はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
[58]  [59]  [60]  [61]  [62]  [63

小説「カフェ・ドC」 5. 窓に描かれたスマイル

 このところ、イライラしている。
 原因は、新しく入ったバイトの美大生、ジュンだ。まじめだが愛想がない。分厚いメガネに、長髪をひとつに束ねていて、いつも同じような洗いざらしのシャツとジーンズはいいけれど、おそろしく仕事が遅い上に、そそっかしい。
 五条坂を割ってくれた。形あるものは壊れるとはいえ、どうして店じゅうでいちばん安定したカップをひっくり返すのか、理解に苦しむ。しかし、怒ったところで五条坂は帰ってこない。失敗は、怒らず正すのが僕のやり方だ。
「そのうち慣れるわよ。ジュン君、不器用で頑固なところが、あなたにそっくりだし」
 妻は呑気に言う。どこがいいのか、ジュンを気にいっている様子だ。だいたい、不器用で頑固って、どっちも褒め言葉じゃない。
「京都旅行の計画も立てたくなったし」
 どこまでも、彼女は前向きで、僕は苦笑しつつもうなずく。珈琲屋の僕と、広告代理店に勤める彼女。異色の取り合わせといってもいいふたりが、これまでうまくやってこられたのは、彼女が吹かせる風に流されるのがいちばんいいと、僕が知っているからだ。
 しかし、十日立ち、僕のイライラは頂点に達した。
「ジュン!」
「すいません!」
「ぼーっとしてるからだろ!」
 グラスを割ったジュンを、ついに怒鳴ってしまった。僕は彼に窓ガラスを磨くように命じ、店の外に出した。これ以上、怒りたくなかったからだ。たしかに今日は忙しかった。七人の珈琲通らしき女性客が、それぞれ違う珈琲を注文し、それを一度にださなくてはならなかったし、途切れることがなく、お客はやってきた。やっと一息ついたと思えば、これだ。
「気つけの一杯に、深煎りのエチオピアでも、淹れるか」
 そのとき僕は、何か違和感を覚えた。今日は忙しかったが、とてもスムーズに店が回っていた。ジュンがのろのろと、珈琲を運んでいたにもかかわらず。
「深煎りのエチオピアです」
 ジュンは、ひとりひとりに、珈琲の名を告げカップを置いていた。「エチオピアの方?」ではなく、「エチオピアです」と。そういえばジュンは、注文を間違えたことがない。どのお客が何を注文したかを覚えている。十八種類ある珈琲の名も、全部?  いつのまに?
 そのとき窓に、ガラス磨きのスプレーが吹きつけられた。スプレーは、ゆっくりと絵を描いていった。なつかしいスマイルマークだ。僕に笑いかけたその顔が一瞬ジュンと重なったと思ったら、笑顔の目からスーッと涙が流れた。ジュンが、ガラスを不器用に拭き始める。不器用だがジュンは、隅から隅までピカピカになるまで磨くだろう。
 僕は、エチオピアの豆をふたり分スケールで量り、手挽きのミルに入れた。彼が窓を磨き終わるまで、気つけの一杯はおあずけだ。
 


拍手

イタリアン率上昇中

夫がワインセラーを買った。
数年前ふたりでイタリアを旅してから、すっかりイタリアワインにハマった彼は、これだけ飲むんだったらあってもいいでしょう、と自分を納得させ、ウキウキしながらネットで探し、悩んだ挙句6本入りの小ぶりな物を選んだ。
「ワインクーラーじゃなくて、ワインセラーなんだ」
彼は強調する。湿度まで調節できないとワインセラーと表記してはいけないそうだ。
「6本? なんでそんなちっちぇえの買ったんだよ」
彼は友人のソムリエにバカにされたらしいが、うちでワインを飲むのは彼ひとりだ。わたしはいつもテイスティングのみ。飲むと酔っぱらってしまうから。

東京の会社に通う彼は、帰りのあずさからメールしてくる。
「今日はイタリアンがいいな」または「日本酒が飲みたい」
わたしは、買っておいた魚や肉や野菜を、それからイタリアンまたは日本酒に合うように料理する。ワイン率が上がり、イタリアン率も上がり、冷蔵庫にチーズやレモン、アボカド、バルサミコ酢を常備するようになった。

最近好評なのが「アボカドディップ」アボカドをすり鉢ですりつぶし、レモン、オリーブオイル、塩胡椒で味つけしただけのシンプルなものだが、これがあるだけでパンも野菜も美味しく食べられる。鮪とエシャレットをたたき卵黄をのせ、そのまわりにアボカドを盛りつければ、色鮮やかな1品にもなる。
イタリアンは野菜がたくさん食べられるから、私も大好きだ。
夫と飲みに出かける時にも、イタリアン率は上がった。
先日、四谷でふたりイタリアンを食べに行ったときのこと。小さな店だがとても美味しかったので、カウンターの中で調理する若者と少し話をした。彼は店長で、帰りに名刺をもらった。
「青柳さんって言うんだ。『ゴールデンスランバー』の主人公と同じだね」
酔っぱらっていると口も軽くなる。
「そうなんです。『ゴールデンスランバー』読みました。伊坂幸太郎大好きなんです!」
「ほんとに! 伊坂いいよねー」
「伊坂いいっすねー」
イタリアンはいい。伊坂の友にも出会わせてくれる。


お気に入りのすり鉢でアボカドすりつぶし中

拍手

判子といえば

はりねずみの絵が入った判子を作った。ファンクラブ(在籍2名)の仲間に見せると、また伊坂トークが始まった。
「判子といえば」
「『ゴールデンスランバー』(新潮社)だよねー」
「たいへんよくできました、の判子ねー」
主人公の青柳は、数年前晴子にふられていた。わたし達ってこのまま一緒にいても絶対「よくできました」止まりな気がしちゃうよね。それが別れの言葉で、青柳は何度も思い返す。子どもの頃から一度だって「たいへんよくできました」の花丸をもらったことがない。「よくできました」止まりの人生だと。

昔は故郷に続く道があったという歌詞で始まる『GOLDEN SLUMBERS』は BEATLESの『ABBEY LOAD』というアルバムに入っている。青柳の友人森田が久しぶりにやってきて、この歌を口ずさむ。そして唐突に「故郷に続く道っていうと反射的におまえらと遊んだ頃を思い出すんだ」と話す。
「伊坂って、東北大学時代がほんとに楽しかったんだね」
「うん。この話だって、大学時代の友人たちがメインだもんね」
「青少年食文化研究会」
「ファーストフード店に集まって雑談する集団ね。冬には雪掻き部になったりもする」
「青柳と晴子と森田」
「森の声が聞こえる森田ね。それから後輩のカズの4人」
青柳は、身に覚えのない首相暗殺の罪をかぶせられ、追われることになった。行ってもいない場所で自分が目撃され、犯人に仕立て上げられていく。久しぶりに会った森田は、逃げろ、人間生きててなんぼだとだけ伝え、殺された。
「この本で見事なのは、なんといっても伏線回収の技だよね」
「伏線回収のお手本みたいな本だね。伊坂の伏線回収には定評があるけど」
物語の初めの方に出てくる小さなエピソードが、終盤思いもよらない形に姿を変えていく。伊坂幸太郎は、様々な伏線を散りばめておき、それを回収していくプロだ。
「青柳、おまえはロックだよってのが、好きだったな」
「お父さんに書初めで書かされた痴漢は死ねも、いいよね」
「お茶碗にいつもごはんつぶ残すってのも、印象的」
「だと思った、って一言も」
「でもなんと言っても、エレベーターのシーンがいいねー」
ふたたび、ふたりうっとりする。
「伊坂いいよねー」

ひとりで映画が好きなわたし達だが、『ゴールデンスランバー』は、めずらしく一緒に観た。青柳を堺雅人、晴子を竹内結子、森田を吉岡秀隆が演じていた。脇役ではあるが伊東四朗が青柳の父親役で、伊東四朗ってすごいと思ったのを覚えている。
「でもあの森田は、森田じゃないね」
「歌はうまかったけど、森田じゃない人になってたね」
ふたりとも森田が好きだったので、その部分にはとてもがっかりした。森田は青柳よりキャラが濃い。それで薄めたのかなというような普通のいい奴になっていた。吉岡秀隆が口ずさんだ『GOLDEN SLUMBERS』には聴き惚れてしまったけれど。
「映像でしか見られない迫力はあったね」
「花火のシーンはよかったよねー」
「そういえば『ポテチ』でさ、竹内結子がエキストラの通行人やってるんだって」「うそ。ぜんぜんわかんなかった!」
話は、いつも脇道にそれていく。脇道がたくさんあるからどうしようもない。


「邪悪なハンコ屋しにものぐるい」で作りました

拍手

小説「カフェ・ド・C」 4. ブラックとミルク

 運転中、細い路地で轢かれた黒猫を見た。
 夫婦だろうか、ひとまわり大きなミルク色の猫が、隣に座り込んでいる。その猫達をゆっくりと避けて、次の信号まで行くと、長いつきあいの友人から電話が鳴った。
「チョコレート、買ってきてくれない? 二日酔いなの。二日酔いにはチョコレートが効くって、言うでしょ」
 僕は、生返事をして電話を切り、両方のできごとを飲みこめないまま、スーパーの駐車場に車を停めた。
 店の定休日。その友人の家に、荷物を届ける途中だった。
ブラックとミルク、二枚の板チョコを買い、車に戻る。二枚のチョコレートを見比べると、ふいに眼がしらが熱くなった。しかし涙をこぼすまいと決め、どうにか持ちこたえる。通りすぎただけの僕などに、彼らは、涙をこぼしてほしくなどないだろう。チョコレートを買ってきてと呑気に電話してきた友人と、僕はさして変わらないのだ。
 しかし、と考える。自分のかたわれを亡くしたあのミルク色の猫は、どうやって生きていくんだろう。動かなくなっている方は、きれいな黒猫だったと思い返す。一瞬見えた死に顔は、笑っているように見えた。
 気持ちがおさまらず、友人へのやつあたりだと知りつつ、板チョコのラベルを交換した。ブラックとミルク。気づかれないかもしれないほどの、小さなやつあたりだ。
「はいよ。お待ちかねの荷物と、お見舞い」
 僕は、渡すものだけ渡すと、お茶もことわって、車に戻った。
 荷物の中身は、先月母の家で生まれた真っ白い猫だ。彼女は猫を飼いなれているから、何も説明はいらない。顔を見ると自分の猫でもないのにわけもなく淋しくなるから、いつもこうして渡してしまう。
 帰り道、その彼女からまた、電話が鳴った。
「白い猫が欲しいって言ったのに、なんで黒猫なのよ。かわいいから、このままでいいけどさ」
「そんなはずは……、」
言いかけた瞬間、道を横切る、白い子猫が見えた。入れ替わった?  ブラックとミルクが? まさか。驚きは、すぐに笑いに変わった。なんだって、入れ替わったなんて思ったんだろう。母のいたずらに決まってるじゃないか。
「きみは、じつは黒猫がほしいんだって、知ってたのさ」
僕は、笑って電話を切った。そして、ひとりつぶやいた。
「知ってたのは、僕じゃなくて母の方だけどね」
彼女は僕の中学の同級生で、僕の母とも仲がいい。
小さな黒猫が穏やかに暮らせますようにと、祈るような気持ちでゆっくりとアクセルを踏みこんだ。


拍手

どれくらい田舎かというと

山梨の田舎町に住んでいる。
どれくらい田舎かというと、最寄りの駅まで歩いて、約1時間半。しかもそこは無人駅。もちろんスイカもパスモも使えない。切符さえ売っていない。まあ、すいすい改札を通り抜けられるところは自動改札と言えなくもないが、便利とはほど遠い。
無人駅を発着するバスなどあろうはずもなく、バスに乗るのなら2駅先の少し大きめの駅まで行くことになる。そのバスさえ2時間に1本もない上に、朝は遅く夕方は早くに店じまいをする。娘が自力で高校に通うことは、できない。
自転車なら、と思うかもしれないけれど、標高600メートルの我が家から急降下し、駅までふたたび同じ高さを登らなくてならない。歩くのとどっちがいいか、さあどうする? というような状況だ。
猿も恐い。今朝は、20匹ほど見かけた。赤ん坊を抱いた母猿、その周りをうろちょろしている子猿、からだの大きい雄猿。大小様々だ。彼らは人を見てもあわてて逃げる様子もなくマイペースで暮らしている。道路で溜まっている猿を押しのけて歩くには、多少なりとも勇気が必要になってくる。
当然、黒のフィットの出番となり、わたしが朝夕送り迎えをすることになる。
日が暮れて、誰もいない無人駅(という日本語が許されるならば)に、娘を待たせるわけにはいかないので、その時間にはケータイも携帯しメールチェックも怠らない。
「6時50分到着予定」
絵文字も顔文字もない無愛想な娘のメールに、夫は腹を立てるが、毎日お愛想を家族にふりまく女子高生の方がおかしいでしょうと、わたしは普通に返事を返す。彼女だって感謝の気持ちを伝えなくてはならない時には、きちんと伝えるのだ。こちらもこちらで返事は省き、夕食のメニューのみメールするのが習慣になった。
「ぱーぽつぁい(八宝菜)」「親子どーん」「鶏肉じゃが」など、夫がいない週の半分は、ひと品で野菜もたんぱく質もとれる簡単なものになる。
 
ちなみに親子丼を親子どーんと伸ばして発音するのは、中村航の『あのとき始まったことのすべて』(角川書店)の主人公が、給食で親子丼が出るたびに同級生の女子が「親子丼できたどーん」と言っていたことを思い出すというエピソードからきている。中村航の小説では『100回泣くこと』(小学館)がダントツにいい。それを文庫で買ってから一時期、娘とわたしの間で中村航ブームが訪れ、静かに去った。その名残りが「親子どーん」というわけだ。卵を落としてたっぷりと三つ葉を散らし、鍋にふたをした瞬間に「親子どーん、できたどーん」と二階にいる娘に声をかける。うちの親子どーんはとても美味い。
 
さて、ここがどれくらい田舎かというと、富士山と南アルプスと八ヶ岳が一望にできる人口五千人の町。数年前には村だった。うちから1分歩くと田んぼが広がり、2分歩けば山梨ワインのブドウ畑が広がっている。お米も野菜もとても美味しい。鳥の声や風の音が空に抜けていき、ふと無音を感じる瞬間がある。読書をするにはうってつけのいいところだ。


拍手

伊坂幸太郎入門書

伊坂幸太郎の小説を初めて読むんだったら、断然『チルドレン』(講談社)をオススメする。
「伊坂入門書だもんね、これ」
ファンクラブ(在籍2名)のわたし達は、この連作短編集を「伊坂入門書」と呼んでいる。
「伊坂テイスト満載なのに、万人受けする読みやすさ」
「笑って泣けるし」
「中学生が親に買ってもらいたいときには、家裁の調査官の奮闘記だって言えばいいし、子ども達に読んでもらいたいときには、銀行強盗の人質になるシーンからスタートするんだよ。超おもしろいんだって!って言えばいいし」
「実際おもしろいし」
「子どものことを英語でチャイルドと言うけれど、複数になるとチャイルズじゃなくて、チルドレンだろ。別物になるんだよ」
家裁の調査官、陣内のセリフを真似てみたりもする。だいたいこの辺りまでしゃべると、ふたりともうっとりしてくる。
「陣内がいいよねー」
「陣内、いいキャラだよねー。伊坂の小説にしか絶対出てこない伊坂キャラ」
「でもわたし、永瀬が好き」「そう言うと思った!」
心はもう、伊坂ワールドに飛んでいる。
「珈琲のシーンが、好き」
「五千円くれたおばさんのとこも、好きだな」
「カラスのエピソードも、いいよね」
「でも、やっぱラストがいちばん好きかな」
そして、話は『チルドレン』に、とどまらない。
「ところでさ、『砂漠』に出てきた家裁の調査官って、陣内かな?」
「絶対違うよ。陣内は高校生にサンテグジュペリすすめないでしょう」
「だよねー、彼の場合は、トイレの落書き集だもんね。武藤じゃない?」
「たぶんね。伊坂、登場人物や設定リンクさせるの好きだもんね」
「陣内と武藤が行った居酒屋“天々”だって『魔王』にも出てくるよね」
「あの居酒屋、行きたーい!」
話はさらに、他の本にまで移っていき、尽きることはない。
      表紙の絵は、左から陣内、盲導犬べス、盲目の青年、永瀬。

拍手

「オオサワアリマサ」と唱える

南アルプスに彼がいる。疲れたときには電話して、車をとばして会いに行き、たっぷりゆっくり癒してもらう。
「もっと早く、来てくださいよ。ここまでひどくなるまえに」
行くたびに、叱られる。
彼はわたしが今まで出会ったなかで、最も優秀なマッサージ師だ。彼にマッサージしてもらった後には、からだ全体が、元に戻ったような感じがする。
たとえば、さっきまで数字の2だった自分が、1になってるような感じ。
「ありがとう」というわたしに、
「毎日意識して、背筋伸ばしてくださいね」
ちくりと注意することも忘れない。わたしは肩をすくめて、はーいと答える。
帰り道はビートルズを聴きながら、ゆっくり走る。乱暴な運転をする車がいても、気にならない。元に戻った数字の1のわたしには、「おいおい、事故るなよ」と知らない誰かを心配してあげる余裕もある。
 
からだはときどき、そうやって元に戻してもらうけれど、気持ちがくねくね曲がりくねってしまう時がある。数字の2どころか、メビウスの輪になってしまったんじゃないかってほど、収拾がつかなくなる時がある。
「到底、数字の1には戻れないよ」
落ち込みつつも、ぶつぶつつぶやきつつ手にとるのは、いつも大沢在昌のハードボイルドだ。読み進めていくうちに、曲がりくねった気持ちが、少しずつ元に戻っていくのを感じる。
人として正しくあるには、なんてことは、これっぽっちもかいてない。けど、小説の真ん中に数字の1的まっすぐさで、それが通っている。
なので、大沢在昌はけっこう読んできた。
メビウスな日々に、時間が取れず本を読めないときには「オオサワアリマサ」と唱えたりもする。
今、手元にその大沢在昌の『語りつづけろ、届くまで』(講談社)がある。普通のサラリーマン坂田が、人がいいゆえに極道の犯罪に巻き込まれていくシリーズ3つ目だ。うれしい。
来週、友人達と「生ビールたった5杯で愚痴こぼし放題の会」をすることになっているが、それまでにぜひ、数字の1に戻っていたいと思っている。

拍手

数字の海へ

図らずも、数字とお友達の人生を歩んでいる。
仕事は経理事務だし、なにかのコミュニティに入ると、たいてい会計が回ってくる。たいした負担ではない。会社では社長や部長の方がたいへんだし、会計より会長の方がたいへんに決まってる。
ただ、わたしが算数が苦手だってことをほとんどの人が知らない。いまだに十本の指を使って数字を数えているということを知らない。そこに問題がある。
経理をしてるってだけ、会計をしてるってだけで、数字を見ると一瞬で理解する電卓のような、またはエクセルのような存在だと、カン違いでしかない認識をする人が多くいて、困る。違うんです、誤解なんですと言い訳したくなる。
なのになぜ、お金関係の仕事が回ってくるのか。それは単に「まじめそうに見えるから」
 
「まじめそう」の「そう」ってなんだ? よく言われるのに「優しそう」「大人しそう」「お酒飲めなそう」「白っぽい車に乗ってそう」というのもある。
どうしてそうまで、正反対に見えるのか。こちらの方が、申し訳ない気持ちになってしまう。O型的大雑把さと、みずがめ座的冷たさをあわせ持ち、わーわー騒いで大酒飲んで、黒のフィットでスピード出して、ほんと、ごめんなさい。違うんです、誤解なんですと、言い訳したくなる。
「いいのよ。会計は、まじめそうに見えることが大切なの」
そう言い切った先輩がいた。
自分は「まじめ」と「まじめそう」の狭間にいるんだな、と妙に納得した。そしてわたしは、さらに数字の海へと深く潜っていく。
 
ところで、数字遊びはきらいじゃない。
前を行く車のナンバーを見て、こっそり笑ったり、連想をふくらませることも多い。
「1616」で、人生いろいろだ、としみじみしたり、「8341」で、優しい。乱暴な運転はやめようと、突然、模範的ドライバーになったり。
「ひ・・・3」を見たときには、うわ、悲惨! と声を上げ、「は・・・3」を見て、うわ、破産! 悲惨より悲惨、と落ち込み「いいこともあるさ」と励ましてみたり。
そんな遊びを楽しんでいる。
 
そういえば、きょうは“ちい兄ちゃん”に会わなかった。毎朝、駅前ですれちがうのに。当然「ち・・23」というナンバーしか知らない車だ。わたし「7589」のこと、“名古屋くん”なんて呼んでるかもしれない。 今朝“名古屋くん”に会わなかったなぁ、なんて今ごろ思ってたりして。


拍手

小説「カフェ・ド・C」 3. グリーンボーイ

僕は、モノに名前を付けるのが好きだ。そうたいそうに言うほど、凝っているわけでもないが、名前をつけると便利だし、モノにも親しみがわく。たとえば。
「五条坂とだるまさん、温めておいて」
 忙しくなる土日だけお願いしているバイトのユウちゃんに言う。すると、京都は五条坂の陶器屋で気にいって買ったカップと、だるまの産地、高崎の陶芸工房にわざわざ出向いて買いもとめたカップが温められるという訳だ。
 三つしかないテーブル席にも、それぞれ名前がある。奥の六人掛けは、アカマツ。真ん中は、ヒノキ。窓際は、ケヤキ。店全体がナチュラルウッドで、テーブルも、大工さんに頼んで作ってもらったものだ。そして、カウンターはクリ。みんな、木の名前そのままだ。
 そのなかで、異色の存在が「グリーンボーイ」だ。なんてことはない。非常灯のことだ。白いライトのなかに、外へ出ていこうとする緑の人のマーク。彼をひそかにグリーンボーイと呼んでいるのだ。始め、店の内装をナチュラルウッドに決めたときには、彼とはあまり仲がよくなかった。彼の存在が、どうしても店の雰囲気を壊しているように思えたから。
 でも今は、そこそこ打ち解けたと思っている。仕事が一段落して、自分のために好きなカップを温め、ゆったりと珈琲をドリップし、時間そのものを味わうような瞬間に、ふと彼を見上げてみる。
――明るく温かい場所が、広がっているといい。
 彼の行く先を思い、願うような気持ちになる。
 そのとき、ドアが開き、大学生らしき男の子が入ってきた。何度か来店してもらったお客様だろうか。見たことのある顔だ。
「グァテマラを中煎りで、お願いします」
 彼は、メニューも見ずに言った。注文の仕方が、こなれている。珈琲通らしい。奇しくも、僕が飲んでいた珈琲と同じだった。お湯を沸かし、夢を温め(山梨の夢という陶器屋で買ったカップだ)、手回しのミルで豆を挽き、ひとり分の珈琲をていねいに淹れた。
「美味しい。一度、ここの珈琲を飲んでみたかったんです」
 ため息と一緒に出たような言い方に、本音だとわかる。
「初めて、でしたっけ?」
 彼は、うなずいて珈琲をゆっくりと口に運んだ。
「ごちそうさま」
 会計を済ませて、彼がドアの向うへと消えたとたん、思い出した。僕は思わずドアを開け、追いかけた。しかし彼の姿はもう、どこにもなかった。
 店に戻り、非常灯を見上げる。彼はグリーンボーイにそっくりだったのだ。不思議なことに、どこかで見た顔だと思ったその顔は、もうすでに思い出せなくなっている。僕は、彼に声をかけた。
「また、いつでもどうぞ。来週には、ケニアの素敵な豆が入荷する予定なんだ」

左が五条坂、右がだるまさん


拍手

黒澤に会いに

ファンクラブ(在籍2名)の仲間から伊坂情報を得た。
「アンソロに、黒澤が出ているらしいよ」
「え、そうなの? それって」
そこで、ハモった。
「最後の恋!」
『最後の恋』(新潮社)女性版アンソロジーは、三浦しをんの「春太の恋」がとても好きで、何度も読み返した。
本屋で見かけ、男性版が出ていることも伊坂がかいていることも知っていたが、まあ、いつか図書館で借りて読もうっと、くらいに考えていた。
でも、黒澤が出ている。
「それは、買いでしょう」
わたしの言葉に、彼女はうなずく。
「買いだね」
そして、本屋で買った帰りに彼女の部屋に寄った。
「買ったよ」
という、私の手から『最後の恋』を奪い、
「ありがとう」
と、彼女は言った。
「読み終わったら、貸してあげるよ」
彼女は学生で、わたしは在宅勤務会社員だ。それゆえ、わたしが買った伊坂の本は、彼女の部屋の本棚に並ぶことになっている。
あいうえお順にきちんと並んだ彼女の本棚。
彼女の本に対する想いは、並大抵のものではない。借りると緊張する。本を汚さない。本に折り目をつけない。日焼けさせてもいけない。もちろんビールをこぼしてはならない。
そして栞を挟んでいる位置を動かしてはならない。好きなシーンに、栞を挟んでいるのだ。
「付箋はっとけば?」
と言ったわたしに、彼女は軽蔑するように言った。
「本に付箋を貼るっていう感覚が信じられない」
 
『最後の恋』に入った「僕の舟」の黒澤はところどころに黒澤らしさが散りばめられていて、うれしくなった。間食はしないというところを読み、『ポテチ』とまったく同じエピソードであることに微笑む。
伊坂幸太郎の小説の、あちこちに出てくる愛すべき泥棒、黒澤。彼は、伊坂ワールドのどこにでもいる。巨匠黒澤明監督から、名前をもらったらしいが、ファーストネームは持たない。
『ポテチ』では主要登場人物で、大森南朋が演じていた。
 
「仙台に行こうか……、黒澤に会いに」
伊坂幸太郎の小説の舞台。映画の撮影場所。バックグラウンド。
ファンクラブでは、そんな話が持ち上がっている。


拍手

チタンのビアカップ

左手の甲にチタンのネジが2本入っている。この冬、骨折した骨をつなぐために手術したのだ。ネジは長さ2ミリだが、プラスドライバーでしっかりと回せるように、ネジ山は深いプラスの形に掘られていて、レントゲンを見るたびに、ああ、小さいながらもネジとしての役目をしっかり果たしてくれているんだなと思う。
「とうとう人造人間になったね!」
友人が祝いの言葉をくれたのもうれしく、ときどき手の甲をなでて、チタンの位置を確認するのが習慣になった。
新宿の小田急百貨店で、チタンのビアカップを見つけた時には、なつかしい友人に偶然出会ったような温かい気持ちになった。手に取ってみると、チタンのカップはとても軽く、いかにも、ちょうどよく泡立ったビールを美味しく飲めそうだ。
しかし。1万5千円!
なつかしい友人に似た他人の空似だと自分に言い聞かせ、わたしはビアカップを、そっと棚に戻した。チタンは2ミリのネジふたつで、がまんしよう。そう思いながら一度だけ振り返って銀色のカップを見つめた。


拍手

小説「カフェ・ド・C」 2. 恋の神様

 恋の神様が、ふたりだけにしかわからないように、そっといたずらし、不思議な偶然をしかけることは、周知の事実だ。しかし、そのふたりがいたずらにまったく気づかない場合にのみ、神様は舌打ちし、キューピッドを用立てる。
「またか」
キューピッドの矢ではなく、白羽の矢は、僕に向けられた。これで、何度目になるだろうか。
「神様が応援してくれる恋は、あっちこっちに不思議な偶然が散りばめられて、ふたりのあいだに、びっくりマークが飛び交うんだよ。びっくりした数だけ、ふたりのあいだが縮まるの」
 とは、大学生だった妻が出会ったばかりの僕に言った言葉だ。
 たしかにそうだったと、思い出す。些細なことだ。家で使っているカレールーが同じ銘柄の同じ辛さだったり。ケータイの機種が同じで色違いだったり。同じ日に同じチェックのシャツ(ユニクロの)をはおっていたり。今思うと、ありがちなよくある偶然。
 先月、東ティモールの酸味の濃い素敵な豆が入った。ムッシュとマダムは、いつもひとりで珈琲を飲みに来ては、僕におススメをきき、浅煎りから中煎りの珈琲を飲む。ふたりはこのところ、その東ティモールにハマっている。もちろん、別々に。
 時間が微妙にずれているのだ。カウンターの同じ席に座り、同じことをしゃべっていくふたりなのに。
 ふたりは、猫を飼っていて(もちろん別々に)、今読んでいる本は、三浦しをんで(ムッシュは、買いもとめた文庫本。マダムは図書館で借りたもの)、アボカドをご飯にのせて醤油をかけて食べるのが好きだ。もちろん、別々に。
「母さん。もうちょっとだけ、待っててくれない?」
 珈琲を飲み保し、しゃべりたいだけしゃべってカウンター席を立ったマダムに、声をかけた。マダムは、こともあろうに僕の母だ。
「息子にひきとめられても、嬉しくもなんともないけどねぇ」
 憎まれ口は現役である。しかし、僕は決めていた。今日こそ、と。母が座り直した時、ドアが開いた。
 ムッシュが、カウンター席に座る。マダムとは二つ席を空ける紳士の振る舞い。
「東ティモールの中煎りを」
 マダムがちらりと彼を見た。彼女のコーヒーカップは、同じ珈琲が飲み干され、空になっている。
「おかわりを」
 マダムが言い、ムッシュがちらりと彼女を見た。
 僕は、東ティーモールの豆を、ふたり分挽きながら、やれやれと微笑む。キューピッドの役目は、終わった。


拍手

小説「カフェ・ド・C」 1. 幸せについての不一致

「カフェ・ド・CのCって、なんの頭文字ですか?」
 きょうも店で、聞かれた。
「いや単に名字からとっただけで」
 その答えに、大概の人は落胆した顔をする。僕の名字は、茅野だ。
「うそでもいいから、チャンスのCですとか、答えればいいのに」
 妻は、そう言うが、それはまんざら、うそでもない。本当は、contentのCだ。コントン。フランス語で幸せ。小さな縁であれ、店に立ち寄ったすべての人に、幸せが訪れますようにとつけた名だ。こんとんは日本語では、カオスという意味になる。宇宙ができる前の塵みたいなもの。それが、カオス。混沌だ。この小さなスペースのなかで、ふれあう人と人。それは、宇宙ができる前の塵のように思える。ここから小さな宇宙ができればいい。そんな願いもこめている。
店の客だった妻にも、以前、名字からとった名だと答えた。だから彼女も知らない。僕は彼女にも本当のことは言わない。本音を言えば、言えないのだ。口に出すのがこわいから。
「幸せは、口に出すと逃げるんだ」
 子どもの頃に、父にきいただけのその言葉にしばられて、僕は、幸せだと口にしない。父は、その後母と別れ、再婚して田舎暮らしを楽しんでいる。ただ、気まぐれで言っただけだったのかもしれないが、子ども心に、離婚の原因は、父が幸せだと口にしたせいなんじゃないかと感じていた。母は今、猫五匹と隣町で楽しそうに暮らしている。
「幸せだなぁ」
 しかし、妻は、毎日のように言う。僕はそのたびにドキッとする。
「きょうも美味しくビールが飲める幸せ」
 僕の思いなど知らず、妻は、呑気に繰り返す。
「カレーのじゃがいもが、煮くずれなかった幸せ」
 僕の顔をのぞきこんで、さらに言う。
「あなたと一緒に、ご飯が食べられる幸せ」
彼女は口に出し、僕は口に出さない。
「だって、口に出さないと、逃げちゃうんだよ、幸せって。子どもの頃、お母さんに教わったんだ」
 いつか、彼女が言っていた。口に出さない僕に対して、不満はあるのかもしれないが、その分彼女が言ってくれている。
 バランスは保たれ、僕らの幸せは、どうにか逃げ出さずにいる。
「美味いなぁ」
 ぼくは、ビールを飲み、カレーを食べて、ただ笑った。


拍手

ぶっとばすよ

伊坂幸太郎原作映画 『ポテチ』を観た。それ以来にわかにファンクラブ(在籍2名)で流行っている言葉がある。「ぶっとばすよ」だ。映画のなかで主人公の恋人役、木村文乃は、惚れ惚れするほどいい感じで「ぶっとばすよ」と、何度も言っていた。その場にそぐわない「ぶっとばすよ」は一度もなく、いい女優になるなと確信した。そしてそれから「ぶっとばすよ」と上手に言う練習をしている。……が、なかなかうまくいかない。いつかどこかで必要になるかもしれないと思い、今日も練習する。「ぶっとばすよ」

拍手

ひとりランチ

元気が出ない時、ひとりランチをする。
黒のフィットを走らせ、ショッピングモールや、甲府周辺、ときには清里方面にも行く。
熱い湯麺や、手打ちパスタ、ハンバーグ定食、山菜の天ぷら蕎麦。誰かが作ってくれた熱々のごはんをゆっくりと食べる。それだけで、少し元気が出る。顔も知らない人に、作ってくれた人のパワーをもらう。
それから、ふらふらと本屋や雑貨屋を冷やかして、スーパーで夕飯の食材を買って帰り、キッチンに立つ。
包丁を持ち、これってわたしは毎日、夫と娘たちにパワーをあげているってことなのか? と、ふと考えながら、いやいやまさかと否定し、ビールを開け、野菜をきざみ始める。何かを与えているとしても、それはパワーでも元気でもないな、と考える。何か言葉にするとすれば、体温辺りだろうか。よっ、と友人の肩をたたいたときの体温くらいのもの。そう考えると何か得した気分になる。わたしはパワーをもらい、体温をほんの少し分け与える。
でも外食ってお金かかるじゃん。そう。自宅勤務会社員のわたしならではの贅沢。ひとりランチは素敵だ。


拍手

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
Template by repe