はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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『見知らぬ妻へ』

浅田次郎の短編集『見知らぬ妻へ』(光文社文庫)を、読んだ。
久しぶりに読んだ、浅田次郎の文章は、ため息が出るほど綺麗だった。
以下、コーとナオミのひと夏の恋『踊り子』から。

いつも花をくわえたように引き締まっていたナオミの唇が帯のゆるむようにしてしどけなく壊れた。素顔の瞼のふちに涙をたたえてナオミは小さく叫んだ。
「コー」
ベルが鳴りおえ、ほんの一瞬の静寂の間に、僕はナオミの白い頬を両手で被って口づけをした。心から愛した踊り子の唇は、甘いミントの味がした。ホームの廂間(ひあわい)から大粒の滴が流れて、僕らの額を濡らした。
愛らしい舌先が僕の口にチューインガムを送り届け、僕はそれをいちど舌で転がしてから、また彼女の口に返した。
それが僕とナオミの最後の会話だった。
ドアが閉まり、列車は雨を吹き散らしながら動き出した。ほんの何歩か後を追って、僕は歩くのをやめた。ガラスの中で白い花のように翻っていたナオミの掌は、すぐに見えなくなった。

うん。美しい。いいなあ。
8編の小説は、どれを読んでも涙をこぼすことはなかったが、なつかしいメロディを聴いたときのように泣きたくなるものばかりだった。
なかでも『スターダスト・レビュー』の主人公、元チェリストの圭二の頭によぎった考えが、強く胸に残った。
それぞれ関係のないところで一度にいくつもの問題が起こり、頭を悩ませていた彼は、ふと考えるのだ。これは、オーケストラのパート・スコアのようなもので、意を決して指揮台に上がりタクトを一振りすれば、何ごともなかったかのようにシンフォニーが始まるのではないかと。

人は、いくつもの問題が重なればどうしてこうも重なるのだと嘆き、順番に問題が起これば誰かが見ていたかのように順々に起こるとため息をつく。そしてたぶん、意を決してタクトを振ることは、なかなかできないことなのだろう。わたしも煩雑な問題に、やはりタクトを振ることはせず、目をつぶって肩をすくめシンフォニーにはならないいくつものパートに耳を澄ませることにした。

なかに挟んであった栞の色が、タイトルと同系色だったのは、
意識してのことでしょうか。だとしたら、すごいな。光文社。
絵の帽子にタイトルがかぶってしまっているのが、ちょっと惜しい。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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