楽しんで作っているのがよくわかる明るく暖かい庭だ。
 
末娘は越して来た頃、よく遊びに行かせてもらった。
「田舎の孫だから」と、ご夫婦にはとても可愛がってもらい、何をしているのかと見に行くと、お菓子を食べながら寝転がってマンガを読んでいたり、ゲームをしていたり。本当のおじいちゃんおばあちゃんの家にいるようなくつろぎ方をしていて笑ってしまった。
東京に本当のお孫さんがいるおふたりは、わたしの親ほどの年齢だと聞いたが、とても若い。ウォーキングと庭いじりが若さの秘訣のようだ。
そして何故かびっきーも、とても懐いている。わたしが帰ってきても顔すら上げないびっきーが、ふたりが家の前を通るだけで甘えるような声を出して鳴くのだ。散歩で、明るく暖かいその庭の前を通ろうものなら、迷わず道を直角に曲がり尻尾を振って突き進んでいく。
ふたりは娘にもびっきーにも特別なことは何もしていない。ただただ可愛がってくれているのだ。それが特別かと言えば、確かにとびきりの特別だ。
 
そのご主人が、灰を入れるバケツを両手に提げて来た。
そしてバケツの中から「はいよ」と枝を付けたままの柿を出した。
「あ、柿だ。うれしい。いただきます」
遠慮なくいただいた。灰のバケツに入っていた柿は、まだ少しかたかったが、口に入れると自然の甘みが広がった。明るく暖かい庭で育った柿に、陽だまりのような甘さを感じた。

灰をすっかりとった薪ストーブはよく燃えます
灰をとるのをサボって燃やしていると 夫にすぐバレます
「灰をとって燃やすときれいに燃えるんだよ」
「そうだね」(やっぱ、バレたか)

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トートバッグにパソコン入れて

トートバッグにパソコン入れて、東京に出かけた。
何処に出かけてもスタバかマックがあればネットに繋がるので、仕事も滞ることがない。友人にプレゼントしてもらったバッグにはパソコンがすっぽり入り、丈夫で持ちやすく、重宝している。人目を引くデザインもお気に入りだ。ちょっと重たいパソコンも楽しく持ち歩ける。
 
バッグを提げて、夫が3人のデザイナーと立ち上げたばかりのデザイン会社に初めて顔を出した。若いデザイナーが笑顔で迎えてくれた。スタート地点に立つというのは素敵なことだ。応援しようという気持ちが湧いてくる。
これから様々なデザインを生んでいくであろう会社の内装は、真っ白だった。真っ白いノートを思わせる白。明るく眩しい白だ。ここからきっと、トートバッグのようにカラフルな作品も生まれていくのだろうと、白い壁をそっと指でなぞってみた。

トートバッグの反対側は青い鳥が池でとった魚をくわえている絵
マチの部分も蜘蛛の巣がアートな感じで描かれていて
内側にも白地にブルーで描かれた絵がいっぱい

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もう鬼は笑わない

風邪予防にと葛根湯を買ったら生姜湯が付いてきた。
「そうか、もう生姜で温まる季節が来たんだ。ひとりのお昼は生姜たっぷりうどんにしよう」
いつもはネットで買っている京七味を赤くなるほどかけて食べるうどんだが、たっぷりと生姜を入れて温まるのもいい。
生姜と相性のいい茗荷や紫蘇を入れ、いただきもののすだちもかけよう。葱やしめじは茹で時間6分の細いうどんと一緒に茹でて、できあがり。簡単だけどご馳走うどんになった。そしてほかほか温まった。温まったまま1時間昼寝した。すると足の先まで温まり、お腹からパワーが湧いてくるのを感じた。
今週中にやらなくてはならない仕事がいくつか溜まっている。会社の経理あれこれ、娘の受験準備あれこれ、週末遊びに来るという夫の友人のために和室の掃除もしたい。
生姜パワーで始動した。あれこれが片付いた。あれこれ片付くとホッとした。
ホッとするといろいろなことが楽しくできた。びっきーとの散歩も時間に追われて早足になることもなく、娘のブラウスにアイロンをかけるのも、薪運びも、鼻歌混じり。先延ばしにしていた仕事のメールも楽しくかくことができ、すぐに返事をもらった。
「ありがとう」と「来年もよろしく」の往復書簡。
そうなのだ。来年の話をしても、もう鬼は笑わない季節になったのだ。

茄子のかたちの下ろし器は上野公園の陶器市で見つけたもの
柄違いでもう一つあってニンニクと生姜と両方を出す時に重宝しています

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「あっ、薪だ!」

夫はスモーク以外、料理はほとんどしない。だがバーベキューやお好み焼きで焼く人になるのは彼だ。彼は焼きながらもしっかり食べられるという特技を持っている。わたしだったら焼くのに集中してしまい自分が食べるのがついおろそかになる。しかし彼は違う。食べながら焼けるのだ。すごい。一度に二つ以上のことができる人ってすごいと思う。
運転一つとっても、いつもそうだ。夫がドライバーの時には、彼は様々な景色を視界に入れつつ運転することができる。だから、様々なものに気づく。
「あっ、薪だ!」「えっ? どこどこ?」「鳥の巣がある!」「どこに?」
わたしは助手席にいながら見逃すことが多い。なんとなく前を見ていないと不安なのだ。そしてこと薪に関しての彼の反応にはびっくりさせられる。切り倒した木があるとそれがすべて彼の頭の中で薪に変換され、あ、こんなところにも、えっ、ここにも薪がある、ということになる。薪ストーブ用の薪を常に欲しているのだ。
ドライブするたびに「あっ、薪だ!」「えっ? どこどこ?」を繰り返すので、わたしは彼の目を薪だけが特別に見えやすい目「薪目(まきめ)」と呼んでいる。
今我が家の薪は3年または4年分のストックがあり、もう置く場所もないくらいだ。それでも彼の薪への欲求は無くなることはない。あちこちで薪はないかと声をかけ、呼ばれればチェーンソーを持って切りに行く。それを軽トラに積んで持ち帰り、薪割り機で割って薪小屋に積む。
夫の「薪目」と薪への情熱のおかげで、今年も温かくすごすことができる。
わたしはただ薪を運び、薪を燃やして部屋を温め、一度に二つ以上のことができる人ってすごいよなぁとビールを飲む。薪への彼の情熱はほんとうにすごいなぁと火を眺めつつただビールを飲む。薪ストーブで温まった部屋でよく冷えたビールを飲むのは至福の時だ。

薪割りのあと
チェーンソーで切って軽トラで運んで薪割り機で割って薪小屋に積む人と
部屋に運んで燃やしてビールを飲む人 役割分担ばっちりだね!


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R2-D2始動!

我が家のR2-D2が始動した。
夫が使うスモーカ―だ。今年も彼のベーコン作りが始まった。
アウトドア派の彼は、その名の通り外で何かをするのが好きだ。ベーコンは低温で何時間も燻製しなくてはならない。夏は肉が傷みやすいので冬ならではの保存料理となるこの燻製は、寒空の下何時間も温度を計ったり、煙の様子を見たりと、わたしには絶対にできない料理だ。いつもは食べて楽しむだけだが、彼にインタビューしてみた。
「何度で何時間くらい燻製するんですか?」
「基本40度で、今日は7時間。私は最初に60度くらいに温度を上げることにしています。豚肉なので菌をとばすためにね」
「スモーカーの中はどうなっているんですか?」
「下に電熱器。これは温度を保つため。真ん中にチップ。ヒッコリーを使っています。魚にも肉にも使え香りも気に入っているクルミ科の樹木です。それに火をつけて煙を出すわけです。そして上に豚バラ肉の塊。6日間特製のたれ(ピックル液)に漬け込んで1日塩抜きしたものです」
「手間をかけていますね。何故ベーコン作りを始められたんでしょうか?」
「簡単に作れそうだと思ったからかな」
「そこに煙があるからとかではなく?」
「まあ、そうとも言いますね」「……」
夫は切ったベーコンを口に運んだ。「美味い!」わたしも、かじってみた。
「うん、美味い! 燻製の風味が(もぐもぐ)効いてますね(もぐもぐ)。本日は(もぐもぐ)インタビューにお答えいただきまして(ビールをぐいっ)ありがとうございました」
インタビューを終えるとベーコン作りの謎がほんの少し理解できた。気のせいかベーコンの味も理解できたようにはっきりとしてきた。
「その物のあり方を知ることって、実はけっこう大切なのかも」
わたしはビールを飲みつつ、R2-D2に話しかけた。彼は何かを答えるように、またはちょっとあきれるように、煙をふいっと出した。
R2-D2、おつかれさま 美味しいベーコン、ありがとう!
またよろしくね~

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感応式信号の怪

土曜の朝は、車が少ない。
娘は、土曜もおなじく朝7時の電車に乗って学校に行く。7時前の道は空いているという次元ではなく、最初の信号まで車を見かけないことがあるくらいだ。最初の信号は家から駅までの半分の距離にある。駅までの信号は3つ。そのどれもが感応式だ。
その中で、こちらに感応する信号は先の2つ。最初の信号は交差する側に感応する。その感応式の信号だが、誰もいないのに感応していることがある。あれは何故なのだろう。
昨日も十字路にはどう見てもマイカーしかなく人影もないのに、交差する側が何かに感応して、こちらは赤信号で待たされた。
「なんで感応しちゃってんの?」
わたしの言葉に、娘がおどろおどろしい雰囲気をかもし出しつつ言った。
「いないものが、いるのかも」
「い、いないものに感応?」「そう。いないものはいるんだよ」
朝からホラーの話だ。
綾辻行人の『Another』(角川書店)を読み終え、すでに読んだ娘と毎週楽しくアニメ化されたものを観ている。
ホラー&推理ものなので、わたしが読み終えるまで彼女はネタバレしないよう気を使ってくれていた。今はネタバレトーク万歳! と、ふたりでアニメを批評したりしている。
そして観終わった後は、恐い。ラストまですべて知っていても恐い。
主人公恒一が転校してきた夜見山中学3年3組は、死に近い場所にあった。26年前のこと。事故死したクラスの人気者の死をクラスメイト達は受け入れられず、そこにいるものとして卒業までの日々を過ごした。だが卒業写真を見て彼らは愕然とした。事故死した子も笑って写っていたのだ。その次の年からだった。3年3組の生徒とその家族が事故や病気で何人も死ぬようになったのは。Another、 もうひとり。そのタイトルの持つ意味とは?
「恐い話ってさぁ……、恐いね!」
クールな娘が表現を放棄するほどには、恐い。つい一気読みしてしまうほどの恐さを持つ物語だ。

最初の信号「まみょうだ」 読めない地名ランキングに入るよね? これ

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びっきーとの出会い

昨日のびっきーの散歩には毛糸の帽子をかぶって臨んだ。
寒い。今からそんなことを言っててどうするんだ? と思うが寒いものは寒い。つい先週まで帽子は紫外線対策用だったのに、耳を温めるものに変わった。しかし、フリースを着て、毛糸の帽子をかぶり、手袋をすれば、まだまだ快適に散歩できる。冬本番はずっと先なのだ。
びっきーはと言えば、このくらいの寒さは何とも思っていないようだ。
「北海道犬の血が入っていますね」
躾を教わったブリーダーは、びっきーの足を見て言った。
真冬でも外の犬小屋ですごす彼は、凍った雪の上をサクサク音を立てて歩くのも大好きだ。
「霜焼けになるよ、びっきー」と言っても、
「霜焼けって何ですか?」と素知らぬ顔だ。
もし寒さ対策のためにワンちゃん用の服など着せようものなら、狂ったように抵抗するだろう。
「何するんですか? 窮屈なのはダメなんです!」
 
捨て犬だったびっきーは、里親の会が飼い主を募るイベントで、10匹ほどの子犬達と一緒にケージに入っていた。犬を飼いたいと望んでいた10歳の娘は、じっと子犬達を見つめ、やがてびっきーを抱き上げた。
『縁』たった一文字のこの言葉の意味の何と深きことよ。
びっきーは、最初から安心しきった様子で娘に抱かれていた。
「びっきー」
娘は子犬の名を呼んだ。名前はもう、会う前から決まっていたのだ。彼女が差し出した小さな手のおかげで、彼は今、けっこう幸せなんじゃないかな。
毛糸の帽子をびっきーのリードの隣にスタンバイさせ、冬支度がまたひとつ完了した。

娘の部屋に飾ってある12年前のびっきーの写真

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ちょっとだけ遠まわり

車のフロントガラスが初めて凍った、秋晴れの日。
ランチがてら夫と町内ミニドライブをした。野菜直販所で大根を買い、たわわに実った林檎畑を眺め、町内の畑で収穫した蕎麦粉をつかった蕎麦を食べた。熱い蕎麦に体の芯から温まった。
「ちょっとだけ遠まわりしない?」
わたしには、夫がそう言いだすのがわかっていた。彼は遠回りが好きだ。いつもと違う道を歩いたり、ドライブするのが好きだ。常に違うもの、新しいものを求めて止まない心を持ち合わせているのだ。
ふたりで出掛けるときにはわたしが運転手になることが多く、彼は助手席で指示を出す。
「あ、そこ曲がって」「えーっ! もうちょっと早く言ってよ」
「だって、今急にこっちに行きたくなったんだもん」
などという会話になることも日常茶飯事だ。
だが最近になって気づいた。自分がひとりでも遠まわりするようになっていることに。
ふたり山を上へ上へと登った。
「向こうの林がきれいだよ」助手席の夫が言う。
「じゃあ、行ってみようか」わたしはハンドルを左に切った。
程なく真っ赤に紅葉したもみじを見つけた。真っ青な秋空の下、もみじが風に揺れるのを見ている時間は思いがけずもらったプレゼントのようにうれしく、しみじみと平穏を感じた。

うちの庭のもみじは紅葉しません 何故!?

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はりねずみのハリーとネリー

久しぶりにアジアン雑貨屋『チャイハネ』の前を通ったら、アニマル手袋が売っていた。我が家に住むはりねずみの手袋ハリーとネリーの兄弟たちだ。家に帰りさっそく手袋を出した。ハリーもネリーも虫に食われることもなく元気に夏眠から目覚めた。
「今日チャイハネで、きみ達の兄弟を見たよ」
「僕らの?」とハリー。「わたし達の?」とネリー。
「うん。真っ赤なへびくんも元気そうだったし、黒羊さんもクールだった。もちろんはりねずみもいたよ」
「もう冬かぁ」とハリー。「お外に出られるね」とネリー。
2匹とも、たっぷり眠ったせいか気持ちよく目覚めたようだ。
ちょっと気が強いハリーは左手担当。おっとり優しいネリーは右手の担当だ。ハリーは2月に左手を骨折してからわたしの手を守ってくれたし、ネリーは甲斐甲斐しくサポートしてくれた。
「手はすっかり治ったのね、よかった」とネリー。
「ありがとう。今年もよろしく、ネリー」
「今度転んだ時には守ってやるよ」とハリー。
「ありがとう。頼りにしてるよ、ハリー」
「ところで、もう一人のママは元気?」とネリー。
「しばらく僕らを預かってくれたママだよ」とハリー。
「うん。彼女もハリーとネリーに、早く会いたいなぁって言ってたよ」
そう言うと2匹は飛び跳ねて喜んだ。
去年の冬、水道橋の飲み屋で友人達と楽しく飲んですっかり酔っぱらい、何ということであろう。2匹を置き忘れてきてしまったのだ。その後ハリーとネリーは、取りに行ってくれた友人宅でしばらくお世話になることになった。そして彼女に名前を付けてもらった。ずいぶん可愛がってもらったらしく2匹は彼女が大好きだ。おかげで置き忘れたことを責められることもなく、わたしは2匹と友好な関係を築くことができ、今に至っている。ハリーとネリーと、それから友人のおかげで今年も温かい冬を迎えられそうだ。

なくしたと気づいてすぐ JRに問い合わせました
「はりねずみの形の手袋なんです」「何色ですか?」
「ベージュで目が黒、口の中はエンジで茶色の毛が付いてます」
「そのような落し物の届け出はありませんでした」

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小さじを巡るジェンダー会議

ピンクのスケルトンな大さじ小さじの親子がやって来た。
旅に出た青い小さじくんの帰りを待つしばしの間も、小さじが必要不可欠だと家族会議でまとまったのだ。小さじはソルト担当になることが多く、寒くなると夫がベーコンを作り始めるし娘は気分転換のお菓子作りで使いたいと言う。
親子がやって来たその夜、ピンクの小さじの呼び名を巡り話し合いになった。
「ピンク色だし、小さじちゃんかな」とわたし。
「ピンクだからって女の子だって決めるのはどうかな」と娘。
「そうだねぇ。ピンクの服を好んで着る男の子もいるね」
「わたしは黒い服が好きだし」
そこで夫が口を挟んだ。
「色から訴える感覚も大事だと思うよ。トイレのマークを色だけ逆にして実験した例だと、形より色で判断する人が多かったらしい」
「それはそうかもね」とわたし。
「色っていうより、小さじそのものって考えてみたら?」と娘。
「ソルト担当なクールさとか?」とわたし。
娘は小さじをじっと見つめ「僕は小さじくんって呼ぶよ」と言った。
「じゃあ僕も小さじくんと呼ぶことにする」わたしも言った。
わたしと娘は会話の流れで時折自分のことを僕と呼ぶ。
夫は何も言わなかった。小さじを巡るジェンダー会議の幕は下りた。

ピンク色のキッチン用品を集めてみました フライパンも裏側はピンクです
ハーブティーはローズヒップ&ハイビスカス 酸味が効いたお気に入りのお茶

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イタリアンパセリの不運?

庭にイタリアンパセリの芽が、わいわいと出てきた。何年か前に植えた苗が種を落とし毎年芽を出す。今年も初夏にちぎっては料理の彩に使っていたものが花を咲かせた。それを草刈りした際に誰かに手向けるかのように寝かせておいたら、そこからたくさんの芽が顔を出し本葉を伸ばしているのだ。おいおい、もう寒くなるよと声を掛けつつ、ひしめくように緑が顔を出す様に日々見とれている。本当なら間引きしたり温かいところに移したりするんだろうが、詳しくないので見とれたり食べたりして放っておいている。その位のスタンスで庭に付き合う方が居心地がいい。
摘まむとパセリは儚いほどの柔らかさと、生命力を感じさせる弾力性を合わせ持っていた。飲み屋で唐揚げの横に添えてある堅く丸まったパセリとはまったく違う。まあイタリアンパセリとパセリは違うものなんだけど。
 
夫と初めて飲みに行ったのは高円寺の居酒屋だった。
「居酒屋じゃ、パセリは、使いまわしたりするんだよ」
料理の横に添えてあったパセリを見て、彼は言った。
「ふうん」と言ってわたしはそのパセリを食べた。
それから彼はパセリについて多くを語らない。パセリについて多くを語る人なんてそうはいないとは思うけど。
「ふうん」というのは「不運」の変換前だと言ったのは森博嗣の小説『すべてはFになる』(講談社)から始まるS&Mシリーズの犀川教授だ。しかし、わたしの「ふうん」はまだ変換されていない。おしくらまんじゅうのようにして育っているイタリアンパセリは不運を感じているだろうか。食べられずに捨てられる料理に添えられたパセリよりはずっと幸せそうに見える。

小人さんの手よりも小さな本葉 霜が降りないうちにたくさん食べよう

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ウキウキお好み焼き

久しぶりにホットプレートを出し、昨夜はお好み焼きを焼いた。
夫は初めて会った時からお好み焼きが好きだった。最初に暮らした大田区東雪谷の最寄駅石川台には美味しいお好み焼き屋があり、ふたりで何度も食べに行った。子どもが生まれてからはホットプレートでよく焼いた。豚とシーフードを混ぜて焼くスタンダード版から、豚キムチ味、広島風に凝る時期もあったりと我が家の味は変化に変化を重ねてきた。今は雑誌danchuの特集に載っていたレシピが我が家の味だ。キャベツの切り方が特徴で千切りではなく1cm角のざく切りにする。それで食感がまったく変わってくる。豚バラ肉の薄切りを上に乗せてひっくり返しそれをカリカリに焼く。キャベツザクザク、豚バラカリカリ。生地はとろーり。食感重視お好み焼きだ。このスタイルに変えてから混ぜるのも食卓で夫がやるようになった。
「スプーンを突き刺すようにカンカン音を立てて混ぜるのがコツ」と夫はうれしそうに混ぜる。バーベキューも好きだが鍋もお好み焼きもおなじくで、みんな一緒に食卓で何かを囲むことからして好きなのだ。
昨夜は新たな挑戦もしてみた。夫の提案で初めてみじん切りの蒟蒻を入れてみたのだ。ザクザク、カリカリ、とろーりに透明感がプラスされた感じで成功だった。我が家のお好み焼きの歴史はまだまだ進化の途中かも。
 
もうひとつ我が家の特徴としては、お好み焼きに限って絶対にわたしはひっくり返さないというルールがある。わたしは家族一お好み焼きをひっくり返すのが下手なのだ。何故か。それはやらないから。
「お母さんはできないから」とずっと子ども達に振ってきた。お好み焼きの時にはわたしはお客様。結果子ども達はみんなわたしよりずっと上手にお好み焼きを焼き、ひっくり返し、切り分けて、それぞれの皿に取り分けてくれるようになった。「お母さんは下手だもんねー」と得意そうにひっくり返してくれるので、具材を用意すれば放っておいてもお好み焼きは焼き上がる。なので夕飯がお好み焼きと決まればウキウキする。ウキウキお好み焼きだ。昨夜も夫と娘で焼いてくれた。
「サラダ油持ってくる前にビール持ってくる人は珍しい」と夫に言われたが、
焼かないわたしはクールに冷えたビールをまず用意するのだ。

お好み焼きにしろ何にしろ作ってもらって食べるのはうれしいことです

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サボテン日和

雨の日曜日サボテンを買った。サボテン日和だった。
心がささくれ立っていて仲間がどうしようもなく欲しくなったのだ。棘々しい針を持っているやつが。ほんの小さなことで人の心はささくれ立つ。たとえば、前を走ってるミニクーパーのブレーキとウインカーのタイミングがやたら遅い癖に直進車を無視して右折していったこととか、それを見てイライラと舌打ちをした自分、買い物に行ったパン屋でまだバケットが焼けていなかったこと、さらには日曜なのに雨が降っていること、その鬱陶しい日曜に仕事が山積みになっていることなど。一つ一つはまったくつまらないことなのに、
「何だよ何だよ。ついてないよなぁ。わたしって世界一ついてないかも。やだなやだな。人間なんてラララーララララーラ♪」
などと棘々しい気分に陥ってしまう時があるのだ。バイオリズムか月の満ち欠けか。昨夜は十三夜さんだったからそういうことが関係しているのかもしれない。「サボテン買ってますます棘々!」と自棄になり、壊れたポストのビスを買いに行ったホームセンターでサボテンを選んだ。
 
しかし触ったサボテンの針は、指には刺さらず柔らかかった。
「見た目に左右されないでください」
サボテンの声が聞こえた。わたしの心も自分で思っているほどには棘々してないのかもしれないな。
新しい住人サボテンくんと仲良くやろうと思います
なんせおなじく針を持つ はりねずみですから

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冬支度、着々

夫が立ち上げた新会社設立に必要な日用品の買い物に出掛けた。グラスやお湯呑み、珈琲カップ、タオルなどを二人で選び会社に送った。その後ユニクロに行って部屋着やヒートテックのタートルネックやスリッパを買った。
薪ストーブの煙突掃除もした。炬燵も出しソファカバーも冬使用にした。寝室のベッドカバーも変え毛布も出した。冬支度着々だ。
ひとつの布が変わるだけで肌触りだけじゃなく雰囲気が冬使用になる。目から温かくなる。当たり前だけれど不思議だ。
「見た目に左右されるな」とはよく聞く言葉だが、それは人が見た目に左右されやすいが故にある言葉だ。人は見た目に左右されるのだ。そしてそれ故に暖色のウールが入った布を見て温かいと感じる。足を入れたスリッパは見た目よりずっと温かかった。温かく足にフィットした。

1000円のユニクロのスリッパ
わたし的にはチロリアン風の可愛らしいのに目を留めたけど
夫の好みも考え選びました 彼も気に入ったようです フィット感が特に

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小説「カフェ・ド・C」 18. 女神への片思い

日曜日、妻が三か月になる娘を連れて店に来た。忘れてきたケータイを届けてもらったのだ。「ありがとう。珈琲淹れるよ」僕はケータイを受け取り、窓際のテーブル席に座るように勧めた。バイトのユウちゃんが娘を見て妻と話している。それを見ながらゆっくりと手挽きのミルで豆を挽いた。
「マスター、子煩悩ねぇ」
カウンターに座った常連さんが僕の視線の先を見て微笑む。
しかし違うのだ。確かに娘のシュウは可愛い。でも僕が見ていたのは妻の方だ。シュウを産んでから、妻は、なんていうかびっくりするほど綺麗になった。仕事も家事も子育ても精一杯やっているし、睡眠時間だって足りてないはずなのに、疲れた様子など見せず、以前にも増して生き生きとしている。
そんな妻の変化に、しばらく僕は戸惑っていた。そしてそのうち、家に帰ると、つい妻を目で追うようになっている自分に気づいた。気づいてドキドキした。これじゃあ恋してるみたいじゃないかって。妻のことは愛してる。でも結婚して四年もたって、こんな気持ちになるのはおかしいと考え込んでしまった。だが問題は何もない。恋する相手は自分の妻なのだから。
「お待たせしました」
僕はお客様にするように珈琲を出した。新しく入荷したブラジルの中煎り。妻が好む味だということは知っている。
「美味しい。やっぱりへーちゃんの淹れる珈琲は美味しいなぁ」
妻がホッと息をつくように言った。娘はベビーカーの中で眠っている。
「ごゆっくりどうぞ」僕はカウンターに戻った。
ブラジルをのんびりと味わい、妻はカップをカウンターに下げ、ご馳走様と微笑んだ。笑顔を返すと彼女はちょっとまじめな顔をした。
「マスター」普段呼ばない呼び方をする時は、何か言いたいことがある時だ。
「何でしょう」僕は、緊張してカップを洗う手を止めた。
「娘に会いたい気持ちはわかるけど、日曜ごとにわざとケータイ忘れるのやめてほしいの」「あ、バレてた?」「とーぜん」
「ごめん」違うんだけどなぁと思いつつ、素直に謝った。
「しょうがないパパだね」と妻は笑いながら睨む。
怒った顔がまた可愛いな。そう思ってしまう自分に呆れながらも、女神への片思いは当分続きそうだと覚悟を決めた。

妻がベビーカーを押して歩いてきた銀杏並木
ベビーカーの毛布には 黄色い銀杏の葉が一枚落ちていた

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星空の下でバーベキュー

アボリジニ・アートに挑戦した娘からメールが届いた。
「アボリジニは座っている人をUで表して、真ん中にある二重丸はバーベキューの火、周りにある丸は星です。向日葵じゃないよ」
星空の下、家族で火を囲みバーベキューをしている絵なのだった。
 
家族揃って=バーベキューと言うところがなんとも娘らしい。
山梨に越してくる前は、よくキャンプをした。星空の下、バーベキューした夜がいったい何度あったのかというほど本当によくキャンプした。1週間北海道横断キャンプも3回したし、山梨の他、富士五湖の湖畔や長野や新潟、何泊かで数えたら百夜は超えるんじゃないだろうか。家を建てる前にここでもテントを張った。いつもいつも星空の下という訳にはもちろんいかず、雨の中のテントの匂いも懐かしい。
アクシデントもたくさんあった。夜中にふと気がついたら面識のない猫がテントの中に丸まって眠っていて悲鳴を上げたこともある。キャンプ場は川沿いにあることが多く鉄砲水も経験した。水位がぐんぐん上がりおかしいと思った瞬間、娘を抱き上げて川から出た。取り残された子もいて、誰の子だとか関係なくお父さん達が川に入って助け、難を逃れた。豪雨で避難勧告が出てテント場を移動したこともあった。薬指を蜂に刺され結婚指輪を切断したのもキャンプ中だったし、息子が悪戯して切り株に斧を振り下ろし、それが足の甲に刺さったこともある。救急病院で縫ったその後は北海道横断病院巡りになりそれでも予定通りキャンプし過ごした。今考えるとめちゃくちゃだ。よく付き合ってくれたなぁ、子ども達よ。
 
そんな記憶が絵に現れたのかとも思いつつ、娘が小学生の時に描いた向日葵の絵を眺めてみた。やっぱりよく似てると思うんだけど?

版画で描いた作品 とても素敵に描けていたので 今も廊下に飾ってあります

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My family in Japan「小説にならない家族」

オーストラリアの娘がアボリジニ・アートに挑戦したとfacebookに絵をアップしていた。アボリジニ・アートなるものがドット・ペインティングで描かれたものらしいということはわかったがそれ以上は不明だ。手法は何にしろ娘は6枚の花びらで家族を表現したかったらしい。夫とわたし、兄、妹、びっきー、そして自分。タイトルは『My family in Japan』
 
ちょうど末娘と家族の話をしたばかりだった。それは作家重松清が描く家族についての話だ。
「重松清が描く家族って、なんか問題抱えてる家族がほとんどだよね」
娘が言うので、
「だって問題がない家族なんて小説にならないじゃん」
わたしが答えた。
「だよねー」と娘が受けあう。
「うちの家族なんか小説にしようがないもんね」と娘。
いやいやうちだっていろいろあるんだよと思いつつ、娘が言った「小説にならない家族」という言葉にホッとする。
重松清の『みぞれ』(角川文庫)という短編集に『電光セッカチ』という話がある。セッカチな夫とのんびりした妻の話だ。
「あの人は待つことが嫌いだ。むだな空白が大嫌いだ」
で始まるこの小説、夫が急かすのが原因で小学生の息子がチック症になる。結婚当初はそんな性格の不一致も大らかに考えていた妻も、ついに耐えられなくなり家を出た。この話はそれでアンハッピーエンドとはならない。ハッピーエンドになるかどうかは彼ら次第。そんな小さなすれ違いはどこの家族にもあるんじゃないかとわたしは思うのだが。
 
娘の絵は、小学生の頃に彼女が描いた向日葵の絵ととてもよく似ていた。海外に行って、ずいぶん変わったであろう彼女の変わらずにいる一面を感じ、胸が温かくなった。

アボリジニの歴史に触れた娘が帰ってくるのが楽しみです


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まだ死ぬ訳にはいかない

蜂が家の中に入ってきた。いつ? 何故? とパニックになる。パニックになりつつ、わたしが真っ先にしたことと言えば指輪を外したこと。薬指を刺され結婚指輪を切断したことがあるのだ。「人間信頼と学習が大事」と伊坂幸太郎も小説の脇役に言わせている。蜂とは信頼関係を持てるほどの仲ではないので、とりあえず学習したことを活かそうと考えた。そして指輪を外すと不思議と気持ちが落ち着き、蜂に交渉しようという余裕が生まれた。
出て行ってくださいとお願いし、窓を全開にする。が、当然そう簡単には応じてもらえない。蜂の方も天井付近を飛び回り、ここは何処? と戸惑っている様子だ。「だからー、窓はこっちだってば」と示そうにも、攻撃を仕掛けると勘違いされるのも嫌だ。仕方なく「ハチアブマグナムジェット」を構え天井にとまるのを待つこと5分。「ごめんなさい」と謝りつつ、ジェットを噴射した。天井から床に落ちた蜂にとどめの噴射をし苦しむ様子を観察。1分ほどで動かなくなった。
「別に殺したい訳じゃなかったんだよ」と言い訳するも誰も聞いていない。しかし仲間が窓から見ているかもしれない。気づかれないよう静かにティシュにくるんでゴミ袋に入れた。
 
綾辻行人の『Another』(角川書店)を読み始めたばかりだ。図書館で借りた本には「ホラーに推理を交えた新境地」という新聞記事が貼ってある。ミステリーは好きだが恐がりだということもありホラーはほとんど読まない。それがこの本を手に取った瞬間、ムラムラと血なまぐさい話が読みたくなり借りてしまった。田舎の中学校3年3組に伝わる呪い。転校してきた主人公恒一は、それについて何も知らない。不審な死を遂げていくクラスメイトとその家族。影のある少女、鳴(めい)。恒一は少しずつ真実に近づいていく。
 
この本を読むわたしがここで不審な死を遂げてしまったら、新しい呪いを生みそうだなと思いつつ、蜂に立ち向かった。まだ死ぬ訳にはいかない。せめてページをめくらずにはいられないほど面白いこの本を読み終えるまでは。
天に召された蜂さん 成仏してください
珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属のご近所さんは
蜂に刺された経験も豊富 キイロスズメバチには1度に8ヶ所刺されたそうで
彼の鑑定結果この蜂はキアシナガバチまたはセグロアシナガバチだと判明
スズメバチだと思ったのになぁ

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こだわりのモンブラン

娘と町のケーキ屋『ドゥ・ミール』にモンブランを食べに行った。ここのモンブランはパティシエのこだわりで持ち帰らせてくれない。オーダーしてから台になるメレンゲに生クリームとマロンクリームをしぼる。メレンゲがカリッとした状態で味わってほしいというのが理由だそうだ。それを、娘の18歳を祝って食べに行こうと言う約束をしていた。誕生日は過ぎたがモンブランは待っていてくれた。なにしろ彼女のバースディは栗の季節だ。甘いものが苦手なわたしはレアチーズにし、ふたりしゃべりながらケーキを食べた。
土曜の赤坂が街コンで若者だらけだったことや、ひとり散策しバリの雑貨屋を見つけたこと、陶器屋でいい皿があったが重くて買うのを断念したことなどをわたしがしゃべり、模試で疲れ果てて友人達とセブンイレブンを冷やかしに行ったら疲れ果てた同級生が狭いコンビニの店内にひしめいていたことや、ひとり暮らしへの憧れや、ミルフィーユの魅力と食べにくさについてなど娘がしゃべった。末娘とは何回かこうしてふたりモンブランを食べに来ている。それももうこれで最後かもしれない。来春娘が都心の大学に行ってしまえば、なかなか機会も作れないだろう。
モンブランについては、家まで車で3分のジモティなんだから持ち帰らせてくれてもいいのにとも思うが、パティシエのこだわりのおかげで、娘とのゆったりとした時間を貰ったとも言えるかな。
そんな時間を過ごしたあと、ふたりあーでもないこーでもないと言いながら夫への土産に木苺のショートケーキを選び『ドゥ・ミール』を後にした。

写真を撮る時に「フォークを同じ方向に揃えようよ」と娘に指摘されました
レアチーズは檸檬の酸味が効いていて美味しく食べられました
この町にケーキ屋はただひとつ スーパーもコンビニもないこの町に
こだわりのケーキ屋があること自体 奇跡と言えるかも

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時間を巻き戻して

同窓会に出席した。と言っても学校関係ではない。十代の頃にバイトしていた喫茶店のバイト仲間と常連のお客さんとの女子会だ。出席者は8名。バイト仲間3人とは何年かに一度会っていた。結婚や出産などの祝い事で、式に出席したり、おたがいの家に遊びに行ったり、山梨にふらりと夫婦で来てくれた友人もいるし、上の娘が小学生の頃、後転ができずに困っていた時に上手に教えてくれたのもバイト仲間のひとりだ。そんな風にしてもう30年程のつきあいになる。不思議な出会いだ。
しかし常連のお客さんと会うのはほぼ30年ぶり。話すことあるのかなーと不安も抱えつつ、イタリアンで飲み放題の女子会を楽しみに喫茶店のあった赤坂に出かけた。危惧することは何もなかった。時間を巻き戻すことは難しくなく当時の話に花が咲いた。そして30年。何事もなく過ぎて行った人などいる訳もなく、家族のことや仕事や趣味、抱えている心配事など、話題に尽きることはなかった。食べて飲んでしゃべった。楽しい女子会だった。
 
その中で、最近の子はカセットテープを知らないという話が出た。今は音楽もデータという認識。小さなウォークマンに何千曲も入るし、それをブルートゥースでやり取りすることだってできる。「時間を巻き戻す」という言葉の語源を知らずに使っている子もいるんじゃないかな。わたし達はゆっくりカセットテープを巻き戻すように、時間を巻き戻すことができた。カタカタとアナログな音を立てて巻き戻したカセットと、自分が重なるのを感じた。

待ち合わせた赤坂見附の交番前から見えるビル達
交番前の広場で「ドーン・ジャンケンポン」をして遊んだっけなぁ

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キングコングと蝋燭

25時間蝋燭を購入した。防災用に必要だねと、ずっと夫と話していて、たまたま小淵沢に出かけた時に露店を出していた蝋燭屋さんに出会ったのだ。
初めはカラフルな蝋燭を売るただのおしゃれな蝋燭やさんだと思っていたが、話を聞くうちにいい蝋燭をまじめに作っているのだという気持ちが伝わってきた。ご夫婦で蝋燭屋さんをしていると言う。大豆やパーム椰子などで作ったただミルク色一色のものもあり、オレンジ色の炎に温かみを感じた。
 
夫はもともと蝋燭が好きだ。節電のために電気を消そうと山梨県全体に呼びかけて行うキャンドルナイトの夜など、はりきって家じゅうに蝋燭を灯す。突然自主的に「今夜はキャンドルナイトにしよう」と言い出すこともある。停電の時でさえうれしそうに蝋燭を灯して回る。夫が火を好む様は動物的というか本能的なものに近く、火を見るだけでうれしさのあまり踊りだしそうな雰囲気を漂わせている。わたしだって蝋燭の炎は好きだ。夫ほどではないにしろ、見ているだけで優しい気持ちになれる。蝋燭の炎にはそんな魅力がある。まあそれとは別にわたしには悪い癖がある。蝋燭立てや可愛らしい蝋燭などを雑貨屋で見かけるたびについ買ってしまうのだ。蝋燭立てを買えば蝋燭も欲しくなるので、安売りの小さな蝋燭はストックしてある。なので、キャンドルナイトの夜も蝋燭にも蝋燭立てにも困らない。しかし安売りの蝋燭はすぐに消える。防災用には向かない。しっかりしたものを買おうと話していたのだ。
 
蝋燭を長持ちさせる方法なども教えてもらい、試しにと25時間蝋燭と小さめの蝋燭を一つずつ買った。夫は小さな蝋燭を風呂場に持ち込み、電気をつけずにお風呂を楽しんでいる。
「蝋燭でお風呂はいいな。気持ちが安らぐよ」と夫。
それは否定しないが、じつのところ彼は火があるうれしさのあまり風呂場でキングコングのように胸を叩いているんじゃないかと、わたしは睨んでいる。

消火時に芯を蝋に沈めてコーティングしてから垂直に起こしておくと
次回点火時に綺麗な炎が灯せるそうです
すでにこれをサボって夫に叱られました

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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