はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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『ことり』

小川洋子の小説『ことり』(朝日文庫)を、読んだ。
帯には「世の片隅で、小鳥のさえずりにじっと耳を澄ます兄弟の一生」とあるが、弟の方、幼稚園の鳥小屋の掃除をしていることから「小鳥の小父さん」と呼ばれた彼の一生を描いた小説、と言った方が正しいように思う。

物語は、小鳥の小父さんが、鳥籠を抱いたまま死んでいるのを発見されるところから始まる。そして、鳥の言葉を理解し、小鳥のさえずりのような言語を確立していく7つ年上の兄との子ども時代へと静かに戻り、スタートしていく。
彼の兄は11歳を過ぎたあたりから人の言葉を一切しゃべらなくなり、後に小父さんが「ポーポー語」と呼ぶ言葉を使い始めた。その言葉を理解できるのは、弟である小父さんだけだった。
生涯仕事を持たず、ポーポー語しかしゃべらず、変化に順応できず昨日と同じであることに安心する。そんな兄は、世間で言うところの障害を持った人ということになるだろう。だが小父さんは、その兄を誰よりも尊敬していた。
以下本文から。

夜は二人で一緒にラジオを聴いた。番組の種類にこだわりはなく、小説の朗読もあれば、オペラ公演の中継もあった。ラジオは居間の片隅にある。古びたチェストの上、母親の写真の隣に置かれていた。耳を澄ませることに関して、お兄さんは特別な才能を持っていた。感想など述べなくても、その姿を見ていれば、ラジオから流れてくる一語一語、一音一音をどれほど深く味わっているか、よく分かった。彼の中身は透明で、空っぽで、ただ耳だけが小鳥や朗読やオペラに向かって捧げられる。だからこそ音たちは余計なものに邪魔されず、意味さえも脱ぎ捨て、ありのままの姿でお兄さんの中に染み込んでいった。

小父さんも、その兄も、変わり者として世間には扱われる。
小父さんは、幼稚園に出入りしていることから、ある日を境に、幼女が好きな変質者なのではないかと疑われることにもなる。小父さんを理解しようとした人はほんのわずかだったし、彼の心根の優しさや純粋さ、善良さを理解できたのは、兄と、園長先生と、巣から落ちたメジロの雛だけだった。
著者小川洋子は、彼らのことを「取り繕えない人たち」と呼んでいると解説にあったが、澄んだ善良な心を持ち続けること。それは、理解者を得ようと取り繕うよりも、ずっと難しく、尊いことなのではないだろうか。
例え多くの人に理解されることはなくとも、自分が信じる正しいと思う生き方ができれば、きっと、生きていて幸せだったと思える瞬間が訪れるはずだ。
などと、取り繕うことにも、善良であることにも中途半端なわたしは、この小説を読み、しんとした心持ちで考えたのだった。

タイトルをじっと見つめていると、不思議な言葉に思えてきます。
文中では「小鳥の小父さん」とかかれていたのに何故平仮名なのか。
「小父さん」も「おじさん」では、雰囲気ががらりと変わってくるし、
きっと考え抜いた末に、平仮名のタイトルにしたのでしょう。

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水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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