はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
自分の口癖、知ってる?
自分の癖には、案外気づかないものである。指摘され、初めて気づくことの方が多いのではないだろうか。
こと口癖となると、口から出てしまった後は残らない。家族や友人など親しい間柄では、聞く方にさえも残らないことも多いようだ。
そのわたしの口癖を教えてくれたのは、4月に2週間ステイしていったオーストラリア男子、サムだった。娘が1年間のワーキングホリデーで知り合ったサムは、日本語を勉強中。英語がしゃべれないわたしとも、ずいぶんとコミュニケーションをとることができた。だが、口癖と言って面と向かい彼から指摘されたわけではない。
たとえば娘と日本の友人達とサムとで飲みに行った際。またたとえば、娘とサム、共通の友人達でスカイプする際。またたとえば……のそのなかには常にわたしは入っていない。サムはわたしのいないところで、それも多くは酒の席で「さはさんの真似!」と、わたしが酔っぱらった姿を口癖と共に披露していたのである。真似する時には大抵サムも酔っぱらっている訳で、酔っ払いが酔っ払いの真似をするのだから、それはもう臨場感が出るそうだ。その口癖とは。
「ナンダッケ? ナンダッケ?」「ナンダッケ? ナンダッケ?」
自分の口から「何だっけ?」と出る度に憮然とし「サム! 憶えてろよぉ」と遠く南半球に向かって吠え、オーストラリア男子との再会を誓うのだ。
これ、ナンだっけ? 韮崎のパン屋さん『cornerpocket』で買ったお昼ご飯。
スパイシーで美味しかった!
サムはわたしを「さはさん」と呼びます。由来は→ニックネームは「さは」
こと口癖となると、口から出てしまった後は残らない。家族や友人など親しい間柄では、聞く方にさえも残らないことも多いようだ。
そのわたしの口癖を教えてくれたのは、4月に2週間ステイしていったオーストラリア男子、サムだった。娘が1年間のワーキングホリデーで知り合ったサムは、日本語を勉強中。英語がしゃべれないわたしとも、ずいぶんとコミュニケーションをとることができた。だが、口癖と言って面と向かい彼から指摘されたわけではない。
たとえば娘と日本の友人達とサムとで飲みに行った際。またたとえば、娘とサム、共通の友人達でスカイプする際。またたとえば……のそのなかには常にわたしは入っていない。サムはわたしのいないところで、それも多くは酒の席で「さはさんの真似!」と、わたしが酔っぱらった姿を口癖と共に披露していたのである。真似する時には大抵サムも酔っぱらっている訳で、酔っ払いが酔っ払いの真似をするのだから、それはもう臨場感が出るそうだ。その口癖とは。
「ナンダッケ? ナンダッケ?」「ナンダッケ? ナンダッケ?」
自分の口から「何だっけ?」と出る度に憮然とし「サム! 憶えてろよぉ」と遠く南半球に向かって吠え、オーストラリア男子との再会を誓うのだ。
これ、ナンだっけ? 韮崎のパン屋さん『cornerpocket』で買ったお昼ご飯。
スパイシーで美味しかった!
サムはわたしを「さはさん」と呼びます。由来は→ニックネームは「さは」
95%の嘘と、大賀蓮
鵜呑みにしがちな性質(たち)である。
一緒にテレビを観ていて、よく夫が言う。
「あ、○○さんだ! わぁ、今こんなことやってるんだ」
たとえば彼の出身地、神戸の人だったり、彼がいまだ続けているサッカー関連の人だったり、仕事関係で如何にも知り合いそうな人だったり。
「へぇ、知り合いなんだ?」その度に、わたしは感心し、声を上げる。
だが、彼の次の言葉は「そんな訳ないじゃん」または「うそー」が95%。他愛もない嘘なのだ。95%というところに無意識下ではあっても彼の計算が伺える。本当を混ぜることで、妻を騙すことを楽しんでいる。それもこれも、わたしの鵜呑みにしがちな性格が深く関係しているように思えるから腹が立つ。
昨日、夫を駅まで送った帰り。回り道して蓮池に行った。
午前7時過ぎ。客人のいない蓮池は、しんと静まり返っていて花が咲く音が聞こえそうなほどだ。だが、花の咲く音は聞こえない。
花が咲く時に音がするとは、昔から言われていたそうだ。本当に音がするのか調べてみると、蓮池には鯉が跳ねる音や波立つ音などしか録音されなかったという。それを調べてみた人が、この大賀蓮(おおがはす)と呼ばれるピンクの大輪の蓮を、弥生時代の種から再生させた植物研究者、大賀一郎さんだ。
言い伝えられたことを鵜呑みにするのではなく、真実を知ろうとするのが、彼の科学者としてのやり方だった。
だが判ってはいても、わたしは鵜呑みにしがちな性質である。
「今度、飲みに行こうね!」とは、額面通りの言葉ではないことも多いと知ってはいるが「行こう行こう!」とその気になり、飲み会を企画したりもする。額面通りではない言葉が、苦手なのだ。
ひっそりとした朝、大賀蓮をひとり静かに眺めても、人の性質というものは、そう簡単には変わってくれそうもないと、蓮のピンクに、葉の緑に思う。人の心の真実は、科学では量れないところにあるのだ。
春まで末娘を毎日送っていた無人駅、中央線穴山近くにある蓮池。
池は4つあります。春には桜。梅雨時には紫陽花が楽しめるところです。
池の泥が汚ければ汚いほど、きれいな花が咲くとか。
日の出前に花開くという蓮。朝、涼しいうちしか観られないようです。
蓮が散った後は、まさに蓮根の趣。植物の不思議を感じます。
一緒にテレビを観ていて、よく夫が言う。
「あ、○○さんだ! わぁ、今こんなことやってるんだ」
たとえば彼の出身地、神戸の人だったり、彼がいまだ続けているサッカー関連の人だったり、仕事関係で如何にも知り合いそうな人だったり。
「へぇ、知り合いなんだ?」その度に、わたしは感心し、声を上げる。
だが、彼の次の言葉は「そんな訳ないじゃん」または「うそー」が95%。他愛もない嘘なのだ。95%というところに無意識下ではあっても彼の計算が伺える。本当を混ぜることで、妻を騙すことを楽しんでいる。それもこれも、わたしの鵜呑みにしがちな性格が深く関係しているように思えるから腹が立つ。
昨日、夫を駅まで送った帰り。回り道して蓮池に行った。
午前7時過ぎ。客人のいない蓮池は、しんと静まり返っていて花が咲く音が聞こえそうなほどだ。だが、花の咲く音は聞こえない。
花が咲く時に音がするとは、昔から言われていたそうだ。本当に音がするのか調べてみると、蓮池には鯉が跳ねる音や波立つ音などしか録音されなかったという。それを調べてみた人が、この大賀蓮(おおがはす)と呼ばれるピンクの大輪の蓮を、弥生時代の種から再生させた植物研究者、大賀一郎さんだ。
言い伝えられたことを鵜呑みにするのではなく、真実を知ろうとするのが、彼の科学者としてのやり方だった。
だが判ってはいても、わたしは鵜呑みにしがちな性質である。
「今度、飲みに行こうね!」とは、額面通りの言葉ではないことも多いと知ってはいるが「行こう行こう!」とその気になり、飲み会を企画したりもする。額面通りではない言葉が、苦手なのだ。
ひっそりとした朝、大賀蓮をひとり静かに眺めても、人の性質というものは、そう簡単には変わってくれそうもないと、蓮のピンクに、葉の緑に思う。人の心の真実は、科学では量れないところにあるのだ。
春まで末娘を毎日送っていた無人駅、中央線穴山近くにある蓮池。
池は4つあります。春には桜。梅雨時には紫陽花が楽しめるところです。
池の泥が汚ければ汚いほど、きれいな花が咲くとか。
日の出前に花開くという蓮。朝、涼しいうちしか観られないようです。
蓮が散った後は、まさに蓮根の趣。植物の不思議を感じます。
常識に囚われず、推理すること
ずっと探していた軽トラのキーが見つかった。
スペアキーがあり、困らないがため、探すと言ってもなかなか本気になれず 「ないね」「何処に行ったんだろう」と夫と言い合うくらいで済ませていた。
ところが近所の友人に軽トラを貸すことになり、これは本腰を入れて探さねばということになったのだ。
マニュアル車である軽トラを運転できるのは、我が家では夫しかいない。息子が帰って来た時に運転していたが、彼ももう1年は帰っていない。夫が軽トラを動かす時は、薪を運ぶか、ゴミを出すかである。なので夫の作業用のズボンのポケットに入っているのではと、まず探した。だが、重めの金属のキーホルダーがついたキーである。洗濯する際、万が一見過ごしたとしても、洗濯機に落ちる可能性が高い。見過ごす可能性も低い。やはり見つからなかった。
所定の位置は、キッチンカウンターの上のキーフックだ。わたしは、カウンターの前に立ち、推理した。もしもキーが重力に従い落ちたとしたら?
そして、ふとカウンターに置かれたペン立てに手を突っ込んだ。
「あった!」見つかる時には、なんと呆気ないことか。
ペン立ては、そこから顔を出すものを入れることがお決まりだ。そんな常識がペン立てのなかに底なし沼をつくり、キーを沼深く落とし続けていたのだ。
片付けが苦手なわたしは、何かを探していることが多い。我が人生の時間、半分を占めているかもと考え込むことさえある。鞄のなかにも冷蔵庫にも、たびたびブラックホールが広がる。しかし今だけは不敵に微笑もう。
「大切なのは、常識に囚われず、推理することさ」
リラックマのキーホルダーの下にあるのが、ペン立てです。
キーフックと、リビングで使っている椅子4脚とベンチは、
ウイスキーの樽のリサイクル品。ペン立てもすべて、同じ北杜市の
家具工房『我楽舎』(がらくしゃ)で作られたものです。
スペアキーがあり、困らないがため、探すと言ってもなかなか本気になれず 「ないね」「何処に行ったんだろう」と夫と言い合うくらいで済ませていた。
ところが近所の友人に軽トラを貸すことになり、これは本腰を入れて探さねばということになったのだ。
マニュアル車である軽トラを運転できるのは、我が家では夫しかいない。息子が帰って来た時に運転していたが、彼ももう1年は帰っていない。夫が軽トラを動かす時は、薪を運ぶか、ゴミを出すかである。なので夫の作業用のズボンのポケットに入っているのではと、まず探した。だが、重めの金属のキーホルダーがついたキーである。洗濯する際、万が一見過ごしたとしても、洗濯機に落ちる可能性が高い。見過ごす可能性も低い。やはり見つからなかった。
所定の位置は、キッチンカウンターの上のキーフックだ。わたしは、カウンターの前に立ち、推理した。もしもキーが重力に従い落ちたとしたら?
そして、ふとカウンターに置かれたペン立てに手を突っ込んだ。
「あった!」見つかる時には、なんと呆気ないことか。
ペン立ては、そこから顔を出すものを入れることがお決まりだ。そんな常識がペン立てのなかに底なし沼をつくり、キーを沼深く落とし続けていたのだ。
片付けが苦手なわたしは、何かを探していることが多い。我が人生の時間、半分を占めているかもと考え込むことさえある。鞄のなかにも冷蔵庫にも、たびたびブラックホールが広がる。しかし今だけは不敵に微笑もう。
「大切なのは、常識に囚われず、推理することさ」
リラックマのキーホルダーの下にあるのが、ペン立てです。
キーフックと、リビングで使っている椅子4脚とベンチは、
ウイスキーの樽のリサイクル品。ペン立てもすべて、同じ北杜市の
家具工房『我楽舎』(がらくしゃ)で作られたものです。
忘れていた記憶を思い起こして
連休中、虫捕り少年が4度訪れた。近所の小学3年生である。
「虫を捕らせてください」
律儀に挨拶に来たが、我が家の林ではなく隣の土地だ。しかし、大スズメバチが居ることだけは伝えなくてはと、一緒に林に入った。
「上の方に、大スズメバチがいるの、見えるでしょう? 虫捕り網を振り回したりすると、攻撃されたかと思って刺されるかもしれないから、気をつけて」
「うん」
わたしと一緒に探し、少年は、クヌギの木の下の方にいたコクワガタを2匹捕まえ、帰って行った。わたしは、久しぶりに手でクワガタを掴み、その感触を、なつかしく嬉しく思っている自分を感じた。
2度目は翌朝。
夫が出て行って、やはりコクワガタを2匹ゲットしていったという。
そして、3度目。暑さも一休みしたような午後、大スズメバチが飛び交う木の上の方に少年はノコギリクワガタを見つけた。
「コクワは、もういいや」少年の目は、ノコギリクワガタに釘付けだ。
「ハシゴとか、ないの?」と、少年。夫が脚立を出して来た。
「危ないよ」
わたしがハラハラしつつ言葉を掛けるが、彼のなかにはもう、クワガタを捕まえたいという気持ちしかない。だが、脚立に上っても、彼には届かなかった。
「捕って」と、遠慮がちに少年。
夫は「やだよ」と言いつつも、脚立に上った。大スズメバチは相変わらず警戒しているかのように羽根をバタつかせている。3匹ほどいて、交替で飛び回っては、威嚇しているようにも見える。
ノコギリクワガタは、ますます木の上の方に上って行き、クワガタ捕りは難航した。それでも、夫はじりじりとクワガタを追い詰めていく。そして少年とわたしが見守るなか、彼は見事ノコギリクワガタのつがいをゲットした。
「やった!」「すごい!」歓声を上げる夫とわたし。
少年は、静かに微笑み「ありがと」と礼を言い、帰って行った。
4度目は、そのあとすぐに。「木をください」
クワガタを飼うケースに入れるために、木を取りに来た。
「2日間で12匹捕った」と、夫に自慢していったらしい。
虫捕りって、楽しいよなぁ。少年は、夫とわたしに、そんな昔の忘れていた記憶を思い起こさせてくれた。わたし達は、彼が帰った後も、クワガタを探すでもないが、林をしばらく歩いていた。思いがけず楽しい連休になった。
「オオムラサキもたくさんいるよ」と、少年に言うと、
「オオムラサキね」とスル―されてしまいました。国蝶なんだけど。
捕ってはいけないと教わっているようです。
ルリボシカミキリを見つけました。ホッとする涼をくれるブルー。
キイロヤマトンボ。初夏に見かけるトンボです。
ノコギリクワガタの写真はありません。少年が持って行ってしまったので。
「虫を捕らせてください」
律儀に挨拶に来たが、我が家の林ではなく隣の土地だ。しかし、大スズメバチが居ることだけは伝えなくてはと、一緒に林に入った。
「上の方に、大スズメバチがいるの、見えるでしょう? 虫捕り網を振り回したりすると、攻撃されたかと思って刺されるかもしれないから、気をつけて」
「うん」
わたしと一緒に探し、少年は、クヌギの木の下の方にいたコクワガタを2匹捕まえ、帰って行った。わたしは、久しぶりに手でクワガタを掴み、その感触を、なつかしく嬉しく思っている自分を感じた。
2度目は翌朝。
夫が出て行って、やはりコクワガタを2匹ゲットしていったという。
そして、3度目。暑さも一休みしたような午後、大スズメバチが飛び交う木の上の方に少年はノコギリクワガタを見つけた。
「コクワは、もういいや」少年の目は、ノコギリクワガタに釘付けだ。
「ハシゴとか、ないの?」と、少年。夫が脚立を出して来た。
「危ないよ」
わたしがハラハラしつつ言葉を掛けるが、彼のなかにはもう、クワガタを捕まえたいという気持ちしかない。だが、脚立に上っても、彼には届かなかった。
「捕って」と、遠慮がちに少年。
夫は「やだよ」と言いつつも、脚立に上った。大スズメバチは相変わらず警戒しているかのように羽根をバタつかせている。3匹ほどいて、交替で飛び回っては、威嚇しているようにも見える。
ノコギリクワガタは、ますます木の上の方に上って行き、クワガタ捕りは難航した。それでも、夫はじりじりとクワガタを追い詰めていく。そして少年とわたしが見守るなか、彼は見事ノコギリクワガタのつがいをゲットした。
「やった!」「すごい!」歓声を上げる夫とわたし。
少年は、静かに微笑み「ありがと」と礼を言い、帰って行った。
4度目は、そのあとすぐに。「木をください」
クワガタを飼うケースに入れるために、木を取りに来た。
「2日間で12匹捕った」と、夫に自慢していったらしい。
虫捕りって、楽しいよなぁ。少年は、夫とわたしに、そんな昔の忘れていた記憶を思い起こさせてくれた。わたし達は、彼が帰った後も、クワガタを探すでもないが、林をしばらく歩いていた。思いがけず楽しい連休になった。
「オオムラサキもたくさんいるよ」と、少年に言うと、
「オオムラサキね」とスル―されてしまいました。国蝶なんだけど。
捕ってはいけないと教わっているようです。
ルリボシカミキリを見つけました。ホッとする涼をくれるブルー。
キイロヤマトンボ。初夏に見かけるトンボです。
ノコギリクワガタの写真はありません。少年が持って行ってしまったので。
海の家学習効果は、海より遠く
足の裏がヒリヒリする。軽い火傷だ。
ほんの3、4歩だからと思い、サンダルも履かずに裸足でウッドデッキに出た。2回目の洗濯物を干す頃には、これでもかというほどの強い陽射し。しかし、洗面所でハンガーに干したものをウッドデッキの物干しに掛ける一瞬の作業だ。まさか火傷などしないだろうと高をくくっていた。
ウッドデッキの表面はいったい何度まで上がっていたのだろう。
「全く、海の家じゃないんだから!」
シャワーで足の裏に水をかけつつ、独り言の声も大きくなる。どっちかというと山の家だが、このヒリヒリ感の記憶はどう考えても海。焼けた砂浜だろう。
「ほらほら、ビーサン履かないと火傷するよ!」
遠い昔、子ども達に、うるさく言っていたのは誰だったか。
だがわたしとて、何も考えずに取った行動ではない。熱を集める黒のビニールサンダルの方が熱そうに見えたのだ。それが2度目の挑戦(普通はしない気もするが)は、サンダルを履いてみた。すると、サンダルだと火傷しないことが判った。サンダルを履く一瞬は熱いが、2歩目が違う。裸足だと2歩目も同じく熱いが、サンダルには足の冷たさが伝わり徐々に緩和されていくのだ。
「おー、いいことを学習した。すごい!」
何がすごいんだかである。
手のひらがヒリヒリする。軽い火傷だ。
ほんの10分の距離だからとUVカット手袋をせずハンドルを握ったせいだ。
黒のフィットは、内装もすべて黒。太陽を思いっきり吸収する黒。
「俺に触ると火傷するぜ」と身体じゅうで言っているのに。
ついさっきの学習を活かせないのは、歳のせいで頭が固くなっているのだろうか。否。ほんの何とかだからと、サボれるものをみなサボろうとする癖を直さないと、学習も活かせないのさ。判っては、いるんだけどね。
ゆらゆらと熱気が見えるようです。
玄関から外出用のサンダルを持ってくれば?(天の声)
夏、熱くなるのが判っていても、どうしても黒の車に乗りたいわたし。
暑苦しいので、梅雨に撮ったアマガエルくんに登場してもらいました。
デッキのテーブルの下、涼んでいましたが、今いずこ?
夕立ち、降らせてねー。
ほんの3、4歩だからと思い、サンダルも履かずに裸足でウッドデッキに出た。2回目の洗濯物を干す頃には、これでもかというほどの強い陽射し。しかし、洗面所でハンガーに干したものをウッドデッキの物干しに掛ける一瞬の作業だ。まさか火傷などしないだろうと高をくくっていた。
ウッドデッキの表面はいったい何度まで上がっていたのだろう。
「全く、海の家じゃないんだから!」
シャワーで足の裏に水をかけつつ、独り言の声も大きくなる。どっちかというと山の家だが、このヒリヒリ感の記憶はどう考えても海。焼けた砂浜だろう。
「ほらほら、ビーサン履かないと火傷するよ!」
遠い昔、子ども達に、うるさく言っていたのは誰だったか。
だがわたしとて、何も考えずに取った行動ではない。熱を集める黒のビニールサンダルの方が熱そうに見えたのだ。それが2度目の挑戦(普通はしない気もするが)は、サンダルを履いてみた。すると、サンダルだと火傷しないことが判った。サンダルを履く一瞬は熱いが、2歩目が違う。裸足だと2歩目も同じく熱いが、サンダルには足の冷たさが伝わり徐々に緩和されていくのだ。
「おー、いいことを学習した。すごい!」
何がすごいんだかである。
手のひらがヒリヒリする。軽い火傷だ。
ほんの10分の距離だからとUVカット手袋をせずハンドルを握ったせいだ。
黒のフィットは、内装もすべて黒。太陽を思いっきり吸収する黒。
「俺に触ると火傷するぜ」と身体じゅうで言っているのに。
ついさっきの学習を活かせないのは、歳のせいで頭が固くなっているのだろうか。否。ほんの何とかだからと、サボれるものをみなサボろうとする癖を直さないと、学習も活かせないのさ。判っては、いるんだけどね。
ゆらゆらと熱気が見えるようです。
玄関から外出用のサンダルを持ってくれば?(天の声)
夏、熱くなるのが判っていても、どうしても黒の車に乗りたいわたし。
暑苦しいので、梅雨に撮ったアマガエルくんに登場してもらいました。
デッキのテーブルの下、涼んでいましたが、今いずこ?
夕立ち、降らせてねー。
文月に見つけたレターセット
文房具店『インクポット』で、便箋と封筒のセットを買った。
『しあわせをはこぶ手紙』とタイトルまでつけられた本のような表紙をした便箋には、しあわせをはこぶ手紙をかくためのアドバイスや、ラッキーモチーフが描かれている。
「自分のコンディションの良い時にペンをとる」
「身構えないで、楽しみながら、自分の言葉でしたためる」
「相手のことを思い浮かべながらかく」などなど。なるほどと思う。
わたしの場合「コンディションの良い時に」というのに、まずうなずいた。これはもしかすると、手紙よりメールをかくときに、特に気をつけるべきことなのかもしれない。酔ってメールするのはやめようと思いつつ、翌朝ハッと気づいて確認し、ホッとするということがよくあるし、バイオリズム低下傾向にある時にも、友人に悩み事をかき連ねたりして、自己嫌悪に陥ることもある。
「手紙をかくためには、体調を整える必要があるってことかな」
誰かに手紙をかくために、自分のコンディションを整えようと考えることは、何か素敵なことのように思えた。
そう言えば、妹の誕生日にメールもせず、そのままになっている。ここはいつものようなメールではなく、手紙をかこう。
ラッキーモチーフは4つ。
『青い鳥』言うまでもなく幸せを運ぶ。
航海の道しるべであり希望の灯りをともす『灯台』
多くの国で郵便局マークになっている『ラッパ』
綿毛を一息で吹き飛ばすと恋が成就すると言われる『たんぽぽ』
迷うことなく音楽好きの妹には『ラッパ』を選んだ。
『青い鳥』と『灯台』と『たんぽぽ』で誰に手紙をかこうかな。
今月7月は、文月である。
まず、本のような装丁に目を留めました。
そして、シンプルさに魅かれました。
『ラッパ』を郵便屋局マークにしている国が多いとは、知らなかった。
ヨーロッパでは、その昔、郵便を乗せた馬車が広場に着くと、
『ポストホルン』を高らかに鳴らし、到着を知らせたのが由来だとか。
郵便局で見つけた、涼しげな星座の切手を貼りました。
『しあわせをはこぶ手紙』とタイトルまでつけられた本のような表紙をした便箋には、しあわせをはこぶ手紙をかくためのアドバイスや、ラッキーモチーフが描かれている。
「自分のコンディションの良い時にペンをとる」
「身構えないで、楽しみながら、自分の言葉でしたためる」
「相手のことを思い浮かべながらかく」などなど。なるほどと思う。
わたしの場合「コンディションの良い時に」というのに、まずうなずいた。これはもしかすると、手紙よりメールをかくときに、特に気をつけるべきことなのかもしれない。酔ってメールするのはやめようと思いつつ、翌朝ハッと気づいて確認し、ホッとするということがよくあるし、バイオリズム低下傾向にある時にも、友人に悩み事をかき連ねたりして、自己嫌悪に陥ることもある。
「手紙をかくためには、体調を整える必要があるってことかな」
誰かに手紙をかくために、自分のコンディションを整えようと考えることは、何か素敵なことのように思えた。
そう言えば、妹の誕生日にメールもせず、そのままになっている。ここはいつものようなメールではなく、手紙をかこう。
ラッキーモチーフは4つ。
『青い鳥』言うまでもなく幸せを運ぶ。
航海の道しるべであり希望の灯りをともす『灯台』
多くの国で郵便局マークになっている『ラッパ』
綿毛を一息で吹き飛ばすと恋が成就すると言われる『たんぽぽ』
迷うことなく音楽好きの妹には『ラッパ』を選んだ。
『青い鳥』と『灯台』と『たんぽぽ』で誰に手紙をかこうかな。
今月7月は、文月である。
まず、本のような装丁に目を留めました。
そして、シンプルさに魅かれました。
『ラッパ』を郵便屋局マークにしている国が多いとは、知らなかった。
ヨーロッパでは、その昔、郵便を乗せた馬車が広場に着くと、
『ポストホルン』を高らかに鳴らし、到着を知らせたのが由来だとか。
郵便局で見つけた、涼しげな星座の切手を貼りました。
梅雨明けに生まれた蝉
朝、庭の石の上で羽化したばかりの蝉を見つけた。
梅雨明けと共に生まれるという『ニイニイゼミ』だ。土だらけの抜け殻が特徴的なその小型の蝉は、透明感が残る頼りなげな羽根がしっかりとするまで待つかのように、抜け殻の上でじっと動かずにいる。そっとしておくと、殻を置き去りにし、夕方にはいなくなっていた。
子どもの頃、蝉が恐かった。大きな声で鳴き、バタバタ音を立てて飛ぶ大きめの昆虫。飛べるということは、空を切り何処へでも自由に飛び、いつ自分のところに向かって来るかわからない。それが恐怖であると共に、薄い羽根を接触した時に傷つけてしまうのではないかと、それもまた恐怖だった。蝉に敵意があるとは思えないが、とにかく飛んで来て欲しくなかった。
事件があったのは高校の時だった。家族は何処に行ったのか誰もいない。そんな夜に限って、家の中に蝉が入ってきたのだ。大きな蝉だったように思うが大きく感じただけだったのかもしれない。それが蛍光灯を吊るしている紐にとまり、耳をふさぎたくなるほどの大きな声で鳴き始めた。
結局わたしはどうすることもできず、蝉に怯えたまま、まんじりともせず一晩過ごした。翌日学校から戻ると、蝉は畳の上で死んでいた。
何故あんなにも、蝉などが恐かったのか今ではわからない。幽霊などの類も以前より恐く感じなくなった。歳をとり子どもを育て、神経もずいぶんと太くなったのだろう。経験を積んだがために、想像力も減退しているのかもしれない。恐いシーンを想像する前に、まあ、だいじょうぶだろうと思うようになってしまった。
「想像力、ちょっと鍛えた方がいいかも」
梅雨明けしたというがすっきりしない空を見上げ、雲の向こうの青空と、飛んで行った『ニイニイゼミ』のその後を想像してみた。
木の幹にとまっていても見つからないほどにジミーな蝉くんです。
これは幹を真似た擬態だそうで、身を守るためのジミーさだとか。
土をかぶった抜け殻を見れば一目瞭然『ニイニイゼミ』だとわかります。
咲いてはすぐに散っていくハマナスは、蝉の短命を連想させますね。
食事中の『フミキリムシ』と。もとい『キイロトラカミキリ』が本名です。
梅雨明けと共に生まれるという『ニイニイゼミ』だ。土だらけの抜け殻が特徴的なその小型の蝉は、透明感が残る頼りなげな羽根がしっかりとするまで待つかのように、抜け殻の上でじっと動かずにいる。そっとしておくと、殻を置き去りにし、夕方にはいなくなっていた。
子どもの頃、蝉が恐かった。大きな声で鳴き、バタバタ音を立てて飛ぶ大きめの昆虫。飛べるということは、空を切り何処へでも自由に飛び、いつ自分のところに向かって来るかわからない。それが恐怖であると共に、薄い羽根を接触した時に傷つけてしまうのではないかと、それもまた恐怖だった。蝉に敵意があるとは思えないが、とにかく飛んで来て欲しくなかった。
事件があったのは高校の時だった。家族は何処に行ったのか誰もいない。そんな夜に限って、家の中に蝉が入ってきたのだ。大きな蝉だったように思うが大きく感じただけだったのかもしれない。それが蛍光灯を吊るしている紐にとまり、耳をふさぎたくなるほどの大きな声で鳴き始めた。
結局わたしはどうすることもできず、蝉に怯えたまま、まんじりともせず一晩過ごした。翌日学校から戻ると、蝉は畳の上で死んでいた。
何故あんなにも、蝉などが恐かったのか今ではわからない。幽霊などの類も以前より恐く感じなくなった。歳をとり子どもを育て、神経もずいぶんと太くなったのだろう。経験を積んだがために、想像力も減退しているのかもしれない。恐いシーンを想像する前に、まあ、だいじょうぶだろうと思うようになってしまった。
「想像力、ちょっと鍛えた方がいいかも」
梅雨明けしたというがすっきりしない空を見上げ、雲の向こうの青空と、飛んで行った『ニイニイゼミ』のその後を想像してみた。
木の幹にとまっていても見つからないほどにジミーな蝉くんです。
これは幹を真似た擬態だそうで、身を守るためのジミーさだとか。
土をかぶった抜け殻を見れば一目瞭然『ニイニイゼミ』だとわかります。
咲いてはすぐに散っていくハマナスは、蝉の短命を連想させますね。
食事中の『フミキリムシ』と。もとい『キイロトラカミキリ』が本名です。
ネイルは『オーガニック・デザイン』で
これまで何度も挑戦してきたが、一度たりとも上手くいった試しがなかった。マニキュア、ペティキュアの類である。色を重ねたり模様を付けたりと込み入ったことをしようとしている訳ではない。一色を綺麗に塗ること、ただそれだけのことができないのだ。
何を大げさなと思われるかもしれないが、綺麗に出来なければ塗る意味はない。マニキュアを塗った自分の手の爪はあまり好まないが、問題は足の爪である。これまでにいく度となく過ごした夏、素足でサンダルを履くときに何も塗っていない爪が見えるだけで、切ない気持ちになることが何度もあった。
「ああ、わたしいったい何やってるんだろう。どうして、こんなことになっちゃったんだろう」
自分は此処にいるというのに、自分探しの旅始まり気分に陥り、抜け出せなくなるという夏の落とし穴。五月病の如く気持ちの夏バテの一種だろうか。ここさえ切り抜けられれば、楽しい夏になる。そう思うからこそ、性懲りもなくの挑戦となった。
きっかけはアジアン雑貨屋『チャイハネ』で見つけた貼るマニキュア。スカーフを持ってレジに行くとレジ横で420円で売っていた。店員さんの手にも綺麗に貼られている。
「かんたんですよー。切って貼るだけです」
「でもわたし、超不器用なんだよね。どうやって切るの?」
「いやー、てきとーですよ、てきとー。だいじょうぶです!」
「やってみようかな」「ぜひ、オススメです!」
薬局でブルーのマニキュアと、チャイハネ店員さんオススメ、ジェルタイプのネイルコートを買い、いざ挑戦!
格闘すること30分。しかしすでにあきらめムードが漂う。
「チャイハネ店員さんの嘘つき! 全然上手く切れないし、貼れないじゃん」
八つ当たりもしたくなる。だがそこで、最近聞きかじった言葉を思い出した。『オーガニック・デザイン』自然や生き物が持っている美しさなどからひらめきを得て作り上げるデザインなのだそうだが、難しいことはさて置き、とにかくバランスを取ろうとせずに作るのだとか。
どの爪も同様にしようとか、端っこまできっちり貼ろうとか、もともとわたしにはできない相談なのである。そういう考えすべてを頭の中から追い払おう。まず塗って、塗りムラに貼って、コートして。ふたたび格闘すること30分。
できた! 初めてペティキュアができた。わたし的『オーガニック・デザイン』作品できあがりだ。
帰ってきた夫に自慢すると、彼は一瞥し「足の爪、なんか汚れてるよ」とジョークにならないジョークを飛ばしたのだ。悔しい。
チャイハネらしい奇抜な模様ばかりで嬉しくなります。
ブルーで統一しました。カラフルなサンダルにもぴったり!
ペティキュアのいいところは、間近で見るシーンがないところです。
何を大げさなと思われるかもしれないが、綺麗に出来なければ塗る意味はない。マニキュアを塗った自分の手の爪はあまり好まないが、問題は足の爪である。これまでにいく度となく過ごした夏、素足でサンダルを履くときに何も塗っていない爪が見えるだけで、切ない気持ちになることが何度もあった。
「ああ、わたしいったい何やってるんだろう。どうして、こんなことになっちゃったんだろう」
自分は此処にいるというのに、自分探しの旅始まり気分に陥り、抜け出せなくなるという夏の落とし穴。五月病の如く気持ちの夏バテの一種だろうか。ここさえ切り抜けられれば、楽しい夏になる。そう思うからこそ、性懲りもなくの挑戦となった。
きっかけはアジアン雑貨屋『チャイハネ』で見つけた貼るマニキュア。スカーフを持ってレジに行くとレジ横で420円で売っていた。店員さんの手にも綺麗に貼られている。
「かんたんですよー。切って貼るだけです」
「でもわたし、超不器用なんだよね。どうやって切るの?」
「いやー、てきとーですよ、てきとー。だいじょうぶです!」
「やってみようかな」「ぜひ、オススメです!」
薬局でブルーのマニキュアと、チャイハネ店員さんオススメ、ジェルタイプのネイルコートを買い、いざ挑戦!
格闘すること30分。しかしすでにあきらめムードが漂う。
「チャイハネ店員さんの嘘つき! 全然上手く切れないし、貼れないじゃん」
八つ当たりもしたくなる。だがそこで、最近聞きかじった言葉を思い出した。『オーガニック・デザイン』自然や生き物が持っている美しさなどからひらめきを得て作り上げるデザインなのだそうだが、難しいことはさて置き、とにかくバランスを取ろうとせずに作るのだとか。
どの爪も同様にしようとか、端っこまできっちり貼ろうとか、もともとわたしにはできない相談なのである。そういう考えすべてを頭の中から追い払おう。まず塗って、塗りムラに貼って、コートして。ふたたび格闘すること30分。
できた! 初めてペティキュアができた。わたし的『オーガニック・デザイン』作品できあがりだ。
帰ってきた夫に自慢すると、彼は一瞥し「足の爪、なんか汚れてるよ」とジョークにならないジョークを飛ばしたのだ。悔しい。
チャイハネらしい奇抜な模様ばかりで嬉しくなります。
ブルーで統一しました。カラフルなサンダルにもぴったり!
ペティキュアのいいところは、間近で見るシーンがないところです。
タイムスリップな感じ
町に帰ると、車窓から眺める田んぼの緑が眩しかった。庭では紫陽花が咲いていた。姫シャラも花を咲かせていた。ホタルブクロもうつむいて咲いている。
「間に合って、よかった」
紫陽花もホタルブクロも、今年は見られないかと思っていたのだ。
梅雨。雨が結構降ったのだなと庭を見れば判る。バジルも枯れてないし、茗荷は背丈を伸ばしている。そして、雑草。庭は雑草だらけだ。
「タイムスリップしたね」と、わたし。「草刈りしなくちゃ」と、夫。
芝だったはずの場所も、クローバー畑になっている。
何だろう、この感じ。何かに似ている。そうだ。久しぶりに会った友人の赤ん坊が立ったりしゃべったりしていて、当たり前なのにびっくりさせられる、あの感じだ。自分だけが同じ場所に留まっていて、彼らはどんどん大きくなっていくんだと淋しいような眩しいような気持ちになる、あの感じと似ている。
そんなことを考えつつ、のびのびとした緑の庭に立つと気持ちが解放されていった。草むしりはたいへんそうだが。
「家はいいな」と、娘に言うと、
「お父さんとお母さんが居るのが、なんか変な感じ」と、彼女。そして
「アメリカ人とイギリス人と中国人と日本人(娘)の4人で飲みに行くんだ」
と、出かけて行った。
2週間、のびのびしていたのは、庭の草木ばかりではなさそうだ。
ひょろっと頼りなげに伸びていた稲が、しっかり緑濃くなっていました。
紫陽花は、今が一番綺麗かも。
何年か前にいただいて挿し木したものが立派に育ちました。
ホタルブクロは、植えていないのに毎年咲きます。
子ども達の誰かが摘んできて、庭に捨てたものでしょうか。
きみも植えてないけど?
姫シャラも咲き始めたばかり。これから楽しませてくれそう。
「間に合って、よかった」
紫陽花もホタルブクロも、今年は見られないかと思っていたのだ。
梅雨。雨が結構降ったのだなと庭を見れば判る。バジルも枯れてないし、茗荷は背丈を伸ばしている。そして、雑草。庭は雑草だらけだ。
「タイムスリップしたね」と、わたし。「草刈りしなくちゃ」と、夫。
芝だったはずの場所も、クローバー畑になっている。
何だろう、この感じ。何かに似ている。そうだ。久しぶりに会った友人の赤ん坊が立ったりしゃべったりしていて、当たり前なのにびっくりさせられる、あの感じだ。自分だけが同じ場所に留まっていて、彼らはどんどん大きくなっていくんだと淋しいような眩しいような気持ちになる、あの感じと似ている。
そんなことを考えつつ、のびのびとした緑の庭に立つと気持ちが解放されていった。草むしりはたいへんそうだが。
「家はいいな」と、娘に言うと、
「お父さんとお母さんが居るのが、なんか変な感じ」と、彼女。そして
「アメリカ人とイギリス人と中国人と日本人(娘)の4人で飲みに行くんだ」
と、出かけて行った。
2週間、のびのびしていたのは、庭の草木ばかりではなさそうだ。
ひょろっと頼りなげに伸びていた稲が、しっかり緑濃くなっていました。
紫陽花は、今が一番綺麗かも。
何年か前にいただいて挿し木したものが立派に育ちました。
ホタルブクロは、植えていないのに毎年咲きます。
子ども達の誰かが摘んできて、庭に捨てたものでしょうか。
きみも植えてないけど?
姫シャラも咲き始めたばかり。これから楽しませてくれそう。
紫陽花が咲く前に
メールが来た時に、感じることがある。
「あ、この友人は透き通った水色のイメージ」
「彼女は、アメジスト色だな」「あの人は、向日葵色」「薄桃色かなぁ」
その人に感じるイメージなのだが、メールという形を持ち、そのイメージが色を帯びてくるといった感じか。
嫌なことがあった時に、透き通った水色のメールは嫌な気分を洗い流してくれる。アメジスト色はハッとさせてくれるし、向日葵色は元気をくれる。薄桃色は、ふんわりした気持ちにさせてくれる。
そんな風に感じられるのも、自分が濃く濁った黒や、何もかもを撥ねつける深い灰色になっていないからこそだと思う。底なしの闇に落ちていくような気分の時にも、できれば自分を無色透明にしておきたい。誰かの色に心を染めるのは、思いのほか楽しいし、新鮮な気持ちにもなれる。
案外そう思うことで、底なしの闇にも染まらずに居られるのかもしれない。カラフルなメール達と、それを送ってくれる友人達に感謝しつつ、紫陽花色した6月の朝の空気を、深く吸い込んだ。
もう少しで咲きそうですが、蕾のままの庭の紫陽花に別れを告げ、
スペインへ行ってきます。どんな旅になることやら。
「あ、この友人は透き通った水色のイメージ」
「彼女は、アメジスト色だな」「あの人は、向日葵色」「薄桃色かなぁ」
その人に感じるイメージなのだが、メールという形を持ち、そのイメージが色を帯びてくるといった感じか。
嫌なことがあった時に、透き通った水色のメールは嫌な気分を洗い流してくれる。アメジスト色はハッとさせてくれるし、向日葵色は元気をくれる。薄桃色は、ふんわりした気持ちにさせてくれる。
そんな風に感じられるのも、自分が濃く濁った黒や、何もかもを撥ねつける深い灰色になっていないからこそだと思う。底なしの闇に落ちていくような気分の時にも、できれば自分を無色透明にしておきたい。誰かの色に心を染めるのは、思いのほか楽しいし、新鮮な気持ちにもなれる。
案外そう思うことで、底なしの闇にも染まらずに居られるのかもしれない。カラフルなメール達と、それを送ってくれる友人達に感謝しつつ、紫陽花色した6月の朝の空気を、深く吸い込んだ。
もう少しで咲きそうですが、蕾のままの庭の紫陽花に別れを告げ、
スペインへ行ってきます。どんな旅になることやら。
アイロンを掛けたばかりの熱を持った布のハンカチ
アイロン掛けをする時に、よく映画を観る。なので、アイロン台はテレビの前が定位置だ。
最近はほとんどがタオルハンカチなので、ハンカチにアイロンを掛けることもなくなったが、布のハンカチを使っていた頃には「意味ない行動」になってしまうことも多かった。
アイロンを掛けるだけじゃつまらないので、映画を観る。笑って泣けるラブコメファンなので、切ないシーンで泣く。その涙を、アイロンを掛けたばかりのハンカチで拭く。映画を観終わって、ハンカチを洗濯に入れる。洗い終わったハンカチにアイロンを掛けつつ映画を観る。堂々巡りとは、このことである。
だが、ハンカチにアイロンを掛けなくなった今、ふとなつかしくなる。アイロンを掛けたばかりの熱を持ったハンカチで、涙を拭う感覚を。
「これって、意味ないよなぁ」と思った自分の行動にも、もしかすると何か意味があったのかもしれない。
何度も観たラブコメ、ジョニー・デップ主演映画『妹の恋人』の、パンにアイロンを掛けてトーストするという、大好きだったシーンを思い浮かべつつ、
「布のハンカチとパンに、アイロン掛けてみようかな」と、ふと考えてみた。
何年か前に買ったタオルハンカチと、最近買ったものを比べて見ると、
選ぶ色や柄に、変化が見られて面白いです。
気分や忙しさや、使う場所や、好みも変わってきているのでしょうね。
最近はほとんどがタオルハンカチなので、ハンカチにアイロンを掛けることもなくなったが、布のハンカチを使っていた頃には「意味ない行動」になってしまうことも多かった。
アイロンを掛けるだけじゃつまらないので、映画を観る。笑って泣けるラブコメファンなので、切ないシーンで泣く。その涙を、アイロンを掛けたばかりのハンカチで拭く。映画を観終わって、ハンカチを洗濯に入れる。洗い終わったハンカチにアイロンを掛けつつ映画を観る。堂々巡りとは、このことである。
だが、ハンカチにアイロンを掛けなくなった今、ふとなつかしくなる。アイロンを掛けたばかりの熱を持ったハンカチで、涙を拭う感覚を。
「これって、意味ないよなぁ」と思った自分の行動にも、もしかすると何か意味があったのかもしれない。
何度も観たラブコメ、ジョニー・デップ主演映画『妹の恋人』の、パンにアイロンを掛けてトーストするという、大好きだったシーンを思い浮かべつつ、
「布のハンカチとパンに、アイロン掛けてみようかな」と、ふと考えてみた。
何年か前に買ったタオルハンカチと、最近買ったものを比べて見ると、
選ぶ色や柄に、変化が見られて面白いです。
気分や忙しさや、使う場所や、好みも変わってきているのでしょうね。
ねじれる気持ち
何年か、詩を学んでいた。小中学生の時には、誰もが勉強する詩。それを大人になってから学んだ。大人の詩ができた。
『知恵の輪』
外そうと すればするほど 絡まって
ねじれたところが ぶつかり合い
もう どうすることも 出来なくなって
知恵の輪が 背中を合わせて
「ごめん」と 呟き合っている
夫と喧嘩をした時にかいた詩だ。喧嘩の理由やその後の経過などは、とうに忘れてしまった。それでも誰かと、気持ちがねじれ、ぶつかり合った時など思い出す。人の気持ちは、ねじれるのだと。
ねじれた気持ちを抱えつつ、知恵を絞り輪を外そうと懸命になる。おたがいが懸命になればこそ、知恵の輪はようやく外れ、面と向かって笑い合えるようになるのだ。それでも外れない知恵の輪もある。偶然や時間や疲れやイライラや様々なことが作用していく様も、人の気持ちと知恵の輪とは何処か似ている。
左から、初級、中級、上級です。百均で買いました。
初級40秒、中級5分5秒、上級1分26秒で外れました。
知恵、まだ衰えてないのかな?(上級は中級と同じタイプでした)
千円の知恵の輪もありましたが、値段的にやめました。あくまで値段的に。
『知恵の輪』
外そうと すればするほど 絡まって
ねじれたところが ぶつかり合い
もう どうすることも 出来なくなって
知恵の輪が 背中を合わせて
「ごめん」と 呟き合っている
夫と喧嘩をした時にかいた詩だ。喧嘩の理由やその後の経過などは、とうに忘れてしまった。それでも誰かと、気持ちがねじれ、ぶつかり合った時など思い出す。人の気持ちは、ねじれるのだと。
ねじれた気持ちを抱えつつ、知恵を絞り輪を外そうと懸命になる。おたがいが懸命になればこそ、知恵の輪はようやく外れ、面と向かって笑い合えるようになるのだ。それでも外れない知恵の輪もある。偶然や時間や疲れやイライラや様々なことが作用していく様も、人の気持ちと知恵の輪とは何処か似ている。
左から、初級、中級、上級です。百均で買いました。
初級40秒、中級5分5秒、上級1分26秒で外れました。
知恵、まだ衰えてないのかな?(上級は中級と同じタイプでした)
千円の知恵の輪もありましたが、値段的にやめました。あくまで値段的に。
『大スズメバチ』のズンバ?
庭の住人が増える季節だ。
先日ポストに停泊していた『ヒオドシチョウ』など、4~5羽でクヌギの蜜の周りを舞う様子を見かけることも多い。時間帯によっては、刺されると命にかかわるという恐ろしい『大スズメバチ』もいるし、カナブン類(?)ばかりのこともあるし、『コクワガタ』もいったい何処から集まったのかと思うほど突然大群で蜜に群れる姿を見せてくれる。
小さく咲いたイタリアンパセリの花には小さな虫が、中くらいに咲いたナデシコには中くらいの虫が蜜を吸いに来るのを見ては、微笑む日々。『大スズメバチ』を見て微笑むことは、まだまだ修行が足りずできないが。
(キイロスズメバチに一時に8カ所刺された経験を持ち、珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属の陶芸家である上に、山菜にも蛇にも詳しいご近所さんは『大スズメバチ』を見て、世界中の幸せを集めたような微笑みを見せてくれます。ご近所さんのブログはこちら→このはずく山麓記)
虫達が集まると言えば『てんとう虫のサンバ』でしょうと思うのは、わたしの世代以上ならではなのだろうか。娘は「ズンバを踊りに行くんだ」と夜、楽しそうに出かける準備をしていた。
「その格好で?」彼女は、普段着のTシャツにハーフパンツだ。
「だって、ズンバって運動なんだよ」と、娘。
「でもそれ、びっきーと散歩するのと同じ服だよね?」
「びっきーとの散歩だって運動じゃん」
てっきりクラブに踊りに行くようなイメージをしていたが、ジムでするエクササイズなのだそうだ。
てんとう虫や蝶ならまだしも『大スズメバチ』のは、サンバもズンバも見たくないなと考えつつ、娘を見送った。いや、しかし……と、更に考えた。ご近所さんは見たいかも。『大スズメバチ』のズンバ。
『ホシミスジチョウ』ウッドデッキのユニクロのビニールサンダルの上で。
『キイロトラカミキリ』薪小屋に住んでいる模様。
踏切色のカミキリムシなので密かに『フミキリムシ』と呼んでいます。
『コクワガタ』スタンダードなやつですが、10匹はいました。
先日ポストに停泊していた『ヒオドシチョウ』など、4~5羽でクヌギの蜜の周りを舞う様子を見かけることも多い。時間帯によっては、刺されると命にかかわるという恐ろしい『大スズメバチ』もいるし、カナブン類(?)ばかりのこともあるし、『コクワガタ』もいったい何処から集まったのかと思うほど突然大群で蜜に群れる姿を見せてくれる。
小さく咲いたイタリアンパセリの花には小さな虫が、中くらいに咲いたナデシコには中くらいの虫が蜜を吸いに来るのを見ては、微笑む日々。『大スズメバチ』を見て微笑むことは、まだまだ修行が足りずできないが。
(キイロスズメバチに一時に8カ所刺された経験を持ち、珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属の陶芸家である上に、山菜にも蛇にも詳しいご近所さんは『大スズメバチ』を見て、世界中の幸せを集めたような微笑みを見せてくれます。ご近所さんのブログはこちら→このはずく山麓記)
虫達が集まると言えば『てんとう虫のサンバ』でしょうと思うのは、わたしの世代以上ならではなのだろうか。娘は「ズンバを踊りに行くんだ」と夜、楽しそうに出かける準備をしていた。
「その格好で?」彼女は、普段着のTシャツにハーフパンツだ。
「だって、ズンバって運動なんだよ」と、娘。
「でもそれ、びっきーと散歩するのと同じ服だよね?」
「びっきーとの散歩だって運動じゃん」
てっきりクラブに踊りに行くようなイメージをしていたが、ジムでするエクササイズなのだそうだ。
てんとう虫や蝶ならまだしも『大スズメバチ』のは、サンバもズンバも見たくないなと考えつつ、娘を見送った。いや、しかし……と、更に考えた。ご近所さんは見たいかも。『大スズメバチ』のズンバ。
『ホシミスジチョウ』ウッドデッキのユニクロのビニールサンダルの上で。
『キイロトラカミキリ』薪小屋に住んでいる模様。
踏切色のカミキリムシなので密かに『フミキリムシ』と呼んでいます。
『コクワガタ』スタンダードなやつですが、10匹はいました。
心配性の彼
南アルプスの彼に、右腕をほぐしてもらいに行った。びっきーに引っ張られ、半年前に痛めてから、風呂上りの湿布と、贔屓にしているマッサージ師くんの彼頼りである。彼とは、長い付き合いなので様々なことを話す。おたがい体重が何キロ増えて戻らないとか、結婚式のスピーチを頼まれたとか、猫を拾ったとか、娘の友人のオーストラリア男子がステイしたなどなど。我が家の太陽光発電の話を聞き、最近彼の家も太陽光を入れた。
その彼の話題の中心は、何と言っても昨年末に誕生した息子くんだ。彼はとても心配性で、わたしとしては心配し過ぎだろうと思うのだが、新米パパなのでまあ当たり前なのかもしれない。
「最初ゲップをさせる時に、背中を押してアザができないかって心配だったんですよ」と、万事その様子。「ハイハイの時期が長いと背筋が強くなる」とか「少しは泣かせた方が肺活量が高くなる」とか。微笑ましい。
それでちょっと昔話をした。
「息子が6歳まで読み書きができなかったんだよね。早い子は3歳でできるのに。でもね、ちっとも心配じゃなかった。考え方によっては字が読めない時期なんて人生のほんの少しの間で、逆にそれを大切にしたいなって思ったの」
絵本の原っぱを見て「春の原っぱです」とかいてあれば、字を読めると「春」「原っぱ」と単純に思う。だが字が読めなければ、絵を見て感じるだけだ。
ある子は「森の近くかな、向こうには川の音が聞こえる」と、耳を澄ませるかも知れない。また、ある子は「虫がかくれているかもしれないぞ」と、目をこらすかも知れない。また、ある子は「遠い宇宙の何処かの星で、初めて草が背伸びした感じだ」なんて空を見上げるかもしれない。
字を読めないことで、絵だけを見られる。そんな時間を人より少し長く持った息子は想像力が豊かだ。だから優れているとか、だから劣っているとかそういうことではなく。
人はそれぞれ違う。そんなことは、誰しもわかっている。でも親になると不意に忘れてしまう時があり、その違いが苦しくなることもある。
「だいじょうぶだよ。そんなに心配しなくても。それだけ愛されていれば、きっといい子に育つから」心配性の彼にわたしのメッセージは届いただろうか。
何の実でしょう? 想像してみてください。
散歩道でも、よく見かけます。これから、少しずつ大きくなっていきます。
高いところにあって、きれいに写真が撮れません。
アップにしてみました。
肉厚の緑の皮の中に隠されているのは…… 『オニグルミ』 胡桃です。
もしも字が読めなかったら、何だろうかと考えることでしょう。
その彼の話題の中心は、何と言っても昨年末に誕生した息子くんだ。彼はとても心配性で、わたしとしては心配し過ぎだろうと思うのだが、新米パパなのでまあ当たり前なのかもしれない。
「最初ゲップをさせる時に、背中を押してアザができないかって心配だったんですよ」と、万事その様子。「ハイハイの時期が長いと背筋が強くなる」とか「少しは泣かせた方が肺活量が高くなる」とか。微笑ましい。
それでちょっと昔話をした。
「息子が6歳まで読み書きができなかったんだよね。早い子は3歳でできるのに。でもね、ちっとも心配じゃなかった。考え方によっては字が読めない時期なんて人生のほんの少しの間で、逆にそれを大切にしたいなって思ったの」
絵本の原っぱを見て「春の原っぱです」とかいてあれば、字を読めると「春」「原っぱ」と単純に思う。だが字が読めなければ、絵を見て感じるだけだ。
ある子は「森の近くかな、向こうには川の音が聞こえる」と、耳を澄ませるかも知れない。また、ある子は「虫がかくれているかもしれないぞ」と、目をこらすかも知れない。また、ある子は「遠い宇宙の何処かの星で、初めて草が背伸びした感じだ」なんて空を見上げるかもしれない。
字を読めないことで、絵だけを見られる。そんな時間を人より少し長く持った息子は想像力が豊かだ。だから優れているとか、だから劣っているとかそういうことではなく。
人はそれぞれ違う。そんなことは、誰しもわかっている。でも親になると不意に忘れてしまう時があり、その違いが苦しくなることもある。
「だいじょうぶだよ。そんなに心配しなくても。それだけ愛されていれば、きっといい子に育つから」心配性の彼にわたしのメッセージは届いただろうか。
何の実でしょう? 想像してみてください。
散歩道でも、よく見かけます。これから、少しずつ大きくなっていきます。
高いところにあって、きれいに写真が撮れません。
アップにしてみました。
肉厚の緑の皮の中に隠されているのは…… 『オニグルミ』 胡桃です。
もしも字が読めなかったら、何だろうかと考えることでしょう。
車庫入れはゆっくりの歌
「急いでないよ」と言いながら、スーパーのパーキングに車を入れる。
「急いでないよ」と先に車庫入れを始めた軽トラを、静かに見守リつつ待つ。
「急いでないよ」と、軽トラの老夫婦の様子を観察する。
「急いでないよ」と運転するおじいちゃんに、心の中で声をかける。
「いいよ、ゆっくりで。待ってるよ。だからだいじょうぶ。ゆっくりやってよ、ゆっくり。気楽にいこーよ。気楽にさー。ちっとも急いでなんかないんだよ。みんなさー、ほんとはゆっくりやりたいんだって。イエェェ」
と、待っている間に適当に歌う。『車庫入れはゆっくりの歌』
だが、おじいちゃんは急いで車を入れ、わたしが車庫入れした後に、もう一度真っ直ぐに入れ直していた。真っ直ぐに、とても真っ直ぐに。
「急がなくてもいいのにな。待ってるのにな」
買い物はおばあちゃんがひとりで行き、おじいちゃんは運転席で待っているようだった。わたしが買い物を終え車に戻っても、おじいちゃんは、まだ待っていた。彼もわたしと同じく、待たせるのは苦手で、待つことにかけては得意なのかもしれない。そして違う誰かに歌っているのかも。
「急いでないよ。いいよ、ゆっくりで」と。『車庫入れはゆっくりの歌』
みんなで「いいよ、ゆっくりで」と歌えば、世界平和も夢じゃないかもね。
薪小屋前が定位置の、我が家の軽トラくん。
10年ほど前に、廃車にするという知り合いから譲り受け、
エンジンだけ変えて、元気に走っています。
薪小屋横に、今年も咲いたラベンダー。
「急いでないよ」と先に車庫入れを始めた軽トラを、静かに見守リつつ待つ。
「急いでないよ」と、軽トラの老夫婦の様子を観察する。
「急いでないよ」と運転するおじいちゃんに、心の中で声をかける。
「いいよ、ゆっくりで。待ってるよ。だからだいじょうぶ。ゆっくりやってよ、ゆっくり。気楽にいこーよ。気楽にさー。ちっとも急いでなんかないんだよ。みんなさー、ほんとはゆっくりやりたいんだって。イエェェ」
と、待っている間に適当に歌う。『車庫入れはゆっくりの歌』
だが、おじいちゃんは急いで車を入れ、わたしが車庫入れした後に、もう一度真っ直ぐに入れ直していた。真っ直ぐに、とても真っ直ぐに。
「急がなくてもいいのにな。待ってるのにな」
買い物はおばあちゃんがひとりで行き、おじいちゃんは運転席で待っているようだった。わたしが買い物を終え車に戻っても、おじいちゃんは、まだ待っていた。彼もわたしと同じく、待たせるのは苦手で、待つことにかけては得意なのかもしれない。そして違う誰かに歌っているのかも。
「急いでないよ。いいよ、ゆっくりで」と。『車庫入れはゆっくりの歌』
みんなで「いいよ、ゆっくりで」と歌えば、世界平和も夢じゃないかもね。
薪小屋前が定位置の、我が家の軽トラくん。
10年ほど前に、廃車にするという知り合いから譲り受け、
エンジンだけ変えて、元気に走っています。
薪小屋横に、今年も咲いたラベンダー。
ポスティーノの贈り物
我が家のポストなのだが、彼らはどうも気に入ったようだ。
まずはミノムシ。移動してもらうのは致し方ないが、その蓑の作り方に魅かれた。同じ大きさの枝ではなく、大小様々にアートの如く選び並べている。
そして蝶。蝶というものは、ひらひらとあちらこちらに舞い、一所に居られない生き物だと思っていたのだが、彼(または彼女?)は違った。朝刊を取りに行った時から、夕刻のびっきーの散歩まで、ずっとポストの上に滞在していた。調べてみると『ヒオドシチョウ』という名の者らしい。ずっと閉じていた羽根を開くと、鮮やかなオレンジ色に驚かされた。そのオレンジが戦国時代の『緋縅(ひおどし)』と呼ばれた鎧に似ていたことから名付けられたそうだ。
彼らを驚かせないためなのか、その日、ポストへの配達はなかった。
「ポスティーノ?」空を見上げ、つぶやいた。
末娘が小学生の頃、一緒に見ていたアニメ『王ドロボウJING』に出て来たキャラクターの名だ。
登場人物にカクテルやお酒の名をつけたお洒落なそのアニメは、主人公ジンがドロボウであり、弱い者の味方であり、10代前半の子どもだった。敵はみな大人で、味方は皮肉ばかり言うキールという鳥だけだ。そのなかでポスティーノは唯一敵ではない大人だった。ジンを温かく見守っているようにも見えたが、助けたりはしない。彼の仕事は郵便を運ぶ。ザッツオール。ジンがそれで助けられたかどうかは彼には関係ない。届ける物があれば、過去にも未来にも、架空の世界にも彼は行く。何故なら郵便屋だから。
夕刻も6時過ぎ。ポストを見に行くと蝶はもう、いなかった。鮮やかなオレンジ色は、ポスティーノの贈り物だったのか。いつか大人になったらポスティーノになりたいな。神出鬼没でいつも大切なものを届けてくれる郵便屋さんに。
ミノムシアート。
『ヒオドシチョウ』ジミーな外向けの顔です。
でも、なかは! シャッター音でまた羽を閉じてしまいました。
よく見ると、外側のフリル(?)には瑠璃色の斑点が入っています。
まずはミノムシ。移動してもらうのは致し方ないが、その蓑の作り方に魅かれた。同じ大きさの枝ではなく、大小様々にアートの如く選び並べている。
そして蝶。蝶というものは、ひらひらとあちらこちらに舞い、一所に居られない生き物だと思っていたのだが、彼(または彼女?)は違った。朝刊を取りに行った時から、夕刻のびっきーの散歩まで、ずっとポストの上に滞在していた。調べてみると『ヒオドシチョウ』という名の者らしい。ずっと閉じていた羽根を開くと、鮮やかなオレンジ色に驚かされた。そのオレンジが戦国時代の『緋縅(ひおどし)』と呼ばれた鎧に似ていたことから名付けられたそうだ。
彼らを驚かせないためなのか、その日、ポストへの配達はなかった。
「ポスティーノ?」空を見上げ、つぶやいた。
末娘が小学生の頃、一緒に見ていたアニメ『王ドロボウJING』に出て来たキャラクターの名だ。
登場人物にカクテルやお酒の名をつけたお洒落なそのアニメは、主人公ジンがドロボウであり、弱い者の味方であり、10代前半の子どもだった。敵はみな大人で、味方は皮肉ばかり言うキールという鳥だけだ。そのなかでポスティーノは唯一敵ではない大人だった。ジンを温かく見守っているようにも見えたが、助けたりはしない。彼の仕事は郵便を運ぶ。ザッツオール。ジンがそれで助けられたかどうかは彼には関係ない。届ける物があれば、過去にも未来にも、架空の世界にも彼は行く。何故なら郵便屋だから。
夕刻も6時過ぎ。ポストを見に行くと蝶はもう、いなかった。鮮やかなオレンジ色は、ポスティーノの贈り物だったのか。いつか大人になったらポスティーノになりたいな。神出鬼没でいつも大切なものを届けてくれる郵便屋さんに。
ミノムシアート。
『ヒオドシチョウ』ジミーな外向けの顔です。
でも、なかは! シャッター音でまた羽を閉じてしまいました。
よく見ると、外側のフリル(?)には瑠璃色の斑点が入っています。
言葉には必要以上に魂を持たせずに
愚痴をこぼし「そうだよねぇ」と共感してもらうことでホッとしたり楽になったりすることがよくある。だがそれで調子に乗ってはいけないと、自分に言い聞かせることも、ままある。
そう思うようになったのは『言霊』(ことだま)について、友人から話を聞いてからだ。
「言葉にしちゃうと、その言葉が魂を持つんだよ。だから、言葉にしちゃいけないこともあるんだよ」
たとえば「離婚しようかと思う」と、迷いながらも友人達に言ってしまったがために、離婚したいという気持ちを、自分で思う以上に膨らませてしまった人。子どもをあまやかしていると批判され「叩いて育てています」と反論し、有言実行に囚われ子どもを叩くようになってしまった母親など。言葉の持つ重みは、思わぬ方向へと人を動かしてしまう場合もあるのだ。
愚痴は、何処までいっても愚痴のままでいい。愚痴って共感してもらうと、あたかも自分が正しいような気分になることもあるし、人の気持ちを掘り起こして、自分が正しいと言いたくなることもある。愚痴には悪意を持ちやすい要素がどうしても含まれてしまうのだ。しかし『言霊』の話は、そんな自分にいつもブレーキを掛けてくれる。言葉には、必要以上に魂を持たせてはいけない。ただ愚痴をこぼし、ほんの少し楽になるならもうそれでいいと。
幸い(?)わたしの場合、おしゃべりな家族や友人に囲まれ、愚痴はこぼすより、こぼされることの方が多い。それでも愚痴りたい時に聞いてくれる人がいるってことは、何より幸せなことだと実感している。
言霊と聞いて思い出すのは、サザンオールスターズの『愛の言霊』
我が家のCDラックにある、この2枚に収録されていました。
『海のYeah!!!!!』『 Young Love 』
ロッド・スチュワートがアルバム『 HUMAN 』で歌っている
『 Soul On Soul 』も、魂という言葉から連想。「心と心を重ね合わせて」
みたいな意味だと思います。愛には言霊は必要不可欠かなぁ。
そう思うようになったのは『言霊』(ことだま)について、友人から話を聞いてからだ。
「言葉にしちゃうと、その言葉が魂を持つんだよ。だから、言葉にしちゃいけないこともあるんだよ」
たとえば「離婚しようかと思う」と、迷いながらも友人達に言ってしまったがために、離婚したいという気持ちを、自分で思う以上に膨らませてしまった人。子どもをあまやかしていると批判され「叩いて育てています」と反論し、有言実行に囚われ子どもを叩くようになってしまった母親など。言葉の持つ重みは、思わぬ方向へと人を動かしてしまう場合もあるのだ。
愚痴は、何処までいっても愚痴のままでいい。愚痴って共感してもらうと、あたかも自分が正しいような気分になることもあるし、人の気持ちを掘り起こして、自分が正しいと言いたくなることもある。愚痴には悪意を持ちやすい要素がどうしても含まれてしまうのだ。しかし『言霊』の話は、そんな自分にいつもブレーキを掛けてくれる。言葉には、必要以上に魂を持たせてはいけない。ただ愚痴をこぼし、ほんの少し楽になるならもうそれでいいと。
幸い(?)わたしの場合、おしゃべりな家族や友人に囲まれ、愚痴はこぼすより、こぼされることの方が多い。それでも愚痴りたい時に聞いてくれる人がいるってことは、何より幸せなことだと実感している。
言霊と聞いて思い出すのは、サザンオールスターズの『愛の言霊』
我が家のCDラックにある、この2枚に収録されていました。
『海のYeah!!!!!』『 Young Love 』
ロッド・スチュワートがアルバム『 HUMAN 』で歌っている
『 Soul On Soul 』も、魂という言葉から連想。「心と心を重ね合わせて」
みたいな意味だと思います。愛には言霊は必要不可欠かなぁ。
隣の芝生的に見た我が家の庭
真紅の薔薇が、咲いた。
我が家の庭は、手入れというほど手を入れていないので、薔薇も近くで見ると花びらが虫に食われている。しかし道路に出て見てみると、意外と綺麗に見えるから不思議だ。一歩と言わず10歩くらい下がって見てもらえると、緑豊かなこの季節なので、なお綺麗。隣の芝生的な感じで。
茗荷の芽が背比べをするように伸び、蕗は思い切り葉を広げ、姫シャラの木には硬い蕾。紫陽花は自分の季節になるのを今か今かと待ち構えるように日々蕾を大きくしていく。ナデシコもピンクの花を咲かせ始めた。
通り道なのに蜘蛛が巣を立派に広げていたり、防虫剤を使わないせいか様々な虫も見かける。蛙やトカゲも住処としている様子だ。鳥達もやって来る。
「イングリッシュガーデンには成り得ないね」と、葉を広げた蕗を見て、夫。
「ふきのとうの天麩羅には、変えられないでしょ?」と、わたし。
「あーっ、こんなところに向日葵の芽が!」と、芝をのぞき込み、夫。
彼は冬の間、野鳥のためにと毎日向日葵の種を撒いていた。
「それって、まさに自分で蒔いた種だねぇ」とくすくす笑いつつ、わたし。
「何でまた、茗荷増やしてんの?」と、今年植えた茗荷を見て、夫。
「茗荷は、いくら採れても困らないんだから」と、わたし。
そんな風で、野菜を育てるだけの根気も根性も持ち合わせがなく、ガーデンでも畑でもなく、庭でいいと割り切っている。取りきれない雑草が、元気に生えているくらいが丁度いいさと、開き直って、庭の真ん中で深呼吸する幸せ。
わたしよりもずいぶんと熱心に手入れをしてる夫が、どう思っているのかは聞かないことにしているが、10歩下がって隣の芝生的な感じで「なかなか綺麗じゃん」などと眺めつつ、ふと、もしかすると彼は、意図的に10歩離れてわたしを見ているのかもしれないなと考え、現実を見ないようにとかき消した。
バーラが咲いたぁ ♪ と歌いたくなるのわかりますよね。可愛い!
姫シャラは白い花を咲かせます。夏椿とも呼ばれています。
上の写真では薔薇の右側の細い木です。木肌も立ち姿も綺麗です。
我が家の庭は、手入れというほど手を入れていないので、薔薇も近くで見ると花びらが虫に食われている。しかし道路に出て見てみると、意外と綺麗に見えるから不思議だ。一歩と言わず10歩くらい下がって見てもらえると、緑豊かなこの季節なので、なお綺麗。隣の芝生的な感じで。
茗荷の芽が背比べをするように伸び、蕗は思い切り葉を広げ、姫シャラの木には硬い蕾。紫陽花は自分の季節になるのを今か今かと待ち構えるように日々蕾を大きくしていく。ナデシコもピンクの花を咲かせ始めた。
通り道なのに蜘蛛が巣を立派に広げていたり、防虫剤を使わないせいか様々な虫も見かける。蛙やトカゲも住処としている様子だ。鳥達もやって来る。
「イングリッシュガーデンには成り得ないね」と、葉を広げた蕗を見て、夫。
「ふきのとうの天麩羅には、変えられないでしょ?」と、わたし。
「あーっ、こんなところに向日葵の芽が!」と、芝をのぞき込み、夫。
彼は冬の間、野鳥のためにと毎日向日葵の種を撒いていた。
「それって、まさに自分で蒔いた種だねぇ」とくすくす笑いつつ、わたし。
「何でまた、茗荷増やしてんの?」と、今年植えた茗荷を見て、夫。
「茗荷は、いくら採れても困らないんだから」と、わたし。
そんな風で、野菜を育てるだけの根気も根性も持ち合わせがなく、ガーデンでも畑でもなく、庭でいいと割り切っている。取りきれない雑草が、元気に生えているくらいが丁度いいさと、開き直って、庭の真ん中で深呼吸する幸せ。
わたしよりもずいぶんと熱心に手入れをしてる夫が、どう思っているのかは聞かないことにしているが、10歩下がって隣の芝生的な感じで「なかなか綺麗じゃん」などと眺めつつ、ふと、もしかすると彼は、意図的に10歩離れてわたしを見ているのかもしれないなと考え、現実を見ないようにとかき消した。
バーラが咲いたぁ ♪ と歌いたくなるのわかりますよね。可愛い!
姫シャラは白い花を咲かせます。夏椿とも呼ばれています。
上の写真では薔薇の右側の細い木です。木肌も立ち姿も綺麗です。
どっちでもいいこと?
「スピードラーニング」を「スピードランニング」だと思い込んでいた。
石川遼くんのCMで有名な聞き流し英会話レッスンのことだ。
「ランニングと同じく、毎日続けることが大切なんだー」と、解釈していた。
何年か前に1年間だけやって放り出したまま、上の娘が使い、夫が聞き、元は取れた感はあるが、気づいた時には愕然とした。
「もともとのところで、聴けてないじゃん」と、落ち込む。
「@ビリング」を「@リビング」だと思い込んでいた。
NTTのWebで料金明細が見られるサービスのことだ。
「リビングにいて明細が見られるんだー」と、またも勝手に解釈していた。
「ビリングって何だよ。引っかけかいな」と、文句も言いたくなる。
どうしても知っている言葉で完結したがる癖があるのだ。その癖、きちんと覚えようという気がなく、
「あれ? スパゲッティ・カルボラーナだっけ? カルボナーラだっけ?」
「パイレーツ・オブ・カビリアン? ん? カリビアン?」
などとクエスチョンマークを頭に乗せつつ、どっちでもいいやと、
「カルボラーナ」「カビリアン」と言ったりして、娘にチェックされる。
「小さなことだよ。細かいこと言うなよ」と思うのは、わたしだけだろうか。
そう言えば昔、母が「チャッカマン」のことを「チャックマン」と言っていて、指摘したのもわたしだったような気もするが。
米糠から作ったという蝋燭と、チャッカマン!
小川未明の『赤い蝋燭と人魚』を思い出しますね。
石川遼くんのCMで有名な聞き流し英会話レッスンのことだ。
「ランニングと同じく、毎日続けることが大切なんだー」と、解釈していた。
何年か前に1年間だけやって放り出したまま、上の娘が使い、夫が聞き、元は取れた感はあるが、気づいた時には愕然とした。
「もともとのところで、聴けてないじゃん」と、落ち込む。
「@ビリング」を「@リビング」だと思い込んでいた。
NTTのWebで料金明細が見られるサービスのことだ。
「リビングにいて明細が見られるんだー」と、またも勝手に解釈していた。
「ビリングって何だよ。引っかけかいな」と、文句も言いたくなる。
どうしても知っている言葉で完結したがる癖があるのだ。その癖、きちんと覚えようという気がなく、
「あれ? スパゲッティ・カルボラーナだっけ? カルボナーラだっけ?」
「パイレーツ・オブ・カビリアン? ん? カリビアン?」
などとクエスチョンマークを頭に乗せつつ、どっちでもいいやと、
「カルボラーナ」「カビリアン」と言ったりして、娘にチェックされる。
「小さなことだよ。細かいこと言うなよ」と思うのは、わたしだけだろうか。
そう言えば昔、母が「チャッカマン」のことを「チャックマン」と言っていて、指摘したのもわたしだったような気もするが。
米糠から作ったという蝋燭と、チャッカマン!
小川未明の『赤い蝋燭と人魚』を思い出しますね。
大人になりそびれて
イタリアンパセリの葉に、芋虫を見つけた。
「ちょっと。食べないでよね」
と言いつつも、手で触ることはできず、イタリアンパセリの茎を千切り、隣の林へと移動してもらった。移動の間も動かなかったので、のんびりしたタイプだと思っていたが、林に降りた途端、チビ蟻に追いかけられ、猛スピードで逃げる、逃げる。シャクトリムシ仕様の歩き方なので、猛スピードと言っても知れてはいるのだが。
ネット検索してみたら『オオシマカラスヨトウ』という蛾の幼虫だとわかった。幼虫は黄緑色も鮮やかで美しいが、大人になると黒が勝ったモノトーンの蛾になる。お世辞にも綺麗とは言い難い姿だ。
「大人になんか、なりたくない」
芋虫も思うのだろうか。それとも早く自由に飛べるようになりたいとでも思っているのだろうか。
今月23歳になった娘は、言っていた。
「23歳って十分大人だと思ってたけど、自分がなってみると全然違った。全く大人とは言えないよ」
そうだねと、わたしも受け合った。
「お母さんだって、50歳過ぎた今でも大人になんてなれてないもん」
そうだねぇと、何故か娘も受け合った。
ここで言う大人というのは、自分が抱え育ててきた大人のイメージのことだ。ハイヒールがかっこよく履けるとか、飲み会で「生中おかわり!」と誰よりも早く言わないとか、運転中『オブラディ・オブラダ』を10回リピートして聴かないとか、「お風呂入るの面倒くさいよー」と娘に向かって駄々をこねないとか。そういった自分のなかの大人のイメージ。
大人の階段、いつ踏み外したんだろうか。わたしもいつか、大人になれる日が来るのかな? もう、ムリか。
イタリアンパセリを大事そうに抱えています。美味しいのかな?
達者で暮らせよー。玄関の外灯にお礼言いに来なくていいからねー。
イタリアンパセリの蕾です。花火のような不思議な形。
隣の林に飛んだ種が芽を出して、たくさん咲きそうです。
写真に撮った分は、ランチのサラダに入れました。
「ちょっと。食べないでよね」
と言いつつも、手で触ることはできず、イタリアンパセリの茎を千切り、隣の林へと移動してもらった。移動の間も動かなかったので、のんびりしたタイプだと思っていたが、林に降りた途端、チビ蟻に追いかけられ、猛スピードで逃げる、逃げる。シャクトリムシ仕様の歩き方なので、猛スピードと言っても知れてはいるのだが。
ネット検索してみたら『オオシマカラスヨトウ』という蛾の幼虫だとわかった。幼虫は黄緑色も鮮やかで美しいが、大人になると黒が勝ったモノトーンの蛾になる。お世辞にも綺麗とは言い難い姿だ。
「大人になんか、なりたくない」
芋虫も思うのだろうか。それとも早く自由に飛べるようになりたいとでも思っているのだろうか。
今月23歳になった娘は、言っていた。
「23歳って十分大人だと思ってたけど、自分がなってみると全然違った。全く大人とは言えないよ」
そうだねと、わたしも受け合った。
「お母さんだって、50歳過ぎた今でも大人になんてなれてないもん」
そうだねぇと、何故か娘も受け合った。
ここで言う大人というのは、自分が抱え育ててきた大人のイメージのことだ。ハイヒールがかっこよく履けるとか、飲み会で「生中おかわり!」と誰よりも早く言わないとか、運転中『オブラディ・オブラダ』を10回リピートして聴かないとか、「お風呂入るの面倒くさいよー」と娘に向かって駄々をこねないとか。そういった自分のなかの大人のイメージ。
大人の階段、いつ踏み外したんだろうか。わたしもいつか、大人になれる日が来るのかな? もう、ムリか。
イタリアンパセリを大事そうに抱えています。美味しいのかな?
達者で暮らせよー。玄関の外灯にお礼言いに来なくていいからねー。
イタリアンパセリの蕾です。花火のような不思議な形。
隣の林に飛んだ種が芽を出して、たくさん咲きそうです。
写真に撮った分は、ランチのサラダに入れました。
もみじのプロペラと少年
不意に夕立が来た、日曜の夕方4時。
「あー、フライングしてる!」と、わたし。夫が缶ビールを開けている。
「あ、バレた?」と、彼が言う前に、わたしは冷蔵庫から自分のビールを出し、プルトップを引いた。
「2階のベランダで、飲もうか」と、夫。
「いいねぇ。ヤマボウシの花見だねぇ」と、わたし。
ヤマボウシの花は上に向かって咲くので、木が大きくなるにつれ2階からしか見られなくなってしまった。
「あれ何? もみじに赤いのがくっついてる」と、わたし。
「もみじの花だよ。もみじのプロペラ」と、夫。
確かにプロペラのような形をしている。可愛い。
夫が一眼レフを持って来て、写真を撮り始めた。わたしは隣で、ゆっくりビールを空けた。雨が酷くなり、風も吹いてもみじも揺れる。撮影は難航しているようだった。しかし当然、彼には止める様子はない。もみじのプロペラの一瞬を手に入れるまで、何処までも追いかけていくのだ。わたしは静かに待つしかない。彼の背中ともみじのプロペラ。そして、夕方の薄い闇のなか浮き上がる白いヤマボウシを眺めつつ思う。
「いつまでも、少年だなぁ」
そしてまた、こうも思う。少年よ。いつまでも少年なのはいいけど、家の中でサッカーボール蹴るのは止めて欲しいんだけどな、と。
だんだんに遠くなる雷を聞きながら。
2階から見たもみじ。もみじの花が赤いとは、意外でした。
ほんとにプロペラそっくり! 一眼レフ、違うなぁ。やっぱり。
遠くへ飛んでいくためにプロペラ型の翼を持っているそうです。
ヤマボウシも雨に濡れて、白が栄えていました。
「あー、フライングしてる!」と、わたし。夫が缶ビールを開けている。
「あ、バレた?」と、彼が言う前に、わたしは冷蔵庫から自分のビールを出し、プルトップを引いた。
「2階のベランダで、飲もうか」と、夫。
「いいねぇ。ヤマボウシの花見だねぇ」と、わたし。
ヤマボウシの花は上に向かって咲くので、木が大きくなるにつれ2階からしか見られなくなってしまった。
「あれ何? もみじに赤いのがくっついてる」と、わたし。
「もみじの花だよ。もみじのプロペラ」と、夫。
確かにプロペラのような形をしている。可愛い。
夫が一眼レフを持って来て、写真を撮り始めた。わたしは隣で、ゆっくりビールを空けた。雨が酷くなり、風も吹いてもみじも揺れる。撮影は難航しているようだった。しかし当然、彼には止める様子はない。もみじのプロペラの一瞬を手に入れるまで、何処までも追いかけていくのだ。わたしは静かに待つしかない。彼の背中ともみじのプロペラ。そして、夕方の薄い闇のなか浮き上がる白いヤマボウシを眺めつつ思う。
「いつまでも、少年だなぁ」
そしてまた、こうも思う。少年よ。いつまでも少年なのはいいけど、家の中でサッカーボール蹴るのは止めて欲しいんだけどな、と。
だんだんに遠くなる雷を聞きながら。
2階から見たもみじ。もみじの花が赤いとは、意外でした。
ほんとにプロペラそっくり! 一眼レフ、違うなぁ。やっぱり。
遠くへ飛んでいくためにプロペラ型の翼を持っているそうです。
ヤマボウシも雨に濡れて、白が栄えていました。
素晴らしきかな湿布人生
夜中に寝返りを打ち、腕をひねる痛さに目が覚める。Tシャツを頭からかぶって腕を通す時、うっかりひねって痛さにしばらく動けずにいる。健康診断の際、言われるがままに右腕を血圧測定機に入れ、血圧が上がるのでは? と思うほど痛みに耐えた。(血の気が引いたのか、上が100いかなかった)
毎日湿布を貼っている。半年前にびっきーに引っ張られた右腕にだ。
何年か前に同じように左腕を痛めた時には、完治まできっかり1年かかった。まだ半年。気長に痛む腕と付き合っている。
「湿布って、かっこ悪いよね。これ、タトゥーみたいにさぁ、蝶とかにデザイン化したら売れるかも」と、夫に言うと、
「誰が買うんだよ? だいたい単価的に無理でしょう」
と、現実を突き付けられた。いいと思ったんだけどな。
だが、湿布を貼った後の快感は、痛さに勝るものがある。これからの季節は特に、このひんやり感にはうっとりさせられる。
「長めの半袖を着て、あと半年、付き合うか」
痛みも中途半端、治るという想定のもとだからこそ言えるのだと思うのだが、しばらくは覚悟を決め「素晴らしきかな湿布人生」とでも思って楽しもう。
上の娘がタトゥーを彫ろうかなと言った時には、反対しました。
(本気で彫るつもりはなかったようですが)
これは彼女が、フィリピンで描いてもらったというインド発『ヘナ』
1週間くらいで、すっかり消えました。
毎日湿布を貼っている。半年前にびっきーに引っ張られた右腕にだ。
何年か前に同じように左腕を痛めた時には、完治まできっかり1年かかった。まだ半年。気長に痛む腕と付き合っている。
「湿布って、かっこ悪いよね。これ、タトゥーみたいにさぁ、蝶とかにデザイン化したら売れるかも」と、夫に言うと、
「誰が買うんだよ? だいたい単価的に無理でしょう」
と、現実を突き付けられた。いいと思ったんだけどな。
だが、湿布を貼った後の快感は、痛さに勝るものがある。これからの季節は特に、このひんやり感にはうっとりさせられる。
「長めの半袖を着て、あと半年、付き合うか」
痛みも中途半端、治るという想定のもとだからこそ言えるのだと思うのだが、しばらくは覚悟を決め「素晴らしきかな湿布人生」とでも思って楽しもう。
上の娘がタトゥーを彫ろうかなと言った時には、反対しました。
(本気で彫るつもりはなかったようですが)
これは彼女が、フィリピンで描いてもらったというインド発『ヘナ』
1週間くらいで、すっかり消えました。
くよくよの種
クールであるはずのみずがめ座にして、O型大らか大雑把なわたしだが、くよくよモードになることだって、ある。
たとえば、夫にメールしたのに返信がない時。たとえば、娘にメールしたのに返信がない時。たとえば、息子にメールしたのに返信がない時。たとえば、友人にメールしたのに返信がない時。いつも返信が早い相手ほど心配になる。
パソコンやらケータイやらは、くよくよモードの種を蒔く。時間という水を吸い、種は芽を出し勢いよく伸びていく。
何か、気に触ることかいたかな? いや、それ以前に他の理由で怒ってるのかも。熱で、寝込んでる? 生きてるんだろうか。事故? トラブル? いやいや、やっぱり何か怒ってるのかも。無神経なこと言ったかな?
「あー、どうしたらいいんだ!」
先日、そんなことを一週間繰り返し、友人に電話した。
「あ、あの、元気?」と、つかえつつわたし。
「うん、元気だよー。どうかしたの?」と、友人。
「あのさ、先週のメールだけどさ」と、思い切ってわたし。
「メール? もらったっけ? いや、来てないと思うよ」と、友人。
結局そのメールは行方不明のまま届くことはなかった。海の底深く沈んでいるのか、宇宙の果てのブラックホールに入ってしまったのか。失くなって困るメールではなかったので、ひとしきり友人としゃべりホッとして電話を切った。
また、夫からも生存確認メールの返事が来ず、仕事にかこつけて電話した。
「えっ? 返事かいたけど」と、夫。
「来てないよー」と、わたし。結局そのメールは夜、彼が家に帰って来てから着いた。「午前8時送信しました」全く、何処で迷子になっていたのやら。
メールは便利だ。だが時に、くよくよの種を蒔く。映画『ユー・ガット・メール』のトム・ハンクスとメグ・ライアンのように、一喜一憂して恋する人からのメールを待っている訳でもないのにと、自分でも呆れるのだが。
たまには、手紙をかこうかな。
筆不精だけど、封筒や便箋を、文房具屋で物色するのは大好き。
たとえば、夫にメールしたのに返信がない時。たとえば、娘にメールしたのに返信がない時。たとえば、息子にメールしたのに返信がない時。たとえば、友人にメールしたのに返信がない時。いつも返信が早い相手ほど心配になる。
パソコンやらケータイやらは、くよくよモードの種を蒔く。時間という水を吸い、種は芽を出し勢いよく伸びていく。
何か、気に触ることかいたかな? いや、それ以前に他の理由で怒ってるのかも。熱で、寝込んでる? 生きてるんだろうか。事故? トラブル? いやいや、やっぱり何か怒ってるのかも。無神経なこと言ったかな?
「あー、どうしたらいいんだ!」
先日、そんなことを一週間繰り返し、友人に電話した。
「あ、あの、元気?」と、つかえつつわたし。
「うん、元気だよー。どうかしたの?」と、友人。
「あのさ、先週のメールだけどさ」と、思い切ってわたし。
「メール? もらったっけ? いや、来てないと思うよ」と、友人。
結局そのメールは行方不明のまま届くことはなかった。海の底深く沈んでいるのか、宇宙の果てのブラックホールに入ってしまったのか。失くなって困るメールではなかったので、ひとしきり友人としゃべりホッとして電話を切った。
また、夫からも生存確認メールの返事が来ず、仕事にかこつけて電話した。
「えっ? 返事かいたけど」と、夫。
「来てないよー」と、わたし。結局そのメールは夜、彼が家に帰って来てから着いた。「午前8時送信しました」全く、何処で迷子になっていたのやら。
メールは便利だ。だが時に、くよくよの種を蒔く。映画『ユー・ガット・メール』のトム・ハンクスとメグ・ライアンのように、一喜一憂して恋する人からのメールを待っている訳でもないのにと、自分でも呆れるのだが。
たまには、手紙をかこうかな。
筆不精だけど、封筒や便箋を、文房具屋で物色するのは大好き。
蛙と虹と喫茶店の薄暗いカウンター
たぶん同一人物だと思われる。5日ほどでずいぶん見た目も変わったが、同じ場所にたたずんでいる姿は同一オーラを発していた。蛙を人物と言うならば。
夕方庭に水を撒こうと水道の蛇口に手を伸ばしかけ、わっと驚かされた。そこが涼しいのだろうか。蛇口にひっかけておいたホースに、如何にもホッとした様子で、うたた寝でもするかのようにじっとしていた。ニホンアマガエルだ。
餌となる羽虫などにも不自由しない、彼らの季節。太って緑も濃くなり、貫録も出て来た。田んぼではなく、我が家の庭を住処と決めたのだろうか。それともはるばる散歩に来ているのだろうか。夜そこらじゅうの田んぼからわんわんと響き渡る合唱には、彼も参加しているのだろうか。
「悪いけど、ホース貸してね」
我が家のホースだが、つい彼の物のような言い方になった。もちろん遠慮はせず、ホースに手をかける。すると彼は大きく弧を描くように跳ね、ドウダンツツジの影に消えていった。後ろ姿を見送り、料理用にと植えたばかりのバジルやローズマリー、勝手に芽を出したイタリアンパセリや友人に貰ったレモンバーム達が待つ庭に、たっぷりと水を撒きく。水しぶきに小さな虹がかかった。
明日も姿を現すだろうか。今度顔を見かけたら、名前でも付けようか。ホースがお気に入りのようだが『ホース』じゃ馬っぽい。蛙に似合う名前を考えておこう。水道水が作り出す虹を眺めつつ、考えを巡らせ思い出した。
19の頃にバイトしていた喫茶店の常連、山田くんに本を薦められた。水上勉の『ブンナよ、木からおりてこい』(新潮社)ブンナは、トノサマガエルだ。平穏な池周辺の環境から、高い木の上という外へ出ようと挑戦する若い蛙。
「山田くん、どうしてるかな」少し年下の可愛い男の子だった。
ふいに、バイトしていた喫茶店の薄暗いカウンターを思い出した。庭の蛙を見て、そんな風に今わたしが思っていることなど、彼は思いもよらないだろう。
ホースで休む蛙と小さな虹。そして、記憶のなかの喫茶店の薄暗いカウンター。我が家の庭には、様々なものがある。
5月18日 頭は日影に入っていますが尻隠さず?
5月22日 ニホンアマガエルは、周囲の色に合わせて変色するそうですが、
青いホースの上にいても、さすがにブルーにはならないんですね。
しかし黄緑色も鮮やか! 蛇口に近づくと、ジャンプしました。
山形では蛙を『びっき』と呼ぶ地方もあるそうですが、
「そ、その名前だけは、やめましょう」と、びっきー。
夕方庭に水を撒こうと水道の蛇口に手を伸ばしかけ、わっと驚かされた。そこが涼しいのだろうか。蛇口にひっかけておいたホースに、如何にもホッとした様子で、うたた寝でもするかのようにじっとしていた。ニホンアマガエルだ。
餌となる羽虫などにも不自由しない、彼らの季節。太って緑も濃くなり、貫録も出て来た。田んぼではなく、我が家の庭を住処と決めたのだろうか。それともはるばる散歩に来ているのだろうか。夜そこらじゅうの田んぼからわんわんと響き渡る合唱には、彼も参加しているのだろうか。
「悪いけど、ホース貸してね」
我が家のホースだが、つい彼の物のような言い方になった。もちろん遠慮はせず、ホースに手をかける。すると彼は大きく弧を描くように跳ね、ドウダンツツジの影に消えていった。後ろ姿を見送り、料理用にと植えたばかりのバジルやローズマリー、勝手に芽を出したイタリアンパセリや友人に貰ったレモンバーム達が待つ庭に、たっぷりと水を撒きく。水しぶきに小さな虹がかかった。
明日も姿を現すだろうか。今度顔を見かけたら、名前でも付けようか。ホースがお気に入りのようだが『ホース』じゃ馬っぽい。蛙に似合う名前を考えておこう。水道水が作り出す虹を眺めつつ、考えを巡らせ思い出した。
19の頃にバイトしていた喫茶店の常連、山田くんに本を薦められた。水上勉の『ブンナよ、木からおりてこい』(新潮社)ブンナは、トノサマガエルだ。平穏な池周辺の環境から、高い木の上という外へ出ようと挑戦する若い蛙。
「山田くん、どうしてるかな」少し年下の可愛い男の子だった。
ふいに、バイトしていた喫茶店の薄暗いカウンターを思い出した。庭の蛙を見て、そんな風に今わたしが思っていることなど、彼は思いもよらないだろう。
ホースで休む蛙と小さな虹。そして、記憶のなかの喫茶店の薄暗いカウンター。我が家の庭には、様々なものがある。
5月18日 頭は日影に入っていますが尻隠さず?
5月22日 ニホンアマガエルは、周囲の色に合わせて変色するそうですが、
青いホースの上にいても、さすがにブルーにはならないんですね。
しかし黄緑色も鮮やか! 蛇口に近づくと、ジャンプしました。
山形では蛙を『びっき』と呼ぶ地方もあるそうですが、
「そ、その名前だけは、やめましょう」と、びっきー。
階段には赤い絨毯を
ホームセンターで、もみじの苗が売っているのを見て驚いた。
「もみじ、買う人いるんだ?」と、わたし。
「そりゃ、いるんじゃない」と、夫。
この辺りの林には、種が飛んで芽を出したのだろう。あちらこちらでもみじの苗くらいの大きさの木を見かける。我が家の庭にも、クヌギや赤松と同じくもみじも雑草の如く芽を出し、わたしに摘み取られている。和室の前に大きく育ったもみじも、自然発生的に生えて来たものを、和室ともみじの組み合わせはいいよね、ということで摘み取られず育ったものだ。
そんな風なので、もみじを買うという感覚は、わたし達のなかにはない。売っている事実にびっくりする程に、もみじは雑草的存在になっているのだ。
もみじで思い出す。
家を建てる前に、子ども達にどんな家にしたいか聞いたことがあった。
「2階に、登り棒で登りたいな」とは、息子。
「サンタさんが入れるくらいの煉瓦の煙突は、必要だよね」と、3人顔を見合わせて。そして、上の娘が言った。「階段には、赤い絨毯を敷きたい」
彼女は、王子様とお姫様が暮らすお城のようなものを思い描いていたようだ。
それを聞き設計士さんは、階段に窓を付け、そこに紅葉するもみじを育てようと提案した。娘は階段を赤くしたい訳ではないのだと判っていたが、子どもの言葉に耳を傾けようとする彼の姿勢には共感できた。それも階段の位置の問題などもあり、実現はしなかった。
秋に、紅葉したもみじで赤く照らされた階段。見てみたかった気もする。
和室に手を伸ばしているかのように、大きく育ったもみじの木。
今年も庭には新しい芽が、顔を出しています。
赤い絨毯は、どう転んでも似合いそうにない階段です。
「もみじ、買う人いるんだ?」と、わたし。
「そりゃ、いるんじゃない」と、夫。
この辺りの林には、種が飛んで芽を出したのだろう。あちらこちらでもみじの苗くらいの大きさの木を見かける。我が家の庭にも、クヌギや赤松と同じくもみじも雑草の如く芽を出し、わたしに摘み取られている。和室の前に大きく育ったもみじも、自然発生的に生えて来たものを、和室ともみじの組み合わせはいいよね、ということで摘み取られず育ったものだ。
そんな風なので、もみじを買うという感覚は、わたし達のなかにはない。売っている事実にびっくりする程に、もみじは雑草的存在になっているのだ。
もみじで思い出す。
家を建てる前に、子ども達にどんな家にしたいか聞いたことがあった。
「2階に、登り棒で登りたいな」とは、息子。
「サンタさんが入れるくらいの煉瓦の煙突は、必要だよね」と、3人顔を見合わせて。そして、上の娘が言った。「階段には、赤い絨毯を敷きたい」
彼女は、王子様とお姫様が暮らすお城のようなものを思い描いていたようだ。
それを聞き設計士さんは、階段に窓を付け、そこに紅葉するもみじを育てようと提案した。娘は階段を赤くしたい訳ではないのだと判っていたが、子どもの言葉に耳を傾けようとする彼の姿勢には共感できた。それも階段の位置の問題などもあり、実現はしなかった。
秋に、紅葉したもみじで赤く照らされた階段。見てみたかった気もする。
和室に手を伸ばしているかのように、大きく育ったもみじの木。
今年も庭には新しい芽が、顔を出しています。
赤い絨毯は、どう転んでも似合いそうにない階段です。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)