はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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父が漬けた白菜

東京は板橋に住む父から、手製の白菜の漬物が届いた。
毎年のこと、楽しみに待っている荷物である。何年、いや何十年前から覚えたかも判らぬが、年季が入っているのは判る。毎年心待ちにするほどに、毎年、期待を裏切らず、美味いのだ。白菜といえば、鍋。という生活していると、瑞々しく生でジューシーな白菜の漬物を食べ、ハッとする。毎年のことなのに、嬉しい驚きが、そこにはある。

漬け方を教えてもらおうと思いつつ、教わらないまま、父は今年、86歳になった。元気である。生まれ育った北海道まで、ひとり鼻歌混じりに運転して行ってしまうほどに元気だ。何しろ80の歳まで、タクシードライバーだったのだ。母とふたりケンカしながら暮らしているのも、いいのかも知れない。

そんな風に元気だというのがベースにあるのだが、わたしと実家との距離は、かなり離れている。東京と山梨という距離以前に、昔から親子にしては、ずいぶんとパーソナルスペースの取り方が大きかったのだ。たがいに立ち入らずに暮らしてきたと言ってもいい。会わずとも、元気でいれば、それでいいと思ってきた。顔を合わせるのは1年に一度、正月くらいのものだ。
それが今年は、3度になった。正月の他に、夏バテした父を見舞った時と、親戚の葬儀と。2年前に妹を亡くした父からの電話が鳴ることも多くなり、距離はわずかだが、縮まっているような気がする。これからは、少しずつ縮まっていくのだろうか。それが、自然なことなのかも知れない。
父が漬けた白菜を食べながら、親子の距離を思う。

上の娘が、ヨーロッパを旅した後、カナダで働き始め、来年の秋までは帰らないつもりだと言った時にも、淋しいとは思わなかった。まさに「元気でいれば、それでいい」だ。わたしと彼女のパーソナルスペースは、やはり親子にしては大きい方なのだろう。
だがその距離は、両親とわたしより、ずっと近いとも感じている。彼女はカナダで、わたしのブログを読んでいるという。わたしも彼女のブログを読み、facebook で写真を見る。そこには、面と向かって会話するのとはまた違った面白さがある。新しい発見もある。だがそれも、顔をつき合わせて暮らした20年以上の日々があってこそのものだとは、判っている。

親子でも、大人になればひとりの人と人。しかし離れていても、親子は親子である。だっこしていた日々を思えば、パーソナルスペースは大きくなっていく方が自然だ。だがこればかりは、どのくらいが普通ということはないのだろう。多分、それぞれにちょうどいい距離を、見つけていくしかないのだ。

ニンニクと唐辛子が効いています。ちょうどいい漬かりぐあいでした。

塩味薄めで、いくらでも食べられます。お茶にもビールにもぴったり。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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