はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
決め手のスパイス
買い物から帰ると薪ストーブに火が入っていた。雨で冷え込んだ夕方、夫が焚いてくれたのだ。薪ストーブに火が入ったのは今シーズン初めて。
「あ、うれしい」口をついて言葉が出た。
家に帰って薪ストーブの火がついている。それだけのことだがしみじみ幸せを感じた。
幸せを感じつつ、大根と鶏肉を煮て、神戸の叔父から送っていただいた丹波の黒大豆の枝豆を茹で、鰹の土佐造りのニンニクと玉葱を刻み、熱燗をつけた。煮物はこっくりと煮えていて、枝豆は香ばしく、鰹はニンニクが程よく効いていて、上出来の夕食だった。ふと思った。決め手のスパイスが効いたなと。同じ料理をしてもその時々の料理する人の気持ちで、味はたぶん変わってくる。それが決め手のスパイスになるんじゃないかなとわたしは考えている。
ほんの小さなことで人の気持ちは変わる。ストーブが温かく燃えていてうれしくなったり、冷たい言葉を投げかけられれば傷ついた気分になったり、Let it beを聴いて泣きたい気持ちになることもあれば、ただ空が晴れてるだけで心が澄んでいく時もある。
薪ストーブの火を見ながら大根を食べて考えた。どんな気持ちであれ、そんなふうに感じる心を持ち続けていたいなと。そして、決め手のスパイスが効いた美味しい料理を作って食べたいなと。
丹波黒大豆の枝豆は今が旬 普通の枝豆よりも長く12分茹でます
茹でただけなのに香ばしい味が広がりました
「あ、うれしい」口をついて言葉が出た。
家に帰って薪ストーブの火がついている。それだけのことだがしみじみ幸せを感じた。
幸せを感じつつ、大根と鶏肉を煮て、神戸の叔父から送っていただいた丹波の黒大豆の枝豆を茹で、鰹の土佐造りのニンニクと玉葱を刻み、熱燗をつけた。煮物はこっくりと煮えていて、枝豆は香ばしく、鰹はニンニクが程よく効いていて、上出来の夕食だった。ふと思った。決め手のスパイスが効いたなと。同じ料理をしてもその時々の料理する人の気持ちで、味はたぶん変わってくる。それが決め手のスパイスになるんじゃないかなとわたしは考えている。
ほんの小さなことで人の気持ちは変わる。ストーブが温かく燃えていてうれしくなったり、冷たい言葉を投げかけられれば傷ついた気分になったり、Let it beを聴いて泣きたい気持ちになることもあれば、ただ空が晴れてるだけで心が澄んでいく時もある。
薪ストーブの火を見ながら大根を食べて考えた。どんな気持ちであれ、そんなふうに感じる心を持ち続けていたいなと。そして、決め手のスパイスが効いた美味しい料理を作って食べたいなと。
丹波黒大豆の枝豆は今が旬 普通の枝豆よりも長く12分茹でます
茹でただけなのに香ばしい味が広がりました
炬燵に馴染むまで
ふいに寒気がして炬燵を出した。出したといっても夏の間もリビングで活躍していたテーブルに炬燵布団を掛けるだけだ。試運転し、アールグレイの紅茶を淹れて温まった。シーズン関係なくここがマイパソの定位置だが、炬燵の魔法に囚われ、さらに動けなくなるのは見えている。
何年か前まで炬燵は置かなかった。何故か。子ども達が炬燵布団に食べこぼすのが嫌だったからだ。しかし末娘が小学校の高学年になった頃、炬燵が欲しいねという意見が家族の中からぽつりぽつりと出始め、購入に踏み切った。
末娘は新しくやって来た炬燵さんに馴染めず、足を入れるまでに1週間かかった。もちろん今ではずいぶんと経験を積んで大人になったが、初めて体験することには慎重になるタイプなのだ。小学生だった彼女は、1週間触ったり炬燵布団の外側に寝転がってみたりして、ようやく炬燵さんとお友達になった。
すぐに新しい環境や初めてのことに、馴染めたり挑戦できたり楽しめたりする人もいるが、わたし自身そうではない。だから、ゆっくりでいいと思っている。ゆっくり馴染んで、何度か確かめて挑戦していけばいい。
しかし、こと電子機器に関しての彼女の馴染み方は異常に速い。我が家でブルーレイに録画したものを移すことができるのも彼女だけだ。もう電子機器=お友達なのだ。アイスが食べたいのに冷蔵庫が開けられなくて「ピンポーン、ピンポーン」と冷蔵庫を見上げ呪文(?)を唱えていた2歳の彼女は何処へ行ったのやらと、炬燵に入り感傷に浸った。
今、炬燵布団にこぼすのは大人だけ
ビールとかワインとかウィスキーとか日本酒とか……
何年か前まで炬燵は置かなかった。何故か。子ども達が炬燵布団に食べこぼすのが嫌だったからだ。しかし末娘が小学校の高学年になった頃、炬燵が欲しいねという意見が家族の中からぽつりぽつりと出始め、購入に踏み切った。
末娘は新しくやって来た炬燵さんに馴染めず、足を入れるまでに1週間かかった。もちろん今ではずいぶんと経験を積んで大人になったが、初めて体験することには慎重になるタイプなのだ。小学生だった彼女は、1週間触ったり炬燵布団の外側に寝転がってみたりして、ようやく炬燵さんとお友達になった。
すぐに新しい環境や初めてのことに、馴染めたり挑戦できたり楽しめたりする人もいるが、わたし自身そうではない。だから、ゆっくりでいいと思っている。ゆっくり馴染んで、何度か確かめて挑戦していけばいい。
しかし、こと電子機器に関しての彼女の馴染み方は異常に速い。我が家でブルーレイに録画したものを移すことができるのも彼女だけだ。もう電子機器=お友達なのだ。アイスが食べたいのに冷蔵庫が開けられなくて「ピンポーン、ピンポーン」と冷蔵庫を見上げ呪文(?)を唱えていた2歳の彼女は何処へ行ったのやらと、炬燵に入り感傷に浸った。
今、炬燵布団にこぼすのは大人だけ
ビールとかワインとかウィスキーとか日本酒とか……
箱から出よう
週末はいつも夫と歩く。朝夕のびっきーとの散歩だ。
ウォーキング中のご近所さんと立ち話したり、夕焼けを眺めたり、ワイン用葡萄収穫中のほろ酔いになりそうなほど香り立つ空気を一緒に吸ったり、読んだ本のことを話したりしながら、びっきーといろんなコースを歩く。
歩きながら『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(大和書房)という読んだばかりだという本の話を夫から聞いた。
「人は箱に入ってしまうと言い訳を始めるって、かいてあるんだ」
「箱に入るって? 自分の殻に閉じこもるとか?」
「それがちょっと違って、うーん。自分の気持ちを裏切って自分を正当化することかな。たとえば、赤ん坊が泣いてて妻は眠ってる。疲れて眠ってるんだな、手伝ってあげたいなと思う。でも自分だって仕事で疲れてる」
「そこで言い訳を始めるんだ」
「そう。俺は仕事でがんばってるとか、なのになぜ妻は起きないんだとか、そもそも子育ては母親の仕事だとか。だから悪いのは妻だと思った瞬間箱に入ってしまうって感じかな」
「自分を正当化するために、言い訳しなくちゃならなくなるんだね」
「その箱に入った人同士が話をしてうまくいくかってとこがキーなんだ」
「赤ん坊をどうするかは別にしても、確かに自分を正当化している人同士じゃ話し合いにはならないね」
「うん。箱に入った人同士が話し合っても、箱がぶつかるだけなんだよ」
「箱から出なくちゃならないね」
「まずは相手を理解しようと考えて、ようやく箱から出られるんだ。それを読んで思った。君は子ども達に対して箱に入らずに接してるって」
「いつも肯定するところから始めたいとは思ってきたけど、箱に入ってたことも多かったんじゃないかな」
それだけ話して、しばらくふたり黙って歩いた。
夫は仕事に必要だと思って買った本だと言っていた。彼は今月、末娘の誕生日と日にちを合わせ2つ目の会社を設立した。
わたしは箱に入っていないだろうか。自分を正当化するために誰かを否定していないだろうか。否定し追いつめていないだろうか。箱がぶつかるだけの関係なんて悲しい。たぶん夫もそう思いながら歩いていたと思う。びっきーはどうだかわからないけれど。
僕はいつだって箱には入りません 入るのは犬小屋だけと決めています
おとーさんとおかーさんが 箱に入っている姿は時々目にします
僕がリードを引っ張ったり 拾い食いしたりするのを否定します
どうしてかな? 肯定するところから始めようよ
ウォーキング中のご近所さんと立ち話したり、夕焼けを眺めたり、ワイン用葡萄収穫中のほろ酔いになりそうなほど香り立つ空気を一緒に吸ったり、読んだ本のことを話したりしながら、びっきーといろんなコースを歩く。
歩きながら『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(大和書房)という読んだばかりだという本の話を夫から聞いた。
「人は箱に入ってしまうと言い訳を始めるって、かいてあるんだ」
「箱に入るって? 自分の殻に閉じこもるとか?」
「それがちょっと違って、うーん。自分の気持ちを裏切って自分を正当化することかな。たとえば、赤ん坊が泣いてて妻は眠ってる。疲れて眠ってるんだな、手伝ってあげたいなと思う。でも自分だって仕事で疲れてる」
「そこで言い訳を始めるんだ」
「そう。俺は仕事でがんばってるとか、なのになぜ妻は起きないんだとか、そもそも子育ては母親の仕事だとか。だから悪いのは妻だと思った瞬間箱に入ってしまうって感じかな」
「自分を正当化するために、言い訳しなくちゃならなくなるんだね」
「その箱に入った人同士が話をしてうまくいくかってとこがキーなんだ」
「赤ん坊をどうするかは別にしても、確かに自分を正当化している人同士じゃ話し合いにはならないね」
「うん。箱に入った人同士が話し合っても、箱がぶつかるだけなんだよ」
「箱から出なくちゃならないね」
「まずは相手を理解しようと考えて、ようやく箱から出られるんだ。それを読んで思った。君は子ども達に対して箱に入らずに接してるって」
「いつも肯定するところから始めたいとは思ってきたけど、箱に入ってたことも多かったんじゃないかな」
それだけ話して、しばらくふたり黙って歩いた。
夫は仕事に必要だと思って買った本だと言っていた。彼は今月、末娘の誕生日と日にちを合わせ2つ目の会社を設立した。
わたしは箱に入っていないだろうか。自分を正当化するために誰かを否定していないだろうか。否定し追いつめていないだろうか。箱がぶつかるだけの関係なんて悲しい。たぶん夫もそう思いながら歩いていたと思う。びっきーはどうだかわからないけれど。
僕はいつだって箱には入りません 入るのは犬小屋だけと決めています
おとーさんとおかーさんが 箱に入っている姿は時々目にします
僕がリードを引っ張ったり 拾い食いしたりするのを否定します
どうしてかな? 肯定するところから始めようよ
夏眠からの目覚め
日曜日、夫と薪ストーブの煙突掃除をした。そろそろ薪を燃やし暖を取る日も近い。薪ストーブは3度温まると聞いたことがある。薪を割り、薪を運び、薪を燃やす。割って温まり、運んで温まり、燃やして温まる。割るのは夫だが、運ぶのは家族でやる。燃やすのはだいたいわたしの役目だ。夫はチェーンソーで山に木を切りに行ったりもするので3度どころじゃなく温まっている。
煙突を掃除し、ストーブ内の灰もきれいに取って周りを雑巾で拭いた。鉄と石でできたハースストーンというメーカーのストーブは、燃やしていない時には気持ちがいいほど冷たい。
「今年もよろしく」と冷たい石の部分に手を乗せると、ストーブが大きな欠伸をし長い夏眠(?)から目覚めるのを感じた。準備OKの返事だ。
毎日ストーブに火を入れるのはたいへんだが、早く燃やしたくなってくる。夫は待ちきれず庭で焚火を始めた。インドア派のわたしでも、火はいいなと思う。じっと見つめずにはいられない魅力があり、たぶん人を狂わせる魔力もあり、心を鎮める癒しがあり、何もかもを焼き尽くす力がある。
上の娘は中学の頃、よくぼーっとストーブの火を見つめていた。学校でなにかあった時なのか後ろ姿に声をかけにくい雰囲気を漂わせていることもあったっけ。そんな時には、ビールをもうひと缶開けながら傍観した。火と、娘の後ろ姿。娘が薪を入れると炎が大きく上がり花火を見ているような気分だった。
薪は十分にある。今年もがんがん燃やそう。
「恨みも理不尽な思いも、すべてを自分の中の悪意と共に捨てるんだよ。紙にかいて燃やすといい」
以前言われたことを実行してみようか。悪意はよく燃えそうだが、何色の炎が上がるのだろう。煙突が詰まらないよう高温で燃やした方がよさそうだ。
取っ手は木製のもので 開け閉めの時にだけ装着します
今は冷たいストーブですが 取っ手も(?)熱いやつになります
煙突を掃除し、ストーブ内の灰もきれいに取って周りを雑巾で拭いた。鉄と石でできたハースストーンというメーカーのストーブは、燃やしていない時には気持ちがいいほど冷たい。
「今年もよろしく」と冷たい石の部分に手を乗せると、ストーブが大きな欠伸をし長い夏眠(?)から目覚めるのを感じた。準備OKの返事だ。
毎日ストーブに火を入れるのはたいへんだが、早く燃やしたくなってくる。夫は待ちきれず庭で焚火を始めた。インドア派のわたしでも、火はいいなと思う。じっと見つめずにはいられない魅力があり、たぶん人を狂わせる魔力もあり、心を鎮める癒しがあり、何もかもを焼き尽くす力がある。
上の娘は中学の頃、よくぼーっとストーブの火を見つめていた。学校でなにかあった時なのか後ろ姿に声をかけにくい雰囲気を漂わせていることもあったっけ。そんな時には、ビールをもうひと缶開けながら傍観した。火と、娘の後ろ姿。娘が薪を入れると炎が大きく上がり花火を見ているような気分だった。
薪は十分にある。今年もがんがん燃やそう。
「恨みも理不尽な思いも、すべてを自分の中の悪意と共に捨てるんだよ。紙にかいて燃やすといい」
以前言われたことを実行してみようか。悪意はよく燃えそうだが、何色の炎が上がるのだろう。煙突が詰まらないよう高温で燃やした方がよさそうだ。
取っ手は木製のもので 開け閉めの時にだけ装着します
今は冷たいストーブですが 取っ手も(?)熱いやつになります
小説「カフェ・ド・C」 17. 午前11時のカールスバーグ
ムッシュとマダムのように常連さん同士がカップルになることは、これまでにも何度かあった。それはうれしいことなのだが、そのふたりに別れが訪れた時、カフェ・ド・Cは大切なお客様をふたり一時になくすことになる。別れた相手に会わないようにするために、または苦い思い出を振り返りたくなくて、自然と足が遠のいていくようだ。
しかし、人間いろいろだ。一年付き合ってひと月前に別れたという学生のふたり、オダくんとミユキちゃんは平気でカフェ・ド・Cのドアを開ける。もともと来店する曜日や時間が合っていて知り合ったのだから、バッティングする命中率も高い。ふたりはおたがい知らない者同士のように振る舞い、時にはカウンターに席ひとつ開けて座ったりもする。そんな午前11時。
「シュウちゃん、そろそろ首が座った頃かな。かわいいでしょう」
ミユキちゃんが言えば、
「お母さんの所に子猫が5匹生まれたんですってね」
オダくんが話しかけてくる。どちらにもきちんと返事を返し、珈琲を淹れることに集中する。集中しつつも緊張の糸が張り詰め、音を立ててきしんでいるのがわかる。こういうのは苦手分野だ。
その時ドアが開き、タエが入ってきた。僕の中学の同級生で常連でもある彼女は、迷わずカウンターの端に座り「ビール」と注文した。そのとたん、僕の緊張の糸はプツリと切れた。
「まだ昼前だよ。また、フラれたの?」
決してこの3人に言ってはならない言葉を投げかけてしまった。時に人は触れてはいけないと思う方向に自ら傾いてしまう。自分の意志とは別の重力がかかるかのように。この時の僕がそうだった。
「へーちゃん、ひどい。またフラれて悪かったね」
タエはいつもの通りふてくされ、肩をすくめる。
その時、オダくんとミユキちゃんは、憤慨したような顔で同時に言った。
「そうだよ。マスターひどい!」
僕は凍らせたチタンのビアカップに冷えたカールスバーグを注ぎ、タエに出して謝った。「失言でした。ごめん」
それを見て、ふたりはふたたび声を重ねた。
「マスター、同じのください」
「えっ? ふたりともこれから授業があるんじゃないの?」
「休みます」三度声を重ね、ふたりはようやく顔を見合わせた。
「なんかやけに気が合うふたりだね。これを機会に付き合っちゃえば? あ、わたしもう一杯」3人はカールスバーグで乾杯した。
「あのさ。ほんとに、そうしようか」
オダくんがミユキちゃんに気まずそうに笑いかけた。
「うん。これを機会に? 付き合っちゃおうか」
ミユキちゃんもやっぱり気まずそうに笑った。
何のことはない。ふたりは別れてからも会いたくてここに来ていたのだ。
「おーっ、カップル誕生! もう一回乾杯しなくっちゃ」
何も知らないキューピッドは、3杯目のおかわりをした。
カフェ・ド・Cには生ビールはありませんが
いつもカールスバーグが冷えています
キンキンに冷やしたライトなこのビールはタエのお気に入りです
しかし、人間いろいろだ。一年付き合ってひと月前に別れたという学生のふたり、オダくんとミユキちゃんは平気でカフェ・ド・Cのドアを開ける。もともと来店する曜日や時間が合っていて知り合ったのだから、バッティングする命中率も高い。ふたりはおたがい知らない者同士のように振る舞い、時にはカウンターに席ひとつ開けて座ったりもする。そんな午前11時。
「シュウちゃん、そろそろ首が座った頃かな。かわいいでしょう」
ミユキちゃんが言えば、
「お母さんの所に子猫が5匹生まれたんですってね」
オダくんが話しかけてくる。どちらにもきちんと返事を返し、珈琲を淹れることに集中する。集中しつつも緊張の糸が張り詰め、音を立ててきしんでいるのがわかる。こういうのは苦手分野だ。
その時ドアが開き、タエが入ってきた。僕の中学の同級生で常連でもある彼女は、迷わずカウンターの端に座り「ビール」と注文した。そのとたん、僕の緊張の糸はプツリと切れた。
「まだ昼前だよ。また、フラれたの?」
決してこの3人に言ってはならない言葉を投げかけてしまった。時に人は触れてはいけないと思う方向に自ら傾いてしまう。自分の意志とは別の重力がかかるかのように。この時の僕がそうだった。
「へーちゃん、ひどい。またフラれて悪かったね」
タエはいつもの通りふてくされ、肩をすくめる。
その時、オダくんとミユキちゃんは、憤慨したような顔で同時に言った。
「そうだよ。マスターひどい!」
僕は凍らせたチタンのビアカップに冷えたカールスバーグを注ぎ、タエに出して謝った。「失言でした。ごめん」
それを見て、ふたりはふたたび声を重ねた。
「マスター、同じのください」
「えっ? ふたりともこれから授業があるんじゃないの?」
「休みます」三度声を重ね、ふたりはようやく顔を見合わせた。
「なんかやけに気が合うふたりだね。これを機会に付き合っちゃえば? あ、わたしもう一杯」3人はカールスバーグで乾杯した。
「あのさ。ほんとに、そうしようか」
オダくんがミユキちゃんに気まずそうに笑いかけた。
「うん。これを機会に? 付き合っちゃおうか」
ミユキちゃんもやっぱり気まずそうに笑った。
何のことはない。ふたりは別れてからも会いたくてここに来ていたのだ。
「おーっ、カップル誕生! もう一回乾杯しなくっちゃ」
何も知らないキューピッドは、3杯目のおかわりをした。
カフェ・ド・Cには生ビールはありませんが
いつもカールスバーグが冷えています
キンキンに冷やしたライトなこのビールはタエのお気に入りです
ひとりひとりの中の宇宙について
「山の稜線は紅葉が始まってるよ」
夫の言葉に誘われて、八ヶ岳高原大橋まで八ヶ岳を見に行った。ドライブ日和の土曜日だったこともあり大勢の人が来て、のんびりと富士山や南アルプスの山々、八ヶ岳を眺めていた。望遠付きの一眼レフを構える人も多く、雲が形を変えて流れていく様は、カメラマンへのサービスのようにさえ思えた。
「気持ちいいなぁ」夫はカメラを構える前にゆっくりと八ヶ岳を眺めた。
「うん。気持ちいい。綺麗だねぇ」とわたしはすぐにケータイで写真を撮り、何枚か撮って鞄にしまい、夫と一緒に八ヶ岳を眺めた。
毎日見ている八ヶ岳だが、少し近づくと表情はまったく違う。
そのとき隣にいた若いカップルの女性が笑って話しながら、八ヶ岳にカメラを向ける姿が見えた。ふっとこのふたりは何を思っているのだろうと考えた。
そして、ここにいるひとりひとりがその中に持っている宇宙について考えた。
わたしは八ヶ岳を見ながら、この日友人達が京都でやっているイベントのことを考えていた。準備にも充分時間をかけ熱意も傾けていたし成功するだろうとは思っていたが、うまくいきますようにと思わずにはいられなかった。
周りの人は、もちろんわたしが何を考えているか知らないし、一緒にいる夫さえ知らない。そしてわたしも夫が何を思っているのか、誰が何を思っているのかもわからない。
八ヶ岳を眺めながら、そんなひとりひとりの中にある宇宙が、不思議で素敵で、また恐くもあるんだよなと思った。
雲は流れ続けていた。夫がシャッターを切る音が聞こえた。
山は少し車を走らせるだけで形を変えます
うちから見る八ヶ岳がいちばん素敵だとわたしは思っています
夫の言葉に誘われて、八ヶ岳高原大橋まで八ヶ岳を見に行った。ドライブ日和の土曜日だったこともあり大勢の人が来て、のんびりと富士山や南アルプスの山々、八ヶ岳を眺めていた。望遠付きの一眼レフを構える人も多く、雲が形を変えて流れていく様は、カメラマンへのサービスのようにさえ思えた。
「気持ちいいなぁ」夫はカメラを構える前にゆっくりと八ヶ岳を眺めた。
「うん。気持ちいい。綺麗だねぇ」とわたしはすぐにケータイで写真を撮り、何枚か撮って鞄にしまい、夫と一緒に八ヶ岳を眺めた。
毎日見ている八ヶ岳だが、少し近づくと表情はまったく違う。
そのとき隣にいた若いカップルの女性が笑って話しながら、八ヶ岳にカメラを向ける姿が見えた。ふっとこのふたりは何を思っているのだろうと考えた。
そして、ここにいるひとりひとりがその中に持っている宇宙について考えた。
わたしは八ヶ岳を見ながら、この日友人達が京都でやっているイベントのことを考えていた。準備にも充分時間をかけ熱意も傾けていたし成功するだろうとは思っていたが、うまくいきますようにと思わずにはいられなかった。
周りの人は、もちろんわたしが何を考えているか知らないし、一緒にいる夫さえ知らない。そしてわたしも夫が何を思っているのか、誰が何を思っているのかもわからない。
八ヶ岳を眺めながら、そんなひとりひとりの中にある宇宙が、不思議で素敵で、また恐くもあるんだよなと思った。
雲は流れ続けていた。夫がシャッターを切る音が聞こえた。
山は少し車を走らせるだけで形を変えます
うちから見る八ヶ岳がいちばん素敵だとわたしは思っています
オリーブだけのマティーニ
「はんぺんのないおでんなんて、おでんじゃない」と言う娘の発言を聞いて、昔彼女がよく引用したアニメのセリフを思い出した。
「何とかのない何とかなんて、オリーブだけのマティーニみたいなものだ」
マティーニを飲んだことのない中学生の彼女が言うのがわたし的にはとても可愛らしく、ふたりの間でしばらく流行った。「オリーブのないマティーニ」ではなく「オリーブだけのマティーニ」と言うところがいい。洒落が効いている。雰囲気だけでもお裾分けしようと思い、夫と飲みに行ったときに、マティーニの写真を娘にケータイメールで送ったりもした。
普段はビール(のどごし生はビールではありませんね)しか飲まないわたしだが、食事の後にゆっくりバーで飲むのだってもちろん嫌いじゃない。
しばらくギムレットにハマり、機会があるたびにギムレットを飲んで飲み比べた。きっかけは村上春樹が訳したレイモンド・チャンドラーの『ロンググッドバイ』(早川書房)。この小説には有名なセリフがある。
「ギムレットを飲むには、少し早すぎるね」
このジンとライムジュースのカクテルが、物語の重要な役割を果たしている。
私立探偵フィリップ・マーロウが活躍するハードボイルドの1作目だ。
村上春樹はあとがきでこうかいている。
「寡黙でタフで頑固で機知に富み孤独でやくざでロマンティックなマーロウ」好きにならざるを得ない探偵だ。
けれど最近のお気に入りはマティーニ。きっかけは北村薫の小説『飲めば都』(新潮社)。文芸編集者の都は本も好きだが酒も大好き。仕事も精一杯やるが酒も精一杯飲む。飲んでは失敗する。しかし酒好きの周りの人の目は彼女に優しい。この本に「通はマティーニから」ってセリフが出てきた。それからわたしは、またあちこちでマティーニを飲みたくなったわけだ。
こうしてビールを飲みながら本を読み、本に影響されてまた酒を飲む。それにしてもマティーニもギムレットも強い酒だ。ビールのようにくいくい飲んではいけない。……との夫の注意と心配を受け流しつつ、そろそろまた素敵なバーに飲みに行きたくなっちゃったなぁと5年前新刊で買った分厚い『ロンググッドバイ』のページを秋の夜長にめくったりしている。
娘にお裾分けで送った昔の写真
オリーブがとてもやわらかくまろやかなマティーニでした
「何とかのない何とかなんて、オリーブだけのマティーニみたいなものだ」
マティーニを飲んだことのない中学生の彼女が言うのがわたし的にはとても可愛らしく、ふたりの間でしばらく流行った。「オリーブのないマティーニ」ではなく「オリーブだけのマティーニ」と言うところがいい。洒落が効いている。雰囲気だけでもお裾分けしようと思い、夫と飲みに行ったときに、マティーニの写真を娘にケータイメールで送ったりもした。
普段はビール(のどごし生はビールではありませんね)しか飲まないわたしだが、食事の後にゆっくりバーで飲むのだってもちろん嫌いじゃない。
しばらくギムレットにハマり、機会があるたびにギムレットを飲んで飲み比べた。きっかけは村上春樹が訳したレイモンド・チャンドラーの『ロンググッドバイ』(早川書房)。この小説には有名なセリフがある。
「ギムレットを飲むには、少し早すぎるね」
このジンとライムジュースのカクテルが、物語の重要な役割を果たしている。
私立探偵フィリップ・マーロウが活躍するハードボイルドの1作目だ。
村上春樹はあとがきでこうかいている。
「寡黙でタフで頑固で機知に富み孤独でやくざでロマンティックなマーロウ」好きにならざるを得ない探偵だ。
けれど最近のお気に入りはマティーニ。きっかけは北村薫の小説『飲めば都』(新潮社)。文芸編集者の都は本も好きだが酒も大好き。仕事も精一杯やるが酒も精一杯飲む。飲んでは失敗する。しかし酒好きの周りの人の目は彼女に優しい。この本に「通はマティーニから」ってセリフが出てきた。それからわたしは、またあちこちでマティーニを飲みたくなったわけだ。
こうしてビールを飲みながら本を読み、本に影響されてまた酒を飲む。それにしてもマティーニもギムレットも強い酒だ。ビールのようにくいくい飲んではいけない。……との夫の注意と心配を受け流しつつ、そろそろまた素敵なバーに飲みに行きたくなっちゃったなぁと5年前新刊で買った分厚い『ロンググッドバイ』のページを秋の夜長にめくったりしている。
娘にお裾分けで送った昔の写真
オリーブがとてもやわらかくまろやかなマティーニでした
初おでん
昨夜は、今シーズン初おでんにした。夫が帰ってくるので午前中から買い物に行き、浮き浮きとおでんを煮た。そしてまた、あーやっぱり、という落とし穴に落ちた。はんぺんを買い忘れた。
いくつかの材料を揃えなくてはならない時に陥る穴だ。お好み焼きでキャベツを忘れたり、寄せ鍋で春菊を忘れたり、酷い時にはジャーマンポテトのじゃが芋を忘れたりする。はんぺんくらいなくてもいいじゃないかって? 今回致命的なのは、はんぺんが娘の大好物だというところにある。
「もう1回行くか」
1時間おでんを煮た頃には気持ちも切り替わった。木曜はスーパーのポイント5倍ディ。買い置きできるものはバンバン買ってポイントを貯めよう。ドッグフードも重たいけど2袋買おう。おーっ! と意気込んでふたたび買い物に出かけた。そしてドッグフードを2袋乗せたカートごと段差でひっくり返り転んだ。転んでひざをしこたま打った。痛みはどうでもいいけどかっこ悪い。いくらポイント5倍ディだからといって自分の能力以上のことをしようとしてはいけないのだ。あきらかに買い忘れの分を取り戻そうなどと考えたのが敗因だ。
「今日はんぺん買い忘れちゃってさ」
駅に迎えに行った車中、娘に言うと困惑した顔でわたしの目を見た。
「買いに、行きました」と、娘の真剣さに押され丁寧語で返す。
「よかったぁ。はんぺんがないおでんなんて、おでんじゃないもんね」
わたしは、内心買いに行ってよかったとホッとした。そして転んだことを話すと、彼女は「だいじょうぶ?」と優しく心配してくれた。やっぱり買いに行ってよかった。はんぺんを笑う者ははんぺんに泣くのだ。
しかし夫に話すと大笑いして「かっこわりー」と3回言い「どんくさい」と2回言った。いつか仕返ししてやる。
3時間煮込んだ初おでんは、苦労の甲斐あってとびきり美味しかった。
はんぺんは食べる5分前に入れます
つーんとくるほど辛子をたっぷりつけて食べるのが好きです
いくつかの材料を揃えなくてはならない時に陥る穴だ。お好み焼きでキャベツを忘れたり、寄せ鍋で春菊を忘れたり、酷い時にはジャーマンポテトのじゃが芋を忘れたりする。はんぺんくらいなくてもいいじゃないかって? 今回致命的なのは、はんぺんが娘の大好物だというところにある。
「もう1回行くか」
1時間おでんを煮た頃には気持ちも切り替わった。木曜はスーパーのポイント5倍ディ。買い置きできるものはバンバン買ってポイントを貯めよう。ドッグフードも重たいけど2袋買おう。おーっ! と意気込んでふたたび買い物に出かけた。そしてドッグフードを2袋乗せたカートごと段差でひっくり返り転んだ。転んでひざをしこたま打った。痛みはどうでもいいけどかっこ悪い。いくらポイント5倍ディだからといって自分の能力以上のことをしようとしてはいけないのだ。あきらかに買い忘れの分を取り戻そうなどと考えたのが敗因だ。
「今日はんぺん買い忘れちゃってさ」
駅に迎えに行った車中、娘に言うと困惑した顔でわたしの目を見た。
「買いに、行きました」と、娘の真剣さに押され丁寧語で返す。
「よかったぁ。はんぺんがないおでんなんて、おでんじゃないもんね」
わたしは、内心買いに行ってよかったとホッとした。そして転んだことを話すと、彼女は「だいじょうぶ?」と優しく心配してくれた。やっぱり買いに行ってよかった。はんぺんを笑う者ははんぺんに泣くのだ。
しかし夫に話すと大笑いして「かっこわりー」と3回言い「どんくさい」と2回言った。いつか仕返ししてやる。
3時間煮込んだ初おでんは、苦労の甲斐あってとびきり美味しかった。
はんぺんは食べる5分前に入れます
つーんとくるほど辛子をたっぷりつけて食べるのが好きです
お湯呑み大好き
久しぶりに『京mono』に行った。隣の韮崎市にあるお気に入りの雑貨屋だ。食料品の買い物のついでに寄れる場所にあるので、気が向くとふらりと立ち寄る。4~5回冷やかして1回買うくらいのペース。値段もお手頃のものを選ぶ。上得意とは言えない客だ。
焼き物は様々な地方の何人かの陶芸作家作品が置いてあり、鉄細工や染め物などは東南アジアに買い付けに行くと言う。着物や帯、暖簾など京都の物ももちろん多く、ガラスの器や木製のスプーンや椰子の実のボタンなど不思議な物がいろいろ置いてある。
わたしのお目当ては、焼き物。特に湯呑み茶わんかマグカップを買うことが多い。毎日飲むお茶の器にはこだわりたいし楽しみたい。珈琲も同じくだ。なので『京mono』に限らず何処へ行ってもお湯呑みとマグはチェックする。金額は余程のことがない限り3千円台までと決めていて、大きさも来客時にいくつか一緒に出す時にバランスがいいように同じくらいの物を選ぶ。デザインはその時々の気分でまちまちだ。
朝食の時、夫とふたりで飲むお茶のお湯呑みも、その日の気分で決める。ふたつの器のバランスや最近どれを使ったかなど考えつつ、忙しい朝に選ぶのも楽しい。たまに夫がお茶を入れてくれた時に、わたしが選ばないペアを選んだりしていて驚かされるのもまた楽しい。お客さんが来た時に、誰にこれで誰にこれ、など考えながらお茶を入れるのも楽しい。
そうして少しずつお湯呑みとマグが増えていく。それがとても楽しい。
購入した新人くんは右から2番目の黒っぽいもの 2,100円也
隣の白地に赤青黄の模様が入ったお湯呑みは
京都は北野天満宮近くの雑貨屋で3年前娘達と旅行した際に見つけたもの
焼き物は様々な地方の何人かの陶芸作家作品が置いてあり、鉄細工や染め物などは東南アジアに買い付けに行くと言う。着物や帯、暖簾など京都の物ももちろん多く、ガラスの器や木製のスプーンや椰子の実のボタンなど不思議な物がいろいろ置いてある。
わたしのお目当ては、焼き物。特に湯呑み茶わんかマグカップを買うことが多い。毎日飲むお茶の器にはこだわりたいし楽しみたい。珈琲も同じくだ。なので『京mono』に限らず何処へ行ってもお湯呑みとマグはチェックする。金額は余程のことがない限り3千円台までと決めていて、大きさも来客時にいくつか一緒に出す時にバランスがいいように同じくらいの物を選ぶ。デザインはその時々の気分でまちまちだ。
朝食の時、夫とふたりで飲むお茶のお湯呑みも、その日の気分で決める。ふたつの器のバランスや最近どれを使ったかなど考えつつ、忙しい朝に選ぶのも楽しい。たまに夫がお茶を入れてくれた時に、わたしが選ばないペアを選んだりしていて驚かされるのもまた楽しい。お客さんが来た時に、誰にこれで誰にこれ、など考えながらお茶を入れるのも楽しい。
そうして少しずつお湯呑みとマグが増えていく。それがとても楽しい。
購入した新人くんは右から2番目の黒っぽいもの 2,100円也
隣の白地に赤青黄の模様が入ったお湯呑みは
京都は北野天満宮近くの雑貨屋で3年前娘達と旅行した際に見つけたもの
願い事ありますか?
朝7時半からみっちり経理の仕事をして気がつくと正午だった。税金も納めに行かなくてはならない。ジャージを脱いでジーンズをはき銀行に向かう。
税金納付を済ませると1時前。フィットのエンジンをかけ、窓を開けた。秋の風が入ってくる。ドライブには最適な季節だ。お腹もすいているし高根町まで蕎麦でも食べに行くかと、銀行から走ること10分。『蕎麦カフェいち』に着いた。竹林の中の不思議な蕎麦屋だ。蕎麦屋だがカレーやハンバーグもあるし珈琲も飲める。おもしろい雑貨や本や雑誌が所狭しと置かれている。
「揚げ野菜のおろし蕎麦」と注文し、雑誌を物色する。2年ほど前のクウネルを持って席に座った。雑誌を開いてぼんやりする。ぼんやりしながら店の中を眺める。10人程の若い男女のグループがにぎやかに話している。彼らの注文の方が先だったから、ちょっと待たされそうだ。また雑誌に戻る。
そのクウネルに『バカは2回海を渡る』というドキュメンタリー映画の紹介が載っていた。ふたりの若者がサンフランシスコからラスベガスに向かう旅で、段ボールに英語で「もし願いが叶うとしたら?」「人生で一番大切なものは?」と油性マジックでかき、出会った人にインタビューしていく映画だとかかれていた。
願いねぇ、と考えてみた。「2キロやせたい」とか「トルコやチェコに行ってみたい」とか「しばらく放っておいたままの換気扇を小人さんにピカピカに磨いてほしい」とか? まあないこともないけど、どれもピンと来ない。考えに考え、願い事ないかもと思う。今、幸せなのかもと考える。だからその幸せが続くようにと考えた。「大切な人達が今日も笑ってすごせますように」と。
そして一番大切なものは「彼らの存在」かなと。周りの人がいて、わたしがいる。その周りの人にはまた周りの人がいて、その周りの人にもまた周りの人がいる。それはどんどん拡大されて地球規模になるかもしれない。みんなの大切な人が今日も笑ってすごせますように。
蕎麦を食べつつ宇宙は広がり『蕎麦カフェいち』のテーブルについたわたしは地球の小さな点になっていった。
野菜たっぷりのつゆにつけて蕎麦をいただきます
大根おろしに揚げた茄子、獅子唐、薩摩芋、じゃが芋、人参、牛蒡
茗荷とほうれん草も入っていました
税金納付を済ませると1時前。フィットのエンジンをかけ、窓を開けた。秋の風が入ってくる。ドライブには最適な季節だ。お腹もすいているし高根町まで蕎麦でも食べに行くかと、銀行から走ること10分。『蕎麦カフェいち』に着いた。竹林の中の不思議な蕎麦屋だ。蕎麦屋だがカレーやハンバーグもあるし珈琲も飲める。おもしろい雑貨や本や雑誌が所狭しと置かれている。
「揚げ野菜のおろし蕎麦」と注文し、雑誌を物色する。2年ほど前のクウネルを持って席に座った。雑誌を開いてぼんやりする。ぼんやりしながら店の中を眺める。10人程の若い男女のグループがにぎやかに話している。彼らの注文の方が先だったから、ちょっと待たされそうだ。また雑誌に戻る。
そのクウネルに『バカは2回海を渡る』というドキュメンタリー映画の紹介が載っていた。ふたりの若者がサンフランシスコからラスベガスに向かう旅で、段ボールに英語で「もし願いが叶うとしたら?」「人生で一番大切なものは?」と油性マジックでかき、出会った人にインタビューしていく映画だとかかれていた。
願いねぇ、と考えてみた。「2キロやせたい」とか「トルコやチェコに行ってみたい」とか「しばらく放っておいたままの換気扇を小人さんにピカピカに磨いてほしい」とか? まあないこともないけど、どれもピンと来ない。考えに考え、願い事ないかもと思う。今、幸せなのかもと考える。だからその幸せが続くようにと考えた。「大切な人達が今日も笑ってすごせますように」と。
そして一番大切なものは「彼らの存在」かなと。周りの人がいて、わたしがいる。その周りの人にはまた周りの人がいて、その周りの人にもまた周りの人がいる。それはどんどん拡大されて地球規模になるかもしれない。みんなの大切な人が今日も笑ってすごせますように。
蕎麦を食べつつ宇宙は広がり『蕎麦カフェいち』のテーブルについたわたしは地球の小さな点になっていった。
野菜たっぷりのつゆにつけて蕎麦をいただきます
大根おろしに揚げた茄子、獅子唐、薩摩芋、じゃが芋、人参、牛蒡
茗荷とほうれん草も入っていました
蜂の巣接写
夫が部屋の中に梯子をかけ、窓から蜂の巣を接写した。
わたしも梯子に登り見てみたが、蜂の往来の速さと数に驚いた。無心に幼虫に食べさせるエサを運んでいる。穴に頭を突っ込み、すぐに飛んでいく。その繰り返しだ。キイロスズメバチの巣の大きさは、現在直径50cm程。近くで見ると腕のいい左官屋さんが高度な技術で塗った壁のように美しく作られていて見とれてしまう。
ところで蜂が人間の顔を覚えるというのは本当だろうか。
「軒下を間借りしてるんだから、大家の顔くらい覚えてるだろ」と夫は言う。だから刺されないだろうと。
「あんまり近づくと『大家さん』から『大家の野郎』に格下げされるよ」
わたしは常に注意を促す側だ。近くには世界最大だという大スズメバチもいる。刺されればとりあえず死ぬらしい。甲虫のように堅そうな黄色い仮面をかぶった見るからに怪しい奴らだ。その奴らも毎日のように隣の林で見かけるお馴染みさんになっている。巣は発見されていないし、蜂追いの輩にも気づかれてはいないようで、みな日々平穏に過ごしている。
「大スズメバチ、なかなか襲ってこないな」
大家の癖に襲撃を楽しみにしている夫は、待ちきれない様子だ。
「数が足りないんじゃないかな。大スズメバチだって頭数が揃わないとキイロにも負けちゃうらしいから」
奴らは毎日見かけるが10匹ほどだ。巣の大きさからして300匹はいるであろうキイロスズメバチに襲撃をかけるには、相当数揃わないとだめなんじゃないか。それって想像したくない状況なんじゃないか、とわたしは思うのだが。
「えーっ、そういうこと? それじゃあ何のためにキイロスズメバチ育ててるんだかわかんないじゃん」と夫。
何のためだよ、とはわたしが聞きたい。
もしもわたしが大スズメバチに刺された時には 夫を責めないでください
幸せの物差しはそれぞれですが わたしはとても幸せでした
わたしも梯子に登り見てみたが、蜂の往来の速さと数に驚いた。無心に幼虫に食べさせるエサを運んでいる。穴に頭を突っ込み、すぐに飛んでいく。その繰り返しだ。キイロスズメバチの巣の大きさは、現在直径50cm程。近くで見ると腕のいい左官屋さんが高度な技術で塗った壁のように美しく作られていて見とれてしまう。
ところで蜂が人間の顔を覚えるというのは本当だろうか。
「軒下を間借りしてるんだから、大家の顔くらい覚えてるだろ」と夫は言う。だから刺されないだろうと。
「あんまり近づくと『大家さん』から『大家の野郎』に格下げされるよ」
わたしは常に注意を促す側だ。近くには世界最大だという大スズメバチもいる。刺されればとりあえず死ぬらしい。甲虫のように堅そうな黄色い仮面をかぶった見るからに怪しい奴らだ。その奴らも毎日のように隣の林で見かけるお馴染みさんになっている。巣は発見されていないし、蜂追いの輩にも気づかれてはいないようで、みな日々平穏に過ごしている。
「大スズメバチ、なかなか襲ってこないな」
大家の癖に襲撃を楽しみにしている夫は、待ちきれない様子だ。
「数が足りないんじゃないかな。大スズメバチだって頭数が揃わないとキイロにも負けちゃうらしいから」
奴らは毎日見かけるが10匹ほどだ。巣の大きさからして300匹はいるであろうキイロスズメバチに襲撃をかけるには、相当数揃わないとだめなんじゃないか。それって想像したくない状況なんじゃないか、とわたしは思うのだが。
「えーっ、そういうこと? それじゃあ何のためにキイロスズメバチ育ててるんだかわかんないじゃん」と夫。
何のためだよ、とはわたしが聞きたい。
もしもわたしが大スズメバチに刺された時には 夫を責めないでください
幸せの物差しはそれぞれですが わたしはとても幸せでした
大工はおしゃべりなほどよい
おしゃべりな大工さんがウッドデッキの木材を持って来てくれた。傷んだ個所を張り替えるために頼んだものだ。
珈琲を淹れ夫と3人でしゃべった。何しろおしゃべりな大工さんなのでしゃべってもらうのが、もてなしなのだ。
最近の話から、いつもそうだが家を建てた頃の話になる。13年前のことだ。今年設計士さんが亡くなったこともあり、センチメンタルに話し始めたが、しかしこだわりの強い頑固もんの親父だったよなというところに落ち着く。
三谷幸喜監督の映画『みんなの家』は若い設計士と年配の大工が家を建てる際のこだわりの違いがメインだったが、うちはふたりとも還暦を過ぎた同年輩。ぶつかりは激しかった。
その大工さんから受けてうちの仕事をしてくれていたのが、おしゃべりな大工さん。わたしと同い年だ。
あの頃、末娘は彼にとてもなついていて、彼女は子どもながらにヘビースモーカーの彼に心を痛めており、煙草を止めるように何度も注意した。
「煙草はからだに悪いんだよ」と5歳の娘。
「からだに悪くても、心にいいんだよ」とおしゃべりな大工さん。
「そっか、心にいいんだ」と娘。「うーん」とわたし。
彼はスマホを操作する夫を見て「それ指を動かす病気なの?」と顔をしかめていた。ブルートゥースの話になると「それ、ブルーレイと違うの?」と目を泳がせていた。末娘が18歳になったことにさえ目を丸くしていた。
でもまあ時代に遅れているともいえる彼の気持ちも、わたしにはよくわかる。何しろ同い年なのだ。
珈琲カップを片づけたあと、夫を手伝ってペンキを塗ったり、傷んだ板を外した場所の掃除をしたりした。
顔を上げると、おしゃべりな大工さんが張ってくれた杉の外板が……八ヶ岳おろしの北風の中で雪にまみれて張ったという板が、綺麗に並んでいる。
彼は腕がいいし、ハートがある。まあ、おしゃべりなのを楽しいと捉えるか、うるさいと捉えるかは人それぞれ。仕事は忙しいようだから、うるさいけどまあよしと捉えている人が多いということかな。たぶん熱いハートが収まりきらなくて口からどんどん飛び出しちゃうんだよね、彼の場合。
とりあえず「大工はおしゃべりなほどよい」ということにしておくか。
12年前に家族で張ったウッドデッキも
そろそろ 基礎から張り替えなくちゃならないかな
珈琲を淹れ夫と3人でしゃべった。何しろおしゃべりな大工さんなのでしゃべってもらうのが、もてなしなのだ。
最近の話から、いつもそうだが家を建てた頃の話になる。13年前のことだ。今年設計士さんが亡くなったこともあり、センチメンタルに話し始めたが、しかしこだわりの強い頑固もんの親父だったよなというところに落ち着く。
三谷幸喜監督の映画『みんなの家』は若い設計士と年配の大工が家を建てる際のこだわりの違いがメインだったが、うちはふたりとも還暦を過ぎた同年輩。ぶつかりは激しかった。
その大工さんから受けてうちの仕事をしてくれていたのが、おしゃべりな大工さん。わたしと同い年だ。
あの頃、末娘は彼にとてもなついていて、彼女は子どもながらにヘビースモーカーの彼に心を痛めており、煙草を止めるように何度も注意した。
「煙草はからだに悪いんだよ」と5歳の娘。
「からだに悪くても、心にいいんだよ」とおしゃべりな大工さん。
「そっか、心にいいんだ」と娘。「うーん」とわたし。
彼はスマホを操作する夫を見て「それ指を動かす病気なの?」と顔をしかめていた。ブルートゥースの話になると「それ、ブルーレイと違うの?」と目を泳がせていた。末娘が18歳になったことにさえ目を丸くしていた。
でもまあ時代に遅れているともいえる彼の気持ちも、わたしにはよくわかる。何しろ同い年なのだ。
珈琲カップを片づけたあと、夫を手伝ってペンキを塗ったり、傷んだ板を外した場所の掃除をしたりした。
顔を上げると、おしゃべりな大工さんが張ってくれた杉の外板が……八ヶ岳おろしの北風の中で雪にまみれて張ったという板が、綺麗に並んでいる。
彼は腕がいいし、ハートがある。まあ、おしゃべりなのを楽しいと捉えるか、うるさいと捉えるかは人それぞれ。仕事は忙しいようだから、うるさいけどまあよしと捉えている人が多いということかな。たぶん熱いハートが収まりきらなくて口からどんどん飛び出しちゃうんだよね、彼の場合。
とりあえず「大工はおしゃべりなほどよい」ということにしておくか。
12年前に家族で張ったウッドデッキも
そろそろ 基礎から張り替えなくちゃならないかな
眠りに囚われて
眠りに囚われてしまった。
春眠暁を覚えずと言うが、秋だと言うのに毎日眠くてたまらない。
夜はだいたい10時半頃寝て朝5時半に起きる。7時間睡眠。娘の学校の時間があるから規則正しい。それが暑い夏睡眠が足りなくなり、午後3時間くらい昼寝をするようになった。秋になりそれでも足りなくなった。朝のいろいろを済ませ午前中も2時間眠るようになった。12時間睡眠。1日の半分は眠っていることになる。眠らないと頭痛に襲われるので許される限り眠る。
優先事項……経理の仕事、洗濯、買い物、食事の支度、娘の送り迎え、びっきーの散歩などをこなして、あとはベッドでごろごろしている。
これが噂の更年期というものかと、受け入れ態勢万全だ。やらなきゃならないことをやり、眠りたいだけ眠ろうと思う。もっともっと眠りが必要になって起きている時間が無くなってしまったら、それはその時に考えよう。まさか温暖化で人間も冬眠する身体に進化(?)していってるわけじゃないよね?
村上春樹の短編に『眠り』がある。『TVピープル』(文春文庫)のラストに収められたその小説は、逆に眠りが訪れなくなった女性の話だ。
歯科医の夫と小2の男の子と穏やかに暮らしていた私。ある日突然眠りが必要なくなり、これまで眠っていた時間を自分のためだけに使うことに喜びを感じるようになる。そして家族との日々の生活が無味乾燥に思えてくる。
「私は義務として買い物をし料理を作り掃除をし子供の相手をした。義務として夫とセックスした。慣れてしまえばそれは決して難しいことではなかった」
私は、学生時代のようにチョコレートを大量に食べながら何時間も本を読み続け、毎日1時間泳ぎ、夜中にドライブした。できる限り自分の時間を有効に使おうと考えた。私に眠りは訪れなかった。そこには間断のない覚醒だけが確実に存在した。
もし今余分に眠っている分が、後々返ってくるとしたら何をしよう。いや。それ以前に眠りのない生活なんてお断りだ。
野菜たっぷりのシチューを食べて今日もぐっすり眠ろう
春眠暁を覚えずと言うが、秋だと言うのに毎日眠くてたまらない。
夜はだいたい10時半頃寝て朝5時半に起きる。7時間睡眠。娘の学校の時間があるから規則正しい。それが暑い夏睡眠が足りなくなり、午後3時間くらい昼寝をするようになった。秋になりそれでも足りなくなった。朝のいろいろを済ませ午前中も2時間眠るようになった。12時間睡眠。1日の半分は眠っていることになる。眠らないと頭痛に襲われるので許される限り眠る。
優先事項……経理の仕事、洗濯、買い物、食事の支度、娘の送り迎え、びっきーの散歩などをこなして、あとはベッドでごろごろしている。
これが噂の更年期というものかと、受け入れ態勢万全だ。やらなきゃならないことをやり、眠りたいだけ眠ろうと思う。もっともっと眠りが必要になって起きている時間が無くなってしまったら、それはその時に考えよう。まさか温暖化で人間も冬眠する身体に進化(?)していってるわけじゃないよね?
村上春樹の短編に『眠り』がある。『TVピープル』(文春文庫)のラストに収められたその小説は、逆に眠りが訪れなくなった女性の話だ。
歯科医の夫と小2の男の子と穏やかに暮らしていた私。ある日突然眠りが必要なくなり、これまで眠っていた時間を自分のためだけに使うことに喜びを感じるようになる。そして家族との日々の生活が無味乾燥に思えてくる。
「私は義務として買い物をし料理を作り掃除をし子供の相手をした。義務として夫とセックスした。慣れてしまえばそれは決して難しいことではなかった」
私は、学生時代のようにチョコレートを大量に食べながら何時間も本を読み続け、毎日1時間泳ぎ、夜中にドライブした。できる限り自分の時間を有効に使おうと考えた。私に眠りは訪れなかった。そこには間断のない覚醒だけが確実に存在した。
もし今余分に眠っている分が、後々返ってくるとしたら何をしよう。いや。それ以前に眠りのない生活なんてお断りだ。
野菜たっぷりのシチューを食べて今日もぐっすり眠ろう
心配のかたち
南アルプスの彼に子どもができた。と言ってももちろん彼が妊娠したわけもなく、ましてやわたしの子どもではない。
贔屓にしているマッサージ師くんに、初めてのお子さんが生まれるのだ。
予定日は11月末頃で「今週はパパママ学級があるんですよ」とうれしそうに話してくれた。昔は母親学級と言ったものだが、月日は流れ物事の考え方や呼び名も変わっていく。その後には、立ち会い出産の勉強会もあるそうだ。
「立ち会いしてるこっちの方が倒れそうっすよね」と言うので、つい、
「うん。確かに産むより見てる方がつらいかも」と答えてしまったが、そんなわけはない。しかし3人とも安産で出産したわたしには、本当にそう思えてしまった。もし自分の大切な人の出産に立ち会ったら、心配で心配でおろおろしちゃうだろうな、それなら自分が産んだ方がまだましかもと、つい本音で。
心配性だと末娘によく言われる。キッチンでじゃがいもの皮をむく娘の横に立っているだけで言われる。
「じゃがいもむくくらいのことで、隣で悲しそうな顔しないでよ。もう、お母さんの心配性!」
どうも手を切りそうに思えてならないのだ。でも、料理だってできた方がいいに決まってるし口は挟まない。しかし、それが顔に出まくっているらしい。
「いいじゃん。いくら心配したって減るわけじゃなし」
わたしは、ぶつぶついいつつ退散するのが常だ。じゃがいもの皮むきでさえ立ち会いできずに逃げ出してしまう始末。
でも不思議なことに上の娘がオーストラリアに行くと言いだした時には、その心配性は影を潜めた。女の子をひとりでよく行かせたね、と何人かの人に言われたが、笑って送り出せた。
歩き始めた赤ん坊を支えてあげたい気持ちと、自分の足で歩いてほしい気持ちと親には両方の気持ちが混在するものだ。
半年がたち、彼女もそろそろ淋しくなる頃かもしれないがfacebookには昨日も元気そうな写真をアップしていたので、いいね! をクリックした。
心配のかたちも、いろいろでいい。
南アルプスのマッサージ師くんは、どんなお父さんになるのだろう。ともあれ初めてのお子さんがぶじに生まれてくることを祈るばかりだ。今年中には立ち会い出産を経験したお父さんの顔で、きっと話を聞かせてくれるだろう。そばにいる人が、いっぱい心配してあげることが、たぶんとても大切なのだ。
facebookにアップしていた娘のお気に入りだというカフェ
オーストラリアにはもうすぐ春が来るのかなー
贔屓にしているマッサージ師くんに、初めてのお子さんが生まれるのだ。
予定日は11月末頃で「今週はパパママ学級があるんですよ」とうれしそうに話してくれた。昔は母親学級と言ったものだが、月日は流れ物事の考え方や呼び名も変わっていく。その後には、立ち会い出産の勉強会もあるそうだ。
「立ち会いしてるこっちの方が倒れそうっすよね」と言うので、つい、
「うん。確かに産むより見てる方がつらいかも」と答えてしまったが、そんなわけはない。しかし3人とも安産で出産したわたしには、本当にそう思えてしまった。もし自分の大切な人の出産に立ち会ったら、心配で心配でおろおろしちゃうだろうな、それなら自分が産んだ方がまだましかもと、つい本音で。
心配性だと末娘によく言われる。キッチンでじゃがいもの皮をむく娘の横に立っているだけで言われる。
「じゃがいもむくくらいのことで、隣で悲しそうな顔しないでよ。もう、お母さんの心配性!」
どうも手を切りそうに思えてならないのだ。でも、料理だってできた方がいいに決まってるし口は挟まない。しかし、それが顔に出まくっているらしい。
「いいじゃん。いくら心配したって減るわけじゃなし」
わたしは、ぶつぶついいつつ退散するのが常だ。じゃがいもの皮むきでさえ立ち会いできずに逃げ出してしまう始末。
でも不思議なことに上の娘がオーストラリアに行くと言いだした時には、その心配性は影を潜めた。女の子をひとりでよく行かせたね、と何人かの人に言われたが、笑って送り出せた。
歩き始めた赤ん坊を支えてあげたい気持ちと、自分の足で歩いてほしい気持ちと親には両方の気持ちが混在するものだ。
半年がたち、彼女もそろそろ淋しくなる頃かもしれないがfacebookには昨日も元気そうな写真をアップしていたので、いいね! をクリックした。
心配のかたちも、いろいろでいい。
南アルプスのマッサージ師くんは、どんなお父さんになるのだろう。ともあれ初めてのお子さんがぶじに生まれてくることを祈るばかりだ。今年中には立ち会い出産を経験したお父さんの顔で、きっと話を聞かせてくれるだろう。そばにいる人が、いっぱい心配してあげることが、たぶんとても大切なのだ。
facebookにアップしていた娘のお気に入りだというカフェ
オーストラリアにはもうすぐ春が来るのかなー
小説「カフェ・ド・C」 16. グニャグニャした夢
台風が桜の葉を落としていき、ぐっと秋らしくなった午後。常連のワキさんがカフェ・ド・Cのドアを開けた。
「今朝おかしな夢見て、ぐったりしてるんだ。目の覚める奴淹れてよ」
彼はイタリアンバールでソムリエ修行中のウエイター。夜の営業しかないので午後1時にモーニングコーヒーを飲みに来ることが多い。シェフに紹介してくれて、バールで出す珈琲の豆をうちから仕入れてくれているお得意様だ。年の頃は僕と同じくらいだろうか。
「どんな夢ですか?」
寝起きの疲れた顔でカウンターに座るのはいつものことだが、確かに疲れの色が濃く見えた。
「グニャグニャしてるんだよ」「グニャグニャ、ですか?」
コロンビアの中煎りをワキさんの前に置く。美味い! と言って彼は続けた。
「たとえばドアを開けて家に入ろうとするだろ? 取っ手もドアも、グニャグニャしてて開かないんだ」
「スライムみたいな感じですかね」「そうそう」「それで?」
「ハサミで切って入ろうとした。夢だからさ、都合よくハサミがあるんだよ」
「夢ですからね」ふたり笑った。
「でもそのハサミがまた、グニャグニャなんだよ」
「それはそれは、お疲れ様。しかし、めずらしくファンタジックな夢ですね」
「これが正夢ってことは、まあないだろうな」
そうなのだ。ワキさんの夢は正夢になることが多い。ひと月ほど前にも学生時代の友人に会った夢を見たら、その晩バールに友人が現れたという。そういうことがこれまでに何度もあった。
週末の午後、ふたたび寝起きの顔でカウンターに座り、ワキさんは夢の話の続きを聞かせてくれた。
「何のことはなかったよ。あの晩、バールの常連さんにプレゼントをもらったんだ。それがゴムの木だったってオチだ」
「グニャグニャした夢は、ゴムの木でしたか」
ふたりで笑っていたら、カウンターで洗い物をしていたジュンが口を挟んだ。
「その常連さんって、女性ですか?」
「ああ、若くてよく食べてよく飲む女性だけど?」
「ワキさん、ゴムの木の花言葉、ご存じですか?」
「花言葉? いや、知らない」
ジュンは間を置かず答えた。「永遠の愛です」
「えっ……永遠の愛?」ワキさんは一瞬珈琲をこぼしそうになる。
その驚いた顔がちょっとうれしそうな表情に変わるのを見て、僕はジュンと顔を見合わせた。彼が今度来るときには、もしかしたら若くてよく食べてよく飲む女性を連れて来るかもしれない。残念ながらカフェ・ド・Cは珈琲屋だが。
長かった夏が終わりを告げ
カフェ・ド・Cのある街にも秋は足元から訪れました
グニャグニャした夢は夏の疲れでしょうか
「今朝おかしな夢見て、ぐったりしてるんだ。目の覚める奴淹れてよ」
彼はイタリアンバールでソムリエ修行中のウエイター。夜の営業しかないので午後1時にモーニングコーヒーを飲みに来ることが多い。シェフに紹介してくれて、バールで出す珈琲の豆をうちから仕入れてくれているお得意様だ。年の頃は僕と同じくらいだろうか。
「どんな夢ですか?」
寝起きの疲れた顔でカウンターに座るのはいつものことだが、確かに疲れの色が濃く見えた。
「グニャグニャしてるんだよ」「グニャグニャ、ですか?」
コロンビアの中煎りをワキさんの前に置く。美味い! と言って彼は続けた。
「たとえばドアを開けて家に入ろうとするだろ? 取っ手もドアも、グニャグニャしてて開かないんだ」
「スライムみたいな感じですかね」「そうそう」「それで?」
「ハサミで切って入ろうとした。夢だからさ、都合よくハサミがあるんだよ」
「夢ですからね」ふたり笑った。
「でもそのハサミがまた、グニャグニャなんだよ」
「それはそれは、お疲れ様。しかし、めずらしくファンタジックな夢ですね」
「これが正夢ってことは、まあないだろうな」
そうなのだ。ワキさんの夢は正夢になることが多い。ひと月ほど前にも学生時代の友人に会った夢を見たら、その晩バールに友人が現れたという。そういうことがこれまでに何度もあった。
週末の午後、ふたたび寝起きの顔でカウンターに座り、ワキさんは夢の話の続きを聞かせてくれた。
「何のことはなかったよ。あの晩、バールの常連さんにプレゼントをもらったんだ。それがゴムの木だったってオチだ」
「グニャグニャした夢は、ゴムの木でしたか」
ふたりで笑っていたら、カウンターで洗い物をしていたジュンが口を挟んだ。
「その常連さんって、女性ですか?」
「ああ、若くてよく食べてよく飲む女性だけど?」
「ワキさん、ゴムの木の花言葉、ご存じですか?」
「花言葉? いや、知らない」
ジュンは間を置かず答えた。「永遠の愛です」
「えっ……永遠の愛?」ワキさんは一瞬珈琲をこぼしそうになる。
その驚いた顔がちょっとうれしそうな表情に変わるのを見て、僕はジュンと顔を見合わせた。彼が今度来るときには、もしかしたら若くてよく食べてよく飲む女性を連れて来るかもしれない。残念ながらカフェ・ド・Cは珈琲屋だが。
長かった夏が終わりを告げ
カフェ・ド・Cのある街にも秋は足元から訪れました
グニャグニャした夢は夏の疲れでしょうか
フジテレビへの熱い片思い
もとよりフジテレビに対する憎しみはない。12年の歳月はわたしに静かなあきらめをもたらした。もういいじゃないか。そういう名前のテレビ局があったことなど忘れよう。過去のことだよ。未来は他の局に放映してもらおう。きっと10年後にはそんな名前のテレビ局があったことも、月9のドラマも、忘れ去られているよ。えっ? フジテレビ? 何それ昔のテレビ局の名前? ふーん、聞いたことないなぁ。なんて具合いに。
というのは単にわたしのひがみです。フジテレビの方ごめんなさい。だって、うちフジテレビ映らないんだもん! 面白そうと思ったドラマに限ってフジテレビだったりして、テレビ欄を見て味わう一瞬の期待とその後訪れる落胆に何度泣かされたことか……。
越してきて5年はケーブルテレビと交渉を繰り返した。しかし返事は「そちらの地域では採算が合わないためケーブルの工事はできません」の一点張り。
わたしのひがみ根性か「山ン中に住んどいてテレビ観ようっての? はは。笑っちゃうよね」と聞こえるようにまでなった。
しかし今ではオンデマンドで一話300円ほどでドラマも観られるようになり、この地域ではうん万円の契約費用がかかり月々の支払いもしなくてはならないケーブルテレビも、もはや必要ない。
今、心は凪いでいる。夏の終わりに来た台風はウッドデッキに松葉を散らしていったが、夜中に目覚めて見た十五夜の月は美しく、流れる雲間に星も瞬いていた。12年間フジテレビが観られなかったことと引き換えに手に入れたものの方が確実に大きいのだ。
そんなことを考えながらフジテレビの東野圭吾ミステリーをオンデマンドで楽しんだ。かくして12年の歳月を経てフジテレビへの熱い片思いは成就したのであった。めでたし、めでたし。
山梨番の新聞はテレビ欄もフジテレビははじっこ あ、これ朝日新聞だから?
というのは単にわたしのひがみです。フジテレビの方ごめんなさい。だって、うちフジテレビ映らないんだもん! 面白そうと思ったドラマに限ってフジテレビだったりして、テレビ欄を見て味わう一瞬の期待とその後訪れる落胆に何度泣かされたことか……。
越してきて5年はケーブルテレビと交渉を繰り返した。しかし返事は「そちらの地域では採算が合わないためケーブルの工事はできません」の一点張り。
わたしのひがみ根性か「山ン中に住んどいてテレビ観ようっての? はは。笑っちゃうよね」と聞こえるようにまでなった。
しかし今ではオンデマンドで一話300円ほどでドラマも観られるようになり、この地域ではうん万円の契約費用がかかり月々の支払いもしなくてはならないケーブルテレビも、もはや必要ない。
今、心は凪いでいる。夏の終わりに来た台風はウッドデッキに松葉を散らしていったが、夜中に目覚めて見た十五夜の月は美しく、流れる雲間に星も瞬いていた。12年間フジテレビが観られなかったことと引き換えに手に入れたものの方が確実に大きいのだ。
そんなことを考えながらフジテレビの東野圭吾ミステリーをオンデマンドで楽しんだ。かくして12年の歳月を経てフジテレビへの熱い片思いは成就したのであった。めでたし、めでたし。
山梨番の新聞はテレビ欄もフジテレビははじっこ あ、これ朝日新聞だから?
軌道修正する時間
隣町にオープンした珈琲屋にひとりふらりと立ち寄ってみた。
『珈琲茶房 光香』光る香りとかいて「こうか」と読む。若いマスターがひとりでやっている小さな店だ。
室内にはカウンターとテーブルもひとつあるが、天気がいいのでウッドデッキに座らせてもらった。樽のテーブルに麻袋のテーブルクロス。オーダーの際カップをお客さんに選んでもらうのが決まりだと言う。
いつも初めて行く珈琲屋では、あれば浅煎りをオーダーする。珈琲好きのくせに苦みが強い珈琲が苦手なのだ。なのでペルーのチャンチョマイヨ産、浅煎りストレート珈琲を頼んだ。香りがよく苦みもちょうどわたし好み。酸味がもうちょっと欲しいところだが、酸味が強い珈琲を自分より好む人をわたしは知らないので、それは贅沢と言うものだろう。空にはうろこ雲が広がり、手元には読みかけの本があり、静かに時間は流れた。
たまにこうして誰かがドリップした珈琲を飲みたくなる。冷凍庫にはいつでもわたし好みの酸味と苦みを合わせ持つ珈琲豆が常備してあるし、自分で淹れた珈琲が自分にいちばんぴたりと来ることも知っているのに、なぜだろう。
「軌道修正」と考えてみる。わたしには、自分の味に慣れすぎたなと感じてくると、こうして新しいものを求めて出かけたくなる傾向がある。珈琲に限らず料理にも限らず、日々暮らしていくすべてのことにおいて。
同じ場所に同じように立っていても、周りは変わっていく。時々こうして自分の立っている場所を外から眺めることも大切だと、たぶん自分自身わかっているのだ。
『光香』の看板の下にはもうひとつ「春夏冬中」の看板が
秋がないから商い中ってやつですね
『珈琲茶房 光香』光る香りとかいて「こうか」と読む。若いマスターがひとりでやっている小さな店だ。
室内にはカウンターとテーブルもひとつあるが、天気がいいのでウッドデッキに座らせてもらった。樽のテーブルに麻袋のテーブルクロス。オーダーの際カップをお客さんに選んでもらうのが決まりだと言う。
いつも初めて行く珈琲屋では、あれば浅煎りをオーダーする。珈琲好きのくせに苦みが強い珈琲が苦手なのだ。なのでペルーのチャンチョマイヨ産、浅煎りストレート珈琲を頼んだ。香りがよく苦みもちょうどわたし好み。酸味がもうちょっと欲しいところだが、酸味が強い珈琲を自分より好む人をわたしは知らないので、それは贅沢と言うものだろう。空にはうろこ雲が広がり、手元には読みかけの本があり、静かに時間は流れた。
たまにこうして誰かがドリップした珈琲を飲みたくなる。冷凍庫にはいつでもわたし好みの酸味と苦みを合わせ持つ珈琲豆が常備してあるし、自分で淹れた珈琲が自分にいちばんぴたりと来ることも知っているのに、なぜだろう。
「軌道修正」と考えてみる。わたしには、自分の味に慣れすぎたなと感じてくると、こうして新しいものを求めて出かけたくなる傾向がある。珈琲に限らず料理にも限らず、日々暮らしていくすべてのことにおいて。
同じ場所に同じように立っていても、周りは変わっていく。時々こうして自分の立っている場所を外から眺めることも大切だと、たぶん自分自身わかっているのだ。
『光香』の看板の下にはもうひとつ「春夏冬中」の看板が
秋がないから商い中ってやつですね
マイブームは簡単混ぜ寿司
新米が来てから、ひとりのお昼はご飯が多い。簡単混ぜ寿司がマイブームだ。冷蔵庫に入れておいた残りご飯をレンジでチンして寿司酢をかけ、刻んだ茗荷や生姜あれば紫蘇や三つ葉、それに山椒の実の水煮を混ぜて、はいできあがり。酢飯にしても、もちもち感たっぷりで新米ならではの味に仕上がる。海苔をかけたり巻いたりしてもいいし、残り物のおかずなどがない日も量を増やせば1品だけで満腹になる。自己主張の強い薬味になる野菜ばかりだが酢飯に混ぜると手をつないで仲良くしてくれる。ちりめんを入れても美味しそうだな。
ところで庭に山椒の木が2本ある。越して来た頃に、その辺りの森に生えていた苗を移植したものだ。ほったらかしの森から山椒の小さな苗をいただいたくらいであれこれ言う地主さんはいないので「いただきます」と森に挨拶し、いただいてきた。それから12年が経つ。春には木の芽を筍ご飯や煮物などに飾ったりして風味を楽しんだ。自己主張の強い野菜大好きなわたしは、毎年味噌汁の薬味にまでしてたくさん食べている。しかし木の芽の時期は短くすぐに葉は成長し堅くなる。実はならないかと思いつつ過ごした10年目、山椒はようやく実をつけた。今年はネットでレシピを調べ、ふたりで実をとり夫が小女子と合わせて佃煮を作った。
今手元にあるのは買ったものだが、山椒の実があるだけで何でもない煮物が特別な料理に変身する。大好きな食材のひとつだ。
それにしても植物ってすごい。放っておいても根を張り葉を広げ花を咲かせ実をつける。特に我が家ではまめに水をあげたりする人はいないので植物ですら弱肉強食だ。強いものだけが生き残っている。山椒の木よ、生き残ってくれてありがとう。そしてこれからも強く生きてくれ。
(注)ほったらかしの庭だからって苗は勝手に持って行かないでください。
大ぶりの茶碗によそって 山椒は食べ終えた後舌がしびれるくらいたっぷりと
ところで庭に山椒の木が2本ある。越して来た頃に、その辺りの森に生えていた苗を移植したものだ。ほったらかしの森から山椒の小さな苗をいただいたくらいであれこれ言う地主さんはいないので「いただきます」と森に挨拶し、いただいてきた。それから12年が経つ。春には木の芽を筍ご飯や煮物などに飾ったりして風味を楽しんだ。自己主張の強い野菜大好きなわたしは、毎年味噌汁の薬味にまでしてたくさん食べている。しかし木の芽の時期は短くすぐに葉は成長し堅くなる。実はならないかと思いつつ過ごした10年目、山椒はようやく実をつけた。今年はネットでレシピを調べ、ふたりで実をとり夫が小女子と合わせて佃煮を作った。
今手元にあるのは買ったものだが、山椒の実があるだけで何でもない煮物が特別な料理に変身する。大好きな食材のひとつだ。
それにしても植物ってすごい。放っておいても根を張り葉を広げ花を咲かせ実をつける。特に我が家ではまめに水をあげたりする人はいないので植物ですら弱肉強食だ。強いものだけが生き残っている。山椒の木よ、生き残ってくれてありがとう。そしてこれからも強く生きてくれ。
(注)ほったらかしの庭だからって苗は勝手に持って行かないでください。
大ぶりの茶碗によそって 山椒は食べ終えた後舌がしびれるくらいたっぷりと
サリュ! イザベル
近藤史恵の『タルト・タタンの夢』(東京創元社)の続き『ヴァン・ショーをあなたに』を読んでいる。フレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」を舞台にしたコージーミステリーだ。
ふと数か月前に2週間ステイしていったパリジェンヌを思い出した。彼女の名はイザベル。フランスに帰って元気にやっているのだろうか。
イザベルは上の娘がカナダでホームステイした時のルームメイトで、娘を頼って日本に来た。わたしは外国人のステイを受け入れるのも初めてだし何をしたらいいのかよくわからず、とりあえずフランス語を少しだけ覚えた。自分の国の言葉を少しでも知っている人がいたらうれしいだろうな、と。
「サリュ」ハローの意味。わたしは毎日「サリュ! イザベル」と挨拶した。しかしイザベルは娘にそっと言ったらしい。「サリュは若者言葉なのよ」わたしは涼しい顔で「サリュ」と言い「I’m young」とジョークを飛ばした。しかし後々「オッス!」のように使われていることを知る。イタリア語で「チャオ」はおはようもこんにちはもさよならにも使える便利な言葉だと覚えていたので多分同じ感覚なのだと思い込んでいた。付け焼刃とはこのことだ。
それでもイザベルとは通じ合うものがあり、言葉の壁を越えて親しく楽しい時間を過ごした。英語もできないわたしとフランス語の指差し会話帳を指差したりしながら、教えてもらったフランス語もある。幸せは「コントン」カフェ・ド・Cはイザベルとの時間が始まりだった。乾杯は「サムテ」あなたの健康にという意味合いの言葉だという。パリでは親に干渉されるのが嫌で家を出て一人暮らしをしていることや、留学したベトナムがあまり清潔とは言えない環境だったことなどを、車を運転しながらふたりで話したりもした。
今考えるとどうやって話していたのか不思議だ。到底超えることのできない言葉の壁がそびえ立っているように思う。
しかしイザベルはバースディカードにかいてくれた。
I hope to become a wife and a mother like you.
言葉の壁による勘違いは数々あるかと思うが、イザベルがとてもいい子だということに間違いはない。
イザベルがプレゼントしてくれたバースディカードには
リビングで過ごすわたしの絵が描かれていた
ダイエットビールの絵も……
ふと数か月前に2週間ステイしていったパリジェンヌを思い出した。彼女の名はイザベル。フランスに帰って元気にやっているのだろうか。
イザベルは上の娘がカナダでホームステイした時のルームメイトで、娘を頼って日本に来た。わたしは外国人のステイを受け入れるのも初めてだし何をしたらいいのかよくわからず、とりあえずフランス語を少しだけ覚えた。自分の国の言葉を少しでも知っている人がいたらうれしいだろうな、と。
「サリュ」ハローの意味。わたしは毎日「サリュ! イザベル」と挨拶した。しかしイザベルは娘にそっと言ったらしい。「サリュは若者言葉なのよ」わたしは涼しい顔で「サリュ」と言い「I’m young」とジョークを飛ばした。しかし後々「オッス!」のように使われていることを知る。イタリア語で「チャオ」はおはようもこんにちはもさよならにも使える便利な言葉だと覚えていたので多分同じ感覚なのだと思い込んでいた。付け焼刃とはこのことだ。
それでもイザベルとは通じ合うものがあり、言葉の壁を越えて親しく楽しい時間を過ごした。英語もできないわたしとフランス語の指差し会話帳を指差したりしながら、教えてもらったフランス語もある。幸せは「コントン」カフェ・ド・Cはイザベルとの時間が始まりだった。乾杯は「サムテ」あなたの健康にという意味合いの言葉だという。パリでは親に干渉されるのが嫌で家を出て一人暮らしをしていることや、留学したベトナムがあまり清潔とは言えない環境だったことなどを、車を運転しながらふたりで話したりもした。
今考えるとどうやって話していたのか不思議だ。到底超えることのできない言葉の壁がそびえ立っているように思う。
しかしイザベルはバースディカードにかいてくれた。
I hope to become a wife and a mother like you.
言葉の壁による勘違いは数々あるかと思うが、イザベルがとてもいい子だということに間違いはない。
イザベルがプレゼントしてくれたバースディカードには
リビングで過ごすわたしの絵が描かれていた
ダイエットビールの絵も……
心地よいミステリー
「やった! 久々のヒットだ」と感動するわたしの横で娘が言った。
「また1塁打だよ」と言っても、どちらも野球の話ではない。ホームランバーを食べる娘にわたしが言う。「1塁打だって大切なんだよ」
久々のヒットを飛ばしたのは初めて読む作家、近藤史恵。『タルト・タタンの夢』(東京創元社)だ。
下町にある小さなフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」が舞台。「パ・マル」とはフランス語で「悪くない」という意味。名付けたのは風変わりなシェフ三舟。気取らないけれどフランス料理好きな人が舌鼓を打つような素敵な料理が人気だ。そして物語は、客達が巻き込まれた小さな事件の真相を三舟シェフが解いていくコージーミステリー。コージーミステリーとは、居心地の良い居間で香り高い紅茶に焼き菓子でもお供にくつろいで読むのに適したミステリーと言われている。
日常に潜む謎を、独特の観察力で話を聞くだけで推理し、三舟シェフがスマートに解き明かしていく。「パ・マル」で働くのは、ギャルソンのぼくこと高築、ソムリエのボーイッシュな女性金子さん、穏やかな厨房スタッフの男性志村さん。そして髭づらで髪を後ろに結わえた一見恐そうに見える三舟シェフの4人。ぼくと金子さんが20代、厨房のふたりは30代と若い店だ。
ミステリーの謎解きと、物語や店のおしゃれな雰囲気、そして何と言っても美味しいフランス料理を楽しめる連作短編集。三舟シェフの鮮やかな謎解きは、誰もが持っている胸に秘めたわだかまりのようなものを溶かしていき、心地よい読後感を約束してくれる。
しかし残念ながら、わたしはフランス料理に詳しくない。タルト・タタンが林檎のタルトってことくらいはわかるけど、ロニョン・ド・ヴォー? オッソ・イラティ? うーん。これはフランス料理を食べに行かなくちゃならないな。「パ・マル」のようなビストロがあるといいんだけど。
ちなみに『ヴァン・ショーをあなたに』という続きがあるようだ。ヴァン・ショーはスパイシーなホットワインで、三舟シェフは疲れた時や傷ついた人にこれを薦める。楽しみだ。
1塁打の短編だって、読み重ね、読み終わる頃には、ホームインした快感が味わえるものなのだ。
北側の窓に並べたワインボトル フランスワインはどれでしょう?
「また1塁打だよ」と言っても、どちらも野球の話ではない。ホームランバーを食べる娘にわたしが言う。「1塁打だって大切なんだよ」
久々のヒットを飛ばしたのは初めて読む作家、近藤史恵。『タルト・タタンの夢』(東京創元社)だ。
下町にある小さなフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」が舞台。「パ・マル」とはフランス語で「悪くない」という意味。名付けたのは風変わりなシェフ三舟。気取らないけれどフランス料理好きな人が舌鼓を打つような素敵な料理が人気だ。そして物語は、客達が巻き込まれた小さな事件の真相を三舟シェフが解いていくコージーミステリー。コージーミステリーとは、居心地の良い居間で香り高い紅茶に焼き菓子でもお供にくつろいで読むのに適したミステリーと言われている。
日常に潜む謎を、独特の観察力で話を聞くだけで推理し、三舟シェフがスマートに解き明かしていく。「パ・マル」で働くのは、ギャルソンのぼくこと高築、ソムリエのボーイッシュな女性金子さん、穏やかな厨房スタッフの男性志村さん。そして髭づらで髪を後ろに結わえた一見恐そうに見える三舟シェフの4人。ぼくと金子さんが20代、厨房のふたりは30代と若い店だ。
ミステリーの謎解きと、物語や店のおしゃれな雰囲気、そして何と言っても美味しいフランス料理を楽しめる連作短編集。三舟シェフの鮮やかな謎解きは、誰もが持っている胸に秘めたわだかまりのようなものを溶かしていき、心地よい読後感を約束してくれる。
しかし残念ながら、わたしはフランス料理に詳しくない。タルト・タタンが林檎のタルトってことくらいはわかるけど、ロニョン・ド・ヴォー? オッソ・イラティ? うーん。これはフランス料理を食べに行かなくちゃならないな。「パ・マル」のようなビストロがあるといいんだけど。
ちなみに『ヴァン・ショーをあなたに』という続きがあるようだ。ヴァン・ショーはスパイシーなホットワインで、三舟シェフは疲れた時や傷ついた人にこれを薦める。楽しみだ。
1塁打の短編だって、読み重ね、読み終わる頃には、ホームインした快感が味わえるものなのだ。
北側の窓に並べたワインボトル フランスワインはどれでしょう?
森の効用
1週間ぶりに夫が帰ってきたので、珈琲をドリップしウッドデッキで飲んだ。
新米が届いたというのに帰ることもできず、仕事も忙しかったらしく夕べの彼はひどく憔悴していた。しかし朝いちばんでびっきーと散歩に行き、新米をたっぷりと食べ、珈琲を飲む頃にはだいぶ回復してきた。
「やっぱり森の中の我が家に帰らないと、疲れがとれないんだな」
「週の真ん中で帰ってくるのがいちばんいいのかもね」
庭にはとんぼが飛び交い、秋の空には雲が流れていく。空気は澄んでいて、時折、鳥の鳴き声が聞こえる。
「会社の経営者を森に連れて行って、1日放っておくっていうツアーが流行ってるらしいよ」
「へぇー。不思議。効果あるのかな?」
「ある気がする」という夫の顔を見てわたしも思った。ある気がする。
「都会の子は、ここは田舎で何にもないって言うと、広がる荒野を思い浮かべるんだって」
「便利になりすぎて想像つかないんだろうな。田舎の暮らしなんて」
夫は来週も1週間帰れない。いくら便利になったからと言っても森は持って行ってあげられない。
「コンビニもスーパーも駅もない小さな町だけど、ここには森があるもんね」とわたし。
「得るものと引き換えに無くしてるものが、案外多いのかも」と夫。
カップいっぱいに入れた珈琲が無くなっても、ウッドデッキの向こうに広がる緑をふたりしばらく眺めていた。
今がいちばんいい季節 そろそろ煙突掃除しなくちゃね
新米が届いたというのに帰ることもできず、仕事も忙しかったらしく夕べの彼はひどく憔悴していた。しかし朝いちばんでびっきーと散歩に行き、新米をたっぷりと食べ、珈琲を飲む頃にはだいぶ回復してきた。
「やっぱり森の中の我が家に帰らないと、疲れがとれないんだな」
「週の真ん中で帰ってくるのがいちばんいいのかもね」
庭にはとんぼが飛び交い、秋の空には雲が流れていく。空気は澄んでいて、時折、鳥の鳴き声が聞こえる。
「会社の経営者を森に連れて行って、1日放っておくっていうツアーが流行ってるらしいよ」
「へぇー。不思議。効果あるのかな?」
「ある気がする」という夫の顔を見てわたしも思った。ある気がする。
「都会の子は、ここは田舎で何にもないって言うと、広がる荒野を思い浮かべるんだって」
「便利になりすぎて想像つかないんだろうな。田舎の暮らしなんて」
夫は来週も1週間帰れない。いくら便利になったからと言っても森は持って行ってあげられない。
「コンビニもスーパーも駅もない小さな町だけど、ここには森があるもんね」とわたし。
「得るものと引き換えに無くしてるものが、案外多いのかも」と夫。
カップいっぱいに入れた珈琲が無くなっても、ウッドデッキの向こうに広がる緑をふたりしばらく眺めていた。
今がいちばんいい季節 そろそろ煙突掃除しなくちゃね
南アルプスの夕焼け
昨日は夕焼けが綺麗だった。夕刻、娘を迎えに行く途中、車を停めてしばらく眺めた。南アルプスの山々が気温の冷え込みもありくっきり見える。取り分け夫の好きな甲斐駒は、ごつごつした身体で冷たい空気を気持ちよく吸い込んでいるようにのびのびとして見えた。
夕陽が印象的な役割を果たしている小説がある。本多孝好の『MOMENT』(集英社文庫)だ。夕陽で始まり夕陽で終わるこの小説の舞台は病院。
「死ぬまさにその瞬間、自分は何を思い浮かべると思う?」
まるで夕陽に向かって問いかけるかのように彼は言った。
「昔読んだ4コマ漫画のひとコマとか」「4コマ漫画のひとコマ?」
夕陽から視線を外して、彼は聞き返した。
主人公は総合病院で掃除のバイトをしている大学生、神田。
そこには「死を間近にした人の願い事をひとつだけ叶えてくれる必殺仕事人伝説」があった。神田はある末期患者の願い事を叶えてから、噂の必殺仕事人として動くようになる。
老婦人は初恋の人に復讐したいと願い、口の悪い老人は戦争で殺した仲間の家族を見守りたいと願い、14歳の少女は修学旅行で1度だけ会った大学生に会いたいと願う。
死を間近にした人々に接し、神田はその重みを受け止めていく。
死を目前にして何を思い何を願うか。今はまだわからない。夕陽が沈んでいくように、いつかその時は来るんだろうけど。
真ん中が甲斐駒ケ岳 もうすぐ冠雪かな
夕陽が印象的な役割を果たしている小説がある。本多孝好の『MOMENT』(集英社文庫)だ。夕陽で始まり夕陽で終わるこの小説の舞台は病院。
「死ぬまさにその瞬間、自分は何を思い浮かべると思う?」
まるで夕陽に向かって問いかけるかのように彼は言った。
「昔読んだ4コマ漫画のひとコマとか」「4コマ漫画のひとコマ?」
夕陽から視線を外して、彼は聞き返した。
主人公は総合病院で掃除のバイトをしている大学生、神田。
そこには「死を間近にした人の願い事をひとつだけ叶えてくれる必殺仕事人伝説」があった。神田はある末期患者の願い事を叶えてから、噂の必殺仕事人として動くようになる。
老婦人は初恋の人に復讐したいと願い、口の悪い老人は戦争で殺した仲間の家族を見守りたいと願い、14歳の少女は修学旅行で1度だけ会った大学生に会いたいと願う。
死を間近にした人々に接し、神田はその重みを受け止めていく。
死を目前にして何を思い何を願うか。今はまだわからない。夕陽が沈んでいくように、いつかその時は来るんだろうけど。
真ん中が甲斐駒ケ岳 もうすぐ冠雪かな
新米センチメンタル
新米が届いた。
さっそくお米坊や(コイン精米機)に一袋(30kg)を持って行き精米した。今日は、神戸や東京の両親、親せき、会社のメンバーなどに新米を送る作業で忙しい。
昨夜は、新米だというのにひとりの夕食だった。夫は東京だし娘は図書館の会議室で9時まで勉強会だという。なので、サボりにサボっておむすびオンリーにした。久しぶりに鍋で1合だけ炊く。毎朝炊飯器で炊くご飯も十分美味しいが、鍋で炊くと一味違う。新米を鍋で炊いておむすびを握れば、それだけで贅沢なディナーだ。
ふと20年以上前、ひとり暮らししていた頃を思い出した。炊飯器を買うのを節約し毎日鍋でご飯を炊き、朝食べてお昼は会社にお弁当を持って行った。
思い出すと、するすると記憶は出てくるもので、自転車で通った銭湯や毎月現金で家賃を払いに行った大家さんの広く整然とした庭、ギターの上手い隣人や自分で縫った白いカーテン。それから「もみじ荘」というちょっと古臭いけれど気に入っていたアパートの名前なんかも久しぶりに思い出した。
「貧乏だったよなぁ」とセンチメンタルな気分に浸る。
確かに貧乏だったけど、気ままで楽しい暮らしだった。自分の足で立ちひとりで何とかやっていた。大きな野望はなかったけれど自分ひとりなら何とでもできる自信があった。
もう一度あの頃に戻れたらと、センチメンタルついでに思ってみたが、答えはひとつだ。戻れない。ザッツオール。
炊きたての新米は宝石のような輝き そして甘く美味しい!
さっそくお米坊や(コイン精米機)に一袋(30kg)を持って行き精米した。今日は、神戸や東京の両親、親せき、会社のメンバーなどに新米を送る作業で忙しい。
昨夜は、新米だというのにひとりの夕食だった。夫は東京だし娘は図書館の会議室で9時まで勉強会だという。なので、サボりにサボっておむすびオンリーにした。久しぶりに鍋で1合だけ炊く。毎朝炊飯器で炊くご飯も十分美味しいが、鍋で炊くと一味違う。新米を鍋で炊いておむすびを握れば、それだけで贅沢なディナーだ。
ふと20年以上前、ひとり暮らししていた頃を思い出した。炊飯器を買うのを節約し毎日鍋でご飯を炊き、朝食べてお昼は会社にお弁当を持って行った。
思い出すと、するすると記憶は出てくるもので、自転車で通った銭湯や毎月現金で家賃を払いに行った大家さんの広く整然とした庭、ギターの上手い隣人や自分で縫った白いカーテン。それから「もみじ荘」というちょっと古臭いけれど気に入っていたアパートの名前なんかも久しぶりに思い出した。
「貧乏だったよなぁ」とセンチメンタルな気分に浸る。
確かに貧乏だったけど、気ままで楽しい暮らしだった。自分の足で立ちひとりで何とかやっていた。大きな野望はなかったけれど自分ひとりなら何とでもできる自信があった。
もう一度あの頃に戻れたらと、センチメンタルついでに思ってみたが、答えはひとつだ。戻れない。ザッツオール。
炊きたての新米は宝石のような輝き そして甘く美味しい!
小説「カフェ・ド・C」 15. ヒポエステスの小さな花
「ヒポエステス、咲きましたね」
常連のキジマさんが目を細めた。彼女はノンフィクションライターで取材が落ち着いた午前中に資料を抱えて珈琲を飲みに来る。
「ヒポエステス、って言うんですか? それ。観葉植物だし鉢も小さいし、正直花が咲くとは思ってなかったんですよ」
窓際に置いていある観葉植物が花をつけたのだ。
「そうね。この直径5センチの鉢で花が咲くとは、わたしも思ってなかった」
キジマさんは中煎りのドミニカをゆっくり味わいながら、花を見つめた。
「あの子のおかげかな。ほら、土日のバイト君」ジュンのことだろうか。
「わたし曜日関係なく来るでしょう? 彼がいる日はヒポエステスが入口の陽が当たるところで水をいっぱいもらっていたの、知ってるのよ」
花は小さくピンク色だ。
「連絡してあげたら?」「ジュンに、ですか?」
週末にはまたジュンはバイトに来る。それからでも遅くはないんじゃないかと思った。
「午後には、しおれると思う」「そうなんですか?」「たぶん」
メールすると、15分後、ジュンは息を切らして店に入ってきた。
「ほんとだ! 咲いてる」「かわいいよね」キジマさんもうれしそうだ。
「ここで描いてもいいですか?」ジュンはスケッチブックを出した。
「もちろん!」
キジマさんは、広げた資料をテーブルの半分までかき寄せ、ジュンはすぐに鉛筆でスケッチを始めた。ジュンは近くの美大に通う学生で店のメニューもかいてもらっている。絵は見たことはないが字に味があるのだ。
「マスター、おかわりください」
ドミニカを飲みつつ、資料ではなくジュンを見つめるキジマさんがつぶやく。
「いつかさ、君をかきたいな」ジュンには聞こえていないようだ。
キジマさんが、何年後かにジュンを取材した一冊の本を作るようになるとは、ぼくにだって誰にだってわからなかった。
ヒポエステスは、キジマさんの言う通り午後には花の命を終わらせた。変化のない毎日のようでいて小さな驚きはそこここに落ちている。キジマさんとジュンを見ていて教わった。その驚きは見ようとしている者にだけ見えるのだと。
見逃していることの多さに気づかされます ふたつ花をつけたヒポエステス
常連のキジマさんが目を細めた。彼女はノンフィクションライターで取材が落ち着いた午前中に資料を抱えて珈琲を飲みに来る。
「ヒポエステス、って言うんですか? それ。観葉植物だし鉢も小さいし、正直花が咲くとは思ってなかったんですよ」
窓際に置いていある観葉植物が花をつけたのだ。
「そうね。この直径5センチの鉢で花が咲くとは、わたしも思ってなかった」
キジマさんは中煎りのドミニカをゆっくり味わいながら、花を見つめた。
「あの子のおかげかな。ほら、土日のバイト君」ジュンのことだろうか。
「わたし曜日関係なく来るでしょう? 彼がいる日はヒポエステスが入口の陽が当たるところで水をいっぱいもらっていたの、知ってるのよ」
花は小さくピンク色だ。
「連絡してあげたら?」「ジュンに、ですか?」
週末にはまたジュンはバイトに来る。それからでも遅くはないんじゃないかと思った。
「午後には、しおれると思う」「そうなんですか?」「たぶん」
メールすると、15分後、ジュンは息を切らして店に入ってきた。
「ほんとだ! 咲いてる」「かわいいよね」キジマさんもうれしそうだ。
「ここで描いてもいいですか?」ジュンはスケッチブックを出した。
「もちろん!」
キジマさんは、広げた資料をテーブルの半分までかき寄せ、ジュンはすぐに鉛筆でスケッチを始めた。ジュンは近くの美大に通う学生で店のメニューもかいてもらっている。絵は見たことはないが字に味があるのだ。
「マスター、おかわりください」
ドミニカを飲みつつ、資料ではなくジュンを見つめるキジマさんがつぶやく。
「いつかさ、君をかきたいな」ジュンには聞こえていないようだ。
キジマさんが、何年後かにジュンを取材した一冊の本を作るようになるとは、ぼくにだって誰にだってわからなかった。
ヒポエステスは、キジマさんの言う通り午後には花の命を終わらせた。変化のない毎日のようでいて小さな驚きはそこここに落ちている。キジマさんとジュンを見ていて教わった。その驚きは見ようとしている者にだけ見えるのだと。
見逃していることの多さに気づかされます ふたつ花をつけたヒポエステス
サスペンドのすすめ
昨夜はめずらしくビールを止め、スコッチウイスキーをロックでちびちびやりながら、夫としゃべった。仕事の話がほとんどだったが、新しい言葉をひとつ教えてもらった。
「サスペンドする」
大辞泉で「サスペンド」を引くと、決定などを保留すること。(しばらくの間)停止すること。とある。
先延ばしにすることがいい場合と悪い場合とはあると思うけど「サスペンドする」ことで新しいやり方が見えてきたり、サスペンドしている間に得た知識が役にたったり、自分の考えを見直すことだってできる。
「時間を置く」「寝かせる」なんて、よく日本語でも使うよね。
それを仕事に活かすにはということを、夫はしゃべっていた。
と言うことで、しばらくの間サスペンドしてみようと思う。わたしの場合、停止の方。何もかも停止だ。立ち止まり、考えることを辞め、ゆっくり本を読み、昼寝をし、風の吹かない森にたたずみ、水たまりに映る空を眺め、赤とんぼをじっと見つめるって感じで。
でもさ、あれ? 今日25日じゃん。給与の締日だ。給与計算だ。うわっ、今月、月末土日だよ。28日には振り込まなくちゃ。月末にはまだまだやることがいっぱいある。
残念。のんびりとサスペンドするのは、また今度だな。
サスペンドするのが得意な赤とんぼ
「サスペンドする」
大辞泉で「サスペンド」を引くと、決定などを保留すること。(しばらくの間)停止すること。とある。
先延ばしにすることがいい場合と悪い場合とはあると思うけど「サスペンドする」ことで新しいやり方が見えてきたり、サスペンドしている間に得た知識が役にたったり、自分の考えを見直すことだってできる。
「時間を置く」「寝かせる」なんて、よく日本語でも使うよね。
それを仕事に活かすにはということを、夫はしゃべっていた。
と言うことで、しばらくの間サスペンドしてみようと思う。わたしの場合、停止の方。何もかも停止だ。立ち止まり、考えることを辞め、ゆっくり本を読み、昼寝をし、風の吹かない森にたたずみ、水たまりに映る空を眺め、赤とんぼをじっと見つめるって感じで。
でもさ、あれ? 今日25日じゃん。給与の締日だ。給与計算だ。うわっ、今月、月末土日だよ。28日には振り込まなくちゃ。月末にはまだまだやることがいっぱいある。
残念。のんびりとサスペンドするのは、また今度だな。
サスペンドするのが得意な赤とんぼ
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
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