はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
ライフ・イズ・ファン!
コルドバは、グラナダよりもさらに田舎だった。街の一部が生活圏も含め、世界遺産になっていることもあり、静かだが観光客がやたら多い。
だがシエスタ(昼休み)の時間に店が閉まるのは、バルセロナやグラナダより徹底していて、いきなりランチを食べそこなった。
「肉食いたくない?」「生野菜もね」
スペイン名物『ハモン・セラーノ』(生ハム)やシーフード、オリーブやマリネばかりの日々にそんな会話がこぼれ、これもまた夫の友人紹介の、炭火焼の肉が美味しいというリストランテ『エル・チュラスコ』に行くことにした。
そこのサーバント氏(給仕する人)がコメディアン顔負けの面白さだった。他のテーブルに料理を運ぶ姿に、まず笑わされた。ねじまき人形のように歩くのだ。「見て見て。彼、なんだか面白いよ」「不思議なやつだね」
夫とくすくす笑いながら待っているとワインを持ってテーブルにやって来た。
だが、ワインの銘柄を夫に見せ、コルクを抜き、テイスティングに少しだけ注ぐ姿のカッコよさに見惚れた。プロなのだと判る。しかし、
「グッド・セレクト」夫がワインを褒めると、
「アイ・ノウ アイ・ノウ」とすました顔で返す。
ねじまき人形のようにカチカチと音が鳴るかのような歩き方で料理を持って来て、下げる時には、これまたすました顔で皿を投げる真似をする。
「わっ」「びっくりした!」とふたり笑った。
「ケ・リコ!(美味しい!)」わたしがスペイン語で言っても、彼はクールな顔で言う。「アイ・ノウ アイ・ノウ」
シェアする料理を取り分けてくれる時などは、その手際の良さにまた驚き見惚れた。料理も美味しく、何より楽しく話もはずみ、特別な時間を過ごさせてもらった。夫が英語で伝えると、彼はクールに言った。
「ライフ・イズ・ファン」
「ほんとに、人生楽しまなくちゃね」と、帰り道にしみじみと夫。
毎日の小さな時間。ひとときひととき。いつもと変わらないありふれた時間でも、楽しもうとする気持ちがあれば楽しめるんだよ。彼に教わった気がした。
さて。最後にわたしは、彼を笑わせることができた。覚えたてのスペイン語で「メ・ア・エントゥシアスマード!(とても楽しかったです!)」と言うと、たぶんたどたどしいスペイン語が微笑ましく映ったのだろう。サーバント氏は驚きの表情で笑顔を見せてくれたのだ。
ボリュームたっぷり、柔らかくジューシーなTボーンステーキ。
リストランテ『エル・チュラスコ』 世界遺産『メスキータ』の塔。
のんびり散歩したコルドバの街並み。 こんな可笑しな看板の店も。
photo by my husband
だがシエスタ(昼休み)の時間に店が閉まるのは、バルセロナやグラナダより徹底していて、いきなりランチを食べそこなった。
「肉食いたくない?」「生野菜もね」
スペイン名物『ハモン・セラーノ』(生ハム)やシーフード、オリーブやマリネばかりの日々にそんな会話がこぼれ、これもまた夫の友人紹介の、炭火焼の肉が美味しいというリストランテ『エル・チュラスコ』に行くことにした。
そこのサーバント氏(給仕する人)がコメディアン顔負けの面白さだった。他のテーブルに料理を運ぶ姿に、まず笑わされた。ねじまき人形のように歩くのだ。「見て見て。彼、なんだか面白いよ」「不思議なやつだね」
夫とくすくす笑いながら待っているとワインを持ってテーブルにやって来た。
だが、ワインの銘柄を夫に見せ、コルクを抜き、テイスティングに少しだけ注ぐ姿のカッコよさに見惚れた。プロなのだと判る。しかし、
「グッド・セレクト」夫がワインを褒めると、
「アイ・ノウ アイ・ノウ」とすました顔で返す。
ねじまき人形のようにカチカチと音が鳴るかのような歩き方で料理を持って来て、下げる時には、これまたすました顔で皿を投げる真似をする。
「わっ」「びっくりした!」とふたり笑った。
「ケ・リコ!(美味しい!)」わたしがスペイン語で言っても、彼はクールな顔で言う。「アイ・ノウ アイ・ノウ」
シェアする料理を取り分けてくれる時などは、その手際の良さにまた驚き見惚れた。料理も美味しく、何より楽しく話もはずみ、特別な時間を過ごさせてもらった。夫が英語で伝えると、彼はクールに言った。
「ライフ・イズ・ファン」
「ほんとに、人生楽しまなくちゃね」と、帰り道にしみじみと夫。
毎日の小さな時間。ひとときひととき。いつもと変わらないありふれた時間でも、楽しもうとする気持ちがあれば楽しめるんだよ。彼に教わった気がした。
さて。最後にわたしは、彼を笑わせることができた。覚えたてのスペイン語で「メ・ア・エントゥシアスマード!(とても楽しかったです!)」と言うと、たぶんたどたどしいスペイン語が微笑ましく映ったのだろう。サーバント氏は驚きの表情で笑顔を見せてくれたのだ。
ボリュームたっぷり、柔らかくジューシーなTボーンステーキ。
リストランテ『エル・チュラスコ』 世界遺産『メスキータ』の塔。
のんびり散歩したコルドバの街並み。 こんな可笑しな看板の店も。
photo by my husband
1ユーロの失敗
チップを払う文化には、馴染めない。しかしそれがマナーだというのだから、郷に入れば郷に従えで、ホテルの枕の下にはコインを置いて出かけるし、タクシーに乗れば「グラシアス!」とチップを渡す。
グラナダでは、ビールを1杯注文するごとにタパス(軽いつまみ)が無料で出てくる店も多く、物価も安い。そんな店でカウンターに立ち、おしゃべりしたりして笑顔をたくさんもらうとチップをはずみたくなることもある。
だが好意でしてくれたことに、お金を払おうとするのは失礼なんじゃないかなという気持ちは、わたしのなかにいつでもある。それなのに、失敗したなぁと思う出来事があった。
グラナダのホテルは石畳の階段の上にあり、チェックアウトした後、大きなスーツケースを持ち上げて運ばなくてはならなかった。もちろんがんばって運ぶつもりだったのだが、ホテルのボーイくんが何も言わないのにやって来て、すっと持ち上げ階段の下まで運んでくれた。
「ムーチャス・グラシアス!(どうもありがとう!)」
心を込めてスペイン語で礼を言い、チップを渡そうか一瞬迷ったが、差し出した。すると彼は肩をすくめ、いらないという仕草をし、振り向かずに階段を上って行った。
「サンキュー!」わたしは、その背中に大声で叫んだ。
言葉や習慣は違っても、同じ人間だ。彼がただ親切心から運んでくれたことは、わかっていたのに。
朝食付き宿泊だったから、3泊毎朝ブッフェで顔を合わせて「ブエノス・ディアス(おはよう)」と覚えたてのスペイン語で挨拶すると、笑顔で挨拶を返してくれた彼。夫がグラナダのサッカ-チームのスタジアムの場所を聞くと、地図を持って来てちょっと遠すぎると教えてくれた彼。やけにフレンドリーな変わった日本人だと思っていたかもしれない。
「ありがとう」
胸のなかでもう一度礼を言い、1ユーロコインをポケットに入れ、スーツケースを引いて次なる街コルドバへと向かって歩き出した。
ホテルがあった川沿いの気持ちがいい道。
雰囲気のある素敵な階段が、 ビールでもワインでも出てくる
何処にでもありました。 美味しかった無料タパス。
リストランテ『レオン』は、地元客も多い明るく家庭的な雰囲気。
ライトアップが始まった暮れていく『アルハンブラ宮殿』を眺めて。
photo by my husband
グラナダでは、ビールを1杯注文するごとにタパス(軽いつまみ)が無料で出てくる店も多く、物価も安い。そんな店でカウンターに立ち、おしゃべりしたりして笑顔をたくさんもらうとチップをはずみたくなることもある。
だが好意でしてくれたことに、お金を払おうとするのは失礼なんじゃないかなという気持ちは、わたしのなかにいつでもある。それなのに、失敗したなぁと思う出来事があった。
グラナダのホテルは石畳の階段の上にあり、チェックアウトした後、大きなスーツケースを持ち上げて運ばなくてはならなかった。もちろんがんばって運ぶつもりだったのだが、ホテルのボーイくんが何も言わないのにやって来て、すっと持ち上げ階段の下まで運んでくれた。
「ムーチャス・グラシアス!(どうもありがとう!)」
心を込めてスペイン語で礼を言い、チップを渡そうか一瞬迷ったが、差し出した。すると彼は肩をすくめ、いらないという仕草をし、振り向かずに階段を上って行った。
「サンキュー!」わたしは、その背中に大声で叫んだ。
言葉や習慣は違っても、同じ人間だ。彼がただ親切心から運んでくれたことは、わかっていたのに。
朝食付き宿泊だったから、3泊毎朝ブッフェで顔を合わせて「ブエノス・ディアス(おはよう)」と覚えたてのスペイン語で挨拶すると、笑顔で挨拶を返してくれた彼。夫がグラナダのサッカ-チームのスタジアムの場所を聞くと、地図を持って来てちょっと遠すぎると教えてくれた彼。やけにフレンドリーな変わった日本人だと思っていたかもしれない。
「ありがとう」
胸のなかでもう一度礼を言い、1ユーロコインをポケットに入れ、スーツケースを引いて次なる街コルドバへと向かって歩き出した。
ホテルがあった川沿いの気持ちがいい道。
雰囲気のある素敵な階段が、 ビールでもワインでも出てくる
何処にでもありました。 美味しかった無料タパス。
リストランテ『レオン』は、地元客も多い明るく家庭的な雰囲気。
ライトアップが始まった暮れていく『アルハンブラ宮殿』を眺めて。
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2度目の訪問
今回の旅行は、飛行機もホテルも旅行会社を通さず、夫がネットで予約した。
『サグラダ・ファミリア』もプリントアウトしたチケットのバーコードを機械に通すと行列に並ぶことなく入場できた。グラナダで行きたいと思っていた『アルハンブラ宮殿』のチケットも彼が予約してくれていた。バスの路線も調べてあり、迷うことなく『アルハンブラ宮殿』行きに乗れた。
「きみはすごいね。さすがだ! ペルフェクト(パーフェクト)だ!」
にわかスペイン語で、褒めちぎるわたしに、彼もご満悦だ。
「旅はさぁ、準備段階から始まってるんだよねぇ」
どうだ、参ったかと言わんばかりに鼻高々。
しかし、そういう時に限ってトラブルとは起こるものである。
「アルハンブラのチケット予約したクレジットカード持ったよね?」
何度も聞かれ、わたしはいつも使うカードが財布に入っていることを確認していた。だが、入口の機械に通すと「カードが違います」と出る。何度かチャレンジしたが無駄だった。
「もしかして俺のカードかな?」
「わたしのカードで予約したのってAVE(特急電車)だったかも」
ふたり顔を見合わせ、大慌てで宿に戻るバスに乗った。朝余裕を持って出たので予約時間までにはぎりぎりだが間に合いそうだったが、間に合わなければ、グラナダに来た一番の目的『アルハンブラ宮殿』を見ずに帰ることになるかもしれないのだ。
宿に戻ってクレジットカードのナンバーを確認すると、やはり夫のカードだった。バスに乗り、入口の機械でチケットを手に入れるのもスムーズだ。
「何しろ、セカンドタイム(2度目)だからね」
わたしのジョークに、夫は苦虫を潰したような顔をしたが、ふたり1日「セカンドタイム」をネタにしたジョークで笑った。
かくして『アルハンブラ宮殿』2度目の訪問は、予約時間にも間に合い、わたし達は、イスラム文明の世界へと静かに足を踏み入れたのだった。
イスラム文明の彫刻の美しさに息を飲みました。
立つ位置によって見え方が変わるのは、光と影が織り成す不思議。
それを考えて彫られたのでしょうか?
アラヤネスの中庭とコマレスの塔。 鐘楼があるアルカサバへ続く道。
のちにキリスト教が支配した象徴である鐘。
photo by my husband
『サグラダ・ファミリア』もプリントアウトしたチケットのバーコードを機械に通すと行列に並ぶことなく入場できた。グラナダで行きたいと思っていた『アルハンブラ宮殿』のチケットも彼が予約してくれていた。バスの路線も調べてあり、迷うことなく『アルハンブラ宮殿』行きに乗れた。
「きみはすごいね。さすがだ! ペルフェクト(パーフェクト)だ!」
にわかスペイン語で、褒めちぎるわたしに、彼もご満悦だ。
「旅はさぁ、準備段階から始まってるんだよねぇ」
どうだ、参ったかと言わんばかりに鼻高々。
しかし、そういう時に限ってトラブルとは起こるものである。
「アルハンブラのチケット予約したクレジットカード持ったよね?」
何度も聞かれ、わたしはいつも使うカードが財布に入っていることを確認していた。だが、入口の機械に通すと「カードが違います」と出る。何度かチャレンジしたが無駄だった。
「もしかして俺のカードかな?」
「わたしのカードで予約したのってAVE(特急電車)だったかも」
ふたり顔を見合わせ、大慌てで宿に戻るバスに乗った。朝余裕を持って出たので予約時間までにはぎりぎりだが間に合いそうだったが、間に合わなければ、グラナダに来た一番の目的『アルハンブラ宮殿』を見ずに帰ることになるかもしれないのだ。
宿に戻ってクレジットカードのナンバーを確認すると、やはり夫のカードだった。バスに乗り、入口の機械でチケットを手に入れるのもスムーズだ。
「何しろ、セカンドタイム(2度目)だからね」
わたしのジョークに、夫は苦虫を潰したような顔をしたが、ふたり1日「セカンドタイム」をネタにしたジョークで笑った。
かくして『アルハンブラ宮殿』2度目の訪問は、予約時間にも間に合い、わたし達は、イスラム文明の世界へと静かに足を踏み入れたのだった。
イスラム文明の彫刻の美しさに息を飲みました。
立つ位置によって見え方が変わるのは、光と影が織り成す不思議。
それを考えて彫られたのでしょうか?
アラヤネスの中庭とコマレスの塔。 鐘楼があるアルカサバへ続く道。
のちにキリスト教が支配した象徴である鐘。
photo by my husband
グラナダの風は心地よく
バルセロナから南はアンダルシア地方、グラナダへ移動した。田舎街だ。
「あれ、雪だよね?」と、夫。
頭に雪を乗せた山々が遠く連なる風景に、ホッとする。
「山梨に近い気候なのかもしれないね」
連日38℃だという最高気温の情報に、暑いと覚悟していたのだ。
だが思った通り、朝夕の寒暖差が激しく標高の高い場所に上るほど涼しいという山梨とよく似た気候。暑さも中休みなのか、風が心地よかった。
ホテルは住宅街にあり、大きなスーツケースを持って階段を上らなくてはならず、部屋も3階まで階段だったが、それも苦にならないほど居心地のいいホテルだった。
部屋に入ると、グラナダ焼きを模した白に青で大きく花を描いたのタイル。落ち着いた木製の窓枠や家具類はブラウンに統一されていた。窓を開けて見下ろす中庭には、気持ちのいい風が通る。何より静かだ。
「空の青さが、山梨と似てるね」「うん。静かなところも」
空気があっていたのか、ふたりよく眠り体力も回復した。
旅の一番の楽しみは、家に帰ることだと言ったのは誰だったか。グラナダは、そんな言葉を思い出す街だった。
ホテルの中庭は空気がひんやり。 グラナダにも朝顔が咲いていました。
街を歩くとどの家にも、グラナダ焼きの鉢植えが飾られていました。
散歩したアルバイシンの丘から眺めた『アルハンブラ宮殿』
今日の写真は、すべて夫が撮ったものです。
「あれ、雪だよね?」と、夫。
頭に雪を乗せた山々が遠く連なる風景に、ホッとする。
「山梨に近い気候なのかもしれないね」
連日38℃だという最高気温の情報に、暑いと覚悟していたのだ。
だが思った通り、朝夕の寒暖差が激しく標高の高い場所に上るほど涼しいという山梨とよく似た気候。暑さも中休みなのか、風が心地よかった。
ホテルは住宅街にあり、大きなスーツケースを持って階段を上らなくてはならず、部屋も3階まで階段だったが、それも苦にならないほど居心地のいいホテルだった。
部屋に入ると、グラナダ焼きを模した白に青で大きく花を描いたのタイル。落ち着いた木製の窓枠や家具類はブラウンに統一されていた。窓を開けて見下ろす中庭には、気持ちのいい風が通る。何より静かだ。
「空の青さが、山梨と似てるね」「うん。静かなところも」
空気があっていたのか、ふたりよく眠り体力も回復した。
旅の一番の楽しみは、家に帰ることだと言ったのは誰だったか。グラナダは、そんな言葉を思い出す街だった。
ホテルの中庭は空気がひんやり。 グラナダにも朝顔が咲いていました。
街を歩くとどの家にも、グラナダ焼きの鉢植えが飾られていました。
散歩したアルバイシンの丘から眺めた『アルハンブラ宮殿』
今日の写真は、すべて夫が撮ったものです。
オリーブの木にとまった三日月
バルや市場で気軽に飲むのも楽しいがリストランテでゆっくり食事もしたいねと、夫の友人に教わったバルセロナ港沿いのシーフードレストランに行った。
スペインのリストランテは、夜は8時から店を開ける。午後は長い昼休み『シエスタ』を取る習慣なのだ。9時を回ってもまだ夕暮れ前の明るさだから、道を歩く人も多く、夕食も9時頃からスタートするのがスタンダードなよう。わたし達もそれにならい夕方からゆっくり昼寝をして、一駅歩いて海沿いを散歩し、9時前に夕食の席に着いた。
海が見える席はオリーブの木陰にあり、それだけでゆったりした気持になる。ランブラス通りの喧騒やバルの忙しい雰囲気との対比も相まってホッとした。同じ街にいても、時間の流れ方が違っている。
「あ、ほら、オリーブの木に小鳥がとまってる」と、ビールを飲みわたし。
「ほんとだ。鳴いてるね」
ワインを飲み、夫もゆったりした気分になっているようだ。
「羽根がまだ産毛だね。ずっと同じ枝にいるけど、飛べないのかな?」
「作り物なんじゃないの?」と、夫が彼特有のジョークを飛ばす。
だが小鳥はきょろきょろと周りを見回したり、ぴいぴい鳴いたりしている。どう見ても確かに生きていた。
ブイヤベース風味のスープや生のタラを使ったサラダ、舌平目のオレンジソースがテーブルに並んでも、小鳥は同じ枝から動かずにぴいぴい鳴いていた。
アコーディオン弾きのおじさんが木の下でにぎやかなメロディを奏でても、まだそこに居た。飛べないのかなと、また心配になる。
しばらくして、焼き立てのパエリアが締めくくりに出て来た時だ。オリーブの枝を見上げると小鳥はいなくなっていた。そしてその枝には、小鳥の代わりに浅い闇に浮きだした少し太った三日月がとまっていた。
「落ちたのかな?」しかし、オリーブの木の下に小鳥はいなかった。
「夜が更けて、おもちゃの鳥も店じまいなんだよ」
夫は、またも彼特有のジョークで、小鳥作り物説を主張し、パエリアに舌鼓を打ちワインを空けた。
小鳥は何処へ行ったんでしょうか?
月はすべてを知っているような顔で笑っていました。
ブイヤベース風味のシーフードスープから始めて……。
舌平目のオレンジソース。
パエリアのお米は固めで、持っていたイメージと違っていました。
しっかり焼いたパエリアは、海鮮の旨味いっぱいでした。
スペインのリストランテは、夜は8時から店を開ける。午後は長い昼休み『シエスタ』を取る習慣なのだ。9時を回ってもまだ夕暮れ前の明るさだから、道を歩く人も多く、夕食も9時頃からスタートするのがスタンダードなよう。わたし達もそれにならい夕方からゆっくり昼寝をして、一駅歩いて海沿いを散歩し、9時前に夕食の席に着いた。
海が見える席はオリーブの木陰にあり、それだけでゆったりした気持になる。ランブラス通りの喧騒やバルの忙しい雰囲気との対比も相まってホッとした。同じ街にいても、時間の流れ方が違っている。
「あ、ほら、オリーブの木に小鳥がとまってる」と、ビールを飲みわたし。
「ほんとだ。鳴いてるね」
ワインを飲み、夫もゆったりした気分になっているようだ。
「羽根がまだ産毛だね。ずっと同じ枝にいるけど、飛べないのかな?」
「作り物なんじゃないの?」と、夫が彼特有のジョークを飛ばす。
だが小鳥はきょろきょろと周りを見回したり、ぴいぴい鳴いたりしている。どう見ても確かに生きていた。
ブイヤベース風味のスープや生のタラを使ったサラダ、舌平目のオレンジソースがテーブルに並んでも、小鳥は同じ枝から動かずにぴいぴい鳴いていた。
アコーディオン弾きのおじさんが木の下でにぎやかなメロディを奏でても、まだそこに居た。飛べないのかなと、また心配になる。
しばらくして、焼き立てのパエリアが締めくくりに出て来た時だ。オリーブの枝を見上げると小鳥はいなくなっていた。そしてその枝には、小鳥の代わりに浅い闇に浮きだした少し太った三日月がとまっていた。
「落ちたのかな?」しかし、オリーブの木の下に小鳥はいなかった。
「夜が更けて、おもちゃの鳥も店じまいなんだよ」
夫は、またも彼特有のジョークで、小鳥作り物説を主張し、パエリアに舌鼓を打ちワインを空けた。
小鳥は何処へ行ったんでしょうか?
月はすべてを知っているような顔で笑っていました。
ブイヤベース風味のシーフードスープから始めて……。
舌平目のオレンジソース。
パエリアのお米は固めで、持っていたイメージと違っていました。
しっかり焼いたパエリアは、海鮮の旨味いっぱいでした。
人が四角くないことを知る
ガウディが、何故偉大だと言われるのか知らなかった。
『サグラダ・ファミリア』と呼ばれる教会を設計した建築家で、彼が亡くなった後も、その教会は作られ続けていることは知っていた。130年以上かけてもいまだ建築中なのだから、すごい建物なんだろうとは想像もしていた。曲線の美を追求しているかのような奇抜な外観も、テレビなどでは何度も観たことがある。だが、ガウディのすごさは、違うところにあった。
他にも『バトリョ邸』『コロニア・グエル教会』などの建築物を観て感じた。彼は、いつもそこで過ごす人々の心の奥深いところまで想像し、どういう空間なら解放された気持ちになれるのか、どうしたら笑顔が生まれ心を通い合わせ、気持ちが豊かになれる場所になるだろうかと、考え続けていたのだ。
人は四角くない。その人が過ごす建物には曲線が必要だ。しかし四角い建物は強く安定している。それと同じだけの強さを持つ建物を曲線で建てるには。
ガウディは重力に逆らわない曲線の形を10年かけて研究した。その集大成が『サグラダ・ファミリア』イメージは森の中の教会だ。『バトリョ邸』では地中海の波や水泡がイメージされ、タイルのモザイクで作られた外観はドラゴンの鱗のようだと言われている。どの建物にも、草木や動物、魚や貝殻を思わせるデザインがあちらこちらに見られる。
奇抜で面白い外観や、内装のホッとするような曲線だけではなく、人の手に馴染みやすい手すりや取っ手、廃墟になった建物から取り出したタイルや瓦礫を使うエコな姿勢から、生きとし生けるものすべてに対するガウディの強い思いが感じられる。
「あきらめない人だったんだな」
最後に観た郊外にある『コロニア・グエル教会』外待合いのベンチに座り考えた。直線を曲線にするなんて無謀なことをと笑われたかもしれない。くじけそうにもなっただろう。それでも試行錯誤を重ね創りあげていったガウディの強い思いを、バルセロナの風に感じた。
『サグラダ・ファミリア』なかの礼拝堂。確かに森のなかにいるようでした。
それなのに螺旋階段を上からのぞくと、渦巻き貝殻のよう。
『バトリョ邸』リビングの中心にあるステンドグラスは海の泡か貝殻か。
『コロニア・グエル教会』も、森のイメージですが、
よく見ると柱の模様が鱗のようにも見えます。
ステンドグラスは、花の形。窓が開閉できるようになっています。
どの建物も風の通り道を作ってあり、自然の風を感じました。
『サグラダ・ファミリア』と呼ばれる教会を設計した建築家で、彼が亡くなった後も、その教会は作られ続けていることは知っていた。130年以上かけてもいまだ建築中なのだから、すごい建物なんだろうとは想像もしていた。曲線の美を追求しているかのような奇抜な外観も、テレビなどでは何度も観たことがある。だが、ガウディのすごさは、違うところにあった。
他にも『バトリョ邸』『コロニア・グエル教会』などの建築物を観て感じた。彼は、いつもそこで過ごす人々の心の奥深いところまで想像し、どういう空間なら解放された気持ちになれるのか、どうしたら笑顔が生まれ心を通い合わせ、気持ちが豊かになれる場所になるだろうかと、考え続けていたのだ。
人は四角くない。その人が過ごす建物には曲線が必要だ。しかし四角い建物は強く安定している。それと同じだけの強さを持つ建物を曲線で建てるには。
ガウディは重力に逆らわない曲線の形を10年かけて研究した。その集大成が『サグラダ・ファミリア』イメージは森の中の教会だ。『バトリョ邸』では地中海の波や水泡がイメージされ、タイルのモザイクで作られた外観はドラゴンの鱗のようだと言われている。どの建物にも、草木や動物、魚や貝殻を思わせるデザインがあちらこちらに見られる。
奇抜で面白い外観や、内装のホッとするような曲線だけではなく、人の手に馴染みやすい手すりや取っ手、廃墟になった建物から取り出したタイルや瓦礫を使うエコな姿勢から、生きとし生けるものすべてに対するガウディの強い思いが感じられる。
「あきらめない人だったんだな」
最後に観た郊外にある『コロニア・グエル教会』外待合いのベンチに座り考えた。直線を曲線にするなんて無謀なことをと笑われたかもしれない。くじけそうにもなっただろう。それでも試行錯誤を重ね創りあげていったガウディの強い思いを、バルセロナの風に感じた。
『サグラダ・ファミリア』なかの礼拝堂。確かに森のなかにいるようでした。
それなのに螺旋階段を上からのぞくと、渦巻き貝殻のよう。
『バトリョ邸』リビングの中心にあるステンドグラスは海の泡か貝殻か。
『コロニア・グエル教会』も、森のイメージですが、
よく見ると柱の模様が鱗のようにも見えます。
ステンドグラスは、花の形。窓が開閉できるようになっています。
どの建物も風の通り道を作ってあり、自然の風を感じました。
バルセロナじゅうの音を集めて
バルセルナの街は騒がしい。
様々な露店が並ぶランブラス通りは、平日でも朝夕問わず人があふれているし、バルにも、朝からビールを飲む人、ランチだかディナーだがわからない時間に酒を飲み山盛りの肉や野菜を食べる人、朝まで飲みながら大声で笑い歌う人。人、人、人。年齢はまちまちだが揃って声が大きく、これがまた絶え間なくしゃべるのだ。想像するに、こういった会話の連続なのではなかろうか。
Aさん「昨日観た映画さ、もう可笑しくってさぁ」
Bさん「それがさ、うちの旦那と息子、1週間ケンカしてんのよ」
Cさん「聞いてよ。今朝行った珈琲屋、最悪なの!」
Aさん「でさ、映画の笑いのツボが、彼氏と違うんだよね」
Bさん「それがさ、旦那も息子も、どっちもどっちなの」
Cさん「レジの女、ぶすっとしてて、釣銭間違えたのに謝らないんだよ」
「だってさぁ」「それがね」「あれはフラれた八つ当たりだね」
たがいに自分が言いたいことを、しゃべり続けているのだ。それなのに何故か波長が合った時に高らかに笑い、突然歌いだす不思議。それでもケンカにならないのは、根っからの陽気さによるものだろう。あくまで想像だが。
働く人も陽気だ。ガスボンベを運ぶおじさんは、狭い裏通りを歩きながらカンカーンとボンベを叩き「オーラァ!(ハロー)」とオペラのような声で叫ぶ。
通りから1分ほど入った場所にある安ホテルの部屋は、これらバルセロナの音がすべて集められたかのように朝4時を回るまで、しっかりと騒がしいのだ。これには、全く参った。
「この部屋さぁ、集音機ついてるんじゃないの?」と、疲れ果てた顔で夫。
「それ、一概には否定できないよね。この騒々しさ」と、わたし。
「ランブラス通りじゅうの音が、この部屋に集まってるんだ、絶対」
「これはもう、飲んで寝るしかないね」
という訳で、夜はふたりバルに繰り出した。まあ、静かな街でもビールを飲むのは変わらないんだけどね。
セビーリャ地方のライトビール『クルスカンポ』で乾杯。
バル『イラティ』では、バスクスタイルのピンチョスを、
(パンの上に、様々な具を乗せたもの)自分で皿に取ります。
立ち飲みでしたが、ピンチョスの種類も豊富で、たくさん食べました。
お勘定は、飲み物代+ピンチョスのつま楊枝の本数で計算されます。
「これって、回転寿司スタイルだよね?」と、夫。
「ピンチョス、寿司と似てるし回らない回転寿司だ!」と、わたし。
様々な露店が並ぶランブラス通りは、平日でも朝夕問わず人があふれているし、バルにも、朝からビールを飲む人、ランチだかディナーだがわからない時間に酒を飲み山盛りの肉や野菜を食べる人、朝まで飲みながら大声で笑い歌う人。人、人、人。年齢はまちまちだが揃って声が大きく、これがまた絶え間なくしゃべるのだ。想像するに、こういった会話の連続なのではなかろうか。
Aさん「昨日観た映画さ、もう可笑しくってさぁ」
Bさん「それがさ、うちの旦那と息子、1週間ケンカしてんのよ」
Cさん「聞いてよ。今朝行った珈琲屋、最悪なの!」
Aさん「でさ、映画の笑いのツボが、彼氏と違うんだよね」
Bさん「それがさ、旦那も息子も、どっちもどっちなの」
Cさん「レジの女、ぶすっとしてて、釣銭間違えたのに謝らないんだよ」
「だってさぁ」「それがね」「あれはフラれた八つ当たりだね」
たがいに自分が言いたいことを、しゃべり続けているのだ。それなのに何故か波長が合った時に高らかに笑い、突然歌いだす不思議。それでもケンカにならないのは、根っからの陽気さによるものだろう。あくまで想像だが。
働く人も陽気だ。ガスボンベを運ぶおじさんは、狭い裏通りを歩きながらカンカーンとボンベを叩き「オーラァ!(ハロー)」とオペラのような声で叫ぶ。
通りから1分ほど入った場所にある安ホテルの部屋は、これらバルセロナの音がすべて集められたかのように朝4時を回るまで、しっかりと騒がしいのだ。これには、全く参った。
「この部屋さぁ、集音機ついてるんじゃないの?」と、疲れ果てた顔で夫。
「それ、一概には否定できないよね。この騒々しさ」と、わたし。
「ランブラス通りじゅうの音が、この部屋に集まってるんだ、絶対」
「これはもう、飲んで寝るしかないね」
という訳で、夜はふたりバルに繰り出した。まあ、静かな街でもビールを飲むのは変わらないんだけどね。
セビーリャ地方のライトビール『クルスカンポ』で乾杯。
バル『イラティ』では、バスクスタイルのピンチョスを、
(パンの上に、様々な具を乗せたもの)自分で皿に取ります。
立ち飲みでしたが、ピンチョスの種類も豊富で、たくさん食べました。
お勘定は、飲み物代+ピンチョスのつま楊枝の本数で計算されます。
「これって、回転寿司スタイルだよね?」と、夫。
「ピンチョス、寿司と似てるし回らない回転寿司だ!」と、わたし。
思い込みと勘違いは国境を越えて
思い込みが激しいのは悪い癖だとわかってはいるが、いきなり失敗した。
朝食を食べに行った『サン・ジョセップ市場』でふたりカウンターバルに座ったが、渡されたメニューが難解で考え込んだ。スペイン風オムレツとサラダでも、と思っていたのだが、メニューには英語らしきものがスペイン風に並べてあるのだ。
「これじゃない?」わたしはアンダルシア風とかかれたものを指差した。
「ここは、アンダルシアじゃないよ?」と、夫。
「スペイン風オムレツは、アンダルシア風なんだよ」
自信満々で、わたし。しかし出て来たものは、チビイカのフリット『チビロン・アラ・アンダルース』アンダルシア風のイカの唐揚げだ。
「朝から揚げ物で、ごめん」と、わたし。
「美味いよ。でも、全部は食べられないかも」と、夫。
後でガイドブックを見ると、アンダルシア風はトマト味の冷静スープ、ガスパチョだった。アンダルシア風はオムレツと勘違いした上に、アンダルシア風とあるものすべてをスペイン風オムレツの種類の一つだと思い込んでいた。国境を越えても、我が思い込みの激しさと勘違いのとんちんかんさは健在である。
自分でも呆れ果てたが、この失敗を、今後生かしていこうと誓ったのだった。
スパイシーで、超美味でした。朝からビールが飲みたくなりました。
責任を取って全部食べました。(美味しかった!)
photo by my husband
早朝からにぎわう『サン・ジョセップ市場』入り口。
生ハムの塊が、たくさん吊るしてあります。
野菜も山盛りにいろいろ積んであって、カラフルで楽しい!
朝食を食べに行った『サン・ジョセップ市場』でふたりカウンターバルに座ったが、渡されたメニューが難解で考え込んだ。スペイン風オムレツとサラダでも、と思っていたのだが、メニューには英語らしきものがスペイン風に並べてあるのだ。
「これじゃない?」わたしはアンダルシア風とかかれたものを指差した。
「ここは、アンダルシアじゃないよ?」と、夫。
「スペイン風オムレツは、アンダルシア風なんだよ」
自信満々で、わたし。しかし出て来たものは、チビイカのフリット『チビロン・アラ・アンダルース』アンダルシア風のイカの唐揚げだ。
「朝から揚げ物で、ごめん」と、わたし。
「美味いよ。でも、全部は食べられないかも」と、夫。
後でガイドブックを見ると、アンダルシア風はトマト味の冷静スープ、ガスパチョだった。アンダルシア風はオムレツと勘違いした上に、アンダルシア風とあるものすべてをスペイン風オムレツの種類の一つだと思い込んでいた。国境を越えても、我が思い込みの激しさと勘違いのとんちんかんさは健在である。
自分でも呆れ果てたが、この失敗を、今後生かしていこうと誓ったのだった。
スパイシーで、超美味でした。朝からビールが飲みたくなりました。
責任を取って全部食べました。(美味しかった!)
photo by my husband
早朝からにぎわう『サン・ジョセップ市場』入り口。
生ハムの塊が、たくさん吊るしてあります。
野菜も山盛りにいろいろ積んであって、カラフルで楽しい!
時差の違い
夫とわたしのなかで、時差が違う。
成田で生ビールで出発を乾杯し、飛行機で隣の席に座りつつ、時差が違うところからの出発である。
「12時間飛行機に乗ると思うと、憂鬱だな」と、夫。
「そお? でもさ、お昼に乗って、乗り換えのミュンヘンに着くのが夕方5時でしょ? たいしたことないじゃん」と、わたし。
「だから、そのなかに時差があるんだって」
「知ってるよ。でも、時差とか何とか関係なく、お昼に出て夕方着くじゃん」
「いいねぇ、きみはいつも気楽で。7時間も時差があるって言うのに」
「日本とスペイン、どっちが早いの?」
「知らなかったの? 日本だよ。日本は世界中で一番早いの。日付変更線の一番近くにあるんだから。」
「へー。じゃあ地球が反対に回ったら、日本が一番遅い訳だ」
「地球反対に回してどうするんだよ。飛行機、後ろに進むだろ!」
「ははは。ンな訳ないじゃん」「いいねぇ。全くきみは、いつでも気楽で」
という訳で、夫は12時間+2時間(ミュンヘンからバルセロナまで)わたしはお昼から夕方まで+2時間(爆睡)の飛行機の旅を終え、ぶじパルセロナはランブラス通り近くのホテルにその日の夜、到着したのだった。
朝食まえに、ぶらぶらとホテルの周りを散歩しました。
普通のお家が、物語の世界のように素敵です。
たたんである傘と椅子。午後にはリストランテになります。
成田で生ビールで出発を乾杯し、飛行機で隣の席に座りつつ、時差が違うところからの出発である。
「12時間飛行機に乗ると思うと、憂鬱だな」と、夫。
「そお? でもさ、お昼に乗って、乗り換えのミュンヘンに着くのが夕方5時でしょ? たいしたことないじゃん」と、わたし。
「だから、そのなかに時差があるんだって」
「知ってるよ。でも、時差とか何とか関係なく、お昼に出て夕方着くじゃん」
「いいねぇ、きみはいつも気楽で。7時間も時差があるって言うのに」
「日本とスペイン、どっちが早いの?」
「知らなかったの? 日本だよ。日本は世界中で一番早いの。日付変更線の一番近くにあるんだから。」
「へー。じゃあ地球が反対に回ったら、日本が一番遅い訳だ」
「地球反対に回してどうするんだよ。飛行機、後ろに進むだろ!」
「ははは。ンな訳ないじゃん」「いいねぇ。全くきみは、いつでも気楽で」
という訳で、夫は12時間+2時間(ミュンヘンからバルセロナまで)わたしはお昼から夕方まで+2時間(爆睡)の飛行機の旅を終え、ぶじパルセロナはランブラス通り近くのホテルにその日の夜、到着したのだった。
朝食まえに、ぶらぶらとホテルの周りを散歩しました。
普通のお家が、物語の世界のように素敵です。
たたんである傘と椅子。午後にはリストランテになります。
紫陽花が咲く前に
メールが来た時に、感じることがある。
「あ、この友人は透き通った水色のイメージ」
「彼女は、アメジスト色だな」「あの人は、向日葵色」「薄桃色かなぁ」
その人に感じるイメージなのだが、メールという形を持ち、そのイメージが色を帯びてくるといった感じか。
嫌なことがあった時に、透き通った水色のメールは嫌な気分を洗い流してくれる。アメジスト色はハッとさせてくれるし、向日葵色は元気をくれる。薄桃色は、ふんわりした気持ちにさせてくれる。
そんな風に感じられるのも、自分が濃く濁った黒や、何もかもを撥ねつける深い灰色になっていないからこそだと思う。底なしの闇に落ちていくような気分の時にも、できれば自分を無色透明にしておきたい。誰かの色に心を染めるのは、思いのほか楽しいし、新鮮な気持ちにもなれる。
案外そう思うことで、底なしの闇にも染まらずに居られるのかもしれない。カラフルなメール達と、それを送ってくれる友人達に感謝しつつ、紫陽花色した6月の朝の空気を、深く吸い込んだ。
もう少しで咲きそうですが、蕾のままの庭の紫陽花に別れを告げ、
スペインへ行ってきます。どんな旅になることやら。
「あ、この友人は透き通った水色のイメージ」
「彼女は、アメジスト色だな」「あの人は、向日葵色」「薄桃色かなぁ」
その人に感じるイメージなのだが、メールという形を持ち、そのイメージが色を帯びてくるといった感じか。
嫌なことがあった時に、透き通った水色のメールは嫌な気分を洗い流してくれる。アメジスト色はハッとさせてくれるし、向日葵色は元気をくれる。薄桃色は、ふんわりした気持ちにさせてくれる。
そんな風に感じられるのも、自分が濃く濁った黒や、何もかもを撥ねつける深い灰色になっていないからこそだと思う。底なしの闇に落ちていくような気分の時にも、できれば自分を無色透明にしておきたい。誰かの色に心を染めるのは、思いのほか楽しいし、新鮮な気持ちにもなれる。
案外そう思うことで、底なしの闇にも染まらずに居られるのかもしれない。カラフルなメール達と、それを送ってくれる友人達に感謝しつつ、紫陽花色した6月の朝の空気を、深く吸い込んだ。
もう少しで咲きそうですが、蕾のままの庭の紫陽花に別れを告げ、
スペインへ行ってきます。どんな旅になることやら。
アイロンを掛けたばかりの熱を持った布のハンカチ
アイロン掛けをする時に、よく映画を観る。なので、アイロン台はテレビの前が定位置だ。
最近はほとんどがタオルハンカチなので、ハンカチにアイロンを掛けることもなくなったが、布のハンカチを使っていた頃には「意味ない行動」になってしまうことも多かった。
アイロンを掛けるだけじゃつまらないので、映画を観る。笑って泣けるラブコメファンなので、切ないシーンで泣く。その涙を、アイロンを掛けたばかりのハンカチで拭く。映画を観終わって、ハンカチを洗濯に入れる。洗い終わったハンカチにアイロンを掛けつつ映画を観る。堂々巡りとは、このことである。
だが、ハンカチにアイロンを掛けなくなった今、ふとなつかしくなる。アイロンを掛けたばかりの熱を持ったハンカチで、涙を拭う感覚を。
「これって、意味ないよなぁ」と思った自分の行動にも、もしかすると何か意味があったのかもしれない。
何度も観たラブコメ、ジョニー・デップ主演映画『妹の恋人』の、パンにアイロンを掛けてトーストするという、大好きだったシーンを思い浮かべつつ、
「布のハンカチとパンに、アイロン掛けてみようかな」と、ふと考えてみた。
何年か前に買ったタオルハンカチと、最近買ったものを比べて見ると、
選ぶ色や柄に、変化が見られて面白いです。
気分や忙しさや、使う場所や、好みも変わってきているのでしょうね。
最近はほとんどがタオルハンカチなので、ハンカチにアイロンを掛けることもなくなったが、布のハンカチを使っていた頃には「意味ない行動」になってしまうことも多かった。
アイロンを掛けるだけじゃつまらないので、映画を観る。笑って泣けるラブコメファンなので、切ないシーンで泣く。その涙を、アイロンを掛けたばかりのハンカチで拭く。映画を観終わって、ハンカチを洗濯に入れる。洗い終わったハンカチにアイロンを掛けつつ映画を観る。堂々巡りとは、このことである。
だが、ハンカチにアイロンを掛けなくなった今、ふとなつかしくなる。アイロンを掛けたばかりの熱を持ったハンカチで、涙を拭う感覚を。
「これって、意味ないよなぁ」と思った自分の行動にも、もしかすると何か意味があったのかもしれない。
何度も観たラブコメ、ジョニー・デップ主演映画『妹の恋人』の、パンにアイロンを掛けてトーストするという、大好きだったシーンを思い浮かべつつ、
「布のハンカチとパンに、アイロン掛けてみようかな」と、ふと考えてみた。
何年か前に買ったタオルハンカチと、最近買ったものを比べて見ると、
選ぶ色や柄に、変化が見られて面白いです。
気分や忙しさや、使う場所や、好みも変わってきているのでしょうね。
ねじれる気持ち
何年か、詩を学んでいた。小中学生の時には、誰もが勉強する詩。それを大人になってから学んだ。大人の詩ができた。
『知恵の輪』
外そうと すればするほど 絡まって
ねじれたところが ぶつかり合い
もう どうすることも 出来なくなって
知恵の輪が 背中を合わせて
「ごめん」と 呟き合っている
夫と喧嘩をした時にかいた詩だ。喧嘩の理由やその後の経過などは、とうに忘れてしまった。それでも誰かと、気持ちがねじれ、ぶつかり合った時など思い出す。人の気持ちは、ねじれるのだと。
ねじれた気持ちを抱えつつ、知恵を絞り輪を外そうと懸命になる。おたがいが懸命になればこそ、知恵の輪はようやく外れ、面と向かって笑い合えるようになるのだ。それでも外れない知恵の輪もある。偶然や時間や疲れやイライラや様々なことが作用していく様も、人の気持ちと知恵の輪とは何処か似ている。
左から、初級、中級、上級です。百均で買いました。
初級40秒、中級5分5秒、上級1分26秒で外れました。
知恵、まだ衰えてないのかな?(上級は中級と同じタイプでした)
千円の知恵の輪もありましたが、値段的にやめました。あくまで値段的に。
『知恵の輪』
外そうと すればするほど 絡まって
ねじれたところが ぶつかり合い
もう どうすることも 出来なくなって
知恵の輪が 背中を合わせて
「ごめん」と 呟き合っている
夫と喧嘩をした時にかいた詩だ。喧嘩の理由やその後の経過などは、とうに忘れてしまった。それでも誰かと、気持ちがねじれ、ぶつかり合った時など思い出す。人の気持ちは、ねじれるのだと。
ねじれた気持ちを抱えつつ、知恵を絞り輪を外そうと懸命になる。おたがいが懸命になればこそ、知恵の輪はようやく外れ、面と向かって笑い合えるようになるのだ。それでも外れない知恵の輪もある。偶然や時間や疲れやイライラや様々なことが作用していく様も、人の気持ちと知恵の輪とは何処か似ている。
左から、初級、中級、上級です。百均で買いました。
初級40秒、中級5分5秒、上級1分26秒で外れました。
知恵、まだ衰えてないのかな?(上級は中級と同じタイプでした)
千円の知恵の輪もありましたが、値段的にやめました。あくまで値段的に。
トラウマからの脱出
最近よく迷う。方向音痴ではあるが、道にではない。
ラーメン屋で注文する際に、迷うのだ。タンメンにするか、はたまた葱味噌ラーメンにするかという究極の選択。メニューを見ていると、現実逃避なのか、生ビールの種類をちらちら見たりして、値段チェックをいつのまにかしている自分に気づき、ハッとしたりする。
2年ほど前は、担担麺にハマり何処へ行っても担担麺を食べていた。迷うことのない人生もそれはそれで素敵だ。しかし、そのマイブームも去った。自然と飽きるものなのだなと、淋しくも感じつつ担担麺に別れを告げた。ちょうどその頃だっただろうか。諏訪の一風堂で、『一風堂からか麺』を食べた。辛いものは大好きだし、多少辛過ぎても美味しく食べられる自信もあった。だが『一風堂からか麺』には負けた。5段階の4辛にしたにも関わらず、一口食べた途端その辛さに唇は痛くなり、思いっきりむせた。なんとか完食したが、しばらく辛いものはもういいやと、辛いもの大好きのわたしが思うほどだった。
それから塩味も優しく、野菜たっぷりで身体にも優しそうなタンメンに移行した。胡椒はたっぷりとかけ、辛さもプラスして食べている。だが最近になり、葱味噌ラーメンがわたしを誘うのだ。そろそろそんなトラウマは忘れて、ちょっと辛めのやつ、行きましょうよと。喉元過ぎても忘れなかった『一風堂からか麺』の辛さも、2年経ち、そう言えば思い出せなくなった。
甲斐市『NARU-TO』(なると)の葱味噌ラーメン。
辛さは優しく、何と言ってもとろけるチャーシューが美味い!
夫とよく行く韮崎市のチェーン店のタンメン。
野菜の出汁が効いた塩味も、捨てがたいです。
ラーメン屋で注文する際に、迷うのだ。タンメンにするか、はたまた葱味噌ラーメンにするかという究極の選択。メニューを見ていると、現実逃避なのか、生ビールの種類をちらちら見たりして、値段チェックをいつのまにかしている自分に気づき、ハッとしたりする。
2年ほど前は、担担麺にハマり何処へ行っても担担麺を食べていた。迷うことのない人生もそれはそれで素敵だ。しかし、そのマイブームも去った。自然と飽きるものなのだなと、淋しくも感じつつ担担麺に別れを告げた。ちょうどその頃だっただろうか。諏訪の一風堂で、『一風堂からか麺』を食べた。辛いものは大好きだし、多少辛過ぎても美味しく食べられる自信もあった。だが『一風堂からか麺』には負けた。5段階の4辛にしたにも関わらず、一口食べた途端その辛さに唇は痛くなり、思いっきりむせた。なんとか完食したが、しばらく辛いものはもういいやと、辛いもの大好きのわたしが思うほどだった。
それから塩味も優しく、野菜たっぷりで身体にも優しそうなタンメンに移行した。胡椒はたっぷりとかけ、辛さもプラスして食べている。だが最近になり、葱味噌ラーメンがわたしを誘うのだ。そろそろそんなトラウマは忘れて、ちょっと辛めのやつ、行きましょうよと。喉元過ぎても忘れなかった『一風堂からか麺』の辛さも、2年経ち、そう言えば思い出せなくなった。
甲斐市『NARU-TO』(なると)の葱味噌ラーメン。
辛さは優しく、何と言ってもとろけるチャーシューが美味い!
夫とよく行く韮崎市のチェーン店のタンメン。
野菜の出汁が効いた塩味も、捨てがたいです。
『大スズメバチ』のズンバ?
庭の住人が増える季節だ。
先日ポストに停泊していた『ヒオドシチョウ』など、4~5羽でクヌギの蜜の周りを舞う様子を見かけることも多い。時間帯によっては、刺されると命にかかわるという恐ろしい『大スズメバチ』もいるし、カナブン類(?)ばかりのこともあるし、『コクワガタ』もいったい何処から集まったのかと思うほど突然大群で蜜に群れる姿を見せてくれる。
小さく咲いたイタリアンパセリの花には小さな虫が、中くらいに咲いたナデシコには中くらいの虫が蜜を吸いに来るのを見ては、微笑む日々。『大スズメバチ』を見て微笑むことは、まだまだ修行が足りずできないが。
(キイロスズメバチに一時に8カ所刺された経験を持ち、珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属の陶芸家である上に、山菜にも蛇にも詳しいご近所さんは『大スズメバチ』を見て、世界中の幸せを集めたような微笑みを見せてくれます。ご近所さんのブログはこちら→このはずく山麓記)
虫達が集まると言えば『てんとう虫のサンバ』でしょうと思うのは、わたしの世代以上ならではなのだろうか。娘は「ズンバを踊りに行くんだ」と夜、楽しそうに出かける準備をしていた。
「その格好で?」彼女は、普段着のTシャツにハーフパンツだ。
「だって、ズンバって運動なんだよ」と、娘。
「でもそれ、びっきーと散歩するのと同じ服だよね?」
「びっきーとの散歩だって運動じゃん」
てっきりクラブに踊りに行くようなイメージをしていたが、ジムでするエクササイズなのだそうだ。
てんとう虫や蝶ならまだしも『大スズメバチ』のは、サンバもズンバも見たくないなと考えつつ、娘を見送った。いや、しかし……と、更に考えた。ご近所さんは見たいかも。『大スズメバチ』のズンバ。
『ホシミスジチョウ』ウッドデッキのユニクロのビニールサンダルの上で。
『キイロトラカミキリ』薪小屋に住んでいる模様。
踏切色のカミキリムシなので密かに『フミキリムシ』と呼んでいます。
『コクワガタ』スタンダードなやつですが、10匹はいました。
先日ポストに停泊していた『ヒオドシチョウ』など、4~5羽でクヌギの蜜の周りを舞う様子を見かけることも多い。時間帯によっては、刺されると命にかかわるという恐ろしい『大スズメバチ』もいるし、カナブン類(?)ばかりのこともあるし、『コクワガタ』もいったい何処から集まったのかと思うほど突然大群で蜜に群れる姿を見せてくれる。
小さく咲いたイタリアンパセリの花には小さな虫が、中くらいに咲いたナデシコには中くらいの虫が蜜を吸いに来るのを見ては、微笑む日々。『大スズメバチ』を見て微笑むことは、まだまだ修行が足りずできないが。
(キイロスズメバチに一時に8カ所刺された経験を持ち、珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属の陶芸家である上に、山菜にも蛇にも詳しいご近所さんは『大スズメバチ』を見て、世界中の幸せを集めたような微笑みを見せてくれます。ご近所さんのブログはこちら→このはずく山麓記)
虫達が集まると言えば『てんとう虫のサンバ』でしょうと思うのは、わたしの世代以上ならではなのだろうか。娘は「ズンバを踊りに行くんだ」と夜、楽しそうに出かける準備をしていた。
「その格好で?」彼女は、普段着のTシャツにハーフパンツだ。
「だって、ズンバって運動なんだよ」と、娘。
「でもそれ、びっきーと散歩するのと同じ服だよね?」
「びっきーとの散歩だって運動じゃん」
てっきりクラブに踊りに行くようなイメージをしていたが、ジムでするエクササイズなのだそうだ。
てんとう虫や蝶ならまだしも『大スズメバチ』のは、サンバもズンバも見たくないなと考えつつ、娘を見送った。いや、しかし……と、更に考えた。ご近所さんは見たいかも。『大スズメバチ』のズンバ。
『ホシミスジチョウ』ウッドデッキのユニクロのビニールサンダルの上で。
『キイロトラカミキリ』薪小屋に住んでいる模様。
踏切色のカミキリムシなので密かに『フミキリムシ』と呼んでいます。
『コクワガタ』スタンダードなやつですが、10匹はいました。
心配性の彼
南アルプスの彼に、右腕をほぐしてもらいに行った。びっきーに引っ張られ、半年前に痛めてから、風呂上りの湿布と、贔屓にしているマッサージ師くんの彼頼りである。彼とは、長い付き合いなので様々なことを話す。おたがい体重が何キロ増えて戻らないとか、結婚式のスピーチを頼まれたとか、猫を拾ったとか、娘の友人のオーストラリア男子がステイしたなどなど。我が家の太陽光発電の話を聞き、最近彼の家も太陽光を入れた。
その彼の話題の中心は、何と言っても昨年末に誕生した息子くんだ。彼はとても心配性で、わたしとしては心配し過ぎだろうと思うのだが、新米パパなのでまあ当たり前なのかもしれない。
「最初ゲップをさせる時に、背中を押してアザができないかって心配だったんですよ」と、万事その様子。「ハイハイの時期が長いと背筋が強くなる」とか「少しは泣かせた方が肺活量が高くなる」とか。微笑ましい。
それでちょっと昔話をした。
「息子が6歳まで読み書きができなかったんだよね。早い子は3歳でできるのに。でもね、ちっとも心配じゃなかった。考え方によっては字が読めない時期なんて人生のほんの少しの間で、逆にそれを大切にしたいなって思ったの」
絵本の原っぱを見て「春の原っぱです」とかいてあれば、字を読めると「春」「原っぱ」と単純に思う。だが字が読めなければ、絵を見て感じるだけだ。
ある子は「森の近くかな、向こうには川の音が聞こえる」と、耳を澄ませるかも知れない。また、ある子は「虫がかくれているかもしれないぞ」と、目をこらすかも知れない。また、ある子は「遠い宇宙の何処かの星で、初めて草が背伸びした感じだ」なんて空を見上げるかもしれない。
字を読めないことで、絵だけを見られる。そんな時間を人より少し長く持った息子は想像力が豊かだ。だから優れているとか、だから劣っているとかそういうことではなく。
人はそれぞれ違う。そんなことは、誰しもわかっている。でも親になると不意に忘れてしまう時があり、その違いが苦しくなることもある。
「だいじょうぶだよ。そんなに心配しなくても。それだけ愛されていれば、きっといい子に育つから」心配性の彼にわたしのメッセージは届いただろうか。
何の実でしょう? 想像してみてください。
散歩道でも、よく見かけます。これから、少しずつ大きくなっていきます。
高いところにあって、きれいに写真が撮れません。
アップにしてみました。
肉厚の緑の皮の中に隠されているのは…… 『オニグルミ』 胡桃です。
もしも字が読めなかったら、何だろうかと考えることでしょう。
その彼の話題の中心は、何と言っても昨年末に誕生した息子くんだ。彼はとても心配性で、わたしとしては心配し過ぎだろうと思うのだが、新米パパなのでまあ当たり前なのかもしれない。
「最初ゲップをさせる時に、背中を押してアザができないかって心配だったんですよ」と、万事その様子。「ハイハイの時期が長いと背筋が強くなる」とか「少しは泣かせた方が肺活量が高くなる」とか。微笑ましい。
それでちょっと昔話をした。
「息子が6歳まで読み書きができなかったんだよね。早い子は3歳でできるのに。でもね、ちっとも心配じゃなかった。考え方によっては字が読めない時期なんて人生のほんの少しの間で、逆にそれを大切にしたいなって思ったの」
絵本の原っぱを見て「春の原っぱです」とかいてあれば、字を読めると「春」「原っぱ」と単純に思う。だが字が読めなければ、絵を見て感じるだけだ。
ある子は「森の近くかな、向こうには川の音が聞こえる」と、耳を澄ませるかも知れない。また、ある子は「虫がかくれているかもしれないぞ」と、目をこらすかも知れない。また、ある子は「遠い宇宙の何処かの星で、初めて草が背伸びした感じだ」なんて空を見上げるかもしれない。
字を読めないことで、絵だけを見られる。そんな時間を人より少し長く持った息子は想像力が豊かだ。だから優れているとか、だから劣っているとかそういうことではなく。
人はそれぞれ違う。そんなことは、誰しもわかっている。でも親になると不意に忘れてしまう時があり、その違いが苦しくなることもある。
「だいじょうぶだよ。そんなに心配しなくても。それだけ愛されていれば、きっといい子に育つから」心配性の彼にわたしのメッセージは届いただろうか。
何の実でしょう? 想像してみてください。
散歩道でも、よく見かけます。これから、少しずつ大きくなっていきます。
高いところにあって、きれいに写真が撮れません。
アップにしてみました。
肉厚の緑の皮の中に隠されているのは…… 『オニグルミ』 胡桃です。
もしも字が読めなかったら、何だろうかと考えることでしょう。
壊れた目覚まし時計が鳴る朝に
「あーもう! まだ5時前だよ」
壊れた目覚まし時計が、鳴り続けている。
♪ テッペンカケタカ テッペンカケタカ ♪
リズミカルで、声も高らかである。ホトトギスだ。
「なんでまた、寝室の真上で鳴くんだよー」
ぶつぶつ言っても、テッペンカケタカは止まらない。キンキンと寝起きの頭に響いてくる。いくら朝寝坊で困っている人にだって、スイッチのない目覚まし時計は薦めはしない。気も狂わんばかりにありもしないスイッチを探すに決まっているからだ。それならもう起きようかとも思うのだが、あと30分は寝る気満々ですと身体の方は主張し、起きようとはしないのだ。
♪ テッペンカケタカ テッペンカケタカ ♪
頭の中に巣を作ったように、ホトトギスは鳴き続けている。
少し、うとうとした。その間にホトトギスの声は遠くなっている。ホッとしたその途端、鳴った。目覚まし時計がかって? いやいや。お腹の音。ホトトギスのおかげで早く目覚めたせいか、ベッドから起き出す前にお腹が空いていた。全くもって、健康的な朝である。
近所の方に、栃尾名物の油揚げをいただきました。
夫が起きる前にひとり、油揚げと新玉葱と小松菜の味噌汁をすすりました。
壊れた目覚まし時計が、鳴り続けている。
♪ テッペンカケタカ テッペンカケタカ ♪
リズミカルで、声も高らかである。ホトトギスだ。
「なんでまた、寝室の真上で鳴くんだよー」
ぶつぶつ言っても、テッペンカケタカは止まらない。キンキンと寝起きの頭に響いてくる。いくら朝寝坊で困っている人にだって、スイッチのない目覚まし時計は薦めはしない。気も狂わんばかりにありもしないスイッチを探すに決まっているからだ。それならもう起きようかとも思うのだが、あと30分は寝る気満々ですと身体の方は主張し、起きようとはしないのだ。
♪ テッペンカケタカ テッペンカケタカ ♪
頭の中に巣を作ったように、ホトトギスは鳴き続けている。
少し、うとうとした。その間にホトトギスの声は遠くなっている。ホッとしたその途端、鳴った。目覚まし時計がかって? いやいや。お腹の音。ホトトギスのおかげで早く目覚めたせいか、ベッドから起き出す前にお腹が空いていた。全くもって、健康的な朝である。
近所の方に、栃尾名物の油揚げをいただきました。
夫が起きる前にひとり、油揚げと新玉葱と小松菜の味噌汁をすすりました。
家族ってチームなんだね
出会ったことに幸せを感じる本が、いく冊かある。
北村薫の『月の砂漠をさばさばと』(新潮社)は、なかでも代表する一冊だ。
お母さんと、小学3年生のさきちゃん。ふたりの家族のお話。「お話」とかいたのは「物語」と表現するにはあまりに自然で、日々のなかに埋もれてしまいそうな小さな瞬間を切り取って、そっと本の上に乗せたような柔らかさが、そこ此処に感じられるからだ。
小学校の福島校長先生のファーストネームが思い出せなくて、ふたりで考えるシーンがある。「校長先生だから、豪華な名前じゃない?」と、さきちゃん。
考えに考えて「……福島……デラックスだ!」と、お母さん。
「じゃ、第一小の校長先生は、ゴージャスかな」と、さきちゃん。
さてでは、第三小の校長先生は?
また、さばの味噌煮を台所で煮るお母さんが、ひとり歌う。
♪ 月のー砂漠を さーばさばと さーばの味噌煮が ゆーきました ♪
さきちゃんは、月に照らされた砂漠をゆくさばの味噌煮を想像し「かわいい」と言った。そんなさきちゃんに、お母さんは思うのだ。「さきが大きくなって、台所で、さばの味噌煮を作る時、今日のことを思い出すかな」と。
3年生のさきちゃんだが、小さな頃の話をする場面もある。台風の時のことだ。窓を開けて、お母さんに叱られたことを覚えていると言う。
「あんまり風が強いから、心配になったの。それでね、ここで、うちの中に風を入れておけば少しは違うかなって思ったの。食い止められるかなって」
さきちゃんの話を聞いて、お母さんは考えた。
(子どものやることにも、理屈があるのね。でもあなたの理屈が見えないことは、これからだって、きっとある。そちらから、こちらが見えないことも)
くすくす笑ったり、ジーンとしたり、好きなシーンがたくさんあって、とてもじゃないがかききれない。最後に作者は「ふたりは生活のチームだ」とかいている。家族ってチームなんだと、繰り返し読むたびに思い出し胸が温かくなる。わたしの胸の片すみに温かく消えない灯りをくれた、とても大切な本だ。
読み返したら、空豆を食べたくなりました。
12のお話が、それぞれ季節感にあふれています。
おーなり由子のカラーの絵がところどころに入ってるのも素敵です。
北村薫の『月の砂漠をさばさばと』(新潮社)は、なかでも代表する一冊だ。
お母さんと、小学3年生のさきちゃん。ふたりの家族のお話。「お話」とかいたのは「物語」と表現するにはあまりに自然で、日々のなかに埋もれてしまいそうな小さな瞬間を切り取って、そっと本の上に乗せたような柔らかさが、そこ此処に感じられるからだ。
小学校の福島校長先生のファーストネームが思い出せなくて、ふたりで考えるシーンがある。「校長先生だから、豪華な名前じゃない?」と、さきちゃん。
考えに考えて「……福島……デラックスだ!」と、お母さん。
「じゃ、第一小の校長先生は、ゴージャスかな」と、さきちゃん。
さてでは、第三小の校長先生は?
また、さばの味噌煮を台所で煮るお母さんが、ひとり歌う。
♪ 月のー砂漠を さーばさばと さーばの味噌煮が ゆーきました ♪
さきちゃんは、月に照らされた砂漠をゆくさばの味噌煮を想像し「かわいい」と言った。そんなさきちゃんに、お母さんは思うのだ。「さきが大きくなって、台所で、さばの味噌煮を作る時、今日のことを思い出すかな」と。
3年生のさきちゃんだが、小さな頃の話をする場面もある。台風の時のことだ。窓を開けて、お母さんに叱られたことを覚えていると言う。
「あんまり風が強いから、心配になったの。それでね、ここで、うちの中に風を入れておけば少しは違うかなって思ったの。食い止められるかなって」
さきちゃんの話を聞いて、お母さんは考えた。
(子どものやることにも、理屈があるのね。でもあなたの理屈が見えないことは、これからだって、きっとある。そちらから、こちらが見えないことも)
くすくす笑ったり、ジーンとしたり、好きなシーンがたくさんあって、とてもじゃないがかききれない。最後に作者は「ふたりは生活のチームだ」とかいている。家族ってチームなんだと、繰り返し読むたびに思い出し胸が温かくなる。わたしの胸の片すみに温かく消えない灯りをくれた、とても大切な本だ。
読み返したら、空豆を食べたくなりました。
12のお話が、それぞれ季節感にあふれています。
おーなり由子のカラーの絵がところどころに入ってるのも素敵です。
上等な人間になるには
新玉葱で、スープを煮た。
友人とんぼちゃんの日記に写真がアップしてあって、とても美味しそうだったので真似てみた。
近所の友人にいただいたお庭のローリエの葉と、カンボジアの黒胡椒を粒のまま一緒に煮込んだ。優しい味にホッとする。
玉葱の甘さに、柔らかくなった黒胡椒を噛み潰した時の広がる辛さが嬉しい。コンソメだけの味付けなのに、人参も甘い。夜わたしがベッドに入った後、バイトから帰った娘も、美味しく食べたと言っていた。新玉葱効果抜群だ。
先日、浅草で一緒に食べた寿司が美味しかったと義母からメールがあり、
「美味しいものを食べると、まるで自分が上等な人間になったように思うのはわたしだけでしょうか?」とかかれていた。
魅力あふれる憧れの女性である義母は、わたしなどよりはずっと上等な人間だと思うが、甘くとろける旬の新玉葱を食べ、わたしも少しだけ上等な人間になれたかなと、背筋を伸ばし気取ってみる。
上品な人間にはほど遠くとも、一段一段、階段を上るように美味しいものを食べていけば、上等な人間に近づけるかもしれないと、勘違いでもいいから思うことに決めた。折りしも野菜が美味しくなる季節である。
「粒のまま煮込んでも美味しいよ」と友人。胡椒も柔らかくなりました。
びっきーとの散歩道にある農家さんの玉葱畑。収穫もすぐかな。
友人とんぼちゃんの日記に写真がアップしてあって、とても美味しそうだったので真似てみた。
近所の友人にいただいたお庭のローリエの葉と、カンボジアの黒胡椒を粒のまま一緒に煮込んだ。優しい味にホッとする。
玉葱の甘さに、柔らかくなった黒胡椒を噛み潰した時の広がる辛さが嬉しい。コンソメだけの味付けなのに、人参も甘い。夜わたしがベッドに入った後、バイトから帰った娘も、美味しく食べたと言っていた。新玉葱効果抜群だ。
先日、浅草で一緒に食べた寿司が美味しかったと義母からメールがあり、
「美味しいものを食べると、まるで自分が上等な人間になったように思うのはわたしだけでしょうか?」とかかれていた。
魅力あふれる憧れの女性である義母は、わたしなどよりはずっと上等な人間だと思うが、甘くとろける旬の新玉葱を食べ、わたしも少しだけ上等な人間になれたかなと、背筋を伸ばし気取ってみる。
上品な人間にはほど遠くとも、一段一段、階段を上るように美味しいものを食べていけば、上等な人間に近づけるかもしれないと、勘違いでもいいから思うことに決めた。折りしも野菜が美味しくなる季節である。
「粒のまま煮込んでも美味しいよ」と友人。胡椒も柔らかくなりました。
びっきーとの散歩道にある農家さんの玉葱畑。収穫もすぐかな。
車庫入れはゆっくりの歌
「急いでないよ」と言いながら、スーパーのパーキングに車を入れる。
「急いでないよ」と先に車庫入れを始めた軽トラを、静かに見守リつつ待つ。
「急いでないよ」と、軽トラの老夫婦の様子を観察する。
「急いでないよ」と運転するおじいちゃんに、心の中で声をかける。
「いいよ、ゆっくりで。待ってるよ。だからだいじょうぶ。ゆっくりやってよ、ゆっくり。気楽にいこーよ。気楽にさー。ちっとも急いでなんかないんだよ。みんなさー、ほんとはゆっくりやりたいんだって。イエェェ」
と、待っている間に適当に歌う。『車庫入れはゆっくりの歌』
だが、おじいちゃんは急いで車を入れ、わたしが車庫入れした後に、もう一度真っ直ぐに入れ直していた。真っ直ぐに、とても真っ直ぐに。
「急がなくてもいいのにな。待ってるのにな」
買い物はおばあちゃんがひとりで行き、おじいちゃんは運転席で待っているようだった。わたしが買い物を終え車に戻っても、おじいちゃんは、まだ待っていた。彼もわたしと同じく、待たせるのは苦手で、待つことにかけては得意なのかもしれない。そして違う誰かに歌っているのかも。
「急いでないよ。いいよ、ゆっくりで」と。『車庫入れはゆっくりの歌』
みんなで「いいよ、ゆっくりで」と歌えば、世界平和も夢じゃないかもね。
薪小屋前が定位置の、我が家の軽トラくん。
10年ほど前に、廃車にするという知り合いから譲り受け、
エンジンだけ変えて、元気に走っています。
薪小屋横に、今年も咲いたラベンダー。
「急いでないよ」と先に車庫入れを始めた軽トラを、静かに見守リつつ待つ。
「急いでないよ」と、軽トラの老夫婦の様子を観察する。
「急いでないよ」と運転するおじいちゃんに、心の中で声をかける。
「いいよ、ゆっくりで。待ってるよ。だからだいじょうぶ。ゆっくりやってよ、ゆっくり。気楽にいこーよ。気楽にさー。ちっとも急いでなんかないんだよ。みんなさー、ほんとはゆっくりやりたいんだって。イエェェ」
と、待っている間に適当に歌う。『車庫入れはゆっくりの歌』
だが、おじいちゃんは急いで車を入れ、わたしが車庫入れした後に、もう一度真っ直ぐに入れ直していた。真っ直ぐに、とても真っ直ぐに。
「急がなくてもいいのにな。待ってるのにな」
買い物はおばあちゃんがひとりで行き、おじいちゃんは運転席で待っているようだった。わたしが買い物を終え車に戻っても、おじいちゃんは、まだ待っていた。彼もわたしと同じく、待たせるのは苦手で、待つことにかけては得意なのかもしれない。そして違う誰かに歌っているのかも。
「急いでないよ。いいよ、ゆっくりで」と。『車庫入れはゆっくりの歌』
みんなで「いいよ、ゆっくりで」と歌えば、世界平和も夢じゃないかもね。
薪小屋前が定位置の、我が家の軽トラくん。
10年ほど前に、廃車にするという知り合いから譲り受け、
エンジンだけ変えて、元気に走っています。
薪小屋横に、今年も咲いたラベンダー。
ポスティーノの贈り物
我が家のポストなのだが、彼らはどうも気に入ったようだ。
まずはミノムシ。移動してもらうのは致し方ないが、その蓑の作り方に魅かれた。同じ大きさの枝ではなく、大小様々にアートの如く選び並べている。
そして蝶。蝶というものは、ひらひらとあちらこちらに舞い、一所に居られない生き物だと思っていたのだが、彼(または彼女?)は違った。朝刊を取りに行った時から、夕刻のびっきーの散歩まで、ずっとポストの上に滞在していた。調べてみると『ヒオドシチョウ』という名の者らしい。ずっと閉じていた羽根を開くと、鮮やかなオレンジ色に驚かされた。そのオレンジが戦国時代の『緋縅(ひおどし)』と呼ばれた鎧に似ていたことから名付けられたそうだ。
彼らを驚かせないためなのか、その日、ポストへの配達はなかった。
「ポスティーノ?」空を見上げ、つぶやいた。
末娘が小学生の頃、一緒に見ていたアニメ『王ドロボウJING』に出て来たキャラクターの名だ。
登場人物にカクテルやお酒の名をつけたお洒落なそのアニメは、主人公ジンがドロボウであり、弱い者の味方であり、10代前半の子どもだった。敵はみな大人で、味方は皮肉ばかり言うキールという鳥だけだ。そのなかでポスティーノは唯一敵ではない大人だった。ジンを温かく見守っているようにも見えたが、助けたりはしない。彼の仕事は郵便を運ぶ。ザッツオール。ジンがそれで助けられたかどうかは彼には関係ない。届ける物があれば、過去にも未来にも、架空の世界にも彼は行く。何故なら郵便屋だから。
夕刻も6時過ぎ。ポストを見に行くと蝶はもう、いなかった。鮮やかなオレンジ色は、ポスティーノの贈り物だったのか。いつか大人になったらポスティーノになりたいな。神出鬼没でいつも大切なものを届けてくれる郵便屋さんに。
ミノムシアート。
『ヒオドシチョウ』ジミーな外向けの顔です。
でも、なかは! シャッター音でまた羽を閉じてしまいました。
よく見ると、外側のフリル(?)には瑠璃色の斑点が入っています。
まずはミノムシ。移動してもらうのは致し方ないが、その蓑の作り方に魅かれた。同じ大きさの枝ではなく、大小様々にアートの如く選び並べている。
そして蝶。蝶というものは、ひらひらとあちらこちらに舞い、一所に居られない生き物だと思っていたのだが、彼(または彼女?)は違った。朝刊を取りに行った時から、夕刻のびっきーの散歩まで、ずっとポストの上に滞在していた。調べてみると『ヒオドシチョウ』という名の者らしい。ずっと閉じていた羽根を開くと、鮮やかなオレンジ色に驚かされた。そのオレンジが戦国時代の『緋縅(ひおどし)』と呼ばれた鎧に似ていたことから名付けられたそうだ。
彼らを驚かせないためなのか、その日、ポストへの配達はなかった。
「ポスティーノ?」空を見上げ、つぶやいた。
末娘が小学生の頃、一緒に見ていたアニメ『王ドロボウJING』に出て来たキャラクターの名だ。
登場人物にカクテルやお酒の名をつけたお洒落なそのアニメは、主人公ジンがドロボウであり、弱い者の味方であり、10代前半の子どもだった。敵はみな大人で、味方は皮肉ばかり言うキールという鳥だけだ。そのなかでポスティーノは唯一敵ではない大人だった。ジンを温かく見守っているようにも見えたが、助けたりはしない。彼の仕事は郵便を運ぶ。ザッツオール。ジンがそれで助けられたかどうかは彼には関係ない。届ける物があれば、過去にも未来にも、架空の世界にも彼は行く。何故なら郵便屋だから。
夕刻も6時過ぎ。ポストを見に行くと蝶はもう、いなかった。鮮やかなオレンジ色は、ポスティーノの贈り物だったのか。いつか大人になったらポスティーノになりたいな。神出鬼没でいつも大切なものを届けてくれる郵便屋さんに。
ミノムシアート。
『ヒオドシチョウ』ジミーな外向けの顔です。
でも、なかは! シャッター音でまた羽を閉じてしまいました。
よく見ると、外側のフリル(?)には瑠璃色の斑点が入っています。
バッカスに愛されて
義母と浅草で待ち合わせした。短歌の会があり、神戸から泊りがけで勉強に来て、1日半みっちりと勉強したというので、
「ランチは、お蕎麦に生ビールですね」と、提案すると、
「いいわねぇ、喉も渇いたし」
相談はすぐにまとまり、蕎麦屋に直行。メニューも見ずに「生ビールふたつ」と注文し、乾杯した。
「美味しい!」「やっぱ、生ですよね!」
子ども達のことや、短歌の会の話、神戸でのことなど話は尽きない。そのなかでローマ神話の神、バッカスの話を聞いた。
「バッカスに愛された幸せを、歌に詠んだ方がいるのよ」と、義母。
バッカスとは、酒の神だそうだ。
「おたがいバッカスに愛されていて、幸せよねぇ」
「本当に!」と、わたしも大きくうなずいた。
義父もバッカスに愛されたタイプなので、神戸の食卓も、毎晩、当たり前のように晩酌となるようだ。
「そこは、ものすごく気が合うのよ」と、義母。
我が家もそうだが、確かにバッカスに愛されたふたりの食卓は、にぎやかしく、酒での失敗やケンカモあれど、それはそれでまた楽しいものだ。
そんな話をしながら、気がつくと2時間、蕎麦屋で飲んでいた。
夜は合流した夫が、寿司屋に連れて行ってくれた。当然最初は生ビールから。
「なんか、生ビール久しぶりですよねぇ」と、わたし。
「ほんと。ずいぶん久しぶりでうれしいわねぇ」と、義母。
乾杯するわたし達を見て、夫はただ呆れるばかり。バッカスの愛を、陽の光の如く一身に受けた母と妻を持つのは楽じゃない? いやいや。それはもう幸せいっぱいでしょう。
浅草ビューホテル向かいの蕎麦屋『こう太』で。
腰のある、手打ちならではの美味しい蕎麦でした。
ホテルの部屋から眺めた夕暮れの浅草寺とスカイツリー。
「ランチは、お蕎麦に生ビールですね」と、提案すると、
「いいわねぇ、喉も渇いたし」
相談はすぐにまとまり、蕎麦屋に直行。メニューも見ずに「生ビールふたつ」と注文し、乾杯した。
「美味しい!」「やっぱ、生ですよね!」
子ども達のことや、短歌の会の話、神戸でのことなど話は尽きない。そのなかでローマ神話の神、バッカスの話を聞いた。
「バッカスに愛された幸せを、歌に詠んだ方がいるのよ」と、義母。
バッカスとは、酒の神だそうだ。
「おたがいバッカスに愛されていて、幸せよねぇ」
「本当に!」と、わたしも大きくうなずいた。
義父もバッカスに愛されたタイプなので、神戸の食卓も、毎晩、当たり前のように晩酌となるようだ。
「そこは、ものすごく気が合うのよ」と、義母。
我が家もそうだが、確かにバッカスに愛されたふたりの食卓は、にぎやかしく、酒での失敗やケンカモあれど、それはそれでまた楽しいものだ。
そんな話をしながら、気がつくと2時間、蕎麦屋で飲んでいた。
夜は合流した夫が、寿司屋に連れて行ってくれた。当然最初は生ビールから。
「なんか、生ビール久しぶりですよねぇ」と、わたし。
「ほんと。ずいぶん久しぶりでうれしいわねぇ」と、義母。
乾杯するわたし達を見て、夫はただ呆れるばかり。バッカスの愛を、陽の光の如く一身に受けた母と妻を持つのは楽じゃない? いやいや。それはもう幸せいっぱいでしょう。
浅草ビューホテル向かいの蕎麦屋『こう太』で。
腰のある、手打ちならではの美味しい蕎麦でした。
ホテルの部屋から眺めた夕暮れの浅草寺とスカイツリー。
春の皿には
庭の蕗を茹でた。塩で揉み、何度もさらしたが、なかなかアクが抜けない。煮びたしにするのをあきらめ、最終的には辛子酢味噌で和えた。ほろ苦さが酢で緩和され、美味しく食べられた。
草冠に路とかく蕗は、今の季節本当に、路(みち)を歩いていると大きな葉をよく見かける。ふきのとうを探していた時には、通り過ぎていた場所にこれでもかというほど蕗が葉を広げていて、来年こそとチェックするのだが、これがまたよく似た場所だったり、勘違いもあり、覚えられないこともありで、毎年、見当違いのところを探っていたりする。そしてまた、今頃になって思うのだ。ここにも、ああ、あそこにも蕗の葉が、と。
「春の皿には苦味を盛れ」という言葉がある。苦味を摂取することで、冬に溜まった脂肪や毒素を身体の外に出し、身体を目覚めさせようということらしい。とにもかくにも自然の蕗のほろ苦さは、スーパーで買った蕗にはない味わいがあった。皮をむくのは手間だが、ぜひもう一度食べたい。いまだ春眠が抜けないわたしには、苦味がまだまだ必要なのかもしれない。ふきのとうと違い、採り放題の今、にわか山菜マニアになり山から蕗を採って来よう。
コロボックルが隠れていそうですね。葉が大きく風に揺れる様子から、
「葉吹き」(ハフキ)あるいは「風吹き」(フフキ)と呼ばれ、
「フキ」と呼ばれるようになったという説もあるそうです。
上の娘が中学の時に、陶芸教室で焼いた器に入れました。
夫が撮った写真です。ホースの上より、よほどよく似合いますね。
草冠に路とかく蕗は、今の季節本当に、路(みち)を歩いていると大きな葉をよく見かける。ふきのとうを探していた時には、通り過ぎていた場所にこれでもかというほど蕗が葉を広げていて、来年こそとチェックするのだが、これがまたよく似た場所だったり、勘違いもあり、覚えられないこともありで、毎年、見当違いのところを探っていたりする。そしてまた、今頃になって思うのだ。ここにも、ああ、あそこにも蕗の葉が、と。
「春の皿には苦味を盛れ」という言葉がある。苦味を摂取することで、冬に溜まった脂肪や毒素を身体の外に出し、身体を目覚めさせようということらしい。とにもかくにも自然の蕗のほろ苦さは、スーパーで買った蕗にはない味わいがあった。皮をむくのは手間だが、ぜひもう一度食べたい。いまだ春眠が抜けないわたしには、苦味がまだまだ必要なのかもしれない。ふきのとうと違い、採り放題の今、にわか山菜マニアになり山から蕗を採って来よう。
コロボックルが隠れていそうですね。葉が大きく風に揺れる様子から、
「葉吹き」(ハフキ)あるいは「風吹き」(フフキ)と呼ばれ、
「フキ」と呼ばれるようになったという説もあるそうです。
上の娘が中学の時に、陶芸教室で焼いた器に入れました。
夫が撮った写真です。ホースの上より、よほどよく似合いますね。
シリアスな中にも笑いの要素を
伊坂幸太郎『バイバイ、ブラックバード』(双葉文庫)を読了した。
数日後<あのバス>に乗せられて、未知の恐ろしい場所に連れて行かれる星野一彦は、付き合っていた女性に別れを告げたいという最後の願いを聞き入れられた。5人と付き合っていたので、その女性は5人だ。星野は5人の女性と誠実に(?)付き合っていた。5人と平行して恋愛してるってだけでダメダメなやつなのに、読んでいるといい人と思わずにいられない不思議キャラ。
物語としてはそれだけでも印象的だが、更に印象的なのは星野を監視する大女、繭美の言動、行動だ。彼女の辞書には「常識」も「思いやり」もない。それを示すために辞書を持ち歩く。様々な言葉をマジックで乱暴に消した辞書。
わたしが辞書から消すとしたら、何て言葉だろう。「整理整頓」かな。あ、それはすでに消えている言葉か。
「本棚がぐちゃぐちゃで、よく平気でいられるね」とは、ファンクラブ(在籍2名)の仲間に何度も言われたことだ。彼女の本棚は美しく、作家50音順に並べてあるので、伊坂本は左端から綺麗に並んでいた。県外に出た彼女の本棚も、たぶん変わらず整理整頓されているのだろう。
夏にでも「伊坂が住む仙台に、牛タンを食べに行こう」と誘ってみよう。伊坂原作映画『アヒルと鴨のコインロッカー』では「それでさぁ、牛タン食べた?」と言うセリフが何度も使われていて、可笑しかった。駅周辺の喫茶店で、伊坂がパソコンを開き小説をかいているという噂もある。遠距離ファンクラブとなったが、これが別れという訳でもあるまい。
(ふたり東京に出かけた際、スイカロッカーを見つけ唖然としたことが、なつかしく思い起こされた。顔を見合わせて「コインでしょ、ロッカーは」「スイカロッカーじゃ、趣も何もない!」と言い合ったっけ)
太宰治の未完にして絶筆となった『グッド・バイ』へのオマージュ作品だという『バイバイ、ブラックバード』を読み、少しだけしんみりした心持ちになったが、文庫特典で掲載されていた伊坂のインタビューには、シリアスな話にも笑いの要素は必要だとかかれていた。
ここはにっこり笑って熱く誓おう。「牛タン」と。
仙台にいる上の娘のボーイフレンドが、写真を送ってくれました。
ゴールデンウィークに、彼を訪ねた娘いわく。
「牛タン分厚くて美味しくてさ、お土産に買おうと思って、忘れた。ははは」
「……」 牛タン、マジ分厚い!
数日後<あのバス>に乗せられて、未知の恐ろしい場所に連れて行かれる星野一彦は、付き合っていた女性に別れを告げたいという最後の願いを聞き入れられた。5人と付き合っていたので、その女性は5人だ。星野は5人の女性と誠実に(?)付き合っていた。5人と平行して恋愛してるってだけでダメダメなやつなのに、読んでいるといい人と思わずにいられない不思議キャラ。
物語としてはそれだけでも印象的だが、更に印象的なのは星野を監視する大女、繭美の言動、行動だ。彼女の辞書には「常識」も「思いやり」もない。それを示すために辞書を持ち歩く。様々な言葉をマジックで乱暴に消した辞書。
わたしが辞書から消すとしたら、何て言葉だろう。「整理整頓」かな。あ、それはすでに消えている言葉か。
「本棚がぐちゃぐちゃで、よく平気でいられるね」とは、ファンクラブ(在籍2名)の仲間に何度も言われたことだ。彼女の本棚は美しく、作家50音順に並べてあるので、伊坂本は左端から綺麗に並んでいた。県外に出た彼女の本棚も、たぶん変わらず整理整頓されているのだろう。
夏にでも「伊坂が住む仙台に、牛タンを食べに行こう」と誘ってみよう。伊坂原作映画『アヒルと鴨のコインロッカー』では「それでさぁ、牛タン食べた?」と言うセリフが何度も使われていて、可笑しかった。駅周辺の喫茶店で、伊坂がパソコンを開き小説をかいているという噂もある。遠距離ファンクラブとなったが、これが別れという訳でもあるまい。
(ふたり東京に出かけた際、スイカロッカーを見つけ唖然としたことが、なつかしく思い起こされた。顔を見合わせて「コインでしょ、ロッカーは」「スイカロッカーじゃ、趣も何もない!」と言い合ったっけ)
太宰治の未完にして絶筆となった『グッド・バイ』へのオマージュ作品だという『バイバイ、ブラックバード』を読み、少しだけしんみりした心持ちになったが、文庫特典で掲載されていた伊坂のインタビューには、シリアスな話にも笑いの要素は必要だとかかれていた。
ここはにっこり笑って熱く誓おう。「牛タン」と。
仙台にいる上の娘のボーイフレンドが、写真を送ってくれました。
ゴールデンウィークに、彼を訪ねた娘いわく。
「牛タン分厚くて美味しくてさ、お土産に買おうと思って、忘れた。ははは」
「……」 牛タン、マジ分厚い!
彼らの至福
びっきーの毛が抜けている。夏毛に生え変わるのだ。
夫はさっそくブラッシングし、抜けていく冬毛を落としてやっている。びっきーも気持ちいいのか、うっとりした表情。北海道犬の血が入っているらしい彼は、寒さには強いが暑さは苦手。今年もまたやってくるであろう猛暑は、彼にとっては受難である。
「全く、家族が3人いるのに、ブラッシングしようって人が他にいないとは」と、夫が嘆く。
「3分の2だから、66%ブラッシングなしだね」と、分析すると、夫に無言で睨まれた。しかし娘に聞くと、
「えーっ、わたしブラッシングしたよ」
そう言えばお腹の部分のみ毛が抜けて、まだらな感じになっていたが、あれは自然に抜けた訳ではなかったのか?
「お腹だけ、ブラッシングしたの?」と、恐る恐る聞いてみた。
「まさか。そんな訳ないでしょ。お腹はもともと抜けてたんだよ」
(50%ブラッシングあり、50%なしってことで)と、心の中でわたし。
ここで断りを入れておくが、わたしがブラッシングしないのは、夫のためである。彼はこういう作業が大好きなのだ。たとえば「風呂釜洗いのジャバ」であるとか「日焼けした肌の皮をむく」であるとか「子どもの耳掃除」であるとか。(末娘は、耳を押さえつつ、よく逃げまわっていた)
夏毛に生え変わる際のブラッシングは、彼らにとっての至福の時なのだ。
「お母さんは、絶対面倒くさいだけだと思うよ」と、夫。
「もちろんわかっていますよ、お父さん」と、びっきー。
「男同士だもんねー」「ですよねー」
夫はさっそくブラッシングし、抜けていく冬毛を落としてやっている。びっきーも気持ちいいのか、うっとりした表情。北海道犬の血が入っているらしい彼は、寒さには強いが暑さは苦手。今年もまたやってくるであろう猛暑は、彼にとっては受難である。
「全く、家族が3人いるのに、ブラッシングしようって人が他にいないとは」と、夫が嘆く。
「3分の2だから、66%ブラッシングなしだね」と、分析すると、夫に無言で睨まれた。しかし娘に聞くと、
「えーっ、わたしブラッシングしたよ」
そう言えばお腹の部分のみ毛が抜けて、まだらな感じになっていたが、あれは自然に抜けた訳ではなかったのか?
「お腹だけ、ブラッシングしたの?」と、恐る恐る聞いてみた。
「まさか。そんな訳ないでしょ。お腹はもともと抜けてたんだよ」
(50%ブラッシングあり、50%なしってことで)と、心の中でわたし。
ここで断りを入れておくが、わたしがブラッシングしないのは、夫のためである。彼はこういう作業が大好きなのだ。たとえば「風呂釜洗いのジャバ」であるとか「日焼けした肌の皮をむく」であるとか「子どもの耳掃除」であるとか。(末娘は、耳を押さえつつ、よく逃げまわっていた)
夏毛に生え変わる際のブラッシングは、彼らにとっての至福の時なのだ。
「お母さんは、絶対面倒くさいだけだと思うよ」と、夫。
「もちろんわかっていますよ、お父さん」と、びっきー。
「男同士だもんねー」「ですよねー」
言葉には必要以上に魂を持たせずに
愚痴をこぼし「そうだよねぇ」と共感してもらうことでホッとしたり楽になったりすることがよくある。だがそれで調子に乗ってはいけないと、自分に言い聞かせることも、ままある。
そう思うようになったのは『言霊』(ことだま)について、友人から話を聞いてからだ。
「言葉にしちゃうと、その言葉が魂を持つんだよ。だから、言葉にしちゃいけないこともあるんだよ」
たとえば「離婚しようかと思う」と、迷いながらも友人達に言ってしまったがために、離婚したいという気持ちを、自分で思う以上に膨らませてしまった人。子どもをあまやかしていると批判され「叩いて育てています」と反論し、有言実行に囚われ子どもを叩くようになってしまった母親など。言葉の持つ重みは、思わぬ方向へと人を動かしてしまう場合もあるのだ。
愚痴は、何処までいっても愚痴のままでいい。愚痴って共感してもらうと、あたかも自分が正しいような気分になることもあるし、人の気持ちを掘り起こして、自分が正しいと言いたくなることもある。愚痴には悪意を持ちやすい要素がどうしても含まれてしまうのだ。しかし『言霊』の話は、そんな自分にいつもブレーキを掛けてくれる。言葉には、必要以上に魂を持たせてはいけない。ただ愚痴をこぼし、ほんの少し楽になるならもうそれでいいと。
幸い(?)わたしの場合、おしゃべりな家族や友人に囲まれ、愚痴はこぼすより、こぼされることの方が多い。それでも愚痴りたい時に聞いてくれる人がいるってことは、何より幸せなことだと実感している。
言霊と聞いて思い出すのは、サザンオールスターズの『愛の言霊』
我が家のCDラックにある、この2枚に収録されていました。
『海のYeah!!!!!』『 Young Love 』
ロッド・スチュワートがアルバム『 HUMAN 』で歌っている
『 Soul On Soul 』も、魂という言葉から連想。「心と心を重ね合わせて」
みたいな意味だと思います。愛には言霊は必要不可欠かなぁ。
そう思うようになったのは『言霊』(ことだま)について、友人から話を聞いてからだ。
「言葉にしちゃうと、その言葉が魂を持つんだよ。だから、言葉にしちゃいけないこともあるんだよ」
たとえば「離婚しようかと思う」と、迷いながらも友人達に言ってしまったがために、離婚したいという気持ちを、自分で思う以上に膨らませてしまった人。子どもをあまやかしていると批判され「叩いて育てています」と反論し、有言実行に囚われ子どもを叩くようになってしまった母親など。言葉の持つ重みは、思わぬ方向へと人を動かしてしまう場合もあるのだ。
愚痴は、何処までいっても愚痴のままでいい。愚痴って共感してもらうと、あたかも自分が正しいような気分になることもあるし、人の気持ちを掘り起こして、自分が正しいと言いたくなることもある。愚痴には悪意を持ちやすい要素がどうしても含まれてしまうのだ。しかし『言霊』の話は、そんな自分にいつもブレーキを掛けてくれる。言葉には、必要以上に魂を持たせてはいけない。ただ愚痴をこぼし、ほんの少し楽になるならもうそれでいいと。
幸い(?)わたしの場合、おしゃべりな家族や友人に囲まれ、愚痴はこぼすより、こぼされることの方が多い。それでも愚痴りたい時に聞いてくれる人がいるってことは、何より幸せなことだと実感している。
言霊と聞いて思い出すのは、サザンオールスターズの『愛の言霊』
我が家のCDラックにある、この2枚に収録されていました。
『海のYeah!!!!!』『 Young Love 』
ロッド・スチュワートがアルバム『 HUMAN 』で歌っている
『 Soul On Soul 』も、魂という言葉から連想。「心と心を重ね合わせて」
みたいな意味だと思います。愛には言霊は必要不可欠かなぁ。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
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